第19話クッキーと花瓶


「――あの……まさか、そちらをお飼いに……?」

 クロカワがガラス瓶にチラチラと目を投げる。

 その目線がいい加減に鬱陶うっとうしくなって、リスティはナプキンで隠した。

 妖精はビーズアクセサリーを枕にして眠っている。

 ガーゼのハンカチのフタに、大判のナプキンがするりとおおいかぶさった。


 やはりこの妖精がタロゥなのだろうか。

 確信はないが、なんとなく水音みずねに雰囲気は似なくもない。

 その水音みずねのビーズアクセサリーは、中庭にいたカラスのような魔物――ヒナらしいが、それの傍らに落ちていた。

 犯人はその魔物、とするには腑に落ちない点もあるが、とにかく水音みずねは喜ぶだろう。

 瓶に入れたビーズが、ナプキンのすき間からちらりと光る。

 なんにしても明日にならないと始まらない。


 リスティは端っこだけいじっていたチキンソテーを飲み込むと、ナイフとフォークを置いた。

「――お嬢様?」

「ごちそうさま。食欲がないの」

 真珠の縁どりが動き、猫脚の椅子が滑る。

 リスティは新しいナプキンを口元に、考えを整理しようと席を立った。

「お嬢様。差し出がましくも、もう少しお召し上がりになったほうがよいのでは……。私めは、お嬢様の食の細さにご体調の心配をしてしまいます。――給仕もせっかく腕を振るっておりますので……」

 クロカワはガーランドを見やると、おどろいたような声が返される。

「いえいえ、とんでもない! いつもお嬢様のご気分が晴れたらと思って作ってますから。あたしの料理よりもお嬢様のお身体が心配ですよ」

「おばさまの料理はいつもおいしいわ。――ええ、そうね。そう思ったらおいしそうに見えてきたわ」

 リスティは再び席に着くと、新しくフォークを持って来させる。


 少し冷めたけれど、さっきよりもおいしく感じた。

 甘酸っぱく焼かれた薄いもも肉は、短冊のように切られていた。

 その上にタルタルソースが、刻んだオリーブをたっぷりと乗せている。

 油がしつこいかと思ったら、食べていくと甘酸っぱさがクセになった。

 最後のひと切れは、皿を拭くようにソースをからめて口に収めた。


 アントルメは苺を半分に切って乗せたタルトだった。

 一口大のパートシュクレをほおばると、さっくりとチーズが香る。

 苺のムースが果実と混じり、豊潤な甘酸っぱさが目一杯に広がる。

 そのまま満足していると、次にフルーツケーキが出されたので、結局すべてを平らげた。


 ニコニコとクロカワとガーランドは嬉しそうにしている。

 リスティがディナーをすべて食べたことに機嫌をよくしたのだろうか。

 おいしいものを腹に収めると気分が落ち着いたと、リスティは席を立った。


「宿題をするの。部屋には誰も入れないでちょうだい」

 もちろん許可なく来るものはいないのだが、考えにふけるために念を押した。

「おお……お嬢様……なんと勤勉なことでしょうか……」

「私は一般生徒のひとりなのだから、先生に言われた通りにちゃんと宿題はするわ。ねえクロカワ。念のために言うけど、お茶はちゃんと部屋に持ってきなさいよね。それ以外は入れないでという意味よ?」

「もちろんでございます……なんとご立派になられたことか……」

 スーツの袖で涙を拭くクロカワをよそに、リスティはガラス瓶を丁寧に持ち上げて自室へ向かった。




 ――バーシアに、シャンプーはなにを使っているか聞いてみようかしら。


 花の香りがした。

 たまに嗅ぎたくもなるような、いつもそばにいてほしいような香りだった。


 ライティングデスクは、脚先にいくにつれてはほっそりと、足の指でなでてみる。

 古いオーク材だが、後から付けられたような銀のアイビーを縁全体に飾っている。


 引き出しは三つ、どれもまったく使っていない。

 しまいこむようなものを持っていない、というべきか。


 リスティは、宿題に意気込んで広げた問題集にペンを置いた。

 ノートに書いたべき級数を眺める。


 今日は校内をめぐって、未完成のものをいくつも見てきた。

 下手な管楽器の演奏や価値のないデッサン、仕上がる前のクリームペンネややる気のない手芸部だ。

 土に汚れた用務員は、花壇に苗を植えていた。

 普段からああいった作業をしているのだろうか。

 あそこにいた男子生徒は探しものをしていたか。

 なにか法術具を使っていたようだが、気休め程度だという。

 魔物のヒナをたおして得意気になっているものもいた。


 それらは洗練に向かう努力かもしれない。どこまで本気かはわからないが。


 いつも完成されたものに囲まれてきたリスティにとっては、それらの評価がどうとかいうよりも、自分の見る立ち位置を思いあぐねた。

 どういう目線で、ひとの努力を感じたらいいのだろうか。


 本当に、醜いといえばそれまでなのだ。


 ガラス瓶の中のビーズアクセサリーは、キラリと光っている。

 やはりどうみても高価なものには見えない。

 水音みずねは、このようなものをどうして大切にしているのだろう。

 よく見つめると、ビーズのひとつひとつは傷があった。

 長く持っているものなのだろうか。


 リスティは、胸元にそっと手を触れた。

 母からもらったチャームを指でいじると、別れたときのことが離れていく気がした。

 時間に置いて行かれたように、見放されたように、すぐにでも家に、アミコのもとに帰ろうかとか、そういう気持ちになってしまう。

 ――自分で留学するって言ったのに。

 よくわからないものを、グッと飲み込んだ。

 胸につかえて、もういちど飲み込んだ。


 その様子を、大きな瞳がクリクリと見つめている。

 妖精はいつの間にか目を覚ましていた。


 リスティは微笑ましく見つめて、ティーカップを口に運ぶ。

 カモミールティーは、シトラスの香りもした。

「ねえあなた。お腹はすいていないかしら?」

 リスティは、お茶といっしょに運ばれていたクッキーを一枚とってかざす。


 薄い皿にはピラミッド型に包んだワックスペーパーが乗っていた。

 折り曲げた封を開けると、クッキーの香りがふわりと解放された。

 この凝ったしつらえは、クロカワが作ったのだろうか。


 ガラスを隔てて、妖精は興味を示す。

 手のひらをペタリと、クッキーに首をかしげる。


 クッキーを指先で割り、かけらを瓶に落としてみた。

 妖精は、初雪を眺めるように瞳を輝かせた。


 リスティがクッキーをかじると、それを見ていた妖精も同じようにかじった。

「口はあったのね」

 瞳以外はのっぺりとした顔で、手についた粉をなめまわしている。

 ほんの少しだけ、水音みずねに見せるのが惜しいと思った。

 この妖精がタロゥなら、カードにして封じられるのだろう。

 手帳でひっぱたくとか言っていたか。

 ただの妖精であればいいと、リスティは頬杖をついて眺めた。


 ただの妖精なら、きれいな森林や花畑にでもいるのだろう。

 用務員の作る花壇に隠れていて、教室に迷い込みでもしたのだろうか。

 なら、この屋敷の庭にも、どこかに潜んでいるのだろうかと考えた。

「――動物園もいいけど、妖精の庭もいいわね」


 ふと、ヒヤシンスを置きっぱなしにしたことを思い出した。

「明日の朝いちばんに、お水に浸けなきゃね。――代わりになりそうなものはあったしら……」

 リスティは部屋を見回して、この瓶の代わりになりそうなもの探す。


 妖精も真似をしているのか、キョロキョロとする。

 するとなにかを見つけたようだ。

「――あれは、花じゃないわ。そういう名前だし形をしているけれどね」


 こん棒のような――槍だそうだが、いかつい武器を見やる。

 そのジギタリスは、トルソーの傍らに立てかけられ、ハンドベルに似た突起がいくつも、とげとげしく並ぶ。

 美しくも妖しい紫色の武器は、しっかりと魔法陣の上に置かれていた。


「ああ、あれのことね――」

 リスティはそのジギタリスのほう、桜色のドレッサーに見つけて歩く。

 同じ色のスツールに手をもたせ、台に置かれた花瓶を取る。

 三面鏡に花が持ち上げられ、向こうに映る小さな妖精がこっちを見ていた。

「――気づかなかったけど、探せばあるものね。いつもあるはずのに、見ていなかったわ」


 ドレッサーをジャマしないような、シンプルな花瓶だった。

 白磁だが、先生に渡されたインスタントコーヒーとやらの瓶に形は似ている。

 そのタンブラーグラスみたいな瓶から花束を引っこ抜くと、別の花器に挿した。

「教室にはこれを飾りましょう? あなたはそこに入っていなさい」


 妖精はしばらく退屈そうにしていたが、リスティがシャワーを浴びて部屋に戻ると眠っていた。

 ネズミのステッチをまた枕に、すやすやと寝息が聞こえるようで、リスティは電気を消した。


 見えるものでないと探せない。

 見えているものでも、気づかない。

 探さなければ、気づかない。

 気づかなければ、見えない。


 見えているのに、気づかないものもあるのだろうかと、リスティも眠りについた。

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