十一の三

 宴の後、楓と冨樫は冨樫の所有する物の怪の資料を探しに書庫に行き。


 母屋もやに残った女衆は、小麦粉を練って花の形に整え、油で揚げた甘い唐菓子からくだものを食べつつ、女子ならではの話に花を咲かせていた。


「んまあっ! それでは、冨樫様と菖蒲様が密かに愛を育んだのは、やはり “ためし着” の夜でございましたのね!」


 菖蒲と冨樫の馴れ初めを聞いていた小雪が目を輝かせる。


「ええ、そうね。二人で明かす夜を重ねれば、互いに色々な話をするし、相手の人となりがよくわかるもの。彼と共に過ごす時間は楽しさと安らぎに満ちたもので、いつしか彼が傍にいない人生なんて考えられなくなっていたわ。参内して初めて会った時から冨樫はあの見た目だったから、京の町娘だった私には随分と粗野に見えて、私の相棒があの人だなんて……って初めは随分がっかりしたものよ。まさか自分が彼に恋して夫婦になるだなんて、万に一つも考えられなかったのにね」


 うふふ、と袖を口に当てて笑う菖蒲だが、全身から幸せそうな気色けしきが滲み出ている。

 その姿にふんわりとした憧れを抱いた花祝を覗き込み、小雪がにんまりと意味ありげな視線を寄越してきた。


「その点、花祝さまと楓様は初めからお互いに好印象ですものね! 会うほどに強く惹かれ合っていくのが、傍から見ていても手に取るようにわかり、こちらもドキドキしてしまいますわ!」


「もうっ、小雪! 私達の関係を都合良く解釈するのはやめてってば。私と楓くんは遣わしの使命を果たさんと心を合わせて協力しているだけよ」


「まあ、またそんなこと仰って! お顔をそんなに赤く染めてらっしゃるのに、素直じゃないんですから。ねえ、菖蒲様もそう思われますでしょう?」


「ふふ、あなた達って、姉妹のように仲良しなのね。小雪を役付女房に抜擢して正解だったわ」


 若い二人がじゃれ合う姿に目を細める菖蒲が、眼差しに優しい光をたたえて花祝を見つめる。


「花祝さんには前にも言ったけれど、純潔を守らねばならぬ遣わしとは言え、恋する気持ちまで禁じられているわけではないわ。むしろ、あなた方の年頃ならば、恋をするのは息をするのと同じくらい自然なことだもの。誰かを思う気持ちは、己の心の強さに変わっていく。だから、自分の心に正直になっていいのよ」


「誰かを思う気持ちが、己の心の強さに変わる────」


 菖蒲の言葉を、花祝は自分で呟いてみた。

 脳裏に浮かべたのは、甘やかで温かい楓の笑顔。

 それを意識した花祝の心には、言い知れぬ温かな力が確かに湧いてくる。



 しかし、その一方で────



 もう一人。



 冴える月夜のごとき妖艶な笑みをたたえた “かの御方” が思い出された刹那。


 どくん、と心臓が大きく跳ね、血潮が急に熱くなり全身を勢いよく駆け巡った。


「花祝さま、大丈夫ですか!? お顔がゆでダコのように真っ赤になっておりますわ!」


 懐から扇を出した小雪が、慌てて花祝をあおぎ出す。


「だ、大丈夫よ。今になってお酒が回ってきたみたい……」


 用意された脇息にもたれかかり、額に滲んだ汗を懐紙で押さえる花祝を見て、菖蒲がくすっと笑みを漏らした。


「その様子だと、花祝さんが今思い浮かべた方は、あらががたい魅力にあふれた御方のようね」


「えっ!? 花祝さまはどなたを思い浮かべたんです? 楓さま? そうでなければ、まさか、へい──」

「ちょちょちょちょっと待って!! そんなことあるわけないでしょうっ」


 扇を動かす手をぴたりと止めた小雪が口に出そうとした “かの御方” の呼称を、花祝は自分の心ごと否定せんとばかりに大声で遮った。


「思い浮かべたお相手がどなたであれ、その想いは誰に禁じられるべきものでもないし、ましてや己で禁じるべきものではないわ。これから先に待ち受けるであろう苦難を乗り越える時には、きっとその想いが花祝さんに力を与えるはずだから」


「菖蒲様……」


 まるで心の内を見透かされているかのような菖蒲の励ましに気恥しい思いがしつつも、花祝の心の内に一筋の光明が差し込む。


 楓を思う時に感じる陽だまりのような温かさ。

 彗舜帝を思う時に感じる炎のような熱。


 いずれかが恋の芽吹きとなるのか、いまだ恋を知らぬ花祝にはまだよくわからない。


 けれども、この二つの想いを己の強さに変えていけるのなら、想いが膨らんでいくことを恐れる必要はないのかもしれない────




 そんなことを思う花祝の耳に、男達が母屋へと戻ってくる足音が聞こえてきた。


「お目当ての資料は見つかりました?」


 姿を現した冨樫に菖蒲が問うと、冨樫は手にしていた一本の巻物を胸の前に掲げて見せた。


「ああ。楓の欲しい情報はこの中にありそうだ。趣味で手に入れたものだったが、役立ちそうでよかったよ」


「縫殿寮にある資料は染め物や五色の龍に関するものばかりですから、助かります」


「龍染司の職務は清らなる谷での残零集めと龍袿の染めであって、物の怪退治は本来管轄外だからな。鬼に斬りかかろうとする龍染司など前代未聞だよ」


「鬼に斬りかかるですって? 楓くんが?」


 冨樫と楓の交わす会話に、花祝は刀を突きつけられたようにぞくりと背筋を強ばらせた。


「実は先日、清らなる谷へ同行した折に楓から相談を受けていてね。先日現れた鳳凰狼や老獺よりもさらに強き “禍もの” が現れた時、それを撃退する方法が知りたいと。俺自身は十二年の任期中にそんなものに出くわした経験はないが、手持ちの書物の中にとある武者が鬼退治をした際の手記があったことを思い出してな。参考になりそうならば貸してやろうという話をしていたのだよ」


「僕と花祝ちゃんがこの先再び何者かに狙われないとも限らない。もしも先日のように二人きりでいる時に物の怪に襲われでもしたら、陰陽師や滝口の武者を呼んでいる暇もないからね。それに……呪符がもっと強力なものになれば、鬼が出てくることだって想定しなくちゃいけないし」


「楓くん────」


 いまだ全貌が見えぬ敵の脅威を、彼は一人で背負い込もうというのか。


 花祝が言葉を詰まらせると、強ばった表情を緩ませた楓が甘やかな笑みをこちらに向けた。


「花祝ちゃん、夜も更けてきたし、そろそろ “ためし着” に行こうか」


「え、ええ。よろしくお願いします」


「では冨樫様、菖蒲様、西の対を一晩お借りします」


「ああ。何かあったらすぐに駆けつけるから、大船に乗ったつもりでな」


「二回目ではまだ緊張が抜けないでしょうけれど、張り詰めていては一晩が永遠に続くように感じてしまうわ。彩辻宮邸への訪問も控えていることですし、交代で仮眠を取って疲れを溜めないようにね」


「花祝さまの御身が心配ですが、何かありましたらどうか楓さまを全力で頼ってくださいましね! がっつり三角関係というのも恋愛ものとしてはおいしい展開ですけれども、やはり個人的には楓さま推しなのでっ」


「そ、それでは行ってまいりまーす!」


「花祝ちゃん、そんなに慌ててどうしたの?」


 冨樫、菖蒲、小雪の三人がいよいよ “ためし着” へと臨む二人に励ましの言葉をかける。


 だが、小雪の最後の言葉だけは楓に聞かせるわけにはいかぬと、花祝は楓の背を押すようにして主殿の母屋を出たのであった。

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