彼女がメガネをはずしたら(10)

「そこだよ。増田さんみたいに丁寧に時間をかけてっていうの、できない奴の方が多いんだよ。早く終わらせたいから雑になる。集中力だってもたない。増田さんはさ、作業してるときすごい集中するだろ」

「ああ、うん。あの、子供の頃、おばあちゃんの内職を手伝ってて言われたんです。早く終わらせようとして雑にやってやり直すことになるより、少し時間はかかっても一度で丁寧に終わらせるのがいいんだよって」

「へえ、それを守ってるんだ」

「うん」


 顔をあげて茅子がじいっと渉を見つめる。

「入社したばかりの頃。今よりもっとやることが遅くて落ち込んで。居残りするしかなくて、ひとりで泣きながら仕事してたんです。そしたら清水さんがドーナツを買ってきてくれて。わたしは表計算の間違いがないからすごいって。安心して任せられるって。だから時間かかってもいいんだって言ってもらって」


 また清水か、と内心で鼻を鳴らす渉に気づくはずもなく、茅子はまた泣き始めた。

「また同じこと言ってもらえて嬉しいです。ありがとう……」

 ぐしぐしと左手で目を擦ろうとしたから、渉はその手をやんわり止める。

「もう片方も取れちゃうよ」

「いけない。そうですね」


 目を瞠った茅子の眼の下に、渉は素早くキスした。涙で濡れた頬は熱かった。

「え……」

 茅子は食い入るように渉を見つめる。

「何したんですか?」

「何って……ほっぺにちゅう?」

「どうしてしたんですか?」

「どうしてって、可愛かったから」

 さらっと答えると、茅子の顔はゆでだこのように真っ赤に染まった。


「ふ……」

 腐?

「フケツです!」

 すっくと立ちあがって茅子は叫ぶ。

「そんな理由でふらふらちゅうしちゃうような人なんですか!? 可愛いければキスしちゃうんですか、高山さんは。フケツです!」


 しまった。「好きだから」ときちんと言うべきだったのに。つい心の声を優先させてしまった。バカバカ、俺のバカ。と後悔したところでもう遅い。


「軽蔑します!」

 うわああんと泣きながら茅子は走っていってしまう。泣きたいのはこっちだ。ショックのあまり渉は座り込んだまま虚しく手をあげることしかできない。引き留めても茅子は戻ってはこない。


「馬鹿だなあ、思ったよりも」

 声に目を上げると、清水が腹を抱えて笑っていた。

「焦りは禁物だろ」

 わかってた。わかってたはずなのに。この失点を自分は取り戻すことができるのか。


 がっくりしつつも渉は決意する。頑張るしかない。あきらめるつもりはないのだから。

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