◆豹の槍20◆「なんで先に喰うッ!」

「煮ぃぃえた♪ 煮えたッ♪」


 ぐつぐつぐつ……!


「革が煮えた♪ リズのが・・・・煮えた~♪」


 うふ……。うふふふふ♪


 調子っぱずれの鼻歌を歌いつつ、ドロリと濁った目でリスティが鍋を見ている。


 そこにプカプカと浮かぶリズの革鎧。


「あぁ♪ あぁぁあ♪」


 ──リズの匂いがするぅ!


 うっとりとした顔でそううそぶいて、リスティは浮かび始めたゼラチンを掬い取っていく。


「美味しい、美味しいリズの皮……──鎧~♪」


 ちゅぷん。……ぱくり。

 もにゅ、もにゅ。


 そして、躊躇ためらいなく少し前に掬って冷ましておいたゼラチンを食べる。


「あむ……あむ。うん…………リズの甘い、甘~い匂いが少しだけするぅ♪」


 実際の味は、まぁ…………。


 それでも、リスティは勝手に食うなと言われていたにもかかわらず、モグモグと食べ進めていく。

 

 皮鎧は大きく。

 かなりの量のゼラチンが取れた。


「あぁぁ~♪ 美味しいねー、美味しいねー」


 匙をペロペロと舐めながら、オカズにしようとばかりに、リズの着ていた革のツナギの匂いを嗅ぐリスティ。


 胸いっぱいにツナギの香りを嗅ぐと、

「すはぁぁ!────あぁぁ~♪ いい匂い。お肉の匂い! 美味しくって柔らか~い、お肉の匂いがするぅ♪」


 モグモグモグ……。


 食器によそっておいた少し茶色のゼラチンが次々にリスティの腹に消えていく。


 そして、革のツナギをしつこく嗅ぎ、

「あーーーー。いい香り♪ お肉の香り!」


 垢と汗と血と組織液が染み出て、乾いて、また染みた革のツナギの香り。

 それが、さもご馳走であるかのごとくリスティは嗅ぎ続ける。


 嗅いで、食して、うっとりとする──。


 モグモグと、モグモグと……。


 その光景の遥か先では、戦闘音が響いているというのに!


 ──ズズゥゥウン!!


 何かが激しくぶつかり合う音と、オーガの断末魔の悲鳴。

 破壊の余波で牙城が震え、パラパラと埃が落ちてくる。


 あはは、

「──ジェイク頑張ってるな~……私も頑張るよ~!」


 リズの鎧を煮込んで、次にリズの革のツナギを煮込んで────。


「もういっそ、リズごと……」

「リスティ様」


 不穏なことを口走り始めたリスティに、

「───あら、どうしたの? 寝てていいのよ?」


 うふふふ。


 ペロリと舌舐めずりしつつ、リズを優しく労わるリスティ。


「い、いえ……。大丈夫です」


 大丈夫なものか……。土気色をした顔色、ボロボロになった髪、げっそりとやせ細った頬、変色した脚……────。


「──いい匂い…………」

「え?」


 うっとりとした顔でリズの匂いを嗅ぐリスティ。


 まるで慈愛の女神のごとく、ニコリと柔らかく微笑んで、

「さぁ、少し食べなさいな」


 そう言って皿に盛られたゼラチンを差し出す。

 思わず皿に目が釘付けになるリズ。

 彼女とて、限界なのだ。


 それでも……、


「で、ですが……ジェイク様は────」

「なぁによ? ちょっと先に食べるだけよ。ジェイクにも同じ量だけあげるんだから……文句はないはずよ」


 ゴクリ……。


 リズも思わず皿に手を伸ばしそうになる。

 ジェイクは先に食うなと言っていたはずなのに────。


「い、いえ……私はジェイク様を待ちます」

「…………いいから喰えよ」


 スっと空気が冷える気配。


 ──ゾッとする目つきでリズを睨むリスティに、


「ひッ」


 思わず悲鳴を漏らすリズ。

 …………あのリズが、だ。


「なぁにが、ジェイク様よ」

 据わった目付きでリズを睥貎するリスティは、

「アンタはいっつもそうねー、ジェイク様、ジェイク様、ジェイク様───」


 ジェイク様ー、ジェイク様ー、

 ジェイク様、ジェイク様、様、様、様、様様様様様様様様様ッッ!!


 は!


「──ちゃんちゃら可笑しいったら、ありゃしない!」


 顔をどす黒い闇に沈めたリスティが恐ろしい形相で睨む。

「───……ジェイクが死んだらどうする気よ。ジェイクが帰ってこれなかったらどうする気よ。ジェイクが戦いに負けてオーガをここに連れてきたらどうする気よ」


 アンタ…………死ぬわよ?


「──そのヨロヨロの身体で戦う気? 空腹でまともに動けないでしょ? 水もロクに飲まず、飯も食わず、脚には虫が湧いている」


 それで──。

 あはは! それでぇぇえ───!


「忠義のつもりぃ? 忠実なつもりぃ? 従順なつもりぃぃぃいい?!」


 くだらない。

 くだらない。くだらない。くだらない。

 くだらないくだらないくだらない!!!


 クッソくだらねぇぇぇえんだよぉぉお!!


「で、ですが…………」


 食えよ……。

 喰えよぉ…………!


「──いいから喰えよぉぉぉおおお!!!」


 リズの胸倉をつかむと、バチャン!!──と、ゼラチンの乗った皿に顔面を叩きつける。


「食えッ! 喰えッ! 喰えッつってんだろぉぉぉおお!!」

「うぐぐぐぐ……」


 ゼラチンに顔を沈めたリズはモガモガと抵抗するも、哀れなくらい力が入っていない。


「ほら喰え! 噛め! さっさと、飲み込めぇぇええ!」




 それができないなら……。




「イマスグオマエヲクッテヤロウカ──?」

「ひぃぃい!?」


 耳元でささやかれる恐怖。

 そして、確実に感じる欲────欲。欲……。


 欲望………………。

 それは、それは、明確なまでの───。






 ──────食欲……。

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