06

 古城でアルフレッドの咆哮ほうこうとどろくと同時にバルコニーから彼は崩れ落ちた。そして動けなくなったトーマスを抱えたクロノスが声を低くして言った。

「おいおい、話と違うぞ……?」

 クロノスの視線の先には、魔法書を手にしたウィリアムの姿があった。

「話が違う? それはこちらのセリフです、クロノス殿。リヴィル令嬢をいったいどこに隠したんですか?」

 あの時、彼は隠し持っていた魔法書を利用し、三人の身動きを封じようとした。クロノスはその魔法から逃れることはできたが、アルフレッドとトーマスはその魔法を受けてしまったのだ。

「さぁね? どの王子様にも愛想尽かして、逃げたんじゃないですかね?」

 クロノスが挑発的な笑みを浮かべて言うと、ウィリアムの手にある魔法書が光った。光の刃がクロノスに目掛けて飛んでいき、クロノスは手で払うようにして刃を逸らす。その刃は地面を抉り、砂ぼこりが舞った。

 それを見たウィリアムが舌打ちをする。

「まさか魔法を使える相手が彼女の護衛にいるなんて大誤算でしたよ……それも黒猫だなんてね!」

「ははっ……お褒めの言葉賜り光栄です、ウィリアム殿下……おっと」

 再び飛んできた光の刃を弾くと、ウィリアムは鋭い眼差しでクロノスを睨みつけた。

「減らず口を。アメリアさんは私の兵士と一緒にいるのですよ?」

 しかし、クロノスはにっと笑って見せる。彼らが何度もクロノス達からアメリアを引き離そうとしていたのは分かっていた。彼女を逃がす為の策は用意し、今頃フローディアと合流しているはずだ。

「ははっ、アメリアを人質にできるもんならやってみろよ。アイツは何が何でも逃げ切るからよ」

「そうだとしても、いくら貴殿でもドラゴンになった兄上と動けないトーマスを抱えて逃げるのは無理でしょう」

 クロノスはトーマスとアルフレッドを見た。二人ともウィリアムの魔法で体が痺れ、動けない状況だった。ウィリアムが魔法を使えるのはこちらも誤算だった。

「す……すみま……せん…………クロ……ノスさん…………」

「大丈夫だ、なんとかしてやるから」

 正直、アメリアのことは心配していない。しかし、この状況を打破できるだけの策はない。

 それを悟ってか、ウィリアムは不敵に笑った。

「いくら黒猫と呼ばれた貴殿もここでおしまいです。たとえ、貴殿がリヴィル令嬢の場所を教えなくても探せばいいだけです」

 ウィリアムの後ろで控えていた近衛たちが剣を構えた。そして、彼らに合図を送ろうとした時だった。

「やめてください!」

 全員がその声の主の方へ目を向けた。しかし、その姿は見えない。

「殿下! これ以上はおやめください!」

 姿こそは見えないが、その声はフローディアのものだ。皆が彼女の姿を探すが、彼女の姿は全く見えなかった。

「リヴィル令嬢! いったいどこに⁉」

「私は、ここです!」

 その声と共に両手を広げてクロノス達の前に現れたのは、アメリアとフローディアだった。

 二人の姿を見て、クロノスは目を見開いた。アメリアは罪悪感と不安でいっぱいになった目でクロノスを見つめた。

「クロ、ごめんね……」

「ばっ……お前っ!」

 今にも泣きそうなアメリアの顔を見て、それ以上の言葉は抑え込んだ。

 ウィリアムも突然彼女が姿を現したことに驚いていたが、その表情は少し緩んでいた。

 フローディアの目は真っすぐとウィリアムを見つめている。しかし、彼女の唇は震えていた。

「本当にアルフレッド殿下を殺めるのですか、ウィリアム殿下…………」

 震えた声でそういうと、ウィリアムはどこか嬉しそうに言った。

「ええ。むしろ、君は不満じゃないのか? 兄上は君を想い人と重ねてプロポーズをしたんだよ? 本当は君のことなんて愛してない」

「それは…………」

 言い淀むフローディアに、彼はさらに畳みかけた。

「でも、僕は心から君を愛することができる。兄上がいなければ、次期王は僕だ。政略結婚であるなら、不満のない地位だ」

 彼はそう言って、フローディアに手を差し出した。

「君が望むなら、彼らを逃がしてあげてもいい。フローディア、僕の手を取ってくれ」

 彼の言葉を聞いて、彼女は震える手を握った。

「たしかに、私は身代わりなのかもしれません。貴方は、私を愛してくれるのだとしても…………私は、人を殺めようとする貴方を愛することはできません」

 その目は真っすぐにウィリアムを見ていた。

 彼は唇を噛みしめて、フローディアを睨みつけた。

「君も、兄上を選ぶ。みんな…………」

 ウィリアムが剣を抜き、それを振り上げた。

「みんな、兄上ばかり!」

 フローディアに向かって振り下ろされようとした時、彼女の目の前に黒い影が飛び出した。

 真っ赤な血が飛び散った。重い物が落ちるような音がし、アメリアは目の前で起きたことが理解できなかった。

「ク……ロ…………?」

 それはたった一瞬の出来事だった。斬られそうになったフローディアを突き飛ばし、代わりに彼が刃を受けたのだ。倒れた彼の周りに真っ赤な血だまりが広がっていく。

 ピクリと彼の指が動き、浅く呼吸をしていたのが見えた。

「あめ…………りあ……」

「クロ……っ!」

 アメリアがクロノスに近づこうとした時、ウィリアムが持っていた剣をクロノスの胸に突き立てた。

「っ!」

 今度こそ、完全にクロノスの動きが止まったのを見て、ゆっくりと剣が引き抜かれた。

 クロノスの体から引き抜かれた剣は真っ赤に染まり、血が滴り落ちている。アメリアは目の前の光景に大きく目を見開いた。

「クロ…………クロっ!」

 アメリアは叫ぶように彼の名前を呼び、すぐさまクロノスに駆け寄る。

「クロ……ウソでしょ? ねぇ、クロ…………クロ…………」

 返事をしないクロノスに、アメリアは震えた手でクロノスの手を取った。

「ねぇ、クロ……いやだ…………クロ……お願い……返事して…………!」

 動かなくなったクロノスを見て、ウィリアムが笑みをこぼした。

「ははっ! ははっ! 何が死を呼ぶ黒猫だよ! 自分が死んでるんじゃないか!」

「てめぇ!」

 ようやく動けるようになったトーマスがウィリアムを体当たりで突き飛ばした。

「トーマス!」

「王子だと思って黙って聞いていれば……自分勝手なことを並べやがって……」

 重たそうに体を動かしながら、トーマスはアメリアに目をやる。ずっとクロノスの名前を呼び続けるアメリアにトーマスは唇を噛みしめた。

「貴様、トーマス!」

 起き上がったウィリアムがトーマスを睨みつけた。

「田舎者がこの僕に…………っ!」

 再び、血に濡れた剣を持つ手に力が込められた。

 完全に頭に血が昇っているウィリアムにトーマスは睨みつける事しか出来なかった。

 たとえ、トーマスが彼女達を逃がしたとしてもすぐに捕らえられてしまい、命の保証がない。

 今、まさに背水の陣の状態だった。

「殺す……貴様は絶対に……」

「許さない…………」

 一瞬だけ、周囲に沈黙が流れた。その不自然な沈黙の原因が、ウィリアムを睨んでいた。

「許さない…………」

 再びその声は、静かに木霊した。

「絶対に、許さない…………」

 それはアメリアのものだった。

 声はとても静かであるのに、誰もがその声に寒気を覚えた。

「よくも…………よくも! クロを……!」

 立ち上がったアメリアの目には怒りの色が浮かぶ。

「私は、貴方たちを絶対に許しません……」

 アメリアの感情に応えるように、ざわざわと木々が不安げにいだ。不自然な静けさと、ひしひしと伝わってくるアメリアへの不気味さにウィリアムはそれにたじろぎそうになったが、嘲笑うようにいった。

「何が許さないだ……何もできない町娘のくせに……お前達、フローディア以外はみんな殺せ!」

 そうウィリアムは言ったが、それでもアメリアは怯むことはなかった。

「トーマスさん……お願いがあります」

「え……?」

を付けて……フローディアと逃げてください」

 そういうとクロノスからもらった石を握りしめたアメリアは、目を閉じて大きく息を吸い込んだ。

「─────」

 アメリアの声があたりに木霊する。

 アメリアのその声を聞いて、トーマスは呆然とする。

「これは……」

「……歌?」

 それは異国の言葉でつむがれた歌だった。静かに木霊するその旋律は懐かしさを感じさせ、聞いた者の動きを止めた。

 その歌声に反応し、アメリアが持っていた石が砕け散った。それを見たトーマスはハッと我に返り、ポケットに入っていたあれを取り出す。

 砕けた石は宙に舞い、近くにあった共鳴石が輝きだした。

 ヴゥンッと唸るような低い音を立てて共鳴石が、次々と光りだして点滅する。

「な、なんだ⁉ 何が起きているんだ! いっ……!」

 急に点滅し出した共鳴石に不安を抱いたウィリアムは、急に痛み出した頭を押さえる。

 まるで鈍器で殴られたような痛みに困惑していると、彼の近くで叫び声が上がった。

「うわぁあああああああああああああああっ!」

 叫び声と共に一人の兵士が倒れ込んだ。

 叫び声を上げたのは震えた手で剣を握っていた兵士だった。彼は倒れた仲間の血が広がっていくのを見て絶句している。

「ちがっ……オレは! オレは化け物を……コイツを殺そうとしたんじゃなくて……」

 そして、震えた声でそういう彼は顔を上げる。そして、再び怯えたような目を仲間達に向けた。

「ば、化け物……化け物っ! あぁっ……助けてくれ! オレは化け物を殺して……」

「おい、一体どうした……うっ!」

 何かに怯え助けを乞う部下にアグロが近づこうとした時、後ろにいた仲間に背後から斬りつけられた。

「あぁあああああああああああああああっ!」

 さらなる叫び声と血飛沫が上がる。

「ば、化け物! 来るなっ!」

「わぁああああああっ! 助けて! 殺さないでくれ!」

 次々と錯乱した兵士たちが仲間同士で殺し合いを始める。

 叫び声と剣戟けんげきの音があたりに響き、地面をあっという間に真っ赤に染め上げた。

「一体……何が起こっているんだ……?」

 あまりにも唐突に始まった殺し合いに、トーマスは理解が追いつかない。これはただの仲違いによる物ではない。

 一種のパニック状態、集団ヒステリーのような光景だった。

「何? 何が起きているのですか?」

「見てはいけません…………」

 クロノスから事前にもらっていた耳栓を付けたトーマスは、フローディアを抱きしめ、その光景を見せないようにしていた。

 しかし、トーマスはその地獄絵図のような光景に目が釘付けになった。

「お嬢様、ここから離れます。このままでは巻き込まれます」

「でも、アメリアは……!」

「いいから! 早く!」

 トーマスはフローディアの手を引いて走り出した。ウィリアムは痛む頭を押さえながらアメリアを睨みつけた。

「そうか……この歌声……ローレライかっ!」

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