第6話 止まった成長

 七年前に別れた事を先に思い出してたら、渚の年齢も簡単に割り出せたよな。なんて少し自分に呆れたが、それ以上に渚に呆れた。


 渚は現在、俺のベッドに顔を埋めて鼻息を荒上げている。それを本人の眼の前で出来る辺り、度胸は一端のものなのだろう。


「そうそう、そのパンツは全裸になって試着させていただいたから、返すわけにはいかないわ」


「いや、もう穿けないから返さなくていいが、マジで何やってんだお前」


「あんた、全身に媚薬でも塗ってるのかしら? 傍に居るだけで興奮してしまうのだけど」


「鼻息荒いぞ」


 渚は興奮を冷ます様子もなく、布団に巻きついてこちらを覗いてる。

 少し涎が垂れていて、顔が赤く汗も浮き出ている。眼なんてハートマークが付いてる様にも錯覚出来るぞ。


 まさか幼馴染みが時折俺の下着を盗んでいたとは、もう安全な場所は残されていないな。

 そもそも、持ってものにエロ本とか探すのは、その類のものが嫌いだからだと決めつけていた。むしろ好きだったんだな。


 だとしても、今の状況は見過ごせない。

 何故なら、渚は今布団をしゃぶりつつもぞもぞと股間の辺りを動かしているのだから。


「待て渚! お前人のベッドの上で何してる!? やめろ!」


「あんっ、い、嫌よ。もう、もう後ちょっとで……んっ」


「やめろおおおおおおお!! 頼むから! な!」


 ベッドから降ろそうと布団を握り締め、不安が胸の内を通過した。

 もし、布団を剥いでそこに下半身を丸出しにしている渚が現れたらどうしよう。スカートは履いていても、あられもない姿なのは間違いないしな。


 そうなったら恐らく渚の思う壺だ。待つしか、ないのか……!?


「んんっ、ふっ、稔ぅ」


「……はい、ここに居ますけど」


「大好きぃっ」


「あざまーす」


「イッ……むぐぅっ!?」


「言わせない言わせないぞ」


 不貞腐れた様に膨れる渚の口元を右掌で覆う。下品過ぎるとこの作品が駄作になるだろうが。


 押さえつけても手のもぞもぞを止めない渚にキツイ視線を当てる──と、掌に擽ったい感覚が宿った。

 ザラザラとした温かく柔らかいものが、掌を湿らせた。


「お前舐めただろう!」


「美味しいよぉ。もっと、もっと、ね?」


「ズボンに手をかけるなああああああああ!!」


 凛とした渚はもう何処にも見られない。彼女は本当に制欲に負けた様だ。

 何てことだ、渚にはそうなってほしくなかった。


 それより、脱線し過ぎてすっかり忘却していたが、俺は彼女に幾つか疑問を抱いてるのだった。


「やめろ、渚! 話を戻そう! お前は何故死んだのに生きてる!? 話してくれそして放してくれ!」


 俺が必死こいて怒鳴ると、渚はズボンを下げようとする手を止めた。止めたけどまだ握っている。

 それから俺を潤んだ瞳の上目遣いで見つめ、子供の様な甘えた声で条件を提言した。


「じゃあ、エッチしてくれる? 稔」


 その条件は、最上級者向けだったのだがな。

 俺は普段作らぬ花吹雪を巻き起こしそうな満面の作り笑顔を見せた。つまり黙秘だ。


 納得がいかなかったのか、渚は俺の鳩尾を拳で射抜いた。様な痛みが来た。


「エッチしよ? エッチ。このベッドでエッチ。私と稔で甘々で激しいエッチしよ? 大っきいの私に頂戴?」


「どんだけエッチ連発すんだよ」


「したいもん。おち……むぐむぅっ!」


「言わせない言わせないぞったら言わせない」


 俺は渚をベッドに押さえつけたまま、部屋の扉へ視線を向けた。

 理由は、こんな状況でも構わず覗いたり勝手に入室したりする人間が三人程うちには居るからだ。不安でしかない。


 リムと居ても親父と居ても御琴と居ても、渚と居ても心労が酷い。なんだかんだで高畠が一番落ち着くぞ。たく。

 リム、お前は俺を癒すんじゃなかったのか? たった今癒して欲しいくらいだぞ。役に立たないな本当に。


「呼ばれて飛び出て……パンパカパーン!」


「今入っていいなんて言ってないわ!!」


「え、どうしたの? 稔」


「くっ、何でもない」


 タイミングを図ってやがったなクソ神。恐らく初めから一階に下りるつもりすらなく、部屋の前にでもこそこそと隠れていたのだろう。

 だからなのか、凄く卑しい目つきをしている。こんのクソ神絞めてやりたい。


「あらあら〜、稔様もピンチですねぇ。それに、取り乱しまくってますねぇ。見ものですねぇ」


 テメェぶん殴るぞこのゴミ屑クソ神! 入って来たは来たで、一層ストレスが増すだけなんだよ。

 こちとら渚を押さえるので精一杯だというのに。


「エッチしたげればいいじゃないですかぁ? ロリの身体を好きにして、甘々で激しく、イッチャイナヨYOU! 童貞捨てられますよ!」


 今の心境をオノマトペで表現するならこうだ。イライライライラブチブチィッ! つまり最大限まで切れかかっている。

 凄いぞリム。お前が部屋に入って来ただけで、俺の血圧が高くなっていると思われる。最低の癒しだ。


 俺の怒りを他所に、リムは口笛を吹きながらリズムに合わせて接近して来た。

 そして今度は背後からズボンに手をかけられた。


 先程と違って片手が塞がっているからそのまま降ろされてしまった。後で覚えておけよ、クソ神。


「さてと、避妊具はどこか──」


 リムが振り返った瞬間を狙い、後頭部を蹴り飛ばす。彼女は目を回した様だ。


「ねぇねぇ」


 袖をつんつんと引っ張られ、俺は渚の顔を窺う。変な奴って思われたのではないだろうか。

 そんな不安を抱きながらも目を合わせると、渚の全身が火照っているのが確認出来た。


 まさか、とは思うんだが──。


「私と、エッチしてくれるの? ねぇ、してくれるの? エッチ、しよ?」


「……っ!」


「きゃっ!」


 頭痛に襲われるのと渚を軽く突き飛ばすのが同時だった。

 丁度朝置き去りにしていたコップがあるので、それに水を少量だけ注ぎ、ベッドで目を丸くさせる渚にかけた。

 ベッドが濡れてしまうのはもう仕方がない。こうでもしなければ話が進まないからな。


「正気に戻ったか? 渚。早く続きを話せ。さもなければ俺は今すぐお前を外に放り捨てるぞ」


「ちょ、稔様それは流石に酷いと思います……ぶっ!」


 無言で見向きもせずにリムの顔面を叩く。

 再度目を回す死神に対して「弱いな」と心の隅で呆れつつも、渚から目を逸らさない。

 彼女は一度突き離さなければ、と考えたのだ。


 俺が一人で行っている(様に見えている)動作に多少戸惑ってはいる渚だが、本題はそこではない。

 濡れた身体に動揺を隠せない渚をじっと、凍る様な瞳で見下ろす。


 渚は、布団を漸く放り出した。スカートが捲れて一瞬だけ目撃してしったパンツがびしょびしょだったのは、見なかった事にしよう。


「そうね、そろそろ本題に入りましょうか。私が、死んだ後の不思議な体験を、語るとするわ」


 本調子を取り戻したらしい渚に心の底から安堵し、気が抜けて座り込んでしまった。

 幼馴染みにキツい態度を向けるのは、嫌なものだな。


「私はオナ◯◯してる最中、天井からすり抜けてこちらを無い瞳で見つめる死神に出逢ったわ。それが六年前の春ね」


「目が無い死神!? 怖いですねぇ……」


 心の中でツッコミを入れることにした。骨じゃないお前がおかしいんじゃないのか? クソ神。


 勿論リムの姿も声も感じれない渚は、淡々と言葉を連ねて行く。

 自分が死んだ時を話す割には、余りにも表情の変化は見られず、感情も一定のままに見えた。


「死神は肉一つ無い指先を私に向け、『お前は数分後に死ぬ。やり残した事でもしていろ』と。それで私は妄想に耽たのだけど」


「もっと他に無かったのか」


「稔とエッチする事が私の夢だもの」


「……」


 訊かなければ良かった、と後悔している。

 夢が性行為だとは、少々引いてしまうぞ。渚。もっと一般的な夢を持て。


 だが、まだここで話は終わりではない。この後渚が妄想に耽たまま命を落とすのだろうが、疑問点がパッと二箇所浮かび上がる。


「お前の死因は何だ? 俺は心肺停止らしいが」


 ん? 俺も詳細分かっていないな。まあ後で訊くか。


「私は、心臓麻痺、だったかしら?」


「そうか、ならもう一つ。死んだ瞬間の事を、何故お前が記憶出来ている? それが今肉体が残されているのと関係しているのか?」


 更なる疑問を吹っかけると、渚は難しい表情を浮かべ、口元に拳を置いた。

 彼女自身もよく分かっていないのか、記憶を掘り返しているのかは知り得ないが。


 数秒の間は、渚の深呼吸の音で中断された。

 渚は脚をパタパタと揺らしながら、再び事の説明に戻って行く。


「恐らく、関係しているでしょうね。簡単に言うと、とかかしらね。何故かは不明だけれど」


「魂が消滅しなかった? だとしたどうなっているんだ」


「私もよく分かりませんね。死神の失敗でそうはなりませんし……」


 この場にいる誰もが解明出来ない謎が飛び出してきたが、不明な点を何の知識も無く解明していこうなんて不可能だしな。これについては追求は要らないな。


 そして、渚の語る謎の死は最重要点に到達した。


「私は魂のままなのか、自分自身が確認出来た為、元に戻ってみたの。そうしたら再起動した、という訳よ」


「再起動って……機械みたいですね」


 死神は魂を転生させなかったのか? だとしても、一生のお別れでなくて安心したが。まぁ今目の前に居るし。


 これにて渚からの説明は終わりでお開きにしようとしたらしいが、俺は彼女の右腕を強く掴んで扉に向かう脚を止めた。

 まだ、判明していないことがあるんだよ。


「その場で復活しているなら、お前は何故六年間俺達に姿を見せなかったんだよ。渚」


 彼女の脈が少しだけ慌ただしくなっているのが掌から伝わって来る。焦っているのだろうか。

 頑としてこちらに視線を向けない渚を見下ろす。


 交差する様に立ち位置が決まり、腕を掴むなら殆ど目線的に違和感は無い筈なんだ。歳の差二歳だし。

 だが、俺の身長で小学生並みの身長の渚の腕を掴むと、持ち上がってしまうんだよな。自然と。


 どちらもクールを装っていたとしても、微塵も格好良さを感じられない。


「六年間、何してたのか答えろ」


「……必要無いわ」


「有るんだよ。俺が知りたい」


「私は興味無いわ」


「高校卒業したらその、何だ。性行為してやるかも知れないぞ」


「本当っ!?」


 眩しい程に瞳を輝かせて振り向いて来た。

 そんなにやりたいのかコイツは。


 まあ、何かメモ帳に綺麗に台詞を丸写ししているが、言質を取ったぞ、という脅しなのだろうか。

 だが残念ながらその言質は無意味だぞ。『かも』という文字まで書き込んでしまっているからな。正直嘘だ。


 俺は性行為など興味無い。そんな事してる暇が有るのなら一人暮らしを始める為に仕事に勤しむ。そして勉強に費やす。

 俺は完璧な自己中心的な人間だからな。何故好かれるのか疑問だ。


「そうね、いつか美味しくいただけるのなら、説明も無駄ではないかも知れないわね」


 何を美味しくいただけるのかは不明な点だが、残念ながら無駄だな。俺にとっては無駄では無いが、隠し通そうと頑なに口を開かなかったお前に利益は無い。


「私は六年間、ニートになっていただけよ」


「偉そうに言う事ではないと思うな。うん」


 仁王立ちで腰に手を当てる渚に無表情でツッコミを入れる。

 まさか、六年間外出すらしていなかったというのだろうか? ニートが二人この部屋に居るというのか?


 間違えた。俺はニートではなかったな。半引き篭もりだ。


「日々、稔の写真を眺めては自慰行為に明け暮れ、舐める練習もしたし、アダルトなDVDだって鑑賞しては稔と私に変換して妄想したわ。勿論、エッチな漫画や小説だって一日十時間程読んだし、スタイル向上を目指して色々試したりした」


「この人、六年間無駄にした様だな」


「──それでも、ダメだったのよ」


「ん?」


 渚は突如、声のトーンを落とした。

 悔しさに打ち勝とうとする様に、拳を震わせている。何処か、哀しそうな表情で。


 腕を放し、渚の正面に屈んでみる。

 意図してた訳ではないが、高校生と名乗るにはやはり未発達な体躯をしている。


 声変わりはしていないようだが、まあ元から低めだしいいだろう。

 全体的に見て細過ぎる。筋肉だって充分とはとても言えない。瞳は大きいし、女性にしては胸部の成長が見られない。

 高校生辺りになれば、括れも作られていると思われるのだが、それも無い。


 まず、身長が異常な程低いのだ。


「お前もしかして、身体が成長しないのか……?」


 衝撃を受けながら、自然と口が動いてしまった。殴られるのではないだろうか。


 身構えていると、何時ぞやの鉄拳は飛んで来なかった。

 恐る恐る渚の顔を覗き込んでみると、藍の瞳から大粒の涙が溢れ出していた。頬を伝い、シャープな顎先から哀しみを込めて落ちて行く。


 普段知る事の出来なかった幼馴染みの悔し涙に、俺の心は虚ろに飲まれていた。


「本当に、か……?」


「そう、よっ。私はあんたに……近づけもしないの。ずっとずっと、小学生の、身体のままなのよ……! ふぅ……っ」


「そんな……」


 俺よりも、先にリムが同情したらしい。何故か彼女まで釣られて泣いている。

 分からない、感情だ。好きな人に近づく道が一生閉ざされてしまった人間の気持ち。俺には到底、理解も出来ない。


 恋なんてした事がない。恋をしたとしても、この世で誰も、渚の心中を理解することなど不可能なのだろう。


「そう、か。悪い。ごめんな、渚」


「ふぅっ、くぅぅ、ううぅ……っ!」


 俺の謝罪に何の意味が生まれるのか、何も無いのかもまで不明だが、そっと渚を抱き寄せた。

 小さな身体を震わせて溢れ出す涙を堪えようと声を殺す、成長が一生止まってしまった身体を。



 ──夜飯の為にリビングに集合した時、渚は元の高貴な雰囲気を纏わせていた。何とか落ち着いた様だ。


 まさか身近に死神と出逢った人間が居て、悲惨な人生を送っていたとは。


 俺では渚の全てを背負ってやれない。すぐに天に旅立ってしまうからな。

 どうか他に良い人を見つけてくれる事を祈るしかないな。渚の運命を受け入れてくれる人を。



「ここまでで良いのか?」


「ええ、送ってくれてありがとう。稔にはまだ家を知られたくないの」


「ずっと疑問だったんだが、何でだよ」


「いえ、そうね……R18で埋め尽くされているから、かしら」


「あ、知りたくなくなったわ。じゃあ、またな」


「そう? うん、また」


 街灯のある表通りまで渚を送り、彼女の後ろ姿が闇に溶けるまで見送った。

 ──また、な。

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