03

 店は夜中まで営業する。十二時を回ると、ジェシカが客を見送り、アメリアとレイシーは食器を片付ける。クロノスはというと、酔い潰れた客を介抱かいほうするために、毛布を抱えていた。酔い潰れた客を送り返して、ようやく店の営業が終わる。

「あー、やっと帰ったよ。あの酔っ払いめ………………」

 最後の最後まで絡まれていたクロノスの目には、うんざりとした色が浮かんでいた。

 疲れ切った顔で椅子に座ったクロノスに、ジェシカは水を差し出す。

「クロノス、お疲れ様」

「おう、ジェシカもお疲れ」

 彼はそれを受け取ると、一気に飲み干した。

「今日はお客が多かったわね。クロノスが店に出るといつもお客が多くて助かるわ。さすが、当店の幸運の黒猫様」

「普段でないからな。珍しがってわざわざ知り合い呼んで再度入店する奴もいたじゃねーか」

 茶化すように言うジェシカにそう言うと、クロノスは掛け時計を見やる。

 時計の針はもうすでに夜中の三時を回っている。今日は客が多くて店仕舞いが遅くなってしまった。

「もう寝るか…………そう言えば、アメリアは?」

 彼女が食器を片付けているのは見ていたが、それ以降見ていない。

「アメリアちゃんなら、ここですよ」

 厨房の前にレイシーがアメリアを抱えて立っていた。

「あら、寝ちゃったの?」

「はい、クロノス君の仕事が終わるまで待ってるって言ってそのまま」

 レイシーはそう言って、自分の腕の中で寝ているアメリアを見る。

「今日はお客さんも多かったですしね……」

「クロノスもバカ騒ぎしてたもんねー……」

 にやにやしながらジェシカがいい、クロノスは「うるせぇ」と呟いた。

 それにレイシーが苦笑し、アメリアを抱え直す。

「ふふ、そうですね。僕、彼女を寝かせてきますね」

「いい、オレが行く」

 座っていたクロノスが立ち上がり、レイシーを見上げて「早くよこせ」と言わんばかりに手を前に出す。

「大丈夫ですか?」

「何がだ?」

 レイシーの言葉に、クロノスは眉間に皺を寄せた。

 レイシーは彼が疲れていないか心配して聞いたつもりだったが、彼の機嫌を損ねてしまったようだ。彼は実はそれほど背が高くない。アメリアと彼では五センチほどしか差がない。それに加えてレイシーとジェシカが長身というのもあり、余計彼が小さく見える。例え、彼の背が低いとはいえ、彼がアメリアを抱えて、彼女の服を引きずるなんてことはないだろう。

「落とさないように、気を付けてくださいね」

「落とさねーよ」

 レイシーはクロノスにアメリアを受け渡す。

「へんなことしちゃだめよ?」

 ジェシカが茶化して言うと、二階へ上がるクロノスが「しねーよ!」と不機嫌そうに言う声が聞こえ、ジェシカとレイシーがおかしくなって笑う。

「相変わらず、彼は嫉妬深いですね」

「アメリアを連れてきたのはクロノスだからね」

 彼の姿が見えなくなり、ジェシカは小さな声で「変ったわね」と呟いた。

「どうしたんですか?」

「いえ、アメリアがうちに来てもう二年経ったと思うと、私も年をとったなって」

「何言ってるんですか、まだまだジェシカさんも若いじゃないですか。でも……そうですね。もう二年ですか」

 ジェシカが店を構えたと同時に、レイシーはこの店の料理当番として居候している。クロノスとジェシカは幼馴染だが、レイシーはこの店に来てから初めて彼と会った。

「彼女が来てから、本当にクロノス君は変わりましたね」

 たった二年であんなに人が変わるものとは、レイシーも思っていなかった。

 二人は恋仲ではないが、クロノスの中でアメリアの事を特別な感情で見ていることは確かだ。現にレイシーがアメリアを寝室に運ぼうとしていると、必ず彼がやってくる。それも普段以上に不機嫌な顔でだ。しかし、アメリアの寝顔を自分の腕の中で確認できると、彼は決まって同じ顔をする。

「本当よね……人って何があるのか本当に分からないわ……」

 彼女もしみじみ言い、四年前のことを思い出す。

 クロノスはジェシカと同じ家に住んでいながらまったく会話をしたことがなかった。アメリアはクロノスが家に帰らずに出歩いていた理由を知っているだろうか。

「ジェシカさん」

「何?」

 テーブルに頬杖をついてレイシーが悪戯っ子のように笑って言った。

「アメリアちゃんと話していたんですが、目が眩んでしまうほど欲しい物ってありますか?」

「あるわよ」

 即答する彼女にレイシーは驚きつつも「なんですか?」聞くと、ジェシカは言ったのはたった一言。

「お酒。良いヤツね」

 レイシーは苦笑して頬を搔いた。

「今日仕入れ先の方から特別に頂いたものがあるんですが。これからどうですか?」

「いいわね、頂くわ」

 そう言って微笑むジェシカにレイシーはワインとそれに合わせたつまみを持ってきて、グラスに注いだワインを渡した。





 そんな二人の会話をクロノスは階段に腰掛けて聞いていた。

「目が眩むほど欲しい物ねぇ……」

 抱えていたアメリアが急にうなされ始めたので、階段に座って背中を叩いていたのだ。盗み聞きをするつもりはなかったが、クロノスは二人の会話を聞いて、アメリアの顔を覗く。

(オレは変わったのか?)

 自分の腕の中ではアメリアが規則正しい寝息を立てて寝ている。

 もし、本当に変われたのなら彼らの言う通りアメリアのおかげだと思う。しかし、自分自身その自覚がない。むしろ、今の自分がもどかしい時もあった。

「う、うう…………」

 再びアメリアは苦悶くもんの表情を浮かべて、うなされ始めた。

 クロノスは子どもをあやすように彼女の背中を優しく叩き、頭を撫でる。紫色の髪はまるで絹糸のように繊細せんさいで柔らかい。撫でているとするりと彼の指を通り抜けていく。しばらくすると、彼女はまた穏やかな顔で眠り始めた。魘されていなくても、いつまでも撫でていたいと思う反面、彼女の眠りを妨げてはいけないと手を離した。

 彼女は魘されやすい。カウンターでうたた寝をしている時もベッドで就寝した後も魘されていることが多い。クロノスは彼女が魘されているのを見つける度にそばについている。彼女のそんな姿を見ていると、少しでもいい夢を見ていて欲しいと思う。クロノスは彼女が目を覚まさないようゆっくりと立ち上がる。

 そろそろ、彼女の部屋に運ばないとアメリアが起きてしまう。それに晩酌をしているジェシカやレイシー達が上がってきてしまうだろう。

 二階の奥から二番目の部屋がアメリアの部屋だ。クロノスは器用にドアを開けて、彼女をベッドに寝かせる。上にシーツを掛けて、ベッドの端に腰掛けて彼女の寝顔を見つめる。こうして、彼女の部屋で彼女の寝顔を見つめているのは一度や二度じゃない。店を閉じた後にうたた寝している彼女を部屋まで運んでいるのは自分だ。レイシーが運ぶこともあるが、出来る限り自分が運ぶようにしている。その姿を見てジェシカが親子だの恋人のようなどと茶化すことがしばしばあったが、クロノスにとって彼女に抱く感情は恋人や子どもに対してものもではないと感じていた。

「う……うう」

「また魘されてんのかよ……ったく、世話が焼ける」

 再び魘されている彼女にクロノスはそれに呆れたようにいう。

 クロノスは悪夢払いのまじないを口ずさむをアメリアの額にキスを落とす。すると、彼女の表情は少し和らいで、クロノスは安堵あんどを漏らす。

 彼女の寝顔を見ているうちに、自然と大きな欠伸が出てきた。

(そろそろオレも寝るか)

 クロノスが最後に彼女の頭を撫でると、微かに彼女の唇が動いた。

「?」

「く……………く、ろ」

 アメリアが寝言でクロノスを呼ぶ。

 それに驚きつつもクロノスは返事をする。

「なんだ、アメリア」

 その声は自分でも驚くくらい優しく穏やかな声だった。

 アメリアは口端を少しだけ上げ、笑っているように見える。

「…………………よ」

「ん?」

 一生懸命に何かを伝えようと唇を動かすが、上手く聞き取れず、クロノスは耳を近づけた。

「……れい……しーのプリン……おいし……よ…………」

「………………」

 クロノスは、今すぐにでも彼女を叩き起こしたい衝動にかられた。

(なんだろう、このがっかりした感じは……)

 彼女の寝言で名前を呼ばれて嬉しい反面、その内容が食べ物。しかも、レイシーが作ったプリンの話で悲しんでいいのやら怒っていいのやら分からない感情が込み上げてきた。

 普段、彼女はレイシーがおやつで作ったプリンを好んで食べているのを知っている。しかし、クロノスはプリンが苦手で食べられないので、彼女が食べている姿をいつも眺めているのだが、彼女は決まってクロノスにも食べさせようと声を掛けていた。きっと今見ている夢もその延長なのだろう。

「………………く、ろ?」

 不安げに呼ぶアメリアに、クロノスは頭を撫でる。

「ああ、知っているよ」

 そういうと彼女は安心したように微笑んだあと、再び寝息を立て始めた。

「おやすみ、アメリア」

「おや…………つ」

 最後まで食べ物の寝言でがっかりしながらも、クロノスは静かにアメリアの部屋を後にした。

 アメリアの隣の部屋がクロノスの部屋だ。部屋にはベッドと机、天井まである本棚は壁を埋め尽くしており、本がぎっしりと詰まっている。

 クロノスはベッドに倒れ込むように横になると、下でジェシカとレイシーの会話を思い出した。

「目が眩むほど、欲しいものね……」

 どうしても欲しい物があるとすれば、クロノスの答えは簡単だ。

「眩しすぎて、欲しいと思っても何も見えねーよ」


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