第50話 主人公
「疲れはしないけど、この階段、何段あるのぉ?」
「分からない。だが、こうなったらもう、ここしかない」
社宅の部屋から還れなくなったのは、光が身体を取り戻したからだと仮定した晃陽は、すぐさま、次の行動を起こした。
出口なら、もう一つある。
あの塔の中、二色南中学校の南校舎、校長室の中だ。
だが、そこでもさらに想定外のことが起こった。
確かに、先ほどまで二色南の校舎とそっくりそのままだった塔の内装が、すっかり変わっていたのだ。外と同じ、エメラルド色の奇妙な金属の壁に囲まれた、ただの円柱と化しており、その内壁に、螺旋状の階段があるのみだった。
状況が混迷を極め過ぎている。
がしかし、晃陽に迷いはなかった。上るしかない、と光を促し、体感で既に一時間ほど、果ての無い階段を踏みしめ続けている。
相変わらず、身体への疲労が無いことが幸いだった。とはいえ退屈ではあるので、自然、雑談が増えていく。
「そう、晃陽くんと一緒にいた友達がいないのは、その影喰いに連れ去られちゃったんだ。それも、うっすらとしか記憶にないんだけど」
「そう深刻になるな」
どうやら、影喰いに喰われていた時間が長いと、その間の記憶を保つのが難しくなるらしい。晃陽は、思い出そうと頭を抱えた光を気遣う。
「んー、なんかね、すごく大事なことのような気がして……」
「なら、いずれ思い出すさ。中学に戻ったら何がしたい?」
「そうだなぁ。正直、怖いな」
「そうか」
「でも、楽しみでもあるよ。明と同級生なんて、面白そう」
「そんなに無理をして笑う必要なんてない」
「……うん。無理してるように見えた?」
「あてずっぽうだ」
「あはは! あてずっぽうかぁ。今のはマジでウケたからね!」
「―――一緒に戦ってくれていた親友にも言われた。お前はその場その場で適当なことばかり言っていると」
「そうなんだ」
「心外だ」
「そうなんだ」
二回目の「そうなんだ」は、さらに笑気を含んだ返答だった。
「とにかく、元気を出そうとしなくてもいい」
笑わせるつもりのなかった晃陽は、わざとぶっきらぼうに言った。
「自分の思った通りにしろ。明や、俺が付いてる、安心しろ、光」
「……ふ~ん」
「なんだ」
「や……晃陽くんさ、そういうこと、ほかの子―――明とかにも言ってる?」
「当たり前だ」
「当たり前かぁ」
「まずいのか?」
神妙な表情の光に晃陽が訊く。
「ううん。いいと思うよ。そういうはっきりした人、結構好きだよ」
「そうか、ありがとう」
「ふふっ。ホントに良いキャラしてるよね
「あいつって?」
「部活の後輩……あ、そういやもう先輩だった。うわー! いやだなー! あいつが先輩って!」
言いながら、身震いする仕草を取る光。
「そんなに嫌なのか」
「クソ生意気だかんねぇ! ひねくれたことばっかり言ってくるし! 後輩の癖に私より勉強できるし! 晃陽くんはそのまま素直でいてねっ!」
後輩に勉学で抜かされているのは看過しがたい状況なのではと思わないでもなかったが、晃陽は黙って頷いておいた。
「部活は? 運動部か?」
「あたしあんまり運動好きじゃなくて。文化系だよ。晃陽くん、知ってる? 文芸部なんだけど、まだ存続してる?」
足が止まった。
「どしたの?」
二段あとを歩き続けていた光が追いついてくるが、答えることができなかった。
文芸部。
まず謎がひとつ解けた。
『で、去年までは、三年に幽霊部員が一人いてくれたんだけど、今年はどうにかして増やさないと廃部になるんだ』
以前、彼が言っていた、文芸部に籍だけを置いてくれていた幽霊部員の正体は光のことだ。
影喰いと影の街が起こす記憶の消失は、完全なものではない。
ちょっとした矛盾、違和感があれば、たちまち記憶の齟齬に気付く。
二年前に中学二年生だったら、去年は三年生。記録上では。
では、一体誰が、その『いないはずなのにいる』生徒を持ち出して、部の存続を認めさせたのだろう。
晃陽には、以前からその違和感があった。
香美奈のことを自分と彼だけが覚えていた。
理由は、何度もこの世界に行き来していたからだという。
それだけだろうか。
もし、最初から影響を受けない体質なのだとしたら?
偶然だが、晃陽には、ほかの者にはない、ある体質がある。
潜行障害。原因不明の脳機能障害。
そう、自分の脳は、生まれつき普通の人間とは違うのだ。もしかしたら、光がこの世界への道を間違えて繋げてしまった原因の一端でもあるかもしれない。
記憶の保持が、体質によるものだとすれば、彼はずっと、覚えていたことになる。自分の部活の、先輩でもある暁井光を。
だが、彼は何も言わなかった。
小学六年生の夏。初めて彼と出会ったときに見せた、とても寂しそうな表情。
「ねぇ、こうよ―――ちょっと!?」
光の制止も聞かず、晃陽は、勢いよく駆け出した。
ただの勘だった。だが、絶対に当たっていると、確信していた。
思えば、猿型の影喰いに喰われた彼が自然と元に戻っていたのもおかしかった。自分の推理に、まったく異議を挟まずに賛同したのも、あれが初めてだった。
気付かれたくなかったのだ。自分もまた、晃陽とは違う意味で“特別”なのだと。
そして、ここまでの“物語”が、実は彼を中心に動いていたことにも。
階段を上りきった先には、円形の広間があった。
「何故だ」
調度品も何もない。冷たい金属製の広間には、少年が一人、立っていた。
「なんでお前がここにいるんだ」
「そんな……」
晃陽が苦悶に満ちた表情で呟き、追いついてきた光が、息を呑んだ。
「「
小暮黎。彼はその整った顔を微笑の形に歪めて、こう答えた。
「俺が、この物語の主人公だからだよ、晃陽」
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