第二話

誰が為のおしゃれか(1)

 今年は空梅雨との長期予報に反し、しとしと雨が降り続くじめっとした日々の中で、増田茅子の柔らかそうな白い腕を見たとき、わたるは半端じゃない清々しさを感じた。


「カヤコチャン、メガネに戻しちゃったの?」

「はい。やっぱりコンタクトは目が痛くなるので」

「可愛かったのにー。でもそのメガネもいいね、フレームがほんのりピンクで可愛い」

「あたし! あたしが一緒に選んであげたの。駅ビルで偶然会って。ねえ」

「はい。小永井さんに助けてもらえてよかったです」

「メガネ屋の向かいが本屋でしょう? カヤコチャン本屋の中からずーっとメガネ屋の方ちらちら見てて何やってんのかと思ったよ」

「なにそれえ」

「いえ……はい」

「そんでついでに服も一緒に見たの。カヤコチャン半そでの服あんまり持ってないって言うから」

「ああ、なるほど。それ、二階のお店のだよね。私も可愛いなあ、欲しいなあって思って見てたやつだもん」

「でしょでしょ。カヤコチャンに似合うと思っておススメしたのです」


 確かに。ネックラインにパールビーズが並んだ紺色のカットソーはオフィス使いに最適で、かつ茅子にとても似合っている。清潔感のある彼女の魅力が三割増しだ。

 背中で女性社員たちの会話を聞きながら、渉は心の中で小永井に向かって親指を立てる。


「でも会社だと、少し肌寒くて」

 小さくとがった肘を撫でながら茅子は少し振り返ってカーディガンを手に取る。つられて同時に首を捻ってしまっていた渉の視線と彼女の目線がわずかに交わる。それだけで茅子はぱっと渉の目から顔を反らせた。

 がーん、と渉は今更ながらショックを受ける。ここ数日の茅子のこういう振る舞いには慣れたつもりでいたのに、やっぱり地味に傷つく。


「朝礼始めるぞ」

 女性社員たちはぴたっとおしゃべりを止めて係長の方を見る。その静寂の中で茅子がそっとカーディガンに腕を通すのを渉は横目に見ていた。




「誰か今日、香水キツくない?」

 朝礼の後、アポイント先へ持っていく資料を確認している渉に遠藤が話しかけてくる。声を潜めるわけでもない普通の音量のそれに渉はぎくりとする。バカか、こいつは。


 今朝出社したときから渉も思ってはいた。だからといって簡単に口にできることじゃない。匂いというのはとてもデリケートな事案なのだ。

 現に、背後の女の子たちの席から凍りついた空気が漂ってきている。本当にコイツはバカだ。


「行ってきます」

「はい、いってらっしゃい!」

 席を立つタイミングが同じになってしまい、連れ立って居室を出る渉と遠藤に見送りの声をかけてくれたのは係長だけだった。

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