第30話 碧いアクエリアス
―ドラストニア王国―
紫苑達の元へ書簡が届く頃、長老派寄りのロブトン大公側が西側のレイティス共和国へ使者を送り込んだという情報を得る。レイティス共和国は海に面した多くの港町を持つ大国の一つで現在は領主陣営と民衆陣営との対立が起こっているとされている。
「密談、それも領主側ではなさそうですね」とラインズから留守を預かった高官サンドラが呟く。
ロブトン大公は民衆出身者でありながら大公という破格の出世をしているため本来王位継承権は存在しない。しかしドラストニアの分家である女性と婚姻したことによって継承権を持ったことでその勢力を拡大していき現在では『表向き』では長老派に属する。ポスト公爵も似たような生い立ちではあるがそもそも彼は貴族出身者。両名の奥方は既に鬼籍に入っており、その経緯も黒い噂を耳にすることもしばしば。
「彼の生い立ちを考えると領主側へ靡きそうにも思えますが、なぜ民衆陣営に?」
紫苑は疑問に持ちつつも分析を試みる。
「あの国の性質上他国からの移民に苦労している故に領主側もそれ対する政策を思索してしまう。その上海賊の問題もある」
「数の多い陣営につこうという魂胆か、それとも出自にシンパシーを感じたのだろうか」
領地のほとんどが海に隣接している国家であるため、海賊問題が非常に多くその分海軍に関してはかなりの力を誇る。港町にはドラストニアの産業も進出し市場を開いていることもあるためレイティス共和国との関係は非常にデリケートな問題となってくる。
「まだグレトン、フローゼルとの問題の最中で今どちらかに加担するような動きは正直避けていただきたいものだが…」
そしてこのタイミングでラインズからの書状が届く伝令が響く。軍を動かす準備とグレトンとの国境付近の関所で構え待機するという内容で一同は騒然とする。
「グレトンに動きが?」と書状の続きを催促するように紫苑は求めサンドラが読み上げる。
「あとは長老派に感づかれたくないとのことですが。いかが致しますか?」
「今夜にでも動く、関所には騎馬駐屯してるからそこから率いよう」と紫苑は答える
モリアヌス副将とサンドラ代理にドラストニアの留守を託し、シャーナル皇女のいない今なら紫苑が軍を率いて動くことも出来ると踏みグレトンとの関所に書簡を送り三千ほどの足の速い精鋭の騎馬隊を温めておくように書き記す。
「将軍、くれぐれも御身を大事に」というモリアヌス副将の言葉を受け紫苑は早速準備に取りかかった。
◇
フローゼル王国、会談の場でまずドラストニア王国の内政問題で交流が長らくなかったこと、遅れてしまったことをセルバンデスが謝罪の言葉を述べ幕を開けた。
『
「仮にこの翠晶石が採掘されたとして市場に出回るまでにどれほどの時を有する? ひと月か? 二月か?」
「加工技術さえ確立させてしまえば数週間もかからないわよ。あたしがみっちり教え込んでやるから」
「ちょっと待って下さい!! 軍事力を背景としている国家の経済状況を心配して我が国のことをどうして考えないのですか!?」
イヴが声を張り上げて反論する。
「確かにおかしなものよね、まるで翠晶石が採掘でもされたら困るようなおっしゃりようですこと」
シャーナル皇女の鋭い眼光と指摘がホールズに突き刺さる。彼も表情は笑っているように見えるが明らかに彼女を敵視している様子。シャーナル皇女がイヴの意見に同調するのを見て少し目を丸くして驚く様子のロゼットだったが彼女でもフローゼル内部にグレトン側の肩を持とうとする考え方を持った人物の存在に疑問を抱く。
「そのために我々も同盟国としてこちらへ参ったのです。出来うる限りの支援は行なうつもりです」
こう述べるセルバンデスの言葉も聞き入れてもらえているといった様子ではなかった。
「長期間に渡って交流のなかった国に言われましても…ねぇ」
高官達は口々にそこを突いてくる。これに対しての反論はドラストニアには出来ない、その間にグレトン側は着実にフローゼルに近づいていたのだろう。こればかりは彼らのほうが上手だったと言える。
「しかしそれでも今回の訪問と会談を受け入れたのは我々です。彼らに対して思うところはあるでしょうが今日までのフローゼルの発展に彼らが大きく寄与していることもまた事実」
「確かに…だがグレトンからも多大な援助は受けております。今回どちらにつくかと安易に決めるのではなく時間をかけて互いに議論を深めていくべきでは?」
ホールズの一声に呼応するように、賛同の声が飛ぶが同時に反対の意見と激突し物議を醸す。セルバンデスが思わず目をつぶり眉間に手を当て頭を抱えている様子をロゼットは一瞥する。今グレトンがフローゼルに近づいてきている理由は明白だろうに。
「彼らが現状フローゼル王国に近づいているのはあくまで併合するためではと考えはしないのですか?」
「それはいささか失礼な発言ではございませんかな、セルバンデス殿」
「彼らの実情は我が国にも伝わってきております。土地柄、農業政策は進まず現状我が国の農畜産物に頼らざるを得ない。そんな彼らが今何を欲しているのか再考してみてください」
セルバンデスはあくまで国家の現状を持ち出し分析した結果の行動と見て説明するがそれでも尚渋っているような様子を見せる。フローゼル王国にも農業に適した土地に『アクエリアス』という豊富な水源を持つ。彼らの命綱を我々は本来握っている側なのだがグレトンの豊富な鉱山物による資金の存在が大きいのだろう、だから彼らと取引をしたいと。
ホールズのグレトン派とイヴの従来のドラストニア派と完全に割れており、アリアス国王もどちらにも付かないといった態度であった。ドラストニアは先代から国交を結び両国同盟関係にまで発展、互いに市場を拡大していった結果今日の発展に繋がる。グレトンも彼らの持つ鉄鉱石、鉱山物はフローゼル産業を育てるためにも必要不可欠。どちらも失うには代償が大きすぎる故にアリアス国王も決断できずにいた。
結局この日進展はなく、時間だけが不毛に過ぎ去ってしまったことを目の当たりにしロゼットはいつかのドラストニアのことを思い出していた。
◇
「ホントなんなのあの国王!? ただの八方美人じゃない!! ヘタレがぁぁぁあ!!」
マキナさんの怒号が響き渡る室内。私は宥めるよう落ち着かせようとするがかえって逆効果になってしまいかねないと。一旦静まるまで王宮へと出て行く。
王宮内を
「綺麗だろう…。この町の自然も、人々の笑い声も。私はこれをずっと夢見てきたのだ」
アリアス国王は気を使って離れて見ている私の存在に気づいていたようで、それに私は彼に近づきながら答えていた。
「ドラストニアも人々の笑い声とお店の店主の掛け声や近所の子供たちの遊ぶ声」
「みんな平穏に暮らしていて。私達が国のことや自分達の地位とか、権利とかそんなことを考えている中でも―――…街の風景は変わらない」
私はそんな日常をドラストニアではない場所でも見ていた。それが当たり前の日常の生活として、誰にも壊されることなどなく、それを謳歌していた。
「蒼く広がる空を雲が流れ、風も吹き、水のせせらぎ、地面を駆ける足音が響く。この風景を当たり前のようにしたい。安寧の日々を謳歌、そんな平穏を紡ぎたいだけなのだ」
「人は私を腰抜けと、臆病者と呼ぶだろう。腰の重い、新しいことに挑戦できない愚か者だとも。実際その通りだ。己の信念さえも貫けぬ、情けない男よ。」
そう嘆くアリアス国王。一国を背負うのだからそこに掛かる重圧は到底推し量れるものではない。ましてや国の大事を左右しかねない状況、会談の席では気丈に振舞うも私のような子供の前だからなのか押しつぶされてしまうのではないかと思うほど弱々しい姿を見せていた。
「誰だってそんな重圧背負いたくなんかないですよ」
「笑ってしまうかもしれないがこの平穏が脅かされることが恐ろしくて仕方ない…」
――この人も私と同じだ。
自分自身どうしていいのかわからない、答えを出したくても見つからない。探してもどこにもない。ただひたすら願いはある。その願いにどうにかして手を伸ばそうと必死に手繰り寄せようと――
「それが例の…?」
私は持っていた翠晶石の欠片を手に取りかざしてみる。
「この綺麗な石一つで、色んなものが変わっちゃうんですね」
日の光が当たる翠晶石の碧い輝きを見つめながら呟く。この翠晶石の流通によって経済バランスは大きく変わる。それは財政難のフローゼル王国再建にも繋がるが同時にグレトン公国という敵も作ってしまう、いやドラストニアも近い未来にそうなるかもしれない。
「でも私達が外で色々と言っていてもこの石の輝きは何も変わらない」
いや、変わらないのではなく、変えてしまうのも私達なのかもしれない。アリアス国王は私の表情を真剣な目で見つめる。
「君はどう思うかね?」
「私はドラストニアの人間ですよ?」
アリアス国王の問いに困った表情の笑顔で問い返す。アリアス国王の目は少女を見る目ではなく一人の人間の意見を求める目だった。どうしたらいいのかわからないけれどドラストニアの立場としてではなく、ラインズさんの言っていたように色んなものを見て、『ロゼット・ヴェルクドロール』個人として考える。
「どちらが正しいか、間違っているのか…色んな見方があるから正しいも間違いもないのかもしれません」
「私達ドラストニアにとっては良いことでもグレトン公国にとっては良くないものかもしれません。立場が変わってしまうとどんなことでも見る人にとっては大きく変わってしまう。ただこの石があるということだけが何も変わらない」
「でも、この碧い輝きは綺麗ですよね。フローゼル王国、王都の水の輝きのように碧く透き通っていて」
私の考えにアリアス国王は何か思ったように少し考えた後口を開く。
「フローゼルの…輝き?」
「『アクエリアス』――でしたよね。あの湖みたいに…輝いて見えるのはきっと、私だけじゃないと思います」
澄華も私の肩に乗りながら翠晶石の輝きに興味深々の様子。
「……アリアス国王が選んだのなら―きっと国民の皆さんは付いてきてくださると思います」
「平穏な日常を望むのはみんな同じだと思いますから。もっと―――…国民のみなさんを信じてみませんか」
ドラストニア国王としてはきっと最低な行動なのかもしれない。でも国家として国と国民を思うことは国王としても人としても当然のことだと思う。その意志に入り込むことなんて私には出来なかった。選ぶにしても納得して選んで欲しい。
澄華が肩から飛び降り、王宮へと走り去ってしまい連れ戻すためにアリアス国王にお辞儀をしてその場を後にする。
横切った角でセルバンデスさんが会話を聞いていたようで私はまた困ったような笑顔で挨拶を交わす。セルバンデスさんも納得してくれたのか一礼で応えてくれた。
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