第29話 自分の中にある現実

「しかし……意外ね」


 グラスを片手に入った酒を少し嗜む様子を見せるシャーナル皇女。


「グレトン側の動きでしょうか。かなり早かったですな」


 フローゼルにおける来客用の宿泊部屋。王族用に華やかを残しつつ、どこか慎ましさの感じられる部屋。そこでシャーナル皇女とセルバンデスは深夜のバルコニーで話し合っていた。シャーナル皇女は魅惑的なネグリジェだけを身に纏い、彼との話し合いに応じている。もはや慣れたような様子でセルバンデスも接していた。


「ドラストニアの内紛がもっと早く終わると踏んでいたのか。それとも……あの公爵のことだから、ただ先走ったのかしら」


「ああは見えても、軍部の実権を握っていると聞きます。今回の動きあからさまな、我々に対する牽制でしょう」


「大方そうでしょうね。けれどこちらにはまだ切り札がある」


 セルバンデスも頷いて応える。マキナの鉱物資源の一件、調査報告がもし事実であれば、『翠晶石すいしょうせき』という新たな外交カードを手にするフローゼル王国。ともなればグレトンとの関係ひいてはパワーバランスは大きく変動する。

 翠晶石の性質をマキナから説明を受けるに「翠玉石のような深緑の輝きを持ちながら、加工することで鋼鉄よりも強固な金属となる」とのことであった。マキナから渡された翠晶石の加工品を眺めながら二人は思いを述べる。


「ただ……驚いたといえばマキナ殿がハーフドワーフであったとは……」


「あら、私はなんとはなしにね。そんな感じに思っていたけれど、鉱物にあれだけ詳しいとなると鍛冶職か研究者くらいのものでしょう」


 セルバンデスは顎に手を当てながら何やら思うところがあるのか難しい顔で答えていた。


「確かに立ち振る舞い……彼女には両方の性質が見受けられましたからね。しかし、なぜフローゼルで鉱物を採掘しようと……」


「手がつけられていなかったからでしょう。ドワーフ自体がかなりの利己的な種族、だから好奇心という己の利益を満たしたかった。そう見えたけれど?」


 異種族に関しての分析、その物言いには棘があるが否定も出来ない。元々ドワーフという種族も己に利するためであれば、貪欲に追求し続けてきた存在。頑固者だの偏屈者だのと書物では言われ続けたりすることが多い。しかし、その実態は全く異なっており、彼らの根幹となすものは底知れぬ『強欲さ』である。


「欲が深い故、その技術を突き詰めるまで探求した結果、より高度な文明を作りたと……」


「しかし滅びた。その強欲さがあまりにも先進的過ぎた技術を生み出してしまう。自分たちの手には余すほどに強力な技術によって自らを滅ぼす」


 時代の流れを無視しすぎたことで生まれた先進的な存在。それはいずれその身を滅ぼす。現にドワーフの文明は三百年も持たず、危険因子と判断したエルフとの戦争によって文明自体は滅亡したと記録には残っている。だが現在でもその技術力が『エンティア』各地で散見されている。その名残を残した遺跡が各地に存在するとも学者たちの間では議論もなされている。


「フローゼル王国自体の歴史も二百年近くあるというのに、これまで開発さえなかったのはどうかとは思うけれどね……」


「グレトン公国から突かれては動かざるを得ないでしょう。マキナ殿の説明でそれを理解して頂きたいのですが……」


 シャーナル皇女は溜め息をつきながら足を組みなおす。白い太ももを露にしながら行なうその仕草がまた魅惑的に映る。


「いささか無防備すぎはしませんか、皇女殿下」


「あら、あなたの好みじゃなかったかしら?」


 そう言われ、少し心外そうな表情をするセルバンデス。確かに彼はゴブリンではあれど、理性と知性を兼ね備えた変わり者。そこらへんにいる貴族などより、よほど知性ある人間のような立ち振る舞いをする。そんなセルバンデスのことをよく知っているからなのか、それとも別の意図があってか――……。


「私を籠絡するなど……貴女がそれは一番よく存じてますでしょう」


「貴方だから信頼も寄せているし、信用もしていると言えるでしょう?」


「まぁ……貴方以外のゴブリンが相手なら、今頃私は慰み者にされてるでしょうね」


 ゴブリンは基本的に同種同士での交配においても『女王』となる個体が集団の中で存在する。その女王を筆頭に何体もの『種』となるオスのゴブリンが存在する形態。いわばアリやハチのような社会形成をなしているが、彼らのような群衆で一つという意識は存在せずそれぞれが一個体。そのため稀に『王』となる個体が出現することもある。そして、実は人間の女性相手にも交配が可能だということが近年の研究で分かってきたそうだ。

 どういう原理でそうなっているのか詳細は研究段階。仮説として考えられるとなると、元々人間の枝分かれの中で生まれた存在、という説が考えられている。ホブゴブリンのように人間に対しても比較的友好な存在もいれば、敵対心を向ける通常のゴブリンと別れているのはその名残と考えられている。ただ現状では人間の女性を攫って『苗床』にするという事例も確認されている。このことから人間社会にゴブリンはそこまで馴染んでいない。

 シャーナル皇女とセルバンデスがこうして対談しているのも、世間的に見れば危険な状態。ゴブリンもまた『苗床』としては美しい女性を好んで選ぶ。それも考えてセルバンデスはあまり彼女とこうした話し合いの場に乗り気ではない。自身も人間から見れば『魔物』でしかなく有象無象の一つなのだと。だがシャーナル皇女はそれを理解しているセルバンデスだからこそ、信用しているのかもしれない。


「冗談よ。貴方は真面目すぎるのよ。もう少し『自分』に正直に生きてもいいのではなくて? あの貴族をもう少し見習っても良いと思うわよ」


「その結果が今の私ですよ。十分に自分にも正直であろうとしております」


 セルバンデスを籠絡する意図があったのかそれとも、本当はただ彼と談笑を楽しみたかったのか。シャーナル皇女はそんな彼の顔を見つめて微笑んでいた。酒の影響もあってかその表情は紅潮し、彼女の妖艶さを更に際立たせる。

 それでも彼は理性的であった。老齢でもあるのだろうが、何よりも彼女の信頼や王族への忠義を汚したくなかったためだ。それに彼にとってもシャーナル皇女は『特別』な存在と呼べる人物。


「シャーナル皇女、貴女も王族なのですからもう少し落ち着いてください。イヴ王女もですが、アリアス国王陛下という良い見本が今回はおりますので、今回の件を通じて嗜みや立ち振る舞いから吸収されては如何ですか?」


 彼なりの仕返しのつもりだったのか、少し意地悪のようにシャーナル皇女へと返す。だが彼女はすぐさまアリアス国王の優柔不断さを指摘するかのように鋭く突き返した。


「腰抜けで保守的すぎる人間を国王に持つと国民も哀れね」


 彼女の切り返しに溜め息をついてグラスを手にする。セルバンデスはふと、思い出したように先ほどの会食での疑問をぶつける。


「しかし、いつから婚姻関係にあると?」


 シャーナル皇女はセルバンデスのほうを一瞥いちべつ。冷たい夜風がよく通るバルコニーに向かい歩き、意味深に答えるだけであった。


…ね」



 ◇



 静かな夜―澄華が落ち着かない様子だったために王宮内を散歩していた。


「やっぱり夜行性だからかな、なんかすごい元気だけど」


 私はそう言いながら屈んで澄華の相手をしている。何度かあくびをしながら小さな布袋を投げては澄華が拾ってくる。子犬と戯れるような遊びをしていると、誰かの視線に気づいたのか澄華がその方向に向き直る。美しい金色の髪を靡かせた寝衣しんい姿のイヴ王女がこちらを微笑みながら見ていた。


「あ、こんばんは。ごめんなさい、勝手に出歩いてしまって……」


 そう言う私のほうに歩み寄り、澄華の方へ屈んで頭を撫でる。澄華も警戒するような素振りもなく、相手をして欲しがってるように彼女に甘える。


「地竜の赤ん坊ね。人間になつくものなんて初めて知ったわ」


 広場で助けてくれた時、会食の時とは声色がまるで違い優しく暖かみがあった。どこか儚げな印象を感じる美しい声が風に乗る。


「たまたま市場で購入した卵が孵化したらこの子だったんです。本当は国境付近の集落へ置いていくように言われたんですけど…なんとかお許しを貰って連れて行くことができたんです」


 そう言いながら澄華の頭を撫でているとイヴ王女は私の頭を撫でてくる。


「大きくなったわね、ローザ」


 私は思わず彼女のほうを向いて固まる。彼女は私のことを知っている――。


「十年……九年ぶりかしらね。私もまだ幼い子供だったけど、あなたもこの子と同じく赤子だったわね」


 驚きのあまりに言葉を失ったままでいたけど我に返り話しを続ける


「あの……私を知ってるんですか?」


「勿論よ、『ロゼット・ヴェルクドロール』という名前は私が付けたのだもの」


 そう話すイヴ王女の言葉に聞き入ってしまう。私はまだ赤ん坊の時にドラストニアからフローゼル王国の王室に匿われたそうだった。私の母にあたる人の不幸もあり、ドラストニアは当時からアズランド王家との問題で頭を抱えていた。その上ドラストニア内部では幼子であった私を政争の具として国王派、長老派両陣営から利用されかねないと危惧していた。

 その時の世話をこのイヴ王女が見ていたらしく、私の名前も付けてもらったのだそうだ。けれど彼女のこともこの『エンティア』のことも覚えていないのではなく、本当に何も知らない。


「『リズリス・ベル・ドラストニア』という王名も、あなたがドラストニアの王位継承者だということも知っているし。銀色の髪にその白い肌を忘れられるものでもない」


 確かに私の特徴そのもの。名前も歳も、容姿さえも全く同じと呼ぶその『ロゼット・ヴェルクドロール』の存在。私自身、元々この『エンティア』にいた存在で本当は現代日本にいたことが夢だったのではないのか。そう思わせるほどイヴ王女の話には現実味があった。

 でも私はママとパパの子供の『ロゼット』。それだけは忘れられない、優しい表情怒ったときの厳しい顔も覚えてる。あの暖かな家族のぬくもりはこの身体で体感してたもの夢でも記憶違いでもない。


 だからこそわからない。


「イヴ王女様……あの、聞いてもいいですか?」


「イヴでいいわ」と軽く返答が来る。


「自分と全く同じ人物っていると思いますか?」


 少し驚いたような表情で私の顔を見るイヴさん。真剣なまなざしで考えた後笑って見せて、似たような人物はいるかもしれないけど自分と同じ人はきっといないとだけ答えが返ってくる。


「私みたいな融通の利かない人間が他にもいたら大変だもの」


 そんな風に笑って答えるイヴさんは何処となくママに似ていた。思わず恋しくなって、僅かに涙ぐんだけれどなんとか堪えながら話を続ける。


「そんなことないですよ。広場での凛とした立ち振る舞いも、王宮での王女らしさもどちらも格好良かったですし」


「それに今の優しい素顔も」


 少し困ったような笑みで私に答えてくれる。「どうしてそんな事を?」というイヴさんの問いにはぐらかすように答えることしか出来なかった。その後もイヴさんと談笑を楽しんでいたけれど、私は全く違うことを考えていた。

 この『エンティア』に来てまだ一ヶ月も経っていないのに私のことが知れ渡っているということ。王族として生まれたこともないのに幼いころの私と接している。やっぱりどう考えてもこの結論に至ってしまう。


 ―もう一人の『ロゼット・ヴェルクドロール』の存在―


 私以外の私が存在すること。みんなの知っているロゼット・ヴェルクドロールではない全くの別人。きっとどこかにいるはず。それとも私が『その子』とたまたま容姿もそっくりで名前も同じで置き換わってしまったのだろうか。だとしたらその子が現代日本で『私』として生活しているのか?

 尚のこと帰る方法を見つけなければならないと思うが『帰る』ということを思い浮かべてもどうやって帰るのか思い描けない。

『皇国物語』という本と出会い、私はこの『エンティア』へ来てしまった事実だけが残っている。その本を探してみようと合間を縫って図書館を何度も探したりもした。けれどそんな本は今まで見つかることはなかった。


 そもそも私は帰ることが出来るの?

 そう心の中で問いかけても誰が答えるわけでもない。私の中でひたすらにこだまするだけ。


 そんな私の心情を察してなのか澄華は私の膝元へと座り心配してくれるようだった。イヴさんも私のことを気遣って体を寄せてくれた。私はただ澄華の身体を撫でながら微笑みかけることしか出来なかった。

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