四の二

 かさねを纏った花祝が清龍殿へ駆けつけると、昼御座ひのおまし御帳台みちょうだいの周りに女官や侍医が集まり、慌ただしく動き回っていた。


「龍侍司様が参殿なされました」


 先導の女官が御帳台の内に向かってそう告げると、内侍司の官長である典侍ないしのすけの声で「こちらに」と聞こえてきた。

 すす、と女官が下がり、白絹のとばりを開けたところに、花祝が畏まりつつ体を中に入れる。


 御帳台の中におわす彗舜帝を見て────


「────っ! 陛下っ!?」


 しとねに横たわり、荒い息遣いで苦しげに体を曲げた御様子に、花祝はかしこき場所であることも忘れて叫んでしまった。


 “遣わし” である花祝には見えたのだ。

 青橡あおつるばみの色の強い邪気が、帝の御身を包んでいるのが────


「陛下の御身に邪気が憑いております。恐れながら、龍の通力をもって祓い申し上げます!」


 花祝の言葉に、帝の両脇に控えていた典侍と侍医が引き下がる。


 龍袿りゅうけいを纏うだけでは霧散しない強い邪気を祓うときには、懐にある “破邪の刀” で切り裂くというのが先々代から教わった方法だ。

 しかし、桜津国の民として、帝の御身に刃先を向けることは絶対に許されない。


 かと言ってこのまま手をこまねいて見ているだけでは、邪気が邪気を呼び寄せ、帝の心身を蝕んでいくだけだ。


 焦る気持ちをどうにも制御できぬまま、花祝は考える。


 陛下に刃を向けずに強い邪気を祓う方法がないだろうか────


(これは龍袿の浄気で邪気を祓うしかない……!)


 花祝は羽織っていた唐衣からぎぬ、履いていた表着おもてぎを次々と取り去ると、五衣いつつぎぬとして纏っていた龍袿の合わせを解いた。

 単衣ひとえの上に五枚の薄い龍袿を羽織っただけの姿となり、帝が御身に掛けていた大袿おおうちきを剥いで陛下に覆い被さると、自身の背中に龍袿を掛け直した。


 青橡の邪気が花祝の体にもまとわりつき、息苦しさを覚える。


「清らなる龍よ、我に破邪の力を遣わし給え!」


 泥水の中で声を張り上げるがごとく必死に唱えると、それに応えるかのように五枚の龍袿が光を放った。


 しゅうしゅうと音を立て、青橡の邪気が消えていく。

 荒い上下運動を繰り返していた帝の御胸元が次第に緩やかな呼吸を取り戻していくのを確かめ、花祝はふうっと大きな息を吐いた。


「花祝か…………」


「陛下、ご気分はいかがですか?」


「うむ……だいぶ良くなった」


 そのお言葉にひとまず安堵する花祝。

 しかし次の刹那、帝に覆い被さる自分の体勢がとんでもなく無礼であることに思い至った。


「もっ、申し訳ございませんっ!」


 飛び退こうと体を起こした花祝の腕を、帝が咄嗟に掴みなさる。


「まだ息苦しい……しばし、このままで」


 御身の内にまだ邪気が残っているのだろう。

 途切れ途切れに仰る帝の息が、氷にあてたように冷たい。


「龍侍司以外は……もう退がってよい」


 帝の御言葉に、御帳台の中に控えていた典侍と侍医は一礼をして帳の外へ出ていった。


 帝が大きく息をお吐きになる度に、青橡の邪気が口元から漏れ出てくる。


(お苦しそう……。随分と強い邪気が憑いたのね)


 帝の御身を浄めたい一心で、花祝はそのままの体勢でぎゅっと陛下に身を寄せた。

 口元から零れ出る邪気の色が徐々に薄くなる。

 やがてそれが見えなくなる頃には、陛下の御気色みけしきも常と変わりないまでにお戻りになっていた。


「良かった……。邪気はすべて御身から出ていったようです」


 再び身を起こそうとした花祝の背に帝の腕が回されたかと思うと、再びぐっと引き寄せられた。


「陛下っ!?」


 不意に落とされた華奢な体を、陛下の胸がしっかりと抱き留める。

 つい先ほどまでは邪気を祓う一心で帝の御身に覆い被さっていたが、務めを果たした今となっては、花祝の心臓が耐えられそうもない。


「ちょっ、お離しください……っ」


 必死に腕を立てて体を離そうとする花祝をいとも簡単に抱きすくめると、陛下は涼やかな笑い声を立てられた。


「女に覆い被さられるのも、夜這いされているようでなかなかの妙趣であるな」


「また訳の分からないことを仰られて……っ! この体勢は、あまりに畏れ多すぎます!」


「俺が許しているのだからよいではないか。それに、こうして互いに単衣で重なっておると、花祝の柔らかさがじかに伝わってきて心地好い」


「!!?」


 帝の御言葉に、花祝ははっとして胸元を見やった。

 互いに薄絹の単衣を纏ってはいるものの、押し潰すように触れている帝の胸板の硬さや平らかさが花祝の胸元に伝わってくる。


(ということは、陛下にも────っ!?)


 花祝の表情をお読みになったのか、帝が涼やかに微笑まれた。


「気にすることはない。十七ならば、これからたわわに膨らむ可能性も未だ微かには存するであろう?」


「ななな、何てこと言うんですかっ! このセクハラ陛下っ!!」


 広い昼御座に響き渡るほどの大声で花祝が叫ぶ。

 いよいよ帝はからからと声を上げてお笑いになった。


「えろ陛下の次は、せくはら陛下か。意味はようわからぬが、花祝の国の言葉は異国のような響きがあって趣き深いのう」


 涼やかなお声で囁かれ、体の芯がみるみると熱くなる。


 押し付け合う胸から早鐘のような鼓動が伝わってしまうのも恥ずかしくて、花祝は帝の胸の上で必死に藻掻いた。


「もういい加減離してくださいっ!」


「あまり暴れると、せっかく掛けた龍袿がはだけ落ちるぞ」


 そのお言葉に、躍起になっていた花祝の動きがぴたりと止まった。

 自分がこの体勢になった時の状況をふと思い返したのだ。


「そう言えば……。陛下に憑いておりましたのは、青橡あおつるばみの邪気でございましたね。左大臣邸の宴にお出ましになっていた陛下に、なぜそのような邪気が憑いたのでしょう?」


 尋ねると、無邪気に綻んでいた帝のお口元がにわかに引き締められた。

 花祝を抱き留める両腕に力が入るのを感じ、花祝の心にも緊張が走った。

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