第63話 『魔』との邂逅

 

「はぁ…余計なことを考えすぎてるのかな」


 最近は表情に出ないように相手の顔色を伺う能力が身についてきたと思っていた。やっぱり本当に不安になったりすると分かりやすいのかなと、溜め息混じりに声が漏れる。それとも安堵からくることで気持ちが緩んでしまっているのだろうか。ドラストニアの王都そのものは本当に平穏で、長老派の人たちから鋭い視線を浴びせられること以外では安心しきっていた。


 外国への外遊では妙な緊張感からか表情は硬いと言われることもあるけどこちらの感情を読まれるようなことはあまりなかった。


「シャーナルさんがいたら『気が緩んでいるわよ』とか言われちゃうかな」


 半笑いで呟きながら雑貨屋の商品を見ている。店員は雇っていないのか不在で店主も奥の部屋へと行ったきり戻ってこない様子。随分と無用心だなと見回していると透き通った声が店内に響く。


「安寧とは常に危険と隣り合わせ―……。絶妙な均衡によって保たれているひと時の安らぎ」


「人々はそれを求めて再び災禍へと飛び込んでいく。たとえ自身の命を投げ捨てることになろうとも」


「一見、矛盾しているように思えるがそれはいたって『健全』なことだ」


「なぜならそれが『摂理』だからな」


 フードのような衣を身に纏い、太ももまであろう漆黒の靴下を履き、何かの生き物の骨を装具のように身に付けている。衣によって右半身は隠れてよく見えなかったけれど胸元から腹部に掛けてパックリと開い豊かな胸が強調された妖艶な衣装に身を包んでいた。左目は小金のような煌めきを持ちどこか妖しく輝いている。私と同じ銀色の長い髪であった。しかし光加減によって緑とも赤とも様々な色に変化するその髪はまるで虹のようにも見える。

 顔立ちもとても美人、イヴさんやシャーナルさんとはまた違った美しさ持つ。そしてどこか退廃的な印象だった。その女性が売り場に並ぶ魔石のような石を見ていた。



「危険に飛び込むことが……『摂理』ですか?」


 さきほどの彼女の言葉に私は意識したわけではなかったのに問いを投げかけていた。けれどもなぜか答えを『知っている気がした』。いや『知っていた』という確信とも言いえぬ不思議な感覚があったのだ。


「その確信。それこそが『摂理』の一部だからだ」


 私の心を完全に読んでいるような答えを彼女は返す。思わず驚き、少し身構えて私は警戒する。それも多分見透かされているのだろうけど、このとき私はそうするしか術を知らなかった。彼女は私のほうを向き僅かに笑って警戒心を解かせるように言い聞かせる。


「お前が今、警戒しているのは魔力が過敏に反応しているからだろう。私の魔力と共鳴して感じ取っている」


「だから私はお前の声に答える事が出来ている。お前にも出来るのではないか?」


 同じ魔力を持つもの同士であるから、そしてその性質が自身と似ているからと彼女は言った。不思議と警戒はしていても、海賊ダヴィッドの時と感じたような命の危険や敵意といったものは感じられなかった。それは彼女が敵視していないからだろう。

 こんな風に考えていてもおそらく彼女にはそれが透けて見えている。考えるよりも言葉を用いた方がよいと結論づけ、思ったことそのままぶつける。


「あなたは魔法使いなんですか……?」


「少し違うかな……。魔導師としては破門された身だから、今はただの魔法が使える女なのだろう」


 まるで他人事のように話す口ぶり。自分に興味がないというよりも端的に事実を語る、それこそ自分もこの自然の一部と言わんばかりの言い方をする。僅かにだが、左腕の腕輪が光を帯びそれに反応するように雑貨屋の商品が少しばかり揺れ反応していたがこのとき私はそれに気づいていなかった。


「そういうお前はなんだ?」



 ◇



 紫苑とイヴはひと時の安らぎを感じていた。戦場に身を置く彼らにとっての憩いの時間。イヴは唐突に彼ら二人との出会いを聞いてしまう。


「最初、ローザが王位継承者としてこの国の代表となった時には少し驚きました。あんなに小さな子が今では一国の王として外交や政治を学ぼうとしているのかと思うと」


「私も最初は驚きました。ですが…なんとなく先代ドラストニア国王が彼女に国王の座を譲ろうとしていた気持ちが分かる気がします」


 紫苑にとっての彼女との出会いは自分自身の中にあった靄を払拭してくれた大きなものであった。アズランド家の人間として処断されてもおかしくなかった状況で彼女は自身が牢獄に閉じ込められているにも関わらず一人の人間として接してくれたこと。それはおそらく彼の本質を見抜いたからの行動だったからなのだと語る。


 あんな幼い少女にそんな力があるのか疑問は残るものの、イヴもまた紫苑と同じように感じていた。彼女の根底にある何かに。そしてそれに彼女の父、フローゼル国王もまた同じ思いだったのだろうと。紫苑は立ち上がりテラスから眺める街の風景を見渡す。自分が守ろうと決意した風景がそこにはある。それを彼女と共に見ていきたいと強く、そして優しく語った。


 そんな紫苑の横顔を笑顔で見つめるイヴ。自身の側にもこんな風に想ってくれる人がいたらと少しだけ寂しげな表情を見せていた。


 何の気もなしにカップに入った紅茶が僅かに揺れるのを見るまでは……。




 そして――……。


 ロゼットは不意に問いかけられた彼女の問いを前に固まっていた。


 彼女の問いには答えようとするが、言葉に詰まって戸惑ってしまった。彼女に自身の考えが見透かされているのは今のやり取りでわかっていた。ということは自分の正体までも彼女には見えているのでは――……?

 途端にどうして良いのか分からなくなり、考えないようにしようとすればするほど自分のこれまで辿ってきたものを想像し考えが湧き出してくるようだった。彼女の不敵な笑みがロゼットの危機感を助長する。

 それが強く作用し、徐々に店内の様子に変化が見られる。小瓶はカタカタと揺れ動き、天井からぶら下がっている装飾品は振り子のように左右に揺れる。そんな周囲の変化にロゼット本人は全く気づいておらず、左腕の腕輪は熱と輝きを帯びていた。

 ロゼット達の間で強力な魔力によって惹き起こされた魔法の余波が周囲にて発生し続ける。フードの女性の表情も硬くなり、互いに牽制し合うように向かい合う。遂には周囲の小物が宙に浮かび出し、その様相は異様なものだった。この場だけが彼女達のいる現実とは違う、いうなれば彼女たちの心の中を如実に表しているようにも見えてくる。



 ―この人――……海賊のダヴィッド、長老派の人間や魔物とはまた違った得たいの知れなさを感じる―


 本当に得体の知れない存在と対峙した時、生命は本能があらゆる感情と理性を上回るという。まさに今のロゼットがそのような状態に陥りつつあった。実際に彼女からは魔力以外の強い何かを感じていた。小金に輝く目は底知れぬ闇のように見えてくる。吸い込まれるように自身の心の中を吸い取っているのかもしれない。

 この女性の前で心を隠すことは出来ないと確信したロゼット。今、自分が隠す必要のない唯一と言える事実だけを突きつけることで彼女の問いに答えた。


「私はロゼット・ヴェルクドロールです…!」


 陳列されていた魔石の破片である商品が少女の言葉に反応。強い光を放つと同時に強い衝撃波のようなものが発生し激震が走る。

 僅かにだが女性のフードが揺れて隠れていた顔の右半分が見え隠れする。髪の毛に隠れて見え辛いものの、隙間から右目に当たる部分に血の様な赤い光が妖しく輝いていた。その輝きと揺れに身体が僅かに反応し驚くロゼット。彼女の緊張の紐が一瞬解けてしまったために周囲に発生していた魔法の余波も解かれた。宙に浮いていた物は次々に音を立てて床に落ちてゆく。

 ロゼットは腰が抜けてその場にへたれこみ、汗を垂らしながら肩で息をしていた。彼女は自分が魔力を使っていたことにようやく気づき、周囲の変わりように唖然としていた。


 そんなロゼットの様子を察した彼女から笑いが零れ、安堵するように諭してきた。


「心配しなくても、私はお前の心を読んでいるのではない。感情の起伏や心持ちが魔力を通じて分かるというだけだ。考えそのものを読み取るような超能力者でもない」


 彼女は話を続けながらロゼットの前に屈み彼女の頬に左手を当てる。


「それが分かれば会話から読み取るだけで大体の察しは付くだろう。それとも本当に知られたくない何かでもあるのかな?」


 変わらず不敵な笑みを見せてくる。小金のように輝く彼女の目に底知れぬ深い『モノ』。洞穴のような暗闇のようなものをロゼットは感じずにはいられなかった。すぐに立ち上がった彼女は「騒がしくなった」と言い、出入り口の扉に向かうが、身体が扉をすり抜けていく様を目の当たりにする。

 その際に僅かに右腕部分にあたる場所から黒い靄のようなものが発生していることに気づく。思わずロゼットはあの時の、海賊ダヴィットを思い起こす。


 するとフードの女性は一瞬だけ動きを止めて彼女に一言言い残して店の扉に消えていった。


「それと、この黒煙は『炭』じゃないぞ」


 女性は姿を消し、周囲がざわつき始め、彼女は呆気に取られていたが頭の中は冷静であった。


(今……確実に私の心を読んでたよね……?)


 あの女性は感情を読むとは言っていたが、ロゼットが何を考えていたのかそしてロゼットたちが実際に見たものまでその一言に集約されていた。一階の様子を見に慌ててやってきた紫苑とイヴの声が耳に入ってきてようやく我に返る。


「ご無事ですか? なにやら大きな揺れとも衝撃とも言いえぬ揺れが建物全体を襲ったようでしたので」


「あ、だ、大丈夫です。あ、あれ……た、立てない」


「掴まってください」


 紫苑の首に手を回し、彼に抱き上げられるロゼット。店主がようやく奥の部屋から顔を出して店の有様を見て呆れた声を上げ、イヴは店主に事情を説明しつつロゼットたちを外へ出すように促す。


 こんな時だがロゼットは少し顔を赤らめて、彼にしっかり掴まって店を後にする。


 イヴはというと……。


 店の周囲を見回し、不思議に思う。自身の魔力による索敵術を用いて魔法が発生した形跡を確認する。

 しかし問題なのはその過程だった。彼女も魔力を用いることが出来る人間であるため魔法が惹き起こされればその魔力を察知することができるのだが、店内では魔法の余波が僅かに残っているものそれを感知することが出来なかった。ある程度、魔力を制御できる人間には魔力を察知できないよう『隠密術』のような術を編み出している者も存在するが、そんな高等技術が可能なのは『魔導師』と呼ばれる高等術者くらいのもの。店主も目撃しているわけではない、ロゼット本人にしか何が起こっていたのかはわからなかた。


「何があったのかしら……」


 彼女はそう呟き、店主には店の補修は国から出されるとだけ告げて後にする。


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