五章 月とローレライ

01

 ヴェルゼアリアのローレライ。それはアリア岬に現れては歌を歌い、男を魅了する女の亡霊。魅了された男は海の底に引きずり込まれると言われた正体不明の魔物。

 ウィリアムの口から零れたかつての呼び名は、アメリアの耳には届いてなかった。

 アメリアの口から紡がれたのは、もう歌わないであろうと思っていた故郷の歌。もう歌で誰も傷つけない。もう狂った誰かの姿は見たくないと思っていた。

(でも…………)

 冷たくなった彼の姿が脳裏のうりに浮かびあがり、アメリアは拳を握りしめた。

(私は、クロのために……!)

 共鳴石にかかった魔法が、アメリアの歌声に呼応する。そして歌声に、旋律に、アメリアは力任せに魔力を乗せた。

 瞼を閉じて世界が見えなくなっても、兵士たちの叫び声と剣戟けんげきの音が耳に届き、昔の光景を思い出した。喉を掻きむしりそうになった手を抑え、その声に力を込めた。

 トーマスとフローディアが遠くへ逃げられるように願いを込めて必死に旋律を紡ぐ。しかし、そのせいで、誰かが近づいてきた事に気づかなかった。

「───……あぐっ!」

 突然、喉を掴まれ、アメリアは目を開けた。

「この…………化け物めっ!」

 それはウィリアムだった。殺意が込められた目でアメリアを睨みつけていた。

「黒猫だけでなく、まさかヴェルゼアリアのローレライまで…………とんだ化け物の宝庫だ……」

「うぐっ……!」

 アメリアの首にかけられた手に力が込められていく。

「死ね! ローレライ!」

 血走った目を向けられ、アメリアは頭に血が上っていく感覚に襲われた。

「うっ!」

 息ができなくなり、意識が遠のいていく。アメリアの目から一筋の涙が流れた。

(クロ…………クロ……)

 意識が遠のいていく中で、彼の名前を呼んだ。

 その時だった。

 アメリアの髪飾りから閃光が放たれ、大きな破裂音がウィリアムの耳を貫いた。

「うっ!」

 視界と平衡感覚を失ったウィリアムはアメリアから手を放した。

「クソッ! どこだ! どこ行ったローレライ!」

 ふらふらとしながら彼は声を荒上げアメリアを探す。

 倒れたアメリアはぼんやりする頭で散らばった髪飾りの欠片を見た。

『絶対に失くすなよ』

 そう彼が言った言葉を思い出し、その欠片を握りしめた。

「化け物! この化け物がっ!」

 感覚を取り戻しつつあるウィリアムが再びアメリアに手を伸ばした。

「おい…………」

 聞こえるはずのない声が聞こえ、目を見開いたウィリアムは弾かれたように振り返った。

「アメリアから離れろ……」

「なっ……!」

 目の前には金色に輝く二つの満月が、ウィリアムを睨みつけていた。

「聞こえなかったか? 離れろっていってんだよ」

 ウィリアムは亡霊を見るような目でその月を指さした。

「な、なっ! なぜ貴様が…………なぜ、生きているんだ!」

 ウィリアムがようやく絞り出した言葉に、月は嘲笑った。

 アメリアはぼやけた視界の中で、その月を探した。ぼんやりと浮かんだ月を見上げ、涙をこぼした。

「く…………ろ………」

 そう、目の前にいるのはウィリアムに刺されたはずのクロノスだった。ウィリアムは生きているはずのないクロノスを見て、声を荒上げた。

「なんで貴様が生きている! そうか亡霊か! ローレライが見せる幻覚だ! そうだ!」

 近くにあった大きな石でクロノスを殴りつけた。

「死ね! 死ねよ! そして、僕の目の前から消えろ! 消えろ! きえ…………」

 クロノスがその腕を掴み、金色の目がウィリアムを捉え、小さく悲鳴を上げた。

「もう十分か?」

 嘲笑うように言ったクロノスは、握りしめた拳をウィリアムの顔に殴りつけた。

 倒れたウィリアムは冷たく見下ろすクロノスを怯えた目で見つめた。

「なんで……なんで生きてるんだよぉ! 死んだんだろ! なんで、なんで生きてるんだよ!」

「さぁな? それはオレも聞きてぇよ!」

 再びクロノスの拳がウィリアムの顔面に入った。そして、胸倉を掴んで起き上がらせる。

「彼の英雄は背中を刺されて死んだが、どうやらオレは背中から刺されても死なないようだ」

 その声はどこか英雄を羨んでいるようにも聞こえる。クロノスは不敵に笑った。

「一つ教えてやるよ。オレが死を呼ぶって呼ばれていたのは、オレより先に死んでいくからだ。魔物も、同業者も……そして……」

 クロノスは血まみれで倒れた兵士たちを見回した。

「どうやら、今回も先に死んでいったみたいだな……最後は、お前だ。ウィリアム!」

「ひっ!」

 ウィリアムの口から情けない声が漏れ出た。

「や、やめっ! あ………」

 再びクロノスが拳を振り上げた、その時だった。

「殿下から手を放しなさい、黒猫」

 凛とした声が聞こえ、クロノスはその拳を下ろした。

 コツコツと足音がこちらに近づいてくる。

 それは一人の女性だった。帽子の中に髪をしまい込み、コートの下にはシャツとベストという軽装。腰には細身の体に不釣り合いな剣を吊るしていた。

「なんだ、お前……」

「黒猫、と呼ぶのはいささか失礼でしたね」

 彼女は帽子を脱ぐと、長い紫色の髪が流れ落ちた。長い前髪のせいで表情はわかりにくいが、その声は落ち着いていた。

 彼女を見たウィリアムが大きく目を見開いた。

「ベル副将軍!」

「副将軍?」

 ウィリアムの言葉に、クロノスは顔をしかめた。彼女の姿は騎士には見えない。あの細身の体格では剣もまともに振るえないだろう。

「助けてくれっ! この化け物に襲われたんだ!」

「テメェ!」

 この期に及んでまだそんなことをいうのかと、クロノスが睨んだ時だった。

 クロノスの体が宙に浮いた。

「——失礼、もう一度言いますね」

 ちらりと見えた赤い目が、クロノスを見上げていた。

「その手を放しなさい」

 腹部に重い一撃を食らい、後方に投げ飛ばされたクロノスは、地面を転がった。

「かはっ……!」

 口から血を吐き出し、腹部に激しい痛みがクロノスを襲った。

(やっべ……折れた……? 他にもやられたっぽい)

 クロノスが見上げると、ベルと呼ばれた女性はウィリアムの元へ向かっていた。

 彼はベルを見て、安心しきった顔をしている。

「助かった、ベル副将軍……さぁ、あの男とそこにいる女も捕らえるんだ……あのドラゴンも…………」

 ウィリアムがそういうと、彼女は小さく首を振った。

「いえ、その必要はありません」

 彼女の後方から鎧を纏った兵士たちが現れ、ウィリアムは身を固くした。

「ウィリアム殿下、兄であるアルフレッド殿下の暗殺を企て、そして一般市民の殺害未遂により、身柄を拘束させてもらいます」

「なっ!」

「ラケル、ウィリアム殿下を連れていきなさい。他の者は生きている人間の手当てを……」

 ベルは指示を出していき、クロノスのところに足を運んだ。

「先ほどは失礼をしました。生きていますか?」

「ふざけろ……何が失礼しましただ……この馬鹿力女……」

 女と侮っていたクロノスも悪いが、クロノス相手でなかったら死んでいるレベルだ。彼女はふっと笑う。

「貴方が噂通りの黒猫であるなら、この程度では死なないでしょう? アルフレッド殿下は?」

 クロノスは文字通り、血反吐を吐きながら指をさした。

「あのでかいドラゴンだよ……さっさとヴェルゼ侯爵んとこ連れてけ」

「ええ、ありがとうございます」

 ベルはそう言って、アルフレッドの元へ早足で向かって行った。

(クッソ、オレは放置か……)

 痛みに耐えながら傷が癒えるのを待つが、その痛みのせいで意識が飛びそうになる。

 視界が暗くなっていく最中、温かいものがクロノスを包んだ。それをぼんやりと感じながら、クロノスは目を閉じた。



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