軽度潔癖症とわたし

 客観性のまったくないレビューを書かれて閉口したり、そもそもストーリーとキャラの好き嫌いくらいしか評価軸を持たない人に大切な作品を雑にジャッジされてしまう無念さがある、というようなことを、時折ほろほろこぼしておりますが。

 当然ながら、受け止めるべきものは受け止めているつもりです。

 そのひとつに、『アパートたまゆら』についてときどき書かれる「ずいぶん都合のいい潔癖症だなあ」という感想です。


「潔癖症であることを忘れさせてくれる相手に巡り合った」ということがうまく伝わっていないのであればわたしの力不足ですし、伝わったとしても物語の後半でもう少しテーマに踏みこむべきだったかもしれないと考えさせられました。


 軽度とか中度とか他人に判定されたわけではないですが、わたし自身、軽度潔癖症の人間です(あるいは、そのように自認しています)。


 海やプールは好きなほうなので、紗子よりさらに軽度かもしれません。

 昔から友達と同じスナック菓子の袋に手を突っこんで食べるのが苦手でした。

 デパ地下で働いていたとき、同じフロアの菓子売り場の店員さんが素手に直接あられや煎餅を乗せて差しだしてくれたことがあり、くらくらする頭を落ち着かせながら震える手で受け取って食べました。

 会社勤めの頃、脂ギッシュな上司から受け取ったペンを無意識に除菌ティッシュで拭いていたら、同僚女性に笑われました。

 クレジットカードで会計したときサインするためのペンはいつも、鞄のすぐ取り出せる場所に入れて持ち歩いています。

 家には常に高濃度アルコールジェルを買い置きしてあるため、コロナ禍の最初の流通が不足していた時期も当面は困りませんでした。


 他人の家に遊びに行くと、真っ先に水回りが気になります。

 意外と洗面所に石鹸がないケースというのはあって、早く帰りたくなってしまったりします。

 二十代の頃、自分に好意を示してくれていた学生の男の子が「かいりさんに俺のカレーを食わしちゃる!」と言うので食べに行ったことがあるのですが、トイレ周りに手を洗う場所がなく、パニックになりました。

 学生向けアパートなのだから独立した洗面所がないのも仕方ないことなのです、それでも耐えられませんでした。便器上部の水タンクからちょろちょろ出るあれだけで洗わなければならない環境なのでした。

 そっとバスルームを確認すると、かろうじてそこに固形石鹸がころんと置かれており、彼はいつもトイレの後はそこで手を洗っているんだきっとそうなんだと必死に自分を納得させようとしました。

 彼の自慢のカレーはなぜかティースプーンを渡されて食べました。彼自身もティースプーンでした。

 カレースプーンより小さいから安かったのだろうけど……めっちゃ食べにくい……と心の中で突っこみながら食事をしました。牛スジの入った薄いカレーでした。

 食後、ほどなくしてお腹がばりばりと痛み始めました。冷や汗が出て、涙がにじみ、うずくまるほどの痛みでした。ゆっくりくつろぐこともなく、そそくさと彼のアパートを後にしました。

 やっぱり石鹸で手を洗う習慣のない人の料理は不衛生なんだ……と潔癖症が加速する一因になったエピソードでした。


 以来、「ひとり暮らしの男性の部屋」を訪れるのがものすごく恐怖になってしまったのですが、だからといってみんながみんな衛生に無自覚だとはもちろん思っていません(トイレのあと手を洗わない男性が驚くほど多いというデータを示した記事はよく見かけますが……)。中途半端に面倒くさい人間でごめんなさいという気持ち。

 今の夫が都内で一人暮らしをしていた部屋は、わたしの中の合格基準を満たすものでした。最初に訪れたとき、泣けるほど安心したのを覚えています。


 わりあい平気なことと、平気じゃないことがある。

 苦手なもの、可能なこと、それらは潔癖症の人それぞれにグラデーションになっていて、一概に「潔癖症だから無理」と言えるものはないのだと思っています。

 恋愛もそう。

 異性と触れ合うことはすべてNG! という方もいるでしょう。紗子みたいに苦手なラインが自分の中にあって、相手によって揺らぐ、という人も多いのだと思います。

 自分の場合、好意や信頼を抱いている相手とは普通に触れ合いたいタイプですし、結婚もしています。

 それでもやっぱり潔癖症は潔癖症なのだと思っていますから、他人を説得させるには難しいテーマだったのかもしれません。

 わたし自身がきっと、「都合のいい潔癖症」なのだと言えるのでしょう。


 最近、カクヨム版『アパートたまゆら』にご自身も潔癖症だという方からレビューをいただきました。

「ああ恋がしたいなと心の底から甘酸っぱくなりました。私にもいつかこの人だったら良いという人が現れるかもしれないですね」と仰っていただけて、ものすごくほっとしている次第です。

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