甘くて苦いベトナムコーヒーとの蜜月
「先輩か俺か、選んで」
今里くんは、凛とした声で言った。
「このコーヒーが落ちきるまでに、決めて」
(中略)
ぽたん。ぽたん。
水滴はどんどん小さくなって、やがて最後の一滴が落ちる。
――ぽたっ。
砂村かいり「ベトナムコーヒーが落ちるまで」より
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887694070/episodes/1177354054887694072
ベトナムコーヒーを知っていますか。好きですか。
飲んだことのない方も、わたしより詳しい方もいらっしゃるかもしれません。
わたしがベトナムコーヒーと出会ったのは、社会人になって間もない頃でした。
友達に連れられて行った、新宿西口の「フォンベト」というベトナム料理屋さん。ベトナム料理専門店を訪れたのはそれが初めてでした。
竹を編んだケースから取りだした箸でいただく料理は、まだ舌の肥えていない若者だった自分にも本場の美味しさというものをあまさず感じさせてくれました。
ベトナム料理といえば生春巻きとフォーくらいしか知らなかった自分が、その短時間で完全に虜になり「ベトナム行きたいー!」と叫んでいる始末(若さ)。
食後に頼んだコーヒーには、透明の円筒系のドリッパーが乗っかっていました。なんぞ? と思いました。
円筒の中でコーヒーがドリップされ、ぽたりぽたりと落ちてゆくのが見えるのです。まるで小さな水琴窟。
カップにはあらかじめコンデンスミルクが絞ってあり、落ちきったコーヒーをかき混ぜて飲む。その瞬間舌の上で起こる、甘みと苦みの奇跡の融合。名状しがたい香ばしさと深い味わい。
ハッとする美味しさに、思考が止まりました。
それまで飲んだどのコーヒーともまったく違う、そのことだけははっきりとわかりました。
それがわたしにとっての運命の1杯でした。
「フォンベト」にはその後もう一度だけ別の人間を伴って訪れましたが、残念ながら閉店してしまって今はもうありません。
自分の少ない知見のかぎりでは、日本で本式のベトナムコーヒーが飲めるお店はかなり少ないのではないかと思われます。
ただ「練乳が入ったコーヒー」ではだめなのです。
厨房でかき混ぜて持ってこられても、物足りないのです。
カップの上に専用ドリッパーが乗っていて、目の前で抽出される様子を楽しむ時間もそのコーヒーの一部なのです。
あの理想のベトナムコーヒーと再会できないまま時は流れ、三十代の初め、友達とベトナムへ旅行することになりました。
ボートでメコン川の濁流を下り、スーパーや土産物屋を巡り、戦争証跡博物館を見学し、バイクのひしめく道路を命がけで横断し、夜のメコン川をクルーズし、あっという間に最終日の夜。
自分たちの足で行き着いたベトナム料理店で、ようやく本場のベトナムコーヒーと再会することができました。
宿泊していたホテルのビュッフェやツアーに組まれたレストランでは、ごく一般的なコーヒーしかなかったのです。
その1杯が運ばれてきたとき、感極まって「やっと会えたね」と中村美穂を口説いた辻仁成のような台詞を発してしまいました。
至高の1杯。旅の最終目的が果たされた瞬間でした。
帰国後、買いこんできた豆とカフェ・フィンと呼ばれるアルミのフィルターで、ベトナムコーヒーとの蜜月が始まりました。自宅でいつでも本式ベトナムコーヒーが飲める生活が手に入ったわけです。
豆を使いきった後も珈琲卸売店に買いにゆき、豆を選び、理想のコーヒーを自ら作りだせるようになってゆきました。
アラビカ種でもロブスタ種でもいいのですが、「深煎りの豆を粗挽きに」これが基本中の基本です。
うっかり細挽きにすると、引いた豆がフィルターの穴を通ってカップに落ちてしまいます。
ベトナムのスーパーマーケットのコーヒー売り場には「世界で2番目においしいベトナムコーヒー」と日本語で大きく書かれてあったのですが、いやいやご謙遜を。
生産量はたしかに世界2位ですが、少なくともわたしにとっては世界一美味しいです。本当に……。
冒頭で引用したのはベトナムコーヒーをモチーフにした恋愛小説です。
昨年、思いがけないお声がけがあり、ベトナム国内で最大店舗数を誇るコーヒーチェーン「ハイランズコーヒー」を正規輸入している企業様とコラボする僥倖を得ました。
このエッセイでもがっつり書いてますね。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888187345/episodes/1177354054921265912
キャンペーンは既に終了していますが、ハイランズコーヒー様とのゆるやかであたたかなつながりは続いています。
好きなものを好きと表明していると、めぐりめぐっていいことがあるかもしれませんね。
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