十一の六

「楓くんの思いが、龍袿の力を強めたってことなのね────」


「ははっ、そう言い切るのはちょっと照れくさいけれど。もしもこの龍袿のもつ守護の力がことさらに強いとすれば、思いの強さというのも込められているせいかもしれないなって思って」


「うん……。きっとそうよ。誰かを守りたいという思いの強さが、その人を守り抜く力になるのね」


 楓の言葉。

 菖蒲の言葉。

 花祝に向けられたその両方が重なり、心のもやがゆっくりと晴れていく。


「白橡の邪気が来た時……私はようやく訪れた楓くんの安らぎのひと時を何としても守りたかったの。もしかしたら、私のそんな思いも龍袿に伝わっていたのかな」


「ありがとう。花祝ちゃんがそう思ってくれたから、龍袿の力が発揮されたんだと思うよ」


 己の恋心の向かう先は未だわからぬ。

 されど、龍侍司である自分は、同じ遣わしである楓も、お守り申し上げる彗舜帝も、どちらも守りたいと強く思う。


 大切なものを守るためには、その二つの思いともが今の自分にとって必要なのではないだろうか。


「お礼を言いたいのは私の方だわ。今の楓くんの言葉で、私は龍袿を纏う者としての心の持ちように自信が持てた気がするの」


「え、そうなの? よくわからないけど、僕の言葉が花祝ちゃんを元気づけられたのなら何よりだよ」


 ふふっ、とお互い微笑み合うと、楓は菖蒲が用意してくれた陶器すえものの瓶から麦湯を椀に注ぎ、ごくごくとそれを飲み干した。


「おかげさまで、酔いも覚めたし頭も随分すっきりした。次は花祝ちゃんが休む番だ」


「ありがとう。それじゃあ、私も少しだけ休ませてもらおうかな」


「花祝ちゃんがしっかり休息を取れるように、今度は僕が膝を貸そうか?」


「ええっ!? いっ、いいよ! そんなことしたら、楓くんがまた疲れちゃう」


「ははっ! 冗談だよ。疲れはしないけど、今日のかさねの色目は花祝ちゃんを随分艶っぽく見せているからね。花祝ちゃんの寝顔を見て変な気を起こさないよう、自制するのに気疲れしそうだ」


「…………っ」


 冗談めかしてさらりと向けられた言葉に、花祝の顔が火鉢にあてたように熱くなる。


 そんなことを言われては寝顔を見せるわけにはいかず、花祝は畳に横たわったものの、ほとんど眠ることができなかった。


 ❁.*・゚


 丑三つ時を過ぎて現れたのは、紫黒しこくの邪気と青橡あおつるばみの邪気が一体ずつ。

 明け方近くに野犴やかんと呼ばれる、狐の物の怪の中でも低級なものが入り込んできたが、龍袿の光を見ただけで驚いて逃げてしまった。


 結局、呪符の貼られた先日の “ためし着” とは打って変わり、楓の振るう開谷かいこくの太刀の出番は来ぬまま夜が明けた。


 ❁.*・゚


 冨樫夫妻の好意で朝餉までご馳走になり、三人の乗り込んだ牛車ぎっしゃはゆるゆると内裏へ向かう。


 交代で仮眠を取ったものの、まとまった睡眠を取ることのできなかった花祝と楓は、牛車の揺れに合わせてうつらうつらと舟をこぐ。


 そんな中、ひとりたっぷりと睡眠を取った小雪だけは、目を輝かせて二人をしげしげと観察していた。


「昨晩の “ためし着” に同席できなかったのは、お二人を雛形にした恋物語の書き手として大変口惜しゅうございましたわ。西のたいで一晩じゅう二人きり……。一体どんな会話を交わされていたのかしら」


 小声でぶつぶつと呟くも、観察対象の二人は目を閉じたまま反応する気配はない。

 咎められぬのをいいことに、小雪は遠慮なく観察と妄想を続けることにした。


「昨晩は手こずるような “禍もの” は出てこなかったようですし、お二人でお話しする時間もたっぷりとあったでしょうからね。龍染司様のお気持ちが盛り上がるようにと、花祝さまのお召し物の色目もお化粧も敢えて色っぽい雰囲気にしたのですもの、お二人の関係に何らかの進展があってもおかしくないはずだわ。ただ、照れや動揺がすぐにお顔に出る花祝さまが今朝は龍染司様と普通に接しておられたということは、やはり何も起こらなかったということなのかしら……。初心うぶなお二人の仲を深めるためには、やはり私があれこれと手を回す必要があるかもしれませんわね。あっ、でも、陛下と龍染司様との恋敵の関係もやっぱりそそられるわっ! 私が龍染司様推しであるのは変わらぬとしても、お二人の想いが通じ合うのはもう少し後にしていただいて、陛下の方とももっと仲を深めた方がときめきも増量しますわよね!」


 誰に言うでもなく、小雪はひとり得心したように大きく頷いた。


「そうだわ! 清龍殿の内へは同伴できない私の代わりに、花祝さまと陛下の実際のやり取りを取材できる協力者を探さなくては! 木隠れの凪人さんに頼みたいところだけれど、あの方が私の書いている物語の内容を知ったら、激怒してビリビリに破られてしまいそう。やはり内侍司ないしのつかさに務める同僚に頼むのが良さそうね」


 小雪の独り言を街の大路へ漏らしつつ、牛車は内裏の翔平門をひっそりと潜り、襲芳殿へと向かった。


 ❁.*・゚


「……え? もう襲芳殿に着いたの?」


「僕としたことが、道中の襲撃に警戒するつもりがうっかり眠ってしまった」


 牛車を降りて寝ぼけまなこをこする花祝と楓。


 共に降りた小雪だけは、何かの使命に燃ゆるがごとく目を輝かせ、てきぱきと身なりを整えている。


「花祝さまも、龍染司様も、ゆっくりと休んでいてくださいましね。私は内侍司に所用ができましたので早速行ってまいりますから!」


 そう言うが早いが、衣擦れの音も軽やかに清龍殿へと向かう小雪の後ろ姿に、花祝と楓は首を傾げた。


「小雪ったら、何をあんなに張り切っているのかしら?」


「さあ……。冨樫様のお邸にいる間に、何か大事な用を思い出したのかもしれないね」


「……あっ、大事な用と言えば、明晩は御物忌おんものいみで宿直とのいするのだったわ。小雪はその確認に行ったのかも」


「宿直、か……」


 花祝の言葉を聞いた楓の表情が曇る。


「やっぱり心配だな。花祝ちゃんが一晩じゅう陛下のお傍に侍るのは……」


「確かに、その翌日が彩辻宮邸への訪問だものね。でも大丈夫よ! 今日たっぷり寝ておけば “ためし着” での寝不足は解消するし、宿直の間にも仮眠も取って翌日に支障のないように気をつけるから」


「いや、僕の心配はそういうことじゃないんだ」


 端正で甘やかな顔容かんばせに苦い笑みを滲ませた楓が、躊躇いがちに口を開く。


「花祝ちゃんは、もしかして、陛下のこと────」


「え?」


「……いや、何でもない。今こんなことを聞いたところで負けを認めるつもりはないし。勝負は始まったばかりだから」


「楓くん? 何を言って……」


「ごめん。僕はまだちょっと寝ぼけてるみたいだ。花祝ちゃんを信じてるから、宿直頑張って。明後日の彩辻宮様邸訪問の折にはまたこちらへ迎えに来るよ」


「あ、うん。楓くんはそれまでしっかり休んで疲れを取っておいてね!」


 再び言葉を飲み込んだ楓は、どんな思いを内に秘めているのであろうか。

 気にならないと言えば嘘になるが、花祝に手を振り襲芳殿を出て行く楓の笑みは、いつもの爽やかさを取り戻していた。


 自分も今はやるべきことにしっかりと向き合わねば。


「……よし、まずはしっかり睡眠を取らなくちゃ!」


 花祝はそう意気込むと、寝室となっている塗籠ぬりごめへと向かったのだった。




(十一、遣はしの二人、先人の邸にてためし着をしたるをりのこと  おわり)

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