四、彗舜帝の、月夜の宴より戻られ給ひて、邪気に憑かれ給ひけること

四の一

 花祝はその日、襲芳殿での時間を持て余していた。


 陰陽寮によると、帝の次の御物忌みは十四日後。

 その前に桜津国全体での凶日はあるが、それとて四日後のことであり、“火急の事態” でも起きない限り、龍侍司の出番はない。


 こんな時に気安く呼んで話せるのは、同じ“遣わし” である楓くらいだが、現在彼は先龍染司さきのりゅうぜんのつかさである冨樫と清らなる谷に篭っており、あと七日は帰ってこないだろう。


 坂東から出てきたばかりの花祝には、内裏はおろか桜花京の街から訪ねてくるような知り合いもいない。


 春ののどかな日差しを連れて、蔀戸しとみどを開け放した屋敷に東風あゆが吹き抜ける。

 ぼうっと外を眺めていた花祝だったが、庭に咲く紫色の花に目が留まり、ある人のことを思い出した。


「小雪。今から菖蒲あやめ様に文をしたためたいのだけれど、それを届けてもらうことはできるかしら」


 一昨日の御物忌みに花祝が纏った後、薫物たきものをして浄め干ししていた龍袿を葛籠つづらにしまう小雪に声をかけると、彼女はつぶらな瞳をさらに丸くして顔を上げた。


先龍侍司さきのりゅうじのつかさ様に文を送られるのですか? 何かお急ぎのご用でも?」


「ううん。私の方は守護の務めもしばらくなさそうだし、菖蒲様の方も、夫君の冨樫様がご不在ならばお時間があるかもしれないでしょう? この機会に、改めて色々とお話を伺えれば……って思って」


 花祝がそう答えると、さらに目を丸くした小雪が、ぱっと顔を輝かせる。


「まあ、それはいいですわね! 私も菖蒲様には三年間お仕えいたしましたし、お顔が見とうございます」


 主人に誠心誠意仕える小雪らしい反応を好もしく思い、花祝はにっこりと頷くとさっそく文机へと膝を進めた。

 硯箱を開ける花祝の背に、小雪の弾む声がかけられる。


「そうそう、菖蒲様がいらしたら、ぜひ花祝さまの方から聞いていただきたいことがございまして」


「え? どんなこと?」


「それはもちろん、先龍染司様との馴れ初めについてでございます! 十二年もの間一緒にお仕事をされていたお二人が、一体いつから想いを寄せていらしたのか、いつ、どのようにその想いを告げられたのか……」


「やだ、そんなこと私から聞けるわけないじゃないっ!」


「あら、でも、花祝さまにとっても大いに参考になるお話ではございません?」


「…………っ、そんなことないもんっ!」


 小雪の口ごたえに、花祝の顔はみるみるうちに赤く染め上がっていく。

 それを見てにまにまする小雪に勢いよく背を向けると、文机にしがみつくようにして料紙を広げた。


 本当のことを言えば、花祝だってそこのところは興味津々だ。


 けれど、龍侍司になりたての自分がそんなことに興味を持つだなんて、遣わしとしての自覚が足りないと菖蒲に呆れられてしまうに違いない。


「同じ年の “遣わし” としてお生まれになった時点で、すでに特別なえにしをお持ちなんですもの。そんなお二人の出会いから結ばれるまでを物語にすれば、国じゅうの女子がときめく恋絵巻が出来上がるに違いありませんわっ!」


 一人ではしゃぐ小雪はほうっておくことにして、花祝は菖蒲あてに襲芳殿への来訪を請う旨を文にしたためた。

 先ほど目に留めていた早咲きの花菖蒲を文に添えて届けるよう部屋付きの女房に頼み、菖蒲からの返事を待つことにしたのだった。


 ❁.*・゚


 “火急の事態” は、その日の晩に起こった。


 燈台の灯りを消し、塗籠ぬりごめしとねに横たわった花祝だったが、壁の向こうから何やら物音が聞こえてくる。


 どうやら、こんな夜更けにどこかの女官が襲芳殿を訪ねてきたらしい。


 小雪の応対する声に耳を澄ませていると、「ええっ!?」と驚く声がして、妻戸越しに慌てて駆け寄る気配がする。

 ただごとではなさそうだと、暗闇の中で花祝も体を起こした。


「花祝さま、起きてらっしゃいますか?」


「ええ、起きてるから戸を開けていいわ」


 花祝が答えると、塗籠の妻戸が開き、小雪が顔を覗かせた。

 手燭てしょくの火に浮かび上がる表情は、ひどく強ばっている。


「誰か訪ねてきたようね。何かあったの?」


「訪ねてきたのは内侍司ないしのつかさの女官です。先ほど左大臣邸から陛下がお戻りになられたそうなのですが、御気色みけしきがひどくお悪いとのことなのです」


「えっ!? 陛下の御身に何が……」


典侍ないしのすけ(女官長)様が典薬寮くすりのつかさの侍医に知らせたそうですが、陛下が龍侍司を呼べと仰せで、花祝さまに至急参殿いただきたいとのことです」


「……わかった。支度が整い次第、清龍殿に上がりますと伝えて」


「かしこまりました」


 小雪が下がり、程なくして母屋もやの燭台に火が点った。

 花祝は単衣ひとえのまま母屋へ出て、龍袿のしまわれた葛篭つづらを開ける。


(陛下は今夜、左大臣邸で開かれた月見の宴に招かれておられたはず。侍医ではなく私をお呼びつけになるなんて、宴で何かあったのかしら)


 胸の内がざわざわと落ち着かないが、できる限り気を鎮めてかさねの色目を選ばなくては。


 この身に授かる龍の通力で帝をお助け申し上げられますようにと祈りを込め、浄めの力が強いとされる紫系統の色を中心に、紫紺しこん、桑の実、蒲葡えびぞめ二藍ふたあい藤鼠ふじねずの五枚の龍袿を選んだ。




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