八の六
“
不機嫌さを
花祝はその理由に思い至ると、陛下の
「陛下。それはもしや彼が左大臣家の警護を請け負う長谷部家の人間だからですか? 陛下をお守りするための
「花祝はすでにあやつの出自を知っておったか……。龍染司の父、長谷部信勝は武芸も人格も秀でた
「そうですか……。楓くんのお父上は実直な方なのですね。その子息である楓くんも、とても誠実な人柄なんです。“ためし着” のときだって、遣わし同士心を合わせて共に陛下をお守りしていこうって誓ったんです。陛下も楓くんのことを信じてあげてください!」
「あやつが花祝に近づくのは、同じ遣わしという立場を利用してそなたの心を惑わし、手篭めにして龍の通力を失わせるためやもしれぬ。龍侍司を排すれば、俺に害を及ばせやすくなるからな」
「んな……っ!」
陛下のあまりの仰りように、花祝の頭に瞬時に血が上る。
きっ、と陛下を睨みつけ、ぴしりと言い放った。
「陛下じゃあるまいし、楓くんが私を手篭めにしようだなんて考えるわけないじゃないですか! 陛下の信頼を賜れないなんて、龍染司として懸命に務めに励む彼が可哀そうです!」
花祝の気迫に圧された陛下の腕が緩んだ隙に、花祝は陛下のお膝の内から立ち上がった。
先刻の陛下さながらに乱暴に御簾を上げ、脱ぎ捨ておいた
「今宵私が
帝をお相手に有無を言わさぬ語調の強さでそう挨拶すると、花祝は御簾の内の陛下に背を向け、
ごとり、と戸を動かした手に、陛下のしなやかな御手が重ねられる。
振り返ると、ほの暗い明かりの下でもその
「すまぬ。ちと言い過ぎた。正直なことを申せば、面白くないのだ。花祝がかの龍染司に全幅の信頼を置き、親しくしているのが……」
「へ……?」
陛下のお言葉に、花祝は思わず素っ頓狂な声を上げた。
花祝が楓と親しくしているのは事実だが、それは龍侍司と龍染司というお互いの職務上、当然のことである。
“親しくしている” というのであれば、顔を合わせる頻度も、日頃の身体的な距離も、彗舜帝の方がよっぽど
「遣わし同士協力して陛下の守護にあたるのですから、彼と信頼関係を築く必要があるのは当然のことでございましょう? 陛下にも彼の真心を信じ、彼の染めた龍袿の力を信じていただかなくては、龍の加護を受けることが難しくなりますよ?」
己の出自を打ち明けるとき、花祝たちの信頼を損なうのではと不安に駆られていた楓。
実家や左大臣家にどのような動きがあったとしても、自分は遣わしとして陛下をお守りするのだと言い切った楓。
そんな彼を、陛下にも信頼していただきたかった。
楓の忠義を疑う陛下をお諌め申し上げたかったのだ。
花祝のそんな思いに気づいたご様子で、陛下は今いちど「すまなかった」と仰ると、重ねていた手を引いて、再び御簾の内に花祝を
花祝が大人しくそれに従うと、陛下は藍鉄の瞳を伏せたまま向き直られる。
「龍染司が絡むと、途端に俺は感情の制御が難しくなるようだ。あやつの顔を見たのは、そなたらの就任初日に行われた “代わりの儀” の折だけであるが、父に面影がよく似ており、心持ちの良い人間であることは十分に窺い知れた。なればこそ心配なのだ。俺が脱がせる前に、花祝の纏う “鎧” をあやつが脱がせてしまうのでは、と──」
「鎧……って、龍袿のことですか? 私が楓くんの前で龍袿を脱ぐわけないですよ! これを脱いだら、
「……そなたにはつくづく “もののたとえ” が伝わらぬようだな」
苦笑まじりであるが、どこか楽しげな陛下のご様子に、花祝はひそかに胸を撫で下ろす。
(こんな小娘の諌言に、素直に非をお認めになり、その上ご自身の御心を明かしてくださるなんて……。雲の上におわすはずの御方なのに、陛下は一人の人間として私ときちんと向き合ってくださる。だからこそ、私もこの御方をお守りしたいと思うんだわ)
「陛下……。疑うことをせねば生き抜くことができなかった陛下が、左大臣との繋がりの見える人物をすぐに信用なさるのは確かに難しいことかもしれません。でしたら、まずはこの花祝を信じていただけませんか? 私のことを信頼していただけるのならば、私と志を同じくする彼のことも、いつか信じられるようになると思うんです」
伏せられた眼差しを掬い上げるように陛下のお顔を覗き込む。
迷い子を安心させるような気持ちでゆったりと微笑むと、陛下は藍鉄の瞳を揺めかせて花祝を見つめ返された。
「もちろん花祝のことは信頼しておる。……しかし、それだけでは足りぬ。花祝の心が俺に寄り添うていると確信が持てるならば、龍染司のことももっと公正な目で見られるかもしれぬな」
「私の心ならば、桜津の民の一人として、陛下にいつも寄り添っておりますよ」
「桜津の民の一人として、か……。なるほどな、うむ」
妙案を思いついたとばかりに、藍鉄の瞳が悪戯っぽく輝く。
「ならば花祝、そなたの心が俺に寄り添うていることを、ぜひ態度で表してくれ」
「え、た、態度で、ですか?」
陛下がこのような表情を浮かべなさった時は、ろくなことが起こらない。
過去の経験からそれを察した花祝は、牙を隠して微笑む狼から本能的に逃れようと、じり、と一歩後ずさった。
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