アイデンティティ
遠くで太鼓の音が鳴っている。あれは祭り囃子なんかじゃない。あたしを探し回る“何か”が打ち鳴らす音だ。
あの太鼓が鳴りだすと、世界の色が薄れて消えていく。
(……見つかる気、ない)
コウと出会えなくなってから、太鼓の音が響き始めた。
今までは補講と言えば必ず一緒の日にくらっていたから、あたしとコウの滞在位置はほとんど一緒だった。変だと思っていたら、コウは持病……呪いが治ってあちこち自由に動き回っていた。つまり、補講で合格をもらった。
傍から居なくなることが多くなった。
あたしの手の届かない遠くまで行って。
あたしは。
……なんで、こうしてるんだっけ。
視界の端に白い布を着た人影が見えたから、隠れていた滑り台の下を潜り抜けて、塀の上へ駆け上る。
走るのは苦手だけど跳ぶのは得意。
スマホを握りしめて、どこまでも進む。
――*――
「お祭りかな?」
ゆっくりとしたリズムで太鼓が鳴っている。
リーネア先生に話しかけようと振り向いたが、彼はソファの上で眠っていた。
「…………」
わー、引くほど美白。睫毛長いしとっても美人。……悲しくなってきた。
人種どころか種族が違うから、仕方がないかもしれないけれど。
「お仕事お疲れ様です」
先生の仕事はPCを使う在宅仕事だ。忙しいときになると目を保護する眼鏡をかけて作業しているのをよく見る。昨日がそうだった。
先生に夏用毛布を掛ける。
エアコンを切って窓を開けるついでに、太鼓の音源をなんとなく探す。
「?」
少し遠くの公園で、白い頭巾を被った人が太鼓を鳴らしている。
しばらく鳴らし続けていた背の高い人が歩き出す。
私が見ている方へと。
「……………………」
あの人は“知らない人”だ。“知らない人”と目を合わせてはいけないのだと、先生は言っていた。
だから、気にせず窓から視線を外す。
――*――
残ったルピネさんと俺とで話そうとしたその時、インターホンが鳴る。
「今度は誰だろ?」
「言っても始まらないだろう。見ておいで」
「そうすね」
立ち上がってすぐのインターホンのモニタをのぞき込む。
映ったのは、翰川先生と対照的な、燃え上がるような赤髪。彼女と釣り合うほどの美貌の青年。
『初めましてこんにちは』
「あ、はい。初めまして……」
完全な初対面ではない。写真で見覚えがある。
『謝罪させて頂きたいんだ。時間はあるかな?』
「……ちょっと待ってください」
ルピネさんと玄武さんを振り向くと、2人が頷いた。
「気になるのだったら他の部屋にでも隠れさせておくれ」
「あ、物置は勘弁な」
玄武さんは物好きだな。俺の家にあそこ以上に涼しい部屋はないのに。
「お客さんも大丈夫みたいなんで、あがってください。今開けますね」
『ありがとう』
玄関に向かい、鍵を解除して扉を開ける。
そこには美青年と美女が立っていて、美女:翰川緋叛はぶすくれていた。
「妻がご迷惑おかけしました」
ルビーをそのまま溶かし込んだような髪色の青年が、翰川先生とともに頭を下げた。……彼女は抑え込まれて頭を下げさせられていると言った方が正しい。
「ミズリ、僕は迷惑などかけていない」
「どの口が言うのかな? シェルからメールが来て、俺がどれだけ心痛めたか……」
「告げ口された……!」
ミズリさんは先生の鼻を優しくつついて黙らせた。……なんだかんだで奥さんに甘い人っぽいな。
「いいから黙ってて。……本当に申し訳ない、光太。ひぞれのことだ。キミの家に無理やり押しかけて不法滞在だよね」
「前科あるんですか?」
「世界各地で同じようなことをしているから、もうそういう病気なんだと思う」
「それは、また……」
「俺もしばらくはこちらに留まるつもりなんだ。妻は引き取ります。……あの、何かいじられたりしてないかな? もしあるなら弁償を」
苦労しているんだなあとは思ったが、俺も苦労したので気持ちがわかった。
「いえ。先生にはお世話になってばかりで。勉強教わって料理作ってもらったりとか……本当、申し訳ないです。甘え過ぎました」
「謙遜や遠慮はしなくていいんだよ、光太。ひぞれは犯罪への倫理観が常人の百倍に薄めたくらいしかないから、息をするように不法侵入してね」
「ミズリは、僕に配慮をすべきだ! 僕だって傷つくのに‼」
翰川先生がぎゃあぎゃあとうるさいのを、ルピネさんが口を塞いで黙らせている。
「ただ、キミの家庭教師をするという約束を聞いた。それだけはさせてやってくれないかな? 一度言い出したら聞かないんだ」
「むしろ、俺が頼み込みたいくらいです。凄くわかりやすいので。少ないですけど、謝礼は払います」
「ありがとう」
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