九の三

「はあ……。この状況、一体どう収拾をつけたらいいのかしら……」


 高麗縁こうらいべりの畳に座り直した花祝は、閉じた扇をこつんとこめかみに当てながら、深く深く嘆息した。


 その花祝の前には、申し訳なさそうに縮こまる楓、凪人、小雪の三人。


 凪人がしょぼくれているのは、雨に濡れそぼった蓑笠みのかさ姿で襲芳殿の床をびしょびしょにし、花祝と小雪から叱られたためである。

 楓と花祝があわや口づけを交わす寸前で凪人が止めに入ったことを恨む小雪に、殊更厳しく当たられたのは言うまでもない。


 そんな小雪も、退席を命じられたにも関わらず、御簾越しにこっそり花祝と楓のやり取りを覗き見していたことがばれ、花祝に咎められた。

『龍染司様が花祝さまに “すきっぷ” を請われたことなど、何一つ耳には入れておりません!』との弁明にはさすがの花祝も閉口してしまい、それ以上の小言を言う気も起こらなくなってしまったが。


 そして、花祝に咎められたわけでもないのに、何故か顔を赤らめて所在なげに正座をしている楓。

 雨具を脱いだ凪人にぎろりと睨まれると、「花祝ちゃんがあまりに可愛くて、つい……」と項垂うなだれる。


 そんな三人を見回して、花祝はもう一度嘆息した。


「ナギ兄の覗き見はいつものことだけど、こんな雨の降る中にわざわざ来なくてもいいじゃないの」


「ちょ、覗き見っつーのは人聞き悪すぎじゃね? オレは巡回警護の最中に楓っちが襲芳殿ここに向かってるのを見かけて、花祝に何かあったらと、心配で心配で心配で心配で心配で尾行してきたんだ。オレはまだこいつを完全に信用してるわけじゃねえ。現に、こないだ “オレが許せるのはスキンシップまでだ” って言ったにも関わらず、それ以上のことをしようとしやがって……」


「あら、凪人さん! いくら花祝さまの乳兄弟でいらっしゃるからって、あなた様に何の権限があってお止めになるのです? 惹かれ合うお二人が人目をしのんで想いを確かめ合うのは、恋物語のテッパンにございますれば……」


「ちょっ、小雪! 話をややこしくしないでちょうだい! 楓くんは同じ使命を負う遣わしとして、あくまで私の身を案じてくれているだけよ。ナギ兄も小雪も、楓くんの高潔で真摯な思いを曲解しては失礼よ」


 二人をそう諭しつつ、花祝は楓をちら、と見る。


(さっき楓くんとキスしそうになったなんていうのは、きっと私の気のせいだもの。陛下にそんなことばかりされているから、うっかり勘違いしてしまうところだったわ)


 現に凪人の牽制が入ったことで、楓はあんなに罰が悪そうにしているのだ。

 横槍が入ろうが花祝に抗われようが、全く悪びれもせずに堂々としてらっしゃる彗舜帝とは大違いだ。


“ね、そうでしょう?” と目配せする花祝と視線が合うと、楓は甘く整った顔容かんばせに苦笑を滲ませた。


「花祝ちゃんに信頼してもらえるのは嬉しいけれど、、となるとかえって辛いな……」


「え、楓くん、何か言った?」


「いや、な、何も! それより凪人さん、先日の呪符のことについて、あれからわかったことはありますか?」


 これ以上話が続けばますます立つ瀬がなくなると感じたのか、楓が突然話題転換を試みた。


「呪符……?」


 その言葉に、“ためし着” の夜に起こった事の次第を知らぬ小雪が反応し、怪訝そうに首を傾げる。

 下手に隠し立てすると、小雪の性格上余計な詮索をするか、妄想を暴走させると判断した花祝は、小雪にあの夜の経緯を説明することにした。


「そ、そんなことがあったなんて……! 大切な花祝さまが命の危機に晒されていらしたなんて一大事でございます。なにゆえもっと早う私に教えてくださらなかったのです!?」


 話を聞いて、自分だけ蚊帳の外であったのが面白くないのと、本気で主人を心配するのとで、小雪は大きな瞳を三角にして花祝に詰め寄る。


「ご、ごめんね。薬叉殿から戻ってきてすぐに本当のことを話したら、小雪が卒倒するんじゃないかと思ったの。左大臣派の差し金かどうかもわからないし、もう少し手がかりが掴めてから話そうかと……」


「では、あの若紫の龍袿の袖が破れておりましたのは、薬叉殿の釘に引っ掛けたという理由ではなかったのですね。私としたことが、そんなわらわのような嘘に引っ掛かるだなんて……。まあ、何事もなかったと思い込んでいたおかげで、妄想が進んで恋物語は随分と捗りましたけれど」


「恋物語?」


 小雪の言葉に、今度は楓が首を傾げる。


「そうなんですよ、龍染司様。実は私、内裏の女官向けに恋物語を執筆しておりましたね、これがすこぶる好評なんですの。そうだ! 相手役の雛形モデルである貴方様にはまだご承諾をいただいておりませんでしたわね。何なら連載中の本編をお読みになります?」


「ちょっと小雪! どさくさ紛れに何を言い出すの!? 楓くんにそんなの読ませちゃダメ! そもそも私だって雛形になることに承諾はしていないんだからねっ」


「あら、そうでしたっけ? でも今更不承諾と言われましても、続きを楽しみにしている読者が沢山おりますし、連載を止めるわけには……」


「じゃあ、楓くんにだって承諾を取りつける意味はないじゃないの!」


「……なあ、いつになったらオレに話をさせてくれんだよ?」


 花祝と小雪のやり取りをやれやれと呆れ顔で遮ったのは凪人であった。

 大切な話の最中であったことにようやく思い至り、今度は花祝が申し訳ないとばかりに縮こまる。


「呪符のことなんだが、どうやらあれに書かれた術は、陰陽師の使うもんじゃなさそうだぜ。初めオレは、左大臣の息のかかった陰陽師が書いたモンかと踏んでいたんだが……」


「確かに、陰陽寮の関係者の仕業だとすれば、わざわざ笠を被った男に呪符を貼らせなくても、僕たちの “ためし着” のために薬叉殿をしつらえた折にでもこっそり貼っておけますからね」


 凪人の報告に相槌を打った楓がさらに言葉を続ける。


「僕の方でも、左大臣家を警護している叔父や従兄弟にそれとなく聞いてみたんですが、左大臣家に術師が出入りしているのを見たことはないとのことです」


「術師……」


 花祝はそう呟くと目を閉じて、凪人と楓の話を頭の中で整理した。


 陰陽術でないとすれば、一体どんな術なのであろうか。


 花祝に思い当たるのは、遥か昔に廃れたはずの妖術。


「楓くん……。呪符に用いられたのが、“降禍術こうかじゅつ” である可能性はないかしら?」


 楓に問い掛けると、彼は璃寛茶の瞳をみはり、花祝に問い返す。


「降禍術って、数百年も前に禁呪となって廃れた妖術だよね? 資料も焚書ふんしょとなってほとんど残っていないはずだし、今の時代に降禍術を使える術者がいるとは思えないけれど……」


「そうなのよね……。後世に見つかった僅かな資料も、虫食いや破れがひどくて術式を再現できるものではないみたいだし」


 花祝と楓の間で交わされる会話に答えが出ないことを覚り、凪人がぽん、と膝を打った。


「まあ、この件に関してはオレの方で引き続き呪符の出どころを探ってみることにするわ。小雪っちの方でも、得意の情報網で陰陽師以外のルートで物の怪の召喚術を扱う奴がいねえか調べてみてくれねえか」


「承知いたしました! “るうと” なる言葉はようわかりませんけれども、女官の噂話でしたら内裏中のものを掻き集められますわ!」


 とん、と拳で叩いた胸を張る小雪。

 なんだかんだ言っても頼りになる女房であることには違いないと、花祝も目を細めて彼女を見やる。


「それじゃ、僕は出立の準備もあるし、名残惜しいけれどこれでおいとまするよ。京に戻ったら、いの一番で花祝ちゃんに会いに来るから、それまでどうか無事で」


「ありがとう。楓くんもくれぐれも気をつけてね。冨樫様にもよろしく」


 切なげなるも甘やかな笑みを浮かべた楓が襲芳殿を辞去し、巡回警護の途中であった凪人は蓑笠を身につけ、再び雨の庭へと去っていく。


 花祝と小雪が残る襲芳殿の母屋もやには、しとしとと静かな雨の音が戻ってきたのであった。



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