07

「おはよう!」

「おはよう、アメリア」

 店には朝食を摂っているジェシカとフローディア、トーマスがいる。

 フローディアはもちろんドレスではなく、アメリアの服を着ている。さすがにドレス姿で歩くわけにはいかないので、ドレスは後日届けることにして、彼らの持ち物は簡単なものだ。

 フローディアは食べ物と護身用のナイフ。これはクロノスが用意したもので、何かに襲われた時に相手を牽制けんせいするためのものだ。振りやすいように重みがなく、腰に吊るしている。トーマスも元々持っていた剣以外に特に大きい荷物はない。クロノスがテントや寝袋などを持っていってくれるという話だが、猫の姿であの大道具をどう用意するのかが謎だ。もちろん、今の彼は何も持っていない。

 アメリアもクロノスも朝食を済ませると、トーマスとフローディアと共に店の外に出た。朝のひんやりとした空気を肺いっぱいに吸い込み、身が引き締まる思いだった。見送りに来たジェシカはアメリアに袋を渡した。

「これ、昼食のサンドウィッチね。それとお水とか干し肉もあるからね。クロノ……クロの分まであるから」

「にゃー!」

 ジェシカがフードにいるクロノスを見て言うと、クロノスは猫らしい声で返事をする。

 猫姿のクロノスを都までクロと呼ぶことになるが、元々クロノスの事をクロと呼んでいるアメリアにとってややこしいことこの上ない。

「そうそう、クロノスがこれを持っていってくれって」

「何? これ?」

 短い棒のようなものを渡され、アメリアは首を傾げる。

「釣竿って言ってたわ。折り畳み式らしいけど、釣り糸と針はこの袋ね」

 そういえば、彼がアリア岬に着いたら釣りをすると言っていたような気もする。折り畳み式の釣り竿は意外にも重みがなかった。

「はーい」

 アメリアはそれを受け取り、ショルダーにしまう。いよいよ出発になり、トーマスとフローディアが頭を下げた。

「ジェシカさん、レイシーさん。お世話になりました」

「ぜひ、お礼に行きます」

「お二人も気を付けて」

 二人に見送られ、アメリアたちは歩き出した。ヴェルゼから出てると石畳だった道は途切れ、踏み固められた地面に変わる。街の周りには自然の多いが、街の人はその奥まで足を踏み入れる事はない。畑の数が少なくなり、徐々に木々が増えていく。

「アメリアさん」

 街を出てすぐ、トーマスがアメリアに声を掛けた。

「はい?」

「荷物、持ちます。そんな大きい荷物、重いでしょう?」

 彼の肩には、フローディアが持っていた小さな荷物をさげていた。本人の荷物も少ないとはいえ、いくら男でもさすがに持ちすぎだろう。

「いえ、さすがに悪いですよ」

「普段はもっと重いものを持ったりしているので、身が軽いと落ち着かないんです。それに紳士として、女性に重い荷物を持たせて歩かせるわけにはいかないですから……」

「す……すみません」

「いいえ、私の我儘わがままですから」

 アメリアはトーマスの厚意に甘えて、ショルダーバックを渡す。

 トーマスはそれを受け取ると、少し驚いたように目を見開いた。

「どうしました?」

「いえ、なんでもないです。さ、行きましょう」

「はい?」

 申し訳ないと思いながら、身が軽くなったアメリアは歩き出した。

 次第に辺りは背の高い草と木々が生い茂り、あっという間に森の入り口に着いた。ヴェルゼの森は、あまり人が入らないので道が大分荒れている。わだちの跡もなく、道幅は一人ほどしかない。頭上は木の葉で空が覆われており、木漏れ日が地面を静かに彩っていた。

 アメリアもクロノスもフローディアの体力を心配していたが、それは杞憂きゆうだった。

「わあ~! この森は綺麗ですね!」

 疲れるどころか元気に歩き回っている。お嬢様なので森を歩くのが新鮮なのだろう。まるでその様子は貴族の令嬢ではなく、子どものような無邪気さだった。

「危険な森と聞いていたので、もっとおどろおどろしい場所かと思っていました!」

 目をらんらんと輝かせてフローディアは言い、元気に歩いて行く。

 確かに、クロノスから聞くまで危険な場所だと思っていたが、その穏やかさにアメリアも驚いた。時折小さな魔物が顔を出すも、アメリア達に驚いて逃げていくばかりだ。静かに安堵も漏らしていると、トーマスが口を開いた。

「そういえば、アメリアさんはこの森の事は知ってますか?」

 唐突に話しかけられたアメリアは少し驚きながらも頷く。

「はい、よくクロが散歩に行っているので話は聞いています」

「それは良かった。ヴェルゼは山と海に囲まれた所なので都では秘境扱いなんですよ」

 ヴェルゼは山と海に囲まれた街だ。周りをベル山で囲まれ、海は岩礁が多く、霧が発生しやすい。おまけにヴェルゼの森に住む魔物も多い。なぜこんな辺鄙な場所に街があるかというと、ヴェルゼを都にする計画があった為だった。

 大昔、戦争がまだ多く、当時の国王が都を安全な場所に移そうと考えたのだ。そこで、自然要塞ともいえる立地に目を付け、ヴェルゼを整地した。しかし、国王がヴェルゼにいたのは、たった数年だけだったらしい。戦争が終わった後、その自然要塞ともいえる立地が仇となり、不便が生じて国王は今の都に戻ってしまった。

 初めてその話を聞いた時はなんて杜撰ずさんな計画だと思ったが、その計画のおかげで都までの山道ができたのだ。

 そして、その自然要塞ともいえる環境が魔物の住処にしやすいらしい。わざわざヴェルゼの森を通って都に行く者は少ない。

「クロノスさんは大丈夫だって言ってもさすがに心配なんですよね……」

「…………」

 しばらく沈黙が続く。トーマスは厳しい顔つきでまっすぐ前を向いていて、その沈黙に耐えられなかったアメリアは口を開いた。

「……あの、トーマスさん。怒ってます?」

「何故?」

「クロが護衛するって言っといて、昼間はいないし、夜だけ合流するって無責任な事を言ってましたし……」

 事情があるからこそ、このような事になってしまったが、理由を知らされていない彼らにとって無責任にもほどがあるだろう。アメリアなら少なからず不信感を抱く。

 トーマスも思う所があるのか、「あー……」とため息を吐くように声を漏らす。

「確かに、昼間は女性であるアメリアさんに護衛を任せて、おまけにこんな重い荷物を持たせる彼の気が知れませんけど。それを了承したのは私です。怒る理由にはなりません。……それに」

「?」

 彼の視線がフローディアに向けられていたことにアメリアは気が付いた。彼は彼女を見たまま言った。

「以前、彼女は年の近い女性のお友達がいないとおっしゃっていました。アメリアさんがお友達になってくれて感謝しています。まあ、私が感謝するのはおかしいですけど……」

「え……?」

「トーマス! アメリア!」

 奥でフローディアがこらちに向かって手を振っていた。

「見てください! 海ですよ! 海‼」

 彼女の背後から強い光が見え、フローディアは興奮気味にその奥へ走って行く。

「あ、フローディア様⁉」

 アメリアが慌てて追いかけ、森を抜けた。

「……わぁ!」

 森を抜けた先は海だった。浜辺があるわけではなく、先は崖になっていた。波とともに吹く風がアメリアの髪をなびかせた。

「……海だ」

「すごいわ! こんな間近で海を見たのは久しぶりです……」

 フローディアはそう嬉しそうにいうと、後からきたトーマスがため息をついた。

「急に走り出さないでください。海に落ちたりしたらどうするんですか?」

「す、すみません……」

 しゅんとするフローディアにトーマスが苦笑する。

「まあ、貴方がはしゃいでしまうのも無理ありません。アメリアさん、ここらへんで休憩しませんか?」

「そうですね……結構歩きましたもんね……」

 アメリアがそう同意して、しばらく休憩することになった。

 アメリアたちがいるのはヴェルゼの森を抜けた沿岸。この先を辿って行けば、ヴェルゼアリア岬につく。

 まだ出発してそれほど時間が経っていない。この調子でいけば、日が暮れる前に目的地に着くことができるだろう。

 不意にアメリアの髪をクロノスがじゃれついた。

「何、クロ?」

「にゃー」

 何も用事がないのか、クロノスはアメリアの髪を触って遊んでいた。

 フローディアが二人のその様子を見て言った。

「アメリア、お願いがあるのですが……」

「なんですか?」

「クロちゃんを抱っこさせてもらえないでしょうか?」

「え?」

 意外な申し出にクロノスとアメリアが顔を見合わせた。

 フローディアは恥ずかしそうに頬を赤らめて言った。

「あ、あの! わ、私、動物が好きで……猫とか犬とか大好きなんです! 実家にも猫がいて……も、もしクロちゃんが家の人以外に抱っこされるのが嫌いな子なら諦めます!」

 アメリアがクロノスを見ると、「いいぞ」と目で合図した。

「大丈夫ですよ。はい、クロ」

「にゃー」

 アメリアがクロノスを降ろすと、彼はフローディアの元へ行き、大人しく抱っこされる。

 フローディアがクロノスを抱えて喉を撫でた。

 このぐらいはサービスしてやろうと言わんばかりクロノスは喉を鳴らした。

「可愛い……黒猫は飼ってはいけないと言われていたので嬉しいです……」

「駄目なんですか?」

 アメリアが首を傾げると、代わりにトーマスが口を開いた。

「黒猫は魔女が飼うって言われてますからね。許可なく魔法の使用を禁止されている世間ではあまりいい印象がないんですよ」

 クロノスの金色の目が半目になる。たしかに彼にしたら聞いていて気持ちいい話ではない。

 ふと、クロノスが顔を見上げると、こちらを見下ろすフローディアの瞳にかげが差していた。

「…………」

 フローディアがクロノスを降ろした。

「ありがとうございました、アメリア。これでもう都まで歩いて行けます!」

「それは無理ですよ、貴女の体力で都まで歩けるわけがありません」

 トーマスが容赦なく言い、フローディアがへこんでしまう。

「うう……トーマスは手厳しいですね」

「そんなことはありませんよ、貴女は大事な花嫁なんですから」

 トーマスは胸ポケットに入っていた懐中時計を取り出す。

「さて、そろそろ行きましょう。アリア岬までまだかかりますしね」

 トーマスが懐中時計の蓋をぱちんと閉じると、クロノスがアメリアの肩に飛び乗り、フードの中に入った。

「なんかなぁ……」

 そうクロノスが呟く声が聞こえた。


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