第二章 赤き賢者レッドとして
1.授業中のこと
学園に入学して三ヶ月が経過した。
僕の学業成績は、相も変わらず。基礎身体能力を向上させるため、体育系の科目はそれなりに取り組んでいるが、それ以外は平均を計算して下回るようにした。
その頑張りに加えて、騎士団員の息子という目立たない肩書きも相まって、僕は見事にクラスメイトEくらいの存在になれたのだ。
さて、そんな充実した日々を送っていたところ。
その出来事は、歴史学の授業中に起きた。
「えー、このように。かの『賢王』と名高いアインツヴァイ・ガリア・ヘーデルバイト様は、大賢者ヴィクトル・アレクサンドロス様と共に、あらゆる改革をしていきました。この学園の創設に始まり、新規魔法式――いわゆるヴィクトル式による魔道具の開発など……」
担当の教員が、教科書片手にこの国の発展についてを述べている。
だがしかし、僕にとってその範囲は教科書よりも詳しく知っていた。なんなら一部訂正を入れたくなるほどで、例えばこの――。
「えー……? アインツが『賢王』って、何の冗談だよ……」
――歴代国王についての記述。
とりわけ、前世の自分と同じ時を生きていた奴らについてだった。
少なくとも僕の知るアインツヴァイ・ガリア・ヘーデルバイトという人物は、この本に書いてあるような『賢王』との呼び名から程遠い人物。『暴君』だった。
「納期ギリギリの指示を出したり、勝手に人の名前で事業を開始したり……」
幼馴染みだったということもあってか、彼はこちらに遠慮などなかった。
たまにこっちが我慢の限界を迎えたとしても、
『てへっ! 今度から気をつけるから許してちょ?』
などと言って、こちらの怒りの感情を削ぐだった。
そんな旧友――悪友といった方が正しいであろう人物が、教科書に載り『賢王』と呼ばれているのだ。さしもの僕も、これには苦笑いである。
もっとも、今の世界の常識にとやかく口出しするつもりはない。
ないのだが。いや、しかしこれは――ないな。
「まぁ、これくらいで勘弁してやるか……」
僕はそう小さく漏らしながら、アインツの写真に鼻毛を書き足した。
なんだかんだ不仲だったというわけでもないし。それにもう、過去のことだ。
僕は僕で、もうすでにリード・シルフドという生を謳歌している。きっと天国であいつも、穏やかに見守ってくれているに違いなかった。
「では、今日はこの国の王室について……より詳しいゲストを招いている」
「ん、ゲストだって……?」
と、そんなことを考えていた時だ。
担任が教科書を閉じて、ちらりと教室の外に目をやった。そして言う。
「どうやら、到着されたようですね。では、お入りください――」
やけに畏まった声色で。
「クリスティナ・ガリア・ヘーデルバイト様」――と。
教室内が騒然とする。
それもそのはず。いま担任の口にした名は王族のそれであり、扉を開いて中に入ってきた人物は、誰もが知るであろう者だったのだから。
「みなさん、ごきげんよう」
その人は黒板の前までやってきて、静かに礼をして言った。
肩口で切り揃えられた真紅の髪、勝ち気な印象を抱かせる顔立ちを柔らかく、かつ優雅な印象に変える瑠璃色の瞳。年不相応に成熟した身体を学園の制服に包み、胸には上級生であることを示す青のエンブレムがあった。
絶世の美女――そう表現しても違和感のない、そんな女性。
彼女は、表情をあまり変えずにこう告げた。
「ご紹介に預かりました。私がクリスティナ――栄光あるこのガリアの王女です」
◆◇◆
「いや~、それにしても驚いたねぇ。リードくん!」
「ん、あぁ……そうだね」
休み時間になり、いの一番そう声をかけてきたのは隣の席のクリンだった。
彼はその坊主頭を撫でながら、どこかウットリした表情である方向を見つめている。言わずもがな、そこにいる人物は王女クリスティナだ。
クリスティナはいま、下級生たちから質問攻めにあっていた。
「まさか、国王の一人娘であるクリスティナ様がきて下さるなんて! 担任のプレーン先生も、粋なことをしてくれるってもんだねぇ!」
「やけにテンションが高いんだね。クリンくん……」
僕は鼻息荒い彼に軽く引きながら、そう言う。
するとクリンは、目をカッと見開いて僕にだけ聞こえる声で語るのだった。
「なにを言ってるんだ、リードくん! クリスティナ様といったら、王族であることも去ることながら、この学園のアイドルとして有名な方だよ!?」
「そ、そうなんだ。そりゃ凄いね……」
なるほど、そういうことか。
それだとすれば、さっきのようにクラスが騒然としたのも理解できた。とにもかくにも、アインツの子孫はご立派になっているらしい。
そのことを感慨深く思いつつ、ふとクリンに訊ねる。
「そんなに身悶えしてるなら、話しかけに行けばいいのに」――と。
この少年、どう見てもクリスティナのファンである。
そう思って言ったのだが、返ってきたのはこんな言葉だった。
「な、なななななななな、なにを言うんだね、リードくん! 俺をあんな有象無象のミーハーと一緒にしないでくれたまえっ!!」
あ――こいつ、拗らせてるな?
僕は声を裏返らせるクリンを冷たい目で見ながら、笑いをこらえた。その時だ。
「凄いねぇ、クリスティナ様」
「あ、ステラさん」
ステラが、僕たちのところにやってきてそう言ったのは。
少女は王女様の方を見ながら、ほんの少し残念そうに口にした。
「ステラさんも、あの人とお話したいクチだったりするの?」
「ううん。私の場合、ちょっとした挨拶を、と思ったんだけど……」
「挨拶?」
僕の問いかけに、何やらステラは曖昧な返答。
それに少しだけ首を傾げたが、とりあえず今は考えないことにした。とにもかくにも、王族なんて今の僕には関係ない。目立たず静かに、リード・シルフドは生きるのだ。――と。そう思って、次の授業の準備をしようとした、その時だった。
「すみません。貴女が、ステラ・カラハッドさん……ですか?」
そう、ステラに声をかける人物があったのは。
僕は下に向けていた視線を持ち上げて、その声の主を見た。そして、
「……え?」
思わず、硬直してしまった。
何故ならこちらに向かって立っていたのは、紛れもない王女様だったのだから。
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