3.包装

学び進む

 休憩とはいえ、人様の家でだらだらできるはずもなく。

 集中力の調子も良かったので、疑問点をリーネアさんにちょいちょいと教えてもらいながら、のんびりと練習問題を解くのを繰り返していた。

「飲み物スポドリでいいか?」

「すみません、頂きます」

 リーネアさんが出してきたのは、まさかの粉末スポドリ。陸上部をしていた頃が懐かしい。

 少なめのお湯で解いて、氷水で割ってくれた。

「ケイが買い込んでる」

「……スポドリ好きなんですかね」

「たぶん。……帰り遅いな」

「連絡入ってないんですか?」

「んー……挨拶が長引いてんなら邪魔すんのも悪いし、7時になったらかけるよ」

 保護者だなあ。

 見た目は同年代だが、何歳なんだろうこの人外。

「リーネアさんっていくつ?」

「153」

「ごっ」

 スポドリに咽た。

「種族名は……面倒だから言わねえ」

 シュレミアさんからは『妖精』って聞いたけど……ググったら出るのかな。翰川先生みたいに。

「調べても無理だよ。父さんなら……いや、あの人も無理だな」

「お父さん居るんですか?」

「居るよ。寛光で先生やってる」

「じゃあ翰川先生の同僚さんなんですね。変人ですか?」

「……………………うん……そうだな」

 図星をついてしまったらしい。リーネアさんが微妙な表情で頷く。

 ……軍人さんとか?

「言わなきゃよかったな」

「失礼な」

 あと、ずっと思ってるんだが心読め過ぎじゃね?

「寛光の講師陣キワモノしかいねえし、生徒も割とゲテモノが多いから、詳細を言うべきかどうかで悩んでて」

 寛光大学は一線級の神秘の研究をしていると聞いて、俺が憧れて目指す学校であったが、深く聞くと胃もたれしそうになる。

 あと、お父さんをキワモノ扱いするのはどうかと思う。

「……生徒までそれって……その大学はいろいろ大丈夫なんですかね。俺、学校のサイトとパンフしか見れてないんですけど」

 オープンキャンパスが秋休みにあると聞き、行ってみたいとは思っている。

 しかし飛行機予約が未だ確定していない。

「大丈夫かどうかを判断するエピソードとして」

「おお?」

「お忙しい教授のひぞれが長期滞在してるのは、大学を出禁にされてるからだ。実験室の扉吹っ飛ばして、学部長さんに『後期始まるまで来ないでいいよ』って言われたらしい」

「あの人はバカなんですか?」

 今のエピソードで安全の判定をしろと言われても困る。

「頭がいいだけのバカだよ。相方さんが研究生の面倒見ててけっこう可哀そうだ」

「……そういう事故が起こりやすいとか……あるんですかね」

「異種族の割合が多いから、割と」

「入試で変人を選別してるんですか?」

「なんか、『濃い性格が集まりやすいだけで普通だぞ』って言ってた。普通なんだと思う」

「リーネアさん、翰川先生に甘くないですか。絶対普通じゃないですよね」

「お前は話を聞かねえ奴だな」

 会話を放棄して腹パン入れてくる人に言われたくはない。

「元々が濃いひぞれにまともな判断なんてできるわけねえだろ。もしかしたら普通かもしれないとか、明るい方に考えろよ」

「それもなんか違う気がするんですけど……」

 志望校が不安になってきた。

「……ざくざく刺さるからやめろってひぞれに言われてるから、言わない」

「え、何が?」

 先ほどからずっと言葉のナイフが刺さり続けているのだが……彼はナイフを投げている自覚すらないと?

「ひぞれが、割と難易度の高い寛光の受験を止めない理由。理数が壊滅してるなら、文系教科に絞った私立とか、実務的な高専とかいろいろあるのに」

「……」

「高3の夏休みから始めるのはかなりのハンデだ。お前自身わかってることだろ?」

「……はい」

 確かに不思議だった。

 進路希望調査を先生とリーネアさんに見てもらったとき、二人は顔を見合わせてから二言三言話し合い、頷いて俺の希望を認めてくれた。

 俺はつい最近まで『神秘の仕組みを記憶できない』という“呪い”を背負っていた。

 現代の理数科目には神秘が深く入り込んでいる。つまりは、理系が全滅することと同義の呪いであった。受験というのは期末テストのように徹夜でなんとかなる範囲ではないので、受験勉強を今からしても追いつけない可能性が高い。

 深く聞こうとしたところで、しかし、会話を中断する電子音。

 インターホンののち、鍵の開く音がした。リーネアさんが台所側に移動する。

「ただいまー」

 三崎さんが帰ってきた。

 遅れて、俺もノートから顔を上げる。

 リビングまでやってきた三崎さんは、俺とリーネアさんに会釈して微笑む。

「ただいま、先生。森山くん」

「おかえり」

「お、おかえり」

 挙動不審な俺の態度に不審がることもなく、笑顔を返してくれた。

「うん。不思議な気分だなあ、森山くんが居るのは」

「あー……いやあ。長らくお邪魔してます」

「遅れちゃったけど、いらっしゃい」

 ああ、可愛いなあ。

 ……いい子なんだな。

「ごめんなさい、挨拶が長引いて……」

「気にすんな」

「あ、でも。トマトは買ってきましたよ」

「ん。ありがとな」

 三崎さんと話していたリーネアさんが俺を振り向く。

「光太、夕飯は?」

「……家で残り物っす」

「食ってくか?」

「えっ」

「受け取った給金、使い切ろうと思って。牛肉買っといた」

 リーネアさんが冷蔵庫から出したのは、ひとり暮らしの俺はスーパーで眺めて通り過ぎるだけの国産牛肉である。

「そんな、いいですって。時間割いてもらってるのに」

「ひぞれも大して受け取ってねえだろ」

「……粘ったんですけど……」

 俺なりに家庭教師の相場を調べて先生に提案したのだが、彼女は『僕のわがままで苦学生からそんなお金を取るわけにはいかない』と固辞し、長い交渉の末に相場の半額以下でようやく受け取ってくれた。

「お前、家計も結構きついんじゃねえの?」

「あーいや。いまは……」

 給金はバイトで貯めた貯金から。生活費は離婚した両親の仕送りから。

 そう話すと、二人がそれぞれで頷いた。

「……言い辛いこと言わせて悪かった」

「ごめんなさい」

「っそ、そのですね。なんか深刻な感じだけども。致命的に不仲ってわけでは……たまーに、電話で話したりするし」

 母は音信不通で、毎月決まった額が振り込まれるだけだが……父とは連絡先がつながっている。

 あの体質でひとり暮らしをすると言った俺を、父は心配して叱った。

 俺も意地になって怒鳴り返し、高校への入学届を出すぎりぎりまで口を利かなくなったほどだった。三日三晩の話し合いの末、最終的にはいくつかの約束事と仕送りの額を取り決めて、父さんは勤めていた会社の本社のある東京へ戻った。

 思い出すだけで心がかゆい。かきむしりたい!

 ……3年前の俺を思い切り殴りたい。

「も、森山くん?」

 頭をがりがりとかいていると、三崎さんが心配してくれた。

「大丈夫……」

 最近、『若気の至り』という言葉を強く認識している。

「親とか家族相手に恥かいてない奴の方が少ないって。俺も父さん相手に、……」

 リーネアさんの表情がゆっくりと死んでいく。

「え、ちょ。あれ?」

「先生!?」

「…………なんか……ちょっと死にたくなった」

「し、死んじゃだめだよ!」

 三崎さんが慌てて言うと、リーネアさんが身を起こした。

「……悪い、何でもない」

 牛肉パックを掴み、台所に入る。

「お前込みで量買った。だから黙って食え」

「…………。はい」

「ん」

 三崎さんがはっとして立ち上がる。

「あ! 手、洗わなきゃ。忘れてたよ」

「真面目だなあ……」

 国産牛肉はさすがのコクと旨味があり、少々ピリ辛なバターソースが食欲をそそる。調理人がオランダ・ベルギー地域出身だからなのか、味の感覚は違うが、なかなかに美味しい。

 3人で食卓を囲むとは思ってもみなくて、案外と楽しかった。

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