07

 店に着くころには、背中にいるクロノスが小さないびきをかいて寝ていた。時々喉を鳴らしている音を聞くと、いい夢を見ているに違いない。フードの中は相当居心地がいいのだろう。

「ただいまー」

 台車を表に置いてアメリアは店内に入ると、珍しく誰もいなかった。おそらくレイシーはまだ仕入れから戻っていないのだろう。ジェシカはどこにいったのだろう。

「ジェシカー?」

 アメリアはジェシカの姿を探す為に店内をうろつく。一階の厨房ちゅうぼうにも二階のジェシカの部屋にもいない。裏庭にいるのだろうか。

 裏庭に向かおうとすると、アメリアの背中でクロノスがもぞもぞ動きながら喉を鳴らした。

「クロ?」

「ん~? ふあ~…………もう店についたのか?」

 フードから顔を出したクロノスは、アメリアの肩にあごを置いた。

「ジェシカは?」

「いないから多分裏庭かな?」

 裏庭には、小さな家庭菜園と花壇がある。彼女は庭いじりが好きなので暇なときは家庭菜園や花壇の手入れをしている。

「アイツ、花好きだもんなぁ……」

 彼はアメリアの肩に顎を乗せたまま欠伸あくびをして言った後、耳をぴくぴくと動かしていた。

「レイシーの奴も帰って来てないのか…………」

 猫になったおかげで耳がいいのか、彼はレイシーがいないことを分かっていた。

「うん、そうだよ」

「珍しいな、アイツがいないなんて……」

 そう言った後、彼は耳を後ろに向けて動かなくなる。

「いや、帰ってきたな」

 クロノスが言うや否や店のドアが開き、乾いたベルの音が響いた。それと同時に彼はアメリアのフードの中に身を潜めた。

「只今戻りました」

 大きな荷物を抱えて入ってきたのは、珍しく髪を束ねていないレイシーだ。しかし、その姿は一瞬女性に見えて、アメリアは思わず二度見してしまう。華奢きゃしゃな身体つきのせいで、普段顔を合わせているアメリアでさえ、一見女性と見間違うほどだった。あまり背が高くなければ、後ろ姿で男性に声を掛けられてしまうだろう。

「レイシー、おかえりなさい」

「はい、ただいまです」

 彼は荷物をカウンターに置き、アメリアのフードを覗いてクロノスの姿を確認する。

「只今戻りました、クロノスくん」

 その顔はとても嬉しそうで、いつもよりワントーン高い。それが気に食わないクロノスは、小さな手でレイシーの頬を押して顔を逸らさせる。

「ハイハイ、オカエリナサーイ」

 感情がこもってない言い方。今、彼がどんな顔をしているのか容易よういに想像がつく。

 レイシーはクロノスの肉球に触れたことが嬉しかったのか満足げに頷いた後、辺りを見回す。

「そう言えば、ジェシカさんは?」

「ジェシカは裏庭じゃねーの?」

 フードから両手を突き出すようにクロノスはフードのふちに寄りかかっていうと、レイシーはマントを脱ぎ、つけていたリボンタイを外して髪を一つに括る。

「では、アメリアちゃん、クロノスくん。ジェシカさんを呼んできてくれませんか? 僕は夕食の準備をするので」

「はーい」

 元気よく返事をし、アメリアは駆け足で裏庭に行く。

 裏庭は小さな家庭菜園と花壇がある。店に出す料理の野菜の多くは仕入れ先のものだが、アメリア達が普段食べているものは、この家庭菜園から採っている。ある程度の量は採れるし、クロノスは昼間、猫の姿なのであまり食べられない。小さな家庭菜園で量は足りるのだ。

 この家庭菜園や花壇はジェシカとアメリアが手入れをしているが、アメリアは本当に補助的な物ばかりだ。水やりや雑草抜きはアメリアも手伝えるのだが、肥料を上げたり、霜が降りる時期になったらわらを敷いたり、害虫取りといった手入れはジェシカがしているのだ。クロノス曰く、クロノス達の故郷は農村だったらしく、家の手伝いをしている彼女にとって、土いじりに抵抗はないようだ。

 裏庭に入ると、ジェシカがスコップを持ってプランターに土を入れていた。

「あら、おかえりなさい」

 アメリアの姿に気付くと、緑色の髪を耳に掛け直しながら微笑む。

「ただいま! リリィさんからお花と苗もらってきたよ」

「ご苦労さま。クロノスもありがとう」

 ジェシカはフードの中にいるクロノスに気付き、アメリアとクロノスを交互に見た後、ニヤリと笑う。

「アンタ、またリリィにお魚ねだりにしたの?」

 クロノスの小さな頭を小突きながらジェシカが言うと、彼はフードの中で尻尾を振る。

「してねーよ」

 彼の金色の瞳が半目になり、振っている尻尾がパタパタとうるさい。

「本当? 実のところどうだったの、アメリア?」

 いたずらっこのような笑みを浮かべながら言うジェシカに、クロノスの毛が逆立つのが分かった。

「アメリアには関係ねぇだろ!」

 クロノスがフーッと猫らしい威嚇いかくの声を上げて、アメリアのマントに爪を立てる。しかし、分厚いマントのおかげで、アメリアにまで爪は刺さらなかった。

「そんなに怒らないでよ~、顔が赤いわよ?」

「毛皮被ってんのに顔色なんて分かるわけねーだろ!」

 アメリアをへだててクロノスが子どものようにジェシカに噛みつく。

「お前なぁ! いつもいつもアメリアをダシにしてんじゃねーよ!」

「ダシになんかしてないわよ」

「嘘だね! お前は何かあるたびにアメリアに聞いて!」

 クロノスは尻尾を大きく振り、それがアメリアの後頭部に当たる。

「クロ……あまり騒ぐと近所迷惑だよ?」

「アメリア、オレは………………ん?」

 騒いでいたクロノスが急に静かになり、耳を後ろに向ける。

「…………馬車?」

 そう言ったあと、彼はフードから降りて、裏庭の奥を見つめる。

 クロノスの言葉にアメリアとジェシカが顔を見合わせていると、彼は警戒しているのか尻尾振っている。

 アメリアも耳を澄ませると裏庭の奥から騒がしい音が聞こえてくる。

 すると、馬の甲高い鳴き声と共に庭の生垣いけがきから馬車が飛び出してきた。

「二人とも、伏せろ!!」

 瞬時に黒猫から元の姿へと変え、二人に覆いかぶさるように抱え込んだ。

 馬車は三人の頭上を飛び越え、地面に着地する。しかし、車輪が外れ、バランスが崩れた馬車は横転し、馬は留め具が外れたのか、店の表の方へ駆けていった。

「アメリア、ジェシカ。大丈夫か?」

「う……うん。平気」

「私も平気よ」

 アメリアもジェシカも怪我がないことを確認したクロノスは、次に馬車を見る。

 相当な距離を暴走し続けたのか車体はボロボロになっており、窓も割れてしまっている。

 三人が駆け寄ろうとすると、頭上に大きな影が通る。

「あ、あれは……!」

 クロノスが空を見上げ、声を上げる。アメリアも反射的に顔を上げた。

「え?」

 太陽を背にして空を飛ぶ生き物が見えた。それは鳥よりもはるかに大きい生き物。

 段々目が慣れてきて、その生き物の全貌ぜんぼうが明らかになる。その生き物はトカゲのような細身の体格で尾が長い。爬虫類はちゅうるいのような金色のうろこが身体全体をおおい、蝙蝠こうもりのような骨が浮き上がった大きな翼を持っていた。

 アメリアは知っている、あの生き物の名前を。あれはどこでみたのだろう。そうだ、あれはクロノスが絵本を読んでくれた時に見た。その名前は――

「…………ドラゴン」

 そう、あれはドラゴン。この国ではそう珍しい生き物ではないと彼は言っていた。街中ではもちろん見ないが、国をまたいで広く分布しているのだという。

 しかし、絵本で見たドラゴンとは全く違う。顔は蛇に似ていて、大きな口には鋭い牙が見える。爬虫類の特徴的な瞳は、まるで海のような藍色をしていた。それはどこか優しい色をしているが、瞳の奥には何か負の感情が渦巻いているように見えた。よく見ると、片目が潰されているのが分かった。

「……おいおい、なんでドラゴンがここにいるんだよ…………」

 クロノスが吐き捨てるように言い、ドラゴンを睨みつける。

「三人とも! 大丈夫ですか!!」

 店からレイシーが騒ぎを聞きつけてでてくる。

 レイシーは頭上を飛ぶドラゴン、ボロボロになった馬車を見て、目を剥いた。

「え!?」

「レイシー!!」

 驚くレイシーに向かってクロノスが全力で叫ぶ。

「アメリアたちを連れて中に入れ!」

「はい!」

 クロノスはアメリアの背中を押して、ジェシカに店へ戻るよう促す。そしてクロノスはポケットに入った小さな石をドラゴンに向かって投げつける。

 その石はドラゴンの眼前を通り過ぎ、ドラゴンはこちらを向いた。

 それでいい。

 ドラゴンの背後に飛んでいった石は光りを放って砕け散り、裏庭と店を覆うほどの障壁しょうへきを張った。これはクロノスがもしもの為に、魔力の消費を減らすために作ったものだ。石にあらかじめ魔力を込めておき、昼間に体に負担を掛けずに魔法を使えるようにしたものだ。

 障壁の中に入れば、外部から中を見ることはできない。ドラゴンは障壁の中に張られたことを察したようで、クロノスを警戒しているようだ。

「おい、お前は、どの山からきた? 何故、人里を下りてきた!」

 クロノスが叫ぶようにドラゴンに言うが、ドラゴンは口を開かない。

 ドラゴンはどんな生き物よりも頭がいい。もちろん、人間よりもだ。それはドラゴンが他の生き物に比べて寿命が長く、知識を蓄える生き物だからだ。見る限り、このドラゴンは成体だ。人間と会話できるだけの知能は確実にある。

「答えろ!」

 しかし、ドラゴンは毅然きぜんとしてクロノスを凝視ぎょうししたまま動かない。

 もし、ここでクロノスがドラゴンと戦うとなった時、クロノスはドラゴンを倒す自信がない。まず、今が昼間であり元の姿を維持し続けることが難しい。その上、アメリア達を守るなんて到底できない。ましてや、相手は何千年と生きる生き物で、もしこのドラゴンが火吹き竜なら一吹きでこの街全体が火の海になる。この障壁はあくまでも姿を隠すためのものなのだ。

(でも、見たことのない種類だな……)

 このドラゴンは今まで見てきた文献には載っていない種類のドラゴンだ。火吹き竜の一種なのか、はまた違う種なのか皆目見当がつかない。今まで掃除屋として稼いでいた時は文献からの情報を基に、クロノスは魔物と対峙たいじしてきた。しかし、その情報がない今、できるのならば、ドラゴンとは話し合いで解決したい。

「………………」

 沈黙が続く。見かけによらず、このドラゴンはまだ幼体なのだろうか。ドラゴンはクロノスから視線を逸らすと、藍色の瞳が大きく見開いた。

 クロノスがその視線を追うと、馬車から二人の男女が出てきた。

 それは、プラチナブロンドの髪をした少女と執事のような服を着た青年だった。その少女はアメリアよりも少し幼く見える。プラチナブロンドの髪をし、ドレスを纏った少女だった。男はおそらくクロノスよりも年上だろう、結構な長身で、体格もなかなかいい。

(どっかの貴族の娘と付き人か?)

 オォォォオオオオオオオオオオ!!

 突然、ドラゴンの咆哮ほうこうとどろき、空気が震える。その振動は痛いほど肌に伝わってくる。

 ドラゴンはそのまま二人の方へと急降下していく。それに気づいた青年は少女の前に立ち、腰に吊るしていた剣を抜く。

「チッ!」

 クロノスは魔法で空気中の水分を集め、大きな氷塊ひょうかいを生成する。

 そして、ドラゴンに向かって氷塊を飛ばすとそれはドラゴンの脇腹に直撃する。ドラゴンは低く唸り声を上げて怯んだ。その隙をついて足元に風を集め、ドラゴンに向かって高く跳躍ちょうやくする。ポケットから石をもう一つ取り出して握る。

「これでも食らえ!!」

 クロノスは飛んで行った勢いに任せて拳を突き出す。その拳は真っ赤な炎に包まれて、ドラゴンの胸部に当たった。

「ギャァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 ドラゴンが悲鳴のような雄叫びを上げて、方向を変えた。

 クロノスはそのまま音もなく地面に着地し、二人の下へ駆け寄る。

「大丈夫か!!」

「あ、ああ……」

 クロノスが現れたことに戸惑いながら、青年は頷く。少女の方は青年にしがみついて、小さく震えていた。少女にはあまり外傷は見られないが、青年の方は少なからず怪我をしているものの、大怪我というほどではなさそうだった。

 二人の無事を確認し、クロノスは安堵あんどを漏らすとドラゴンに振り向いた。

 ドラゴンは低い唸り声を上げて、藍色の瞳でクロノスを睨みつけていた。クロノスはポケットからもう一つ石を取り出す。

 この石は消耗品だ。部屋にはまだストックが残っているが、今持っている石の数は一つ。この石が無くなってしまったら後は自分の力で戦わなくてはならない。

 ドラゴンは藍色の瞳を細めた。

「…………貴様、魔法を使うのか」

 老人のようなしゃがれた声でドラゴンが言う。

「…………人間が魔法使っちゃ悪いかよ?」

 吐き捨てるように言うクロノスをドラゴンは全身を舐めるように見た後、目を大きく見開いた。

「黒髪、金色の瞳…………貴様、黒猫か…………!」

「なっ!」

 ドラゴンの言葉にクロノスは絶句する。

 ドラゴンはクロノスの事をまっすぐ見つめて確かにそう呼んだ。かつてのクロノスの呼び名だった。

「黒猫?」

 青年は警戒した様子でクロノスを見上げる。

「くくく……かつて、都を騒がせたやからがこんな所にいるとはな…………」

「何故………何故その名前を知っている‼」

 クロノスは唸るような低い声でドラゴンを問いただす。

「…………」

 ドラゴンは鼻を鳴らすと、大きな翼を羽ばたかせて上空へと飛んで行く。

 そして、クロノスが張った障壁を突き破り逃げていった。

 今まで見たことがない金色のドラゴン。おまけにクロノスのことを知っているときた。ドラゴンの姿が見えなくなると、クロノスは二人に振り返った。

 青年はクロノスに警戒しており、髪と同じ栗色の瞳でクロノスを睨みつけていた。

「貴方は……あの黒猫なのか?」

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