第85話 水音の中の命を

 蒼天を抜けていくと再び曇天が広がり、青い草原が続く中で空と同じ灰色の水辺が点々と見えてくる。雨が降り続くミスティアへと辿りついた漆黒の躯体は都市から離れた場所へと待機させる。ただでさえ魔物の影響もあり荒れている都市でドラゴンが降り立った時の反応は想像に難しくない。


「適当な馬車を捉まえて都市まで向かうか。シルヴィアさんはどうする?」


「私は少し別件がございますので馬車が掴まるまでは付いて行きます」


「別件?」


 ロゼットは首を傾げるがシルヴィアは笑ってみせるだけだ。黒龍は森林地帯で待機させ、ロゼットたちとはしばしのお別れとなる。少し寂しそうにロゼットはお礼をするように頬ずりと顔を撫でて、優しくキスをして山道へと歩き出す。


「そういえば気になってたけど、シルヴィアさんってドラストニアの人間じゃないよね? 訛りも違うし、流暢に話すけどどこ出身なの?」


「西側の大陸から渡ってきましたよ。少し南寄りでしたけどね」


「西大陸か! あそこは文明の発達がとんでもないって噂を聞くから一度行ってみたいんだよねぇ」


 シルヴィアがそう答えるとシェイドは興味深々と言わんばかりに質問を次々と繰り出す。いつから住んでいるのか、出身だった国、どのような生活環境だったのか根掘り葉掘り聞くもシルヴィアは流れるように淡々と答える。年齢を聞いたときは流石に図々しくはないかとロゼット彼に肘打ちを入れて話題を変えるために寄生体のことに話を移した。


「けど、どうして寄生体なんてものが繁殖したんでしょうかね。今までこんな問題なんて起こらなかったんですよね?」


「ええ、けれどもしかしたらすでに何年も前から起こっており、表面化した時期が今回だったのかもしれませんね」


「…成長か」


「おっしゃる通りで、寄生体といっても最初から成体として身体に取り込まれたとは限らないでしょう。実は体内に侵入するのは幼体時で時間をかけて支配するために体内で成長を繰り返して支配権を獲得する時期を待つ」


 その成体となったものがあのワームだったのではないかと彼女は語った。確かにそれなら生存率はかなり引き上げられる上に確実に成長することは可能だがリスクも高く、宿主が成育途中で絶命してしまった場合などが上げられる。


「それに餌を発見できずに餓死してしまうなども上げられます。そうしたリスクも当然あるために絶対数が激増するとは限りません」


 中には寄生が上手く作用しない可能性だって十分にありえる話だ。ならばなぜあそこまで繁殖し、今大挙して行動に出たのか…。考えられる可能性の一つとしてシルヴィアは幾つか例を挙げる。


「一つは『女王』が存在する可能性。その名の通り女王となる個体によって無数を管理し統率しているということ。生物界でも良く見られる『超個体』というものですね」


「あー…アリとかハチとかにあるアレか」


「二つ目は幼体時でも単体での生存が可能だということ。寄生はあくまで安定したいわば餌場という可能性ですね。ただこれでは今回の侵攻という事態の説明は難しいかと」


 そして最後の三つ目を答える前に馬車が見えてきたために止まるようにシェイドが声を掛ける。結局内容を聞けぬままロゼットとシェイドは馬車でミスティアへと向かう。


「シルヴィアさんここまでありがとうございます。色々と助けてくださってありがとうございます」


「いえ―…今回の魔物の一件は私も深刻な問題として捉えておりました。ドラストニアが対応できなければ、被害を受け、血を流すのは国民です」


「彼らはこの国で平和な生活を望んでいるだけです。そんな彼らの平和が脅かされることがあってはならない…」


「そして守る事ができるのは―…やはりドラストニアであってそれは国民の上に立つものとしての『責務』」


 彼女の放った責務という言葉が少女の心に重く響く。だからこそロゼットは王都へと報せを持って帰還し諸国へと頭を下げた。それが彼女にとっての責務だったと感じたからだろう。最後にロゼットはシルヴィアにも別れ際に頬に軽く唇を当てて挨拶とした。シェイドも軽く会釈をして馬車は動き出す。


 降りしきる雨と雫の音が響きながらも彼女を見続けるロゼットにシェイドが口を開く。


「三つ目は…おそらく外部からの要因」


「え?」


 ロゼットは彼の言葉に振り返り思わず聞き返してしまう。


「魔物自体はミスティア近辺に生息している魔物ではなかったって話もあったよね? それどころかガザレリアで見られるような環境にも適していない魔物」


「大挙して押し寄せてくる魔物の中には生息生物も散見されたらしいけど、それでも大半が外来種と考えると少し妙だよね」


 言われてみればその通りであった。何故ほとんどが外来種ばかりなのか?


 確かに魔物の出入りは国境の境目に関所があるとはいえ全てに壁が敷かれているわけではない。魔物も行き来は簡単に出来てしまい、人間でも密入国問題は取り上げられるほどだ。


 行き来できる状況にあるとはいえ全く環境が異なる場所をわざわざ行き来するとは到底思えない。


 ましてやガザレリアでは行き過ぎた魔物の保護があるとはいえ捕食者と被食者のバランス関係もさほど崩れているとものではない。中にはミスティアへ渡り歩く魔物も存在すると思われるが、それほどの大群であればすでに問題として取り沙汰されていたであろう。


 加えて多種多様な魔物がわざわざ餌場を求めて環境違いの場所へやって来るメリットも少なく感じる、何より『自然』とも思えないのだ。


「じゃあ行き着く先は何かと、考えた結果ー…」


「魔物自体が外部からの何らかの影響を受けている。例えば」


「外部から作為的に寄生体が侵入している…とかね」


 ロゼットは唾を飲み込む。冷や汗が身体を伝ってくすぐったくも冷たい感覚に身体が震える。


 彼女の様子を察してシェイドは彼女のとなりに移り手を握る。一瞬ロゼットは顔を赤らめて手を離そうとするが自身に対しての気遣いということはわかっていた。だから敢えて手を再び置くに留まるが…。


(なんでそんなにくっついてくるのよ…)


 最近のシェイドの妙な態度に少し緊張させられる事が多々あるロゼット。心なしか彼の言動に顔も赤くなることがあって苛立ちとも違うものが沸き立ち、不機嫌そうな表情を見せることが多い。


「それって…つまり誰かによって寄生体が魔物の体内に入り込む。ガザレリアの人によって注射か何かで打ち込まれてるって言いたいの?」


「あくまで仮説だよ。でも可能性は十分にあると思うよ」


「そんな! それって人としてどうなの!?」


「『人』として…ねぇ」


 彼はなんの疑いも躊躇いもなく言ってのける。彼女にとっては信じられないもの。魔物との共存を掲げておきながら裏では実験に利用しているかもしれない。魔物よりも強い立場に立って、利己的な思想のために使うことに道徳心など存在しない。とても教養を受けた人間のすることではないと彼女は強く非難するが…。


「言いたいことはわかるけど、でも割と普通のこと…だとは思うよ」


「人類が有史以来、学術―…特に医学の進歩として利用してきたものは『生物実験』だよ。実際の生物から研究結果が得られることは机上で論ずることなんかよりも遥かに有用だ」


「彼らの歴史を狂気と捉えるか、賢人の知識と捉えるか、それは個人の考えによって大きく異なる。けどどれだけ否定しようとも彼らの技術のおかげで俺たちは病から救われている側面はあるからね」


 シェイドはロゼットに意地悪を言っているわけでもなくただ事実を述べているに過ぎない。彼の言う事には説得力もあるし、教養を受けた人間としての側面もある。それは十分に理解できるようになったロゼットだがどうしても気持ちとしては納得できない。変えようのない現実や事実に対して自分の意思を唱え叫び続けても―…。


「哀れむ気持ちがあるなら、その苦しみから早く解放することが…一番なんじゃない?」


「…うん」


 そう言ってシェイドは優しく彼女の肩を抱き寄せる。ロゼットもそれを自然と受け入れて今度は嫌な顔一つ見せなかったがその表情は曇天のように悲壮を帯びたものであった。



 ◇



 ミスティアに辿りついた私は馬車を飛び降りる勢いで走り出す。


「ちょっと! 待てってロゼット!」


 雨季のせいか町はどんよりとした雰囲気に包まれて、以前の活気さが失われていた。こころなしか人の姿もほとんど見られず、雨に濡れながらも私は構わず走り続ける。息も絶え絶えで息切れを起こしながら時折濡れた地面で足を滑らせながらもただ走り続けていると広場へと辿り着く。


 そこで目にしたものは―…


「…はぁ…はぁ………な、なに……これ…」


 町の中心である大広間、そこには討伐されたであろう魔物と―…家畜用で飼われていたであろう魔物や生物の亡骸が有象無象に山のように積まれていた。雨と血溜まりで染まり、肉片と腸とも思われる赤黒い塊も放置され、まるで廃棄物のように晒されている。


 雨のせいもあって異臭のようなものは目立たなかったがけれどもあまりにも惨い光景に私は吐き出しそうになり、嗚咽を堪えるように手で口を押さえていた。


「う…おぇ…うぅ…」


 あまりにも酷すぎる。


 確かに魔物の襲撃で甚大な被害は出たのは確かかもしれないけれど―…。


「……っ…こいつは…酷いな…」


 遅れてやってきたシェイド君の声も聞こえてくる。現実的で厳しいことを言っていた彼でもこの光景はあまりにも凄惨すぎたのか本音を思わず口から溢していた。


 そんな彼でさえ目を覆いたくなるような凄惨な光景。


 でもこんなことをする必要がどこにあるというの? こんな見せしめるようなことを…それに家畜の魔物なんて彼らに被害を与えたわけではなくむしろ生活の中で共生してきたじゃない。そんな彼らまでこんな酷い仕打ちが出来るなんて考えられない。


 恐怖と失意を覚えながら広場を見渡すと見覚えのある顔を目が合った。


「ヴェル…ちゃん?」


「シン…シア…さん?」


 雨の中でフードを被った少女が驚きと怯えの混じった表情で私を見ていた。彼女は雨に濡れて跪いている私に駆け寄ってすぐに抱き起こしてくれた。優しく抱きしめてくれて心配していたことを涙ながらに語ってくれた。


「連れて行かれちゃって魔物の襲撃を受けたって聞いたからどうしようって…」


「ごめんなさい…。でもなんとか今は大丈夫…」


「そうだ…牧場…牧場はどうなったんですか!?」


 家畜の魔物がこんな惨状になっていることに農場がどうなってしまったのか、澄華の安否が気になって問いただすと答えは想像していた通りのものだった。


「あのあと…すぐに武器を持った人達が魔物を飼っている人も、牧場の人達も処刑しろって騒ぎが起こって…」


「襲われて…牧場も……」


「…マジかよ…」


 頭の中が真っ白になり、澄華の元気に動き回っている姿を思い出していた。脳裏に浮かんだ澄華のことしか考えられなくなり気づけば走り出していた。背後からシェイド君とシンシアさんの声が聞こえていた気がするけど私は振り返ることなく走った。


 誰の制止も聞かずにただひたすら肌に当たる雨の冷たい感覚も徐々に感じなくなっていくほど、周囲の感覚が無くなっていた。


「…………っ…」


 辿りついた牧場であったであろう場所。草木だけは雨水で湿っていたけれど牧場の厩舎は黒焦げた痕を残しつつ残骸と化していた。香ばしかった動物や草木の香りも湿った中に交じり合うように焦がされた臭いへと変わり、周囲の牧場も同様に、この一帯だけまるで廃墟のような様相で命そのものが根絶やしにされてしまったような…。


 言葉が出なかった。絶望の中、私はよろよろと身体を引きずらせながらの牧場主のおじさんが管理していたであろう厩舎の残骸をかき漁る。漁るしかなかった…。


 こんな形で…せっかく目の前で生まれてきてくれた命だったのに…。失いたくない…!


 まだ少し熱を持っている木材片もあり手も熱いし、泥と墨で汚れてぐちゃちゃになりながらも闇の中へと手を突っ込んでいくような感覚。どれだけ探しても見つかるはずないのに。仮に見つかったとして、『それ』をどうするというの?


 自問自答をしながらも、何度も私は首を振って払拭しようと努めるけれど―…


「見つ…からないよぅ…」


 潰れるような声で地面に向かって振り上げた両手を思いっきり下ろす。握りしめた拳がまた酷く痛かった。火傷してしまったのかな。それとも木片で摺ったり、切ったりしてしまったのかな。


でも―…心はもっと…痛かった。


「澄華ぁ…」


「…ロゼット」


 後ろからシェイド君の声が消え入るように元気がないけど聞こえてくる。周りの雨の音にかき消されてしまっているのか周囲の音も聞こえてこなくなってきた。


 虫の声も動物の声も。


 声―…?


 ふと耳を済ませると…聞き覚えのある甲高い声が雨の中から聞こえる。声の方向へと振り返るとシンシアさんが立っていた。


「ヴェルちゃん!」


 彼女が抱えていた小さな声の正体。その声の主はシンシアさんから離れて私の元へと一直線に駆け寄ってくる。少し大きくなりかけのまだ小さな足で一生懸命に尻尾も滑らかに揺らしながら。


「あ…あ…澄華ぁ」


 駆け寄ろうと私も足を動かそうとしたが上手く回らない。安堵のせいか疲れのせいか、けど今はそんなことどちらでも良い。小さな命が自分の元に駆け寄ってきてくれること以外何もいらない。抱き寄せた澄華は小さな声を上げて私に頬摺りをしてくれた。


 少しだけ―…まだ希望が持てたよ。


 生きててくれてありがとう、澄華。

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