第8話 なるべく苦労はしたくない
「すまん」
「全然大丈夫大丈夫! 私働いてるからまだお金に余裕あるしぃ。そだ、このままホテル行っちゃう〜?」
「行っちゃう〜、じゃないからな。俺達そんな家遠くないだろ。どっちかというと家の方が近いだろ」
「そうじゃないんだけどなぁ。まあ、いっか」
そうじゃないんだけどなぁなんて言われたところで全く理解出来ないからな。
語学力はまだある方だと俺は思うが、お前の誤魔化し方についていける程ではない。
御琴を説得し、俺は帰路を歩く。
余程楽しかったのだろうか。御琴は、先程までやっていた車のレースを行うゲームで俺に勝つ方法をぶつぶつと連ねている。
初めてやったのだが、案外普通に御琴には勝てた。多分コイツが度を超えた下手くそなんだろうな。
ルールもよく分かっていなかったようだ。
アイテムを取らなきゃ勝てない様な、そんなゲームだった。御琴はひたすら進んでいただけだ。
俺は積極的にアイテムを取得し、かなり御琴と離されていた。が、『爆速』と書かれたアイテムを手に入れたことで三倍近くのスピードになり、追い抜いたのだ。
どのゲームでもアイテムは軽視してはならないのだろう。今日はそれを学んだ。
「むぅ、次は絶対に勝つ!」
「なら俺はそれまでに仕事を見つけて金を貯めておく」
「わ、ありがとうごめんね〜」
「今日は全部お前の金だからな」
「違うでしょぉ」
御琴はブンブンと頭を左右に振ると、所持していたピンクのトートバッグを開いた。
そこから、眼がバツで継ぎ接ぎだらけのウサギらしき縫いぐるみを突き出して来た。因みにバッグにギリギリ収まる程度の大きさだ。
因みにこの縫いぐるみ、俺が御琴にプレゼントした物だ。
御琴が三千円近く消費してしまい、それでも尚別のゲームを探している時だった。
一際目立つ物が入ったUFOキャッチャーが視界に入ったのだが、それがこの『ウサモドキ』という気味の悪い縫いぐるみのである。
何故か感じるものがあり、所持していた百円玉を使用して、しかも一発で取れて驚愕だったのだが、嬉しいものだな。上手く取れるのは。
遠くでリズムゲームがやりたいとはしゃぐ御琴の元へ歩き、このウサモドキを手渡したのだ。
中々、似合わない真似をしたと恥ずかしい気持ちだ。
「このウサギ、ずっと大事にするよ。五年、十年、百年だってね」
御琴はまるで宝物の様にウサモドキを抱き締め、綺麗な顔で微笑んで見せた。
ほんの少し、可愛いと思ってしまった自分に心の底から驚いた。俺にこんな感情があったとは。
照れくさいのもあり、俺は眼を逸らして後頭部に手を置いた。
「百年も生きられる訳ないだろ。その頃にはボロボロだろうしな」
「百年が無理でも、死ぬまで絶対にボロボロにしないよぉ」
俺が否定すると、間髪入れずにムスッとした御琴が言い張る。
そんなにも気に入ってくれたのだろうか。少しだけ嬉しいな。
これからは、誰かに物をプレゼントするのも良いかも知れないな。少なくとも、世話になった人間には渡しても損はないだろう。
ボロボロじゃないのに既にボロボロなウサギを抱き締める御琴の頭に掌を置き、微笑んだ。
御琴は一応、物は大切にするタイプだ。信用出来る。親父と違ってな。
暫く撫でていると、御琴が幸せそうに微笑んだので気恥ずかしくなった。
「あれ、もう撫でてくれないのぉ?」
「もう撫でない。絶対撫でない」
「なぁんでぇ〜?」
「別に何でもないよ。ほら、帰るぞ御琴」
明らかな程適当に誤魔化し、俺は御琴に手を差し出す。御琴はいそいそとウサモドキをバッグに詰めると、その手を取ってピッタリと密着して来た。
なるべく気にはしないよう努めて帰路を進む。
何故だろう。朝早くに家を出た筈なのにもう昼を過ぎそうだ。
十二時後半だと気がついた俺は、御琴の顔を窺った。
御琴は子供の様に愛らしい瞳を輝かせ、首を傾げる。その間も笑顔のままだった。
すんごく言い難い。
「あー、御琴。飯どうする?」
昼だから何か奢ってやろうと思ったが金が無い。ここで「外食がいい」と答えられたら、またも御琴に金を使わせる事になってしまう。
それだけはなるべく避けたかったのだが──
「外で食べよっ。ほら、あそこのレストランとか」
指差しで外食を決定。何てことだ。
御琴に手を引かれてレストランに入ると、真っ先に自分が払うと言い出された。情けないな、俺。
ん? だが俺は目立ちたくはない。これなら安心か? いやでもむしろ目立つか? うーん……。
暫く考え、どちらにしろ今は御琴に支払ってもらわなければ無理という現実に辿り着いた。
カチャカチャとスプーンとナイフを動かし、注文したハンバーグを食べる御琴。そして俺は野菜サラダだけを食す。
流石に心配されて白ご飯も御琴が頼んでくれたが。
「御琴、今日はすまん。俺が奢ってやれればよかったんだが……」
「んーん」
俺の言葉を遮り、御琴は顔を振った。
そしてハンバーグを飲み込み、口元をナプキンで上品に拭うと、俺の眼を見た。
意外にも、礼儀はそこそこ知ってるんだな。コイツ。
「稔が地味に生きていたいってのは知ってるから全然大丈夫だよ。それに私は、お金なんかよりもずっとずっと大切なものがあるから」
「大切なもの?」
「秘密ぅ」
再度ハンバーグを切る御琴は、それ以降この話題に触れなかった。
因みに俺はというと、御琴が言ったことが九割型当てはまる。
俺は地味に、活躍もせずに生きていたいんだ。命があればそれでいいんだ。
だが、それは御琴を苦労させる理由にはならない。一割、違う理由がそこだ。俺は仕事をする気はあるということ。
家族の為に働くとかは親父に任せるが、これ以上他の連中に迷惑はかけたくないのでな。家を出ることにした。
その為には一年間みっちり働かなければならないのだが──俺は背後の気配に勘づき、あることを胸に瞼を下ろした。
俺の寿命は、もう一年も残されていないのだ。
だから例え死ぬ気で金を貯めたところで、無意味に等しい。その場合は御琴達が使ってくれることを願おう。
親父じゃなくて、母か御琴のどちらかだ。
背後の気配は、俺と御琴の斜め前方に立ち、ぽつりと冷静な声で呟いた。
「そうですよ。稔様はもう時期、この世を去ってしまうんです」
だから、最期まで家族と共に日々を過ごせ。そう言いたいのだろう。
もう時期と言っても、死亡予定の三月まで約十ヶ月あるんだがな。クソ神。
眼の前には邪気の無い笑顔でこちらを見つめる御琴が座っている為、俺は目も向けず心の中で返事をした。
「分かってる」と。
なるべく苦労はしたくないが、寿命までの辛抱とでも考えよう。全く苦じゃない。
御琴が用を足しにトイレへ向かった時、俺は少し飯を残しておいてリムに食わせた。
案外腹が減るようで、スプーンを止めることなく平らげた。
「稔様、ありがとうございます。お腹いっぱいになりました! この仕返し……じゃない。お礼はいつか! 来年にでも!」
「その来年が丸々一年先のことなら、微塵も期待出来ないな」
俺はその時にはもう死んでいるからな。予定では。
今更になるが、俺が死んだら他の連中はどうなるんだろう。親族は悲しむ可能性が高いが、その他だ。
まず、幼馴染みである渚だ。
彼女は俺に好意を抱いている為、もしかすると両親よりも悲しむ可能性がある。渚は時に感情的になりがちなので色々と不安だ。
次に、高畠だ。俺が大学で唯一気を許せる存在となった天真爛漫といった感じの女子。
彼女は俺に対して好意は持ってないものの、友人として扱ってくれている。と思う。
その点ショックもあるだろうと思われるが、高畠は他の人間と違う部分が存在する。
リムの姿を捉えることが可能、という点だ。
両親や御琴、渚などはリムの姿は視えず、俺が死んでも本来の悲しみを抱くだけだ。
だが高畠だけは違う。
高畠は俺が死ぬことまでもを知っている。死ぬ日付けが明確なのだ。もしかしたら、あまりショックは受けないかも知れない。
それで渚もどうにかなれば、死んだ後のことは安心だな。どんな死に方をするのかは知らんが。
「お待たせ。帰ろっかぁ、稔」
「ああ、帰ろう」
帰る場所があることが、今はただ嬉しかった。
こんな俺でも、生きていたんだということを実感することが出来るからな。有り難いことだ。
だがそれも後一年経たずに終わる。あっと言う間だ。
帰り道をのんびりと進み、道中沈黙が続いていた。俺はまた別の内容を考えている。
俺は実は、死後の世界に興味がある。
本当に天国があるのか。本当に地獄が存在するのだろうか。死んだら、どうなるのだろうか。などだ。
死ぬ時、身体は放棄される。魂が存在するのなら、俺は思考が残るんじゃないかと考えてる。
だが、もし魂が存在しないものなら、俺という存在はどの様にして消滅するのだろうか。消滅したら、どうなるのだろうか。
不安と、好奇心が同時に胸に棲みつくこの感情を、誰もが一度は経験したことがあるだろう。
沈黙の帰路が終盤に差し掛かる頃、思考が完了した俺を見て御琴が口を開いた。
まるで俺が何を考えていたのか読まれていた様で、とても気分が悪い。中々恐いしな。
「何となく、今言っておかなきゃって思ったんだよ」
突如言葉を濁らした御琴は、いつもの様に目を合わせてはくれなかった。
避けられてるかの様な悲しさが、胸の奥辺りを針で刺す様な痛みを感じた。
まさか、他人に避けられるのが、こんなにもツラいものだとは思ってもみなかった。
人付き合いは大切だなぁと、心の底で頷いた。
御琴は掌を俺の胸に当ててきた。少し俯きながら。
その表情は、笑顔なのに嬉しくなさそうだ。まるで、悲哀の籠った泣き面を錯覚する。
「そんな簡単に、居なくならないでね。私の道標でもあるんだから、稔は」
顔を上げた御琴の作り笑顔に胸が痛む。
別に、俺にはそんな気にする程のことではなかった。いつかは出て行くつもりだったしな。
だが、御琴にとって俺が光だとでも言うのなら、俺はこの人生をこんなもので終わりにして良いのだろうか。もっと充実させるべきではないのだろうか。
少なくとも、家族の為にも。
親父がいて、母がいて俺が生まれたんだ。二人が俺を育ててくれなければ、ここに今俺は存在していなかったんだ。
それだけでもう、感謝するに値するのだろう。
まあ、母親二人目なんだが。
御琴は、今の母が連れて来ただけの曖昧な存在。親の顔も知らない、極めて正体が不明に近い義姉だ。
一体どこで拾って来たんだ。
だからこそなのだろうか。御琴は俺をしょっちゅう頼って来る。からかわれる時の方が多いが。
頼っている、幼い頃から気心知れた男が突如眼の前から消えたら、どう思う? ずっと共に過ごして来た義弟が居なくなれば、義姉はどんな気持ちになるのだろうか。
黙った俺から瞳を逸らし、御琴は歩き出した。
無言で進んで行く御琴とは逆に、俺は同じく無言で、その場に立ち尽くしている。現状、何が正解なのかを求め、心だけが路上を彷徨う。
「行こう、稔。さっきのは、気にしなくていいから。私が何となく、不安に思っちゃっただけだから」
御琴のその発言で、俺の意思は固まった。
申し訳なさそうな御琴の言葉の中には、『不安』の二文字が入り込んでいたのだ。
御琴は俺を頼り、日々を過ごし、気を許してきたのだろう。言わば、本当の弟の様に想いながら。
俺を信じて育ってきた御琴を見捨てるのか? 自分の人生がどうだって良いからと、自分の姉を放っておくのか? それじゃ、残酷だろう。
『頼られたなら最後まで導け』。俺は昔、そんな台詞を母から受けた筈だ。
御琴にかける言葉が選べた。俺なら、こうするべきだ──例え死期が迫っていたとしても。
「御琴」
「ん?」
はっきりと声を出して呼びかけると、御琴は陽射しで煌めくブロンドヘアーを靡かせた。
邪気の一粒も無い丸い瞳がこちらを見つめる。
「俺、引っ越しはやめる。最後まで、お前と生きるよ。だから心配するな。俺はお前を見捨てないから」
最後までじゃなく、最期なんだけどな。
俺が言い放つと、御琴は小さく肩を震わせた。停めようとしているのか、両肩を窄めるが停まらない。
御琴の身体が小刻みに震えるのは、恐怖でじゃない。安堵でもない。恐らく、溜まっていた不安が溢れ出したのだろう。
ある意味、肩の力が抜けたんだ。
「あれ? あは、あはは。どうしよ、あれ? あれ? 何でかなぁ、止まらないや。あははは……」
「御琴、我慢しなくていいって」
ボロボロと涙でコンクリートを濡らしていく御琴は両眼を擦る。擦って腫れ上がってきているので、その手を掴んで止めさせた。
驚いて肩を強張らせる御琴と視線が交わるが、彼女の瞳はすっかり充血してしまっていた。
痛々しいのはそうなんだが、それよりも今は、御琴を安心させなきゃな。
「俺はお前の前から消えない。絶対に帰るんだ。ずっと、ずっとな。だから安心しろよ、な?」
「稔……へへ、うん。稔、ありがとうね」
「構わない。お前みたいな泣き虫置いておちおちと死ねるもんか」
「泣き虫って、酷いなぁ」
「本当のことだろ?」
御琴の涙を親指で拭い取り、頭をぽんっ、と叩く。
照れ臭そうな御琴を他所に、俺は手を差し出して今度は自分が前に出た。
これからも、こいつを導く「光」である為に。
「帰るぞ、今更だが」
「うん、帰ろっかぁ」
御琴も普段の状態に戻り、一安心といったところか。
そして一つ、俺は決心した。
これから、心臓が停止する三月まで、毎日をなるべく充実させて生きる。少しでも多く、こいつらとの思い出を作るんだ。
高畠とも、渚との友情だって更に深めていく。滅多なことはしないが。
俺が生きる為にはこいつらが必要だ。残り約一年間、死ぬまで幸福な時間を送ってやる。
御琴も心配することが無いように、自立させる。自分の力で生きていける様に、導いてやるんだ。きっと、出来る。多分な。
義姉弟水入らずの時間を、楽しそうに笑うクソ神リムも恐らくこれを願っている筈だ。
わざとらしいんだよバカ神が。
「お姉さんで童貞卒業は、ちょっとエロい気がしますね!」
「あ、UFOだぞ御琴。ほらあそこ」
「え? 嘘。どこどこ?」
「どばぁっ!!」
御琴の注意を何も無い空に移し、背後の変態を蹴り飛ばす。これで暫くは大丈夫だろう。
真剣にUFOを探す御琴は、小さな子供みたいで可愛らしいものだった。
「見間違いだったみたいだな」
「何だぁ」
UFO、信じてるなよその歳で。
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