05

 翌日、アメリアは買い物を終えるとクロノスの部屋で都に向かうための準備をしていた。

 都までとはいえ、野宿をする旅行は初めてだ。荷物は必要最低限にとクロノスに言われ、アメリアはショルダーの中身とにらめっこしていた。

 なんせ初めての旅行だ。馬車でお出かけは何度か経験をしているが、日を跨いだことはない。

(これもいるかな……いや、でも……)

 毛布は大きくてかさばる。食べ物も多すぎては重くなるだけだ。

 うんうんと唸るアメリアの背後で、ドアをカリカリと引っかく音がした。そして、ドアノブが乱暴に回わされ、小さな隙間が出来ると、猫の姿のクロノスが顔を出す。

「まだ荷造り終わんねーのかよ?」

 尻尾をブンブンと振って、クロノスはアメリアの肩に飛び乗った。

「だって、野宿するんでしょ? 何を持って行ったらいいか悩んじゃって……」

「どれどれ、何入れてんだよ?」

 クロノスが頭を下げて、ショルダーの中身を覗き込んだ。ゆらゆらと揺れる尻尾がピタリと動きを止めた。

「アメリア、なんだよこれ?」

「え? うーんと、飴でしょ? それからチョコと……毛布と……あ、テントとかいるかな?」

 野宿になるならテントや寝袋もいるだろう。アメリアは明日の朝に出発するのに、なんだが準備が間に合わない気がしてきた。

 どこか焦った気持ちになるアメリアに、クロノスは呆れたような目を向ける。

「あのな……テントと毛布はオレが何とかすっから、気にすんなよ。それに、帰りは馬車だし、食料もそんなにいらん。それと、ちょっと地図出せ」

 アメリアがショルダーに入れていた地図を取り出すと、クロノスが肩から飛び降りて、尻尾で地図をぺちぺちと叩いた。

「いいか、一日目の目標地点はここ、ヴェルゼアリア岬だ」

 おそらく、フローディアは長時間歩いたことがないだろう。それを考慮こうりょし、最初の目標地点はヴェルゼから少し離れた場所にあるアリア岬に決めたのだ。

 ヴェルゼの森に入って、着くまでに半日はかからない。しかし、長時間歩くことに慣れていないフローディアと一緒となると、おそらく着くのは夕方になる前だろう。

「沿岸を通ればオレが魚を釣る。あそこは漁船が通らないから魚が結構いるんだ」

 ヴェルゼには一応港があるのだが、都行き船はない。それはヴェルゼと都の繋ぐ海路には岩礁が多い場所があり、難破する船が多いためだ。

「クロ、魚釣れるの?」

「お、オレの釣り技術を知らないな? こう見ても暇つぶしに夜釣りしてんだぞ?」

 夜に人の姿になってどこに行っているのかと思えば、彼はアリア岬で釣りをしていたようだった。

「ヴェルゼ岬は魚がたくさんいるし、バカだからすぐに引っかかるんだよ。食料やテントの心配はいいから、持っていくならチョコとドライフルーツくらいにしとけ」

「はーい」

「あとは、水か……川は都の近くじゃないと流れてないからな……」

 独り言でブツブツ呟きながらクロノスが持ち物を考えていると、荷物を整理していたアメリアがふと思い出したように顔を上げた。

「ねぇ、クロ。ヴェルゼの森って本当に安全なの?」

 トーマスも気にかけており、クロノスの散歩コースでもあるから心配ないとアメリアは口では言ったが、多少なりと心配だった。

 クロノスはまたその話かと尻尾を床に叩きつける。

「まあ、魔物もいるっちゃいるけど、沿岸付近を歩いている分には安全だ」

「沿岸を?」

「そ、沿岸に例の魔物がいたせいか、自然と沿岸に魔物は寄り付かないんだ」

 一斉駆除でも見つからなかった正体不明の魔物。他の魔物さえも寄せ付けないほどの影響があったとは、アメリアも驚いた。

「そんなにその魔物ってすごかったの?」

 アメリアの質問に、クロノスはバツの悪そうな顔をして答える。

「お前だって知ってるだろ……ヴェルゼアリアのローレライの話。それが正体不明の魔物ことなんだよ」

「あ、あー……」

 それはヴェルゼのアリア岬に現れる女の亡霊の話だ。夜な夜なアリア岬に現れ、その歌声を聞いた男を魅了して海底に引き込む女の亡霊が現れるのだ。それはローレライと呼ばれるようになり、討伐するために何人もの掃除屋がヴェルゼの森へ足を踏み入れた。しかし、その掃除屋は皆、死体となって海で見つかったのだ。

 クロノスはゆらゆらと揺らしていた尻尾を止め、ため息がついた。

「ローレライの歌声にやられたのは人間だけでなく、魔物もだったみたいだ。まあ、もうローレライはいないし、沿岸は魔物が近づかない。沿岸側を歩けば問題ないってわけ。わかったか?」

 クロノスの話を聞いていたアメリアはどこか浮かない顔をする。

「うん……分かった」

 アメリアは俯いて頷くと、クロノスのひんやりとした肉球がアメリアの頬に触れた。

 アメリアが顔を上げると、彼の金色の目と目が合った。その目はどこか呆れたような色を浮かべている。

「なんで、お前が沈んでんだよ。ローレライはもういないって言っただろ?」

「うん、ごめんね」

「……お前なぁ」

 クロノスはアメリアから少し距離をとる。すると、瞬きをした一瞬でクロノスが元の姿に戻った。アメリアは窓の外を見ると、もう空が夜色に染まっているのに気付く。

「クロノスー! アメリアー! ご飯よー!」

「はいよー」

 下からジェシカの呼び声が聞こえ、クロノスは適当に返事をすると、ピンッとアメリアの額を指で弾いた。

「痛っ!」

 当たった額を反射的に触れると、クロノスはふっと笑う。

「変に沈んだ顔すんじゃねーよ。ローレライはもういないし、あの森はそれほど危険もない。わかったか?」

「う、うん……」

 アメリアがそういって地図を畳むと、クロノスが「あ」と思い出したように声を上げた。

「そうそう、店を出る前にお前に渡したいものがあるんだわ」

「渡したいもの?」

 アメリアが聞き返すと、クロノスがニシシと笑っていう。

「そうだな、陽が出る前がいいな。後で叩き起こしてやるよ」

「寝る前じゃだめなの?」

 どうせ今、荷作りをしているのだ。渡す物なら今ではダメなのだろうか。

「駄目だ。行く直前がいい」

 クロノスはさっさと扉を開け、部屋から出て行く。

「ほら、飯食いにいくぞ!」

「う、うん!」

 彼の後を慌てて追うと、すでにみんなが揃っていた。

 普段は営業中の時間に夕食を食べるのは不思議な気分だ。

 夕食を運ぶレイシーをアメリアも手伝い、カウンターに皿を並べた。夕食は今日、店に並ぶはずだった春野菜のクリームパスタだ。フローディアも少しもの珍しそうに食べていた。

「そういえば、クロノス。明日はアンタは先に出発するんでしょ?」

 ジェシカがそういうと、クロノスが「そうだ」と頷く横で、アメリアがぎょっとしてクロノスを凝視する。

 そのアメリアを見て、クロノスは呆れたように目を細めた。

「オレは先に行って、目標地点までの経路と野宿する場所の安全を確保してくる。お前はクロを連れてトーマスとフローディアを案内しろって言ったろ」

「……あ、そうか」

 まだ二人にクロノスが昼間は猫であることがばれていない。だから、先にクロノスは経路の安全確保ということで先に行っているということになっている。

「だから、何かあったら二人を頼むぞアメリア」

「う……うん」

 一応、猫として彼がそばにいる。おそらく、彼は何かあれば助けてくれるだろう。

 不安そうな顔をしているアメリアの頭をクロノスが撫でた。

「なんだよ、そんな顔して……」

 クロノスはため息をついたあと、にやっと笑う。

「なーに、何かあればお前は歌でも歌えばいいんだよ。お得意の有害超音波を使えば何とかなるからさ。魔物は音を怖がるしな! 二人には耳栓を渡しておいてやるよ」

「もう! またそんなこと言って!」

 アメリアが頬を膨らませると、レイシーが苦笑した。

「クロノスくん、いくらなんでも失礼ですよ」

「そうね、あんまり好きだからっていじめると、嫌われちゃうわよ?」

 ジェシカもアメリアの代わりに意地悪く言うと、クロノスはツーンと顔をそらした。

「ガキじゃねーんだから……いじめて喜ばねぇよ」

「ふふっ……」

 フローディアがそんなやりとりを見て微笑む。

「クロノスさんとアメリアさんは仲がいいんですね」

「おう、すげぇからかい甲斐があるからな!」

「クロ……むぐっ!」

 顔を真っ赤にさせてるアメリアの口に、クロノスがデザートのイチゴを放り込んだ。

「ほら、うまいか?」

 口いっぱいにイチゴの甘さと酸っぱさが広がり、文句を言う口を閉じるしかなくなる。イチゴの美味しさを味わうわけにもいかず、アメリアはイチゴを飲み込んだ。

「むぐ……ク……」

「ほら、もう一個」

 開いた口に新たにイチゴを押しつけられ、仕方なくアメリアは咀嚼そしゃくした。

 アメリアが文句を言おうとするとクロノスはいつも口の中に食べ物を放り込む。そうしているうちにアメリアが文句をいうのを諦める。それがいつものクロノスの戦法だ。

 まだ皿に残っているイチゴの数を見て、アメリアは文句と共にイチゴを飲み込む。

「……もういいです」

「はいはい、おりこうさん」

 アメリアの頭にポンと手をおいて、ニッと笑った後、クロノスは続ける。

「というわけで、テントとか毛布とか野宿に必要な道具はオレが運んでおく。わかったか?」

「はーい」

 アメリアはそう渋々頷いた。

 食事の後、アメリアはフローディアは先に部屋へ行くように促された。トーマスとクロノスは明日の話を煮詰めるようだ。

 アメリアは文句は飲み込んだが、怒りが静まったわけではなかった。

「もう、クロったら失礼しちゃう!」

 人前でなんてことを言うのだ。有害超音波であることは認めてやろう。しかし、笑いのネタにされるのはいけ好かない。

 プリプリと怒るアメリアを見て、フローディアが微笑ましいものを見るように笑う。

「ふふ……でも、羨ましいです。あんなに仲がいい男の子のお友達がいるなんて」

 友達という彼女の言葉に何か引っかかる物を感じ、アメリアは首を捻った。

「友達……というか、クロは家族みたいなものなんです」

「家族……?」

「そう。そう考えると、ジェシカもレイシーもお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいな存在ですね。でも、クロと一緒にいるのが一番安心かも……」

 アメリアがジェシカの店で居候をするようになって、二年。アメリアにとってジェシカやレイシーは兄や姉のような存在だった。クロノスも家族のような存在だ。いつもそばにいてくれて、異国出身のアメリアに優しくしてくれている。

 しかし、時々アメリアをからかう彼を思い出し、再び小さな怒りがこみ上げてくる。

「でも、クロは意地悪なんですよ……! とっても! 私のプリンだって、一口ちょうだいって言っておいて全部食べちゃうし、何か文句言おうとしたら食べ物を口に押し込んでくるし……いつも内緒で出掛けちゃうし!」

 二年も一緒にいるが、アメリアはまだクロノスを掴めていないところが多い。夜の散歩に行っていた場所も教えてくれないし、昼間の出かけもさっさと出かけてしまう。

「クロは私のこと、女の子じゃなくて小さな子どもだと思ってるんですよ、きっと!」

 そう思われても仕方ない節があった。実際、アメリアがこの店に来た時、ずっとクロノスの背に隠れていた。しかし、あれからもう二年も経っているし、女性として扱ってもいいと思う。

 賛同を求めようとフローディアの方を見ると、彼女は少し俯いていた。

「それでも、やっぱり羨ましいです……私は」

 消えてしまいそうな声で言い、その目にかげが差した。

「フローディア様?」

はっと我に返ったフローディアがそういうと、元の笑顔に戻った。

「な、なんでもないです! さ、明日早いみたいですし、早く休みましょう?」

 フローディアが明るく振る舞っているように見えたが、アメリアは聞くことも出来ずただ頷いた。

 アメリアはフローディアの着替えを手伝ったあと、そのままクロノスの部屋へ入った。

 明日着る服をハンガーにかけ、寝間着に着替える。

「明日……出発か」

 そう呟きながらベッドに潜り込む。

 自分の部屋とは違う匂いが鼻をついた。

(クロの匂いがする……)

 クロノスはあまりこの部屋にはいない。昼は猫の姿で出かけてしまい、夜は夜で人の姿で散歩に行くのだ。だから、クロノスの部屋をアメリアが使うことになったのだ。

 前は薬草の匂いや古い本の匂いが気になったが、今はそうでもない。自分の部屋ではない上に、クロノスのベッドで寝ることにどこか気恥ずかしくなる。

(でも、なんだろう。安心する……)

 アメリアはそっと目を閉じた。


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