八の五

 優しく指を絡め取られ、花祝ははっとして陛下を見上げた。


 怒気を孕んだかのようであった藍鉄の瞳が一変し、憂いを帯びた優しい眼差しをこちらへ向けておられる。


 陛下をお守りしたいがために胸の内に秘するつもりが、逆に御心を痛めることになろうとは。


(下手に取り繕おうとすれば、きっと陛下は見透かしておしまいになる。結局は無事だったわけだし、そこを強調することで御心を安らかにしていただければ……)


「陛下……」


 きゅ、と滑らかな御指を握り返し、花祝はゆったりと微笑みを浮かべる。


「ご報告が遅れましたためにご心労をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。けれども、今こうしてつつがなく陛下の守護につけておりますし、何の心配もございませんわ」


「……俺は、大切な花祝が傷つけられたのではないかとそなたの顔を見るまで気が気ではなかった。そなたには、俺に隠し立てするようなことは何もなかったと?」


「ええ、もちろんでございます! 陛下にご安心いただけるのでしたら、あの晩に起こりましたことを正直に申し上げます!」


 物の怪が現れたものの、楓のおかげで傷ひとつなく “ためし着” を終えられたことをきちんと伝えようと姿勢を正した時であった。


 くい、と繋がれた手を引き寄せられ。


「あ」


 陛下の胸に抱きとめられる。


 陛下はそのまま花祝の背に両の腕を回されると、胡座をかいてすとんと畳にお座りになった。

 囚われた花祝の腰が落ちる先は、当然陛下の膝の内。

 結局いつもの守護の態勢(但し彗舜帝と花祝の限定仕様)となる。


「あ、あのっ、この態勢では真面目な話はいたしかねますけど!?」


「真面目な話など聞く気はない。花祝は俺の質問に一つずつ答えればよい」


「陛下の質問に、ですか?」


 花祝が小首を傾げると、陛下は花祝を捕らえた腕をほどき、再び指先を絡めとる。


「手には触れたのか?」


「……へ?」


「龍染司と薬叉殿で二人きりとなったであろう。あやつは花祝の手に触れてきたのか、と尋ねておる」


「え、ええ!? それって物の怪と何の関係が?」


「いいから答えろ」


「…………っ」


 想定の斜め上をいく質問である上に、背中越しに陛下の温もりや体の感触が伝わってきて、しっかりと記憶を辿れない。

 跳ね回る心臓を宥めつつ記憶を引っかき回し、あの晩の楓とのやり取りを思い出す。


「確か、“遣わし同士、心を合わせて陛下をお守り申し上げよう” と誓ったときに、手を取りあった覚えはありますが……」


「……二人きりになれば、そのくらいはあるやもしれぬと予想しておったが、いざ花祝の口から聞くとやはり腹が立つな。あやつがそなたに触れたのはその時だけか?」


「ええっ? ど、どうだったかな……」


「このようなことはされてはおらぬだろうな?」


 絡めた指をほどくと、陛下は再び腕を回し、今度はぎゅっと抱き締めなさる。

 固い胸板が押しつけられ、花祝の耳元に陛下のお口元が寄せられる。

 吐息が柔らかく耳を撫で、ぞくりとした妙な刺激が花祝の背を駆け上がる。


「へ、陛下ではありませんし、こんなことは……あっ!」


「『あっ!』とは何だ!? まさか抱き締められたのか!?」


 思い出した。

 帰りの牛車の中で、楓が左大臣家の護衛を請け負う武家の子であるという出自を明かした時。

 それでも楓を信じると伝えたら、彼は喜びのあまりに花祝を抱き締めたのであった。

 それを見た凪人が牛車に乗り込んで騒ぎになったため思い返す時機を失っていたが、陛下の温もりがあの時の楓のそれと重なって、途端に頬が熱くなる。


「おのれ、あやつめ……俺の花祝にそこまで触れおったとは。では、当然花祝は “えろ” だの “せくはら” だの言って龍染司を咎めたのだな?」


「ちょっ、楓くんを陛下と一緒にしないでくださいよ! 彼には陛下みたいな下心はありませんし、エロでもセクハラでもありません! 坂東の言葉でいうところの単なる “スキンシップ” ですっ」


 思わず首を振り返らせて抗議すると、陛下は藍鉄の瞳を眇めて不満げに花祝を見下ろす。


「……では、龍染司が何をしても花祝は咎めぬと申すのか。たとえ、このようなことをしても?」


 陛下はそう仰ると、花祝の顎にお手を添えられ、くい、と上をお向かせになった。

「え?」と開きかけた唇に、陛下の柔らかな唇が押し当てられる。


「…………っ」


 押しのけようと藻掻いた途端に抱きしめる片腕に力が込められ、小さく開いたままの唇を舌で優しくなぞられる。


 ぞくり、と刺激が走り、腕の力が抜き取られる。


 下唇をついばまれ、強ばっていた背がくたりと緩む。


 はむ、と上唇を浅く吸われたとき、花祝の指先は意識せぬうちに陛下の長御単衣ながおんひとえの胸元を握りしめていた。


 御殿油おんとなぶらの下で妖艶さを際立たせた陛下に攻められては、いかなる固き理性や誓いも溶かされてしまいそうになる。


 抗うことを諦めかけたそのとき、陛下はその艶美な唇をようやく花祝からお離しになり、苛立ちを微かに滲ませたため息をお吐きになった。


「相手が龍染司ならば、このような男女の睦みあいも “すきんしっぷ” とやらで許せるのか?」


「そん、な……。楓くんは、そんなこと……」


 力の抜けたままではあるが、楓の潔白を訴えようと、花祝はゆるゆると身を起こした。


「私にこんなことするのは、陛下だけです……!」


 陛下のお胸にしなだれかかりそうになる体の芯を何とか保ちつつ抗議する。


「そうだ。花祝にかようなことができるのは俺だけだ。他の男には指一本とて触れさせたくはない。相手がかの龍染司であれば尚更だ」


 陛下のお言葉に、花祝は薔薇の宴でのことを思い出した。


(そう言えば、『心に決めた方がいる』と嘘をついたあの時も、楓くんの存在に陛下は過剰に反応されていたような……)


「どうして……楓くんが相手となると、陛下は向きになられるのです?」


 花祝が問うと、陛下はお口をへの字に曲げ、お気に入りの玩具を奪われまいとするわらわのように花祝を抱き寄せた。


「花祝の龍袿りゅうけいも、龍侍司なる矜恃の鎧も、それらを脱がせるのはこの俺でなくてはならぬのだ。……それに、あの男はことさらに許せぬ。思惑があって、花祝の心を自分に傾けようとしていることも考えられるからな」


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