第百一話:彦星アルタの場合。
「ふぅ~今日もいいステージだったわね」
アルタはその後もアイドル活動を続けていた。
無論、今まで通りの方法で。
「アルちゃん、もう普通に歌っていくんじゃないんですかぁ~?」
「何言ってるのよ。この前ので大分消費しちゃったんだから。私貯蓄や予備が無いと落ち着かないタイプなの」
アルタは金銭面に困らない家に住んでいるが、家政婦にいつも言っている事がある。
消耗品の備蓄は切らさないでほしい。
アルタが家政婦に対して願う唯一の事である。
一見どうでもいい事のように思えるが、アルタにとっては重要な事だった。
以前、母が再婚するまでは苦しい暮らしをしていた事もあり、必要な物が必要な時に用意できないというのは非常に辛いのを理解している。
それに、いざという時が来た時に役に立てないのが許せないからである。
とは言え乙姫に比べればまだ余裕もあるので何かあればすぐに助けになれるように更なる備蓄をしておきたいというのが一番の理由だ。
消耗品の備蓄を切らさないのは強いて言えば昔からの癖であり、そういう性分なのだ。
「私が普通に歌って得られるエネルギーとは比べ物にならないしこっちの方が効率いいのよ」
「それはわかりますけどぉ~。天使としてはやっぱりなんていうかぁ」
「そうね、あくまで、天使だものね」
「なんだか違う意味に聞こえますぅ…」
アルタは思う、やはり天使だろうが悪魔だろうが本質は同じものなのだ。
だからネムが天使だろうが悪魔だろうがどっちでもいいし、悪魔であり、天使であるのだと、そう思う事にした。
アルタにとって今回の一件は本当に自分の人生を揺るがすほどの大事件だった。
まず自分の着替えを覗かれた事。次にライブ中に胸を揉みしだかれた事。まぁそれ自体は大量のパッドが防いでくれていたので触られたうちに入るのかどうかは微妙だがその行為と事実だけは消える事がない。そしてその相手が自分と同じように憑かれている奴だった事。アイツが馬鹿を通り越したお人よしだった事。アイツが自分のアイデンティティを破壊しかねない存在だった事。アイツが頼ってくれなかった事。アイツが頼ってくれた事。アイツが、アイツが…星月乙姫が。
「…ルちゃん。アルちゃん。聞いてますぅ?」
「ひょわっ!?え、な…何?」
突然話しかけられて(本当は突然でもなんでもないのだが)アルタは慌てて頭の中からアイツを追い出した。
「…もう。聞いてなかったんですかぁ?どうせまたあの事考えてたんでしょ~?」
「うるさいわね!だ、誰があんな奴の事」
アルタのその様子を見てネムがにたりと笑う。
「あれれぇ~?私はてっきり養子になる為の手続きとかそういうのを考えてるものとばかり…まさかそっちの事とはぁ~♪」
「…ぶつわよ」
「暴力反対ですぅ~」
しかし、実際問題どうしたものか。
今の家に未練など何も無いのは事実であり、収入面なら自分だけでどうとでもなる。
親達もあれだけ裕福ならば金銭的な意味で私を手放したくないなんて事もないだろう。
そして何より本気であの家の住人になりたいと思っている自分がいる。
ただ、アイドル活動を辞める気にはまだなれない。
本当はいつ辞めたっていいと思っていたのに。
あの時、私の本当の歌声で感動してくれた人がいた。
応援してくれた人達がいた。
それが、胸を締め付ける。
今も天使の力を使って無理矢理幸福にさせているような状態だが、それに罪悪感を感じる程度には、あの経験がアルタに響いていた。
「そういえば男の人っていうのは妹っていう存在自体に憧れがあったりするらしいですよぉ♪だから妹になって急接近!っていうのも…ってちょっとアルちゃん、ぶたないでっ」
アルタの悩みは多い。いろいろ複雑な感情が渦巻いている事が問題である。
そもそも本当に妹になってしまったら自分は妹以外にはなれないのではないか。妹以上には決してなれないような気がする。
そんな考えが浮かんでアルタは自分に驚愕した。
「まさか…私がそんな筈。いやいやないない」
それ以上になりたいとかそんなわけある筈が…
「それにそれに、妹として接近して意識させておいてゆくゆくは結婚っていうのもアリだと思いますよぉ~」
アルタは自分で気付かないうちにひどい顔をしていた。
「え、ちょっとアルちゃん怖い…それどんな感情なのぉ…」
「馬鹿なの?妹になって結婚ってアホなの?妹になったら妹でしょ?」
「いえいえ。義理の妹と実際結婚っていうケースはあるらしいですよぉ~♪」
養子縁組なので再婚相手の連れ子とかでは無いから義理の妹という表現が正しいのかはイマイチ解らない。が、つまりは同じことだろう。
「…マジか」
「実際そういう話はあるみたいですねぇ~♪やっぱり一緒に住むっていう距離感の近さと妹っていう属性が…ってなんでぶつんですかぁ~」
ネムの頭を叩きながらアルタは軽く放心したような状態で、思う。
いや、思った事をつい呟いてしまう。
「そうか、そういうのもあるのか」
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