第87話 古着
役人に助けられた彼らは現代で言う集合住宅のような作りの住居へと案内された。四階建ての最上階に彼の部屋があった。室内は資料や雑貨が乱雑し、いかにも男性の一人暮らしという雰囲気が漂う。適当にロゼット達をを座らせて彼はキッチンへと向かって行った。そのときテーブルに置かれていた資料を手にとって見ていたシェイドは彼が役人だと認識。役人というよりはどちらかといえば現代で言う警察に近い立場のようだ。
「しかし、子供だけでよく掻い潜って来たな」
役人、もといカブスは粗方自己紹介をして彼らに入れたての珈琲を提供。小瓶にミルクをたっぷり入れて彼らに渡す。ここには紅茶などといった小洒落たものは置いていないらしい。かといってミルクをそのまま出すのも味気ないと気を使ってくれたのかもしれない。
「ありがとうございます」
ロゼットはミルクを多めに入れて苦味を紛らわそうと試みるが、結果は彼女の表情が物語っていた。
「無理しなくてもいいぞ、水でよかったら出そうか? なんならミルクにしとくぞ?」
「っ…こ、これで大丈夫ですっ」
笑いながらロゼットの事を小馬鹿にするカブスに対してムッとした不機嫌そうな表情。意地でも飲むつもりで彼女はぐびぐびと勢いよく口にしていく。
一方シェイドはミルクも入れずに平然と飲んでいる。彼が背伸びをしているようにも見えず至って当然のように振舞う様子に少しだけロゼットは恨めしそうにしていた。シンシアも少しミルクを足していたが彼女はむしろ熱さのせいでちびちびと飲んでいるといった感じだ。
澄華には小さな干し肉の切れ端と水を与えられて嬉しそうに食事にありついており、ようやく一息つけた一同。雨は一層強くなり、窓から眺める風景は霧のような靄と雨の影響で視界がほとんど見えない。あのまま外で徘徊し続けていたら低体温症も考えられたかもしれない。
だがなぜ彼はわざわざロゼット達を助けてくれたのかと疑問が残る。
「どうして助けてくださったんですか?」
「助けて欲しそうな目をしていたからな」
冗談なのか本気なのかごく普通の声色で話すために少々感情が分かり辛い。本人としては意地悪のつもりで言ったのだろうがロゼットにはあまり伝わっておらず珍しく彼女は恐縮していた。こういう相手はむしろシェイドの方が得意だったのではないかと、彼女は助け舟を求めるように視線を送ってみたのだが…。
「なんだよ愛の告白か?」
「ちっがーう!! そんなわけないでしょ!!」
「ヴぇ、ヴェルちゃん落ち着いてっ…」
カブスも話に入り込む余地を与えるようにシェイドが冗談をかまして話しやすい雰囲気を作る。
「仲良いな、そもそもお前らなんであんなところにいたんだ?」
「あ…えっとどこから…話そう?」
ロゼットは少し悩んでからこれまでの経緯を話す。途中端折った部分もあるが大まかなことは大体彼にも伝わり、魔物のことも含めて寄生体に関しても話す。シンシアも同じく聞き入って時折ロゼットの手を握って頷いていたりと彼女の経験に対して慰めの言葉を掛けていた。
「大変だったんだねヴェルちゃん…」
「ま、なんとか今も平気なんだけどね」
同情するシンシアとは対照的にカブスはというと感傷話よりも彼女が経験した内容そのものに興味を示していた。
「ロゼット嬢は魔物と実際にやりあったのか…。それでその寄生体も見たと」
寄生体に関してカブスはしつこいくらいに彼女に訊ねていた。ロゼットも実際、寄生体に関してはあまりよくわかってはいなかったが魔物の傷口から触手が飛び出している状態で蠢いていたとのことを聞き、何やら考え事の素振りを見せては唸っている。
「なぁ、一度知り合いに詳しく話してもらえるか? 一人医者で今回の魔物に関して調査している奴がいるんだが…」
「調査?」
彼の話を聞き、寄生体を生け捕りにしたことまで話し、そしてイヴにも出会ってこのことを報告したとの話もここで知ることとなった。カブスが寄生体に関して知っているどころか、生け捕りにしていることに一番の衝撃を受け、ロゼットも直接正体を知るわけではないため今後の対象方法も含めて会う機会を検討することで話は纏まる。
とは言うもののこの豪雨の中、巡回が徘徊する街中をわざわざ出歩くような危険行為は避けて、翌朝の豪雨が収まったときにでも案内すると約束を取り付けた。
寄生体の素体はシェイドも興味があるようで、彼も同伴したいと願い出る。その時ふとカブスは気づいたのか「どこかで会ったことが?」と訊ねる。勿論シェイドはカブスとの面識などなかったため答えはノー。なぜそんな事を聞いたのかロゼットは後になってから考えみると、おそらく公の場では知れ渡っている彼の顔を思い出していたのだろう。
夜は彼の家に寝泊りすることとなり、彼の言っていた人物と会うことを条件にドラストニアまでの帰還ルートの確保を依頼して寝床に着いた。
ロゼットはというと、眠れない澄華の面倒を見るために少し外の様子を眺めてから眠ろうと共用廊へ。窓から降りしきる雨で覆われる街並みを澄華の相手をしつつ眺めている。ミスティアに来て以来妙にこれまでの出来事が長く感じられる。派手な衣類だと目立ってしまうということもあって子供用の服を借りて着替えていた。
「可愛かったけどお腹スースーするし、今のミスティアだと風引いちゃいそう」
「だったら少しでも休んでおけ」
彼女の相手をしながら一人ごとを呟いているとカブスに声をかけられる。
「あ、ごめんなさい。勝手に出歩いちゃって」
「少しで良いから身体を休めておけ。子供が作るようなの隈じゃないぞ」
彼には蓄積した疲労が目に見えて分かるように目の下にできた隈が酷かったようだ。無頓着すぎて自分に気を使っているような余裕もなく今になってロゼットは慌てて目を擦る。彼女の事情と今の状況をみていれば無理もない。
「落ち着く時間…そんなになかったのか?」
彼が少し表情を変えて聞く。ロゼットは頷くだけだ。自身の正体や身分までは明かしていないものの有識者という理由だけが彼女をそうさせることに納得できない様子。本来なら大人である自分達の仕事で彼女たち子供達にはほとんど関わる機会などない。
だが現に先陣を切るイヴに魔物と前線で戦ったというロゼット。今の状況―…いやもっと大局的な見方。
いうなれば『時代』そのものに彼は辟易していた。
「カブスさんはどうしてお役人になったんですか?」
ロゼットの素朴な質問が雨音が僅かに聞こえる廊下に木霊する。カブスは少し苦笑いをしてから『家系』だと答えた。彼の家は代々役人の家系で子供の頃から役人としての教育も熱心に施されていたと語る。父親のこともとにかく仕事をしていることしか覚えていないとも語り、家にはほとんどいない。顔を合わせれば教育のことしか話さない。よく言えば熱心な英才教育家。
「悪く言えばただの洗脳だ」
親の教育を洗脳と吐き捨てる彼の言葉に少し驚くロゼット。そんなこと考えた事もなく、寂しい気持ちと心に隙間が出来てしまうような感覚だった。
「家がそんなだからそれに反発して、軍人になった」
「軍人…?」
彼はアズランド寄りの軍人で根っからの軍人気質であった彼らの下で訓練を受けることを望んだ。訓練は相当に厳しかったようで何度もやめたいと心が折れかけたとも話したがそれでも続ける事ができたのは同期にミカルがいたからであった。
「ミカルさんとはその時に?」
彼は頷いて答える。互いに張り合う、切磋琢磨鍛えあう事であの過酷な生活を乗り切ったそうだ。あの経験がなければ今のように動じない性格にはならなかったと少し嬉しそうに話す。ロゼットはアズランドという言葉を聞いてチクリと心が痛んだ。もう今はない王家、その最後を彼女は目の前で見ていた。
「けど今はドラストニア王家の元で一つで国家体制がなっていることは悪い話じゃない。むしろ今までは妙な状態だったんだ。だから魔物に対しての派兵もすぐに行なっている点はこちらも助かってる」
「言いたいことも色々あるが向こうにも多少内情があるから、欲は言えねぇな。ま、強いて言うならあのクソ狂信者共をなんとかして欲しいってところだな」
彼の小言に少し笑うロゼット。けれども心情は外のように曇っている。
ドラストニア王家のもとで国家体制が一つとなったという言葉にもロゼットは何も言葉を掛けることができなかった。実情は国王派、長老派による覇権争いが現在進行形で水面下に行われている。
しかし国民にとってはどちらが覇権を握るなんてことよりもただ国の安定を望んでいるだけだ。直接脅威が襲いかかることも、経済活動、日常生活、他国との付き合いも直接関わっているはほとんどが国民。聞こえの良い演説や大衆向けに催しを開くことなんかよりも彼らはとにかく安定した生活だけを望んでいる。
「本当にただそれだけ…なんですよね」
「軍人も同じだ。戦わないに越した事なんてないし、訓練だけで終わって欲しい。あの時ほどそう思ったことはなかったな」
「あの時…?」
ロゼットは彼の言葉の意味に疑問の言葉が出る。彼は既婚者で子供もいたそうだった。ロゼットに与えた服はその子供の物なのだそうだ。
「そんな…貰っちゃって大丈夫なんですか?」
「いいんだよ。もう着る奴もいない…いやいなくなったからな」
彼の言葉に固まる。おそらくそういう意味なのだが怖くて言葉に出して聞くことが彼女には出来なかった。現代では滅多に経験などしないことだったのに『エンティア』来て以来何度目のことか―…。
「女房と王都へ行った帰りの馬車でな。時期の早い雨季に当たっちまって、運が悪かったのかねぇ」
「駆けつけた時にはもう遅すぎた」
そんな風に遠い目をして思い出すように話す彼の背中が少し小さく見えてしまう。どこか陰のある人だと初めて見た時に感じた彼女の感覚はおそらく彼の持つ背景がそうさせていたのだろうとこの時、理解していた。
「尚更こんな大事なものいただけませんよ…」
そう言って服を脱ごうとするロゼットの頭に大きな手が被さる。優しく包むような、それでいて所々堅い。それは紛れもなく父親の手であった。
「着られる奴に着ていてほしい。アイツだったらそうすると思ったんだ」
「それにいつまでも引きずり回してたらいつか女房が渇を入れに戻ってきちまうかもしれねぇしな」
優しい笑顔で冗談を言いながら彼女の頭を擦る。重い表情に変わっていた彼女を元気付けるための彼なりの気遣いだったのだろうか。辛気臭い話で彼女の気持ちを下げてしまった事への謝意だったのかもしれない。
「私も…大事に使いますね」
ロゼットはせめてものお礼という意味も込めて大切にすると約束した。彼らは話に一区切り突いたところで澄華が少し唸るように窓の外に向かって警戒心を示していた事に気づく。外にはランタンの明かりを持った人影が十数名規模で集合住宅の前で集まっていた。
時刻は深夜の零時をに指しかかろうかとしているにも関わらず、妙であった。
「嗅ぎつけてきたな」
すぐにカブスはクルス教徒だと気づく。ロゼットは澄華を抱き上げて急いでカブスの部屋へと向かうと彼は小声ですぐに二人を起こして出る準備と裏口に回るように促す。カブスは何やら時間を稼ぐべく準備をする様子であったためロゼットは質問も投げずに彼に従って行動に移したのだった。
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