第18話妖精とカラス

 羽はうっすらと、茜色に透けている。


 しかし何色ともいえない、見方を変えると色が変わるプリズムのようだ。


 小さい身体――ガラス瓶の中でウロウロと歩けるくらいで、羽だけは瓶いっぱいに広がっている。

 蝶のようでも、人間の子供のようでもあり、潤んだような大きな瞳をクリクリとさせている。

 身体に巻き付いているものは、植物のつたに、小鳥の羽根が葉のように生えている。


 逃げないだろうかと眺めていると、宙に浮いてフタ・・を突っついてきた。

 その手のひらがくすぐったく、しかしどこか愛らしく、リスティはニコリと笑いかけてみた。

「ねえ、あなたはなあに?」

 ガラス瓶の中の妖精は、無表情にただ見つめ返してきた。


 教室にひとりの声に、誰も返すものはいない。

 ただ夕日の沈黙だけが聞こえる。

「――妖精? それとも……水音みずねの言っていたタロゥかしら?」

 片手でハンカチを取り出して、そっと手のひらの代わりにした。

 妖精はかぶせられたものを見上げる。

 なめらかなガーゼのような白い木綿が空になり、瓶は閉じられた。


水音みずねならわかるのよね。――明日、見せようかしら」

 人差し指を下唇に当てていると、妖精も真似をしているのか、同じような仕草をとる。

 憎らしくもあるし、可愛らしくもある。


「ねえ、逃げないでいてくれる?」

 リスティの言葉に、ぱちくりと瞳が動いた。

「安心なさい。あなたがタロゥじゃなかったら、うちの動物園で飼ってあげるわ」


 リスティは片手を取られたまま、通学鞄を手に教室を出た。

 吹奏楽部のオーボエが最後のひと吹きに、辺りはしんと静まった。


 少しの気分の悪さを感じた。

 香りのないホットチョコレートを飲んだ感じだ。

 

 ギャア、と短く音が鳴る。

 管楽器の音ではない。いかに下手な練習だろうとだ。

 二階の廊下からは中庭が見える。

 さっきバーシアたちと別れたところだ、ユリノキやソテツが夕日に伸びている。


 窓から見下ろす中庭には、何人かの生徒が地面を囲っていた。

 焚き火を囲ったような並びでもなく、談笑をしているふうでもない。


 なにかとリスティは見やるが、それよりも妖精のほうが身を乗り出している。

 ガラスに小さな手のひらをつけ、食い入るように中庭を眺めている。


 特に気になるわけでもないし、ここで見ていても仕方がないと、階段を下りた。

 階段を折れ曲がると、瓶の中からはなにかを言いたそうに見つめてくる。

 リスティよりも妖精のほうがずっと気になっているようだ。

 むしろ妖精の興味の先はなんだろうと、キャンパスの反対側――中庭へと出た。


 空気がのどをかすって絞られる声だ。

 その声は、生徒たちの足元から、羽をばたつかせて出されている。

 遠目には黒いビニール袋にも見えたが、それは鳥だった。

 カラスなのか、生徒は険しい目をして囲んでいた。


「――こいつ、まだ生きてる」

「とどめをさすぞ、もう一発だ」


「ねえあなたたち。それはなあに?」


 運動部だろう、その男子たちは顔を見合わせてから言った。 

「……魔物だよ、これが魔物だ。――捕まえたからどうしようと思ってよ」

「知ってるか? これでもヒナなんだぜ。成長したらもっと大きくなる」

「その前に見つけてよかったよ」

 見ればわかる、とリスティはやはり立ち去ろうと、その前に魔物を見下ろす。


 芝生に転がったその魔物は、羽をやられたのだろう、バサバサとうごめくが飛ぶことはない。

 辺りには散らばる羽根がぬめるように黒光りしている。

 カラスにしては一回り大きそうだが、羽を折られて縮こまって見えた。

 のど元の毛が乱れてはげていて、ヒュウヒュウと鳴いている。

 醜いといえばそれまでのものだ。


 ――ネズミ。


 その魔物の傍らに、それがあった。

 キラリと夕日に光る。

 気づいたのは、ガラス瓶の中からの視線もあった。

 妖精は、のたうつ魔物よりもそちらのほうを見つめていた。


 ネズミのステッチの、ビーズアクセサリーだ。


「おい、近づかないほうがいいぞ! ――いきなり出てきやがって、おどろいたけどな。とっさに魔術を放ったよ。がむしゃらだたったけどそれがよかったんだな」

「ふうん、それで返り討ちにしたのね?」

「……返り討ちもなにも、見つけたから魔術を撃ったんだよ。――なあ、俺たち退治屋みたいだろ? なれるんじゃないか?」

「市役所に持っていくと報酬があるらしいぞ。とどめを刺そうぜ」

 魔物は、カラスのような羽をバサリと動かす。

 しかし力なく、真っ黒な目は虚空を見つめている。


 リスティは、芝生に手をやった。

 水音みずねのなくしものだ。

 拾い上げて手に包むと、追いかけるように妖精もその手を見つめている。

 手の中で、見た目以上にキラキラと輝いた気がした。


 それに比べて、眼前の光景はなんと淀んでいるのか。


 ――浅慮。

 その言葉が浮かんだ。


 わざわざ学園に出てきた魔物のことだろうか。

 得意気ににやついているこの生徒のことだろうか。


 リスティは、その醜い魔物のヒナを、冷たく見下ろした。

 そして生徒たちにその目を向ける。

ほふるなら早く屠りなさいな。――ご存知? 針一本でもできることよ? それができずにこうなったのなら、魔物の運が悪かったのね」


 生徒たちがなにを考えているのかわからないが、目が合うだけで嫌悪が走った。


 ああ、そうかと、リスティは理解した。

「これが浅慮なのね。確かに大馬鹿者だわ」

 中庭からきびすを返して校舎を抜ける。

 キャンパスへ出ると、ギャア、と振り絞ったような鳴き声が聞こえた。


 カランと瓶が、きれいな音に鳴る。

 リスティは、ビーズアクセサリーをガラス瓶に入れてみた。

 妖精は落ちてきたものを、のぞき込むように見つめる。

「こわしたらダメよ。私のお友だちの、大切なものなのだから」

 妖精は小さい指先で、それを突っついたりなでてみたりしていた。

 そのビーズのひとつのように、クリクリとした瞳も並んでいた。




 後部座席に通学鞄を乱暴に放りこむ。

 夕日を段々と鬱陶うっとうしくも感じ、背を向けて座席に乗り込んだ。


 バタンと運転席も閉まり、相変わらず黒一色の女性が視界に入る。

 シートベルトを締めた指は、細いうなじに向けて髪を滑らせた。

 ルームミラーで一瞬目が合い、カチカチと鳴るウインカーは発進して音を消した。


「――よろしくないことでも?」

 しばらく走っていると、雨嘉ユージアが尋ねてきた。

 不満そうにリスティは答える。

「このままなにも聞かれずに帰り着くかと思ったわ。でもそれでもよかったのよ?」


 スモークガラスからの街は、人の顔を気だるく見せていた。

 そのなかにさっきの生徒とは違うが、運動部らしき姿もあり、鼻でため息をついて反対側の窓を向く。

 見続けていると、やっと海が見えた。

 オレンジ色は濁ったように暗みに沈んでいく。

 ツンと尖った三角の山は、海に突き出るような位置にそびえている。


「お嬢様が校舎から見えた前に、少しの魔力を感じましたが」

「――ねえ雨嘉ユージア。あなたはおいしくない料理をいつまでも眺めているの? 私は嫌なことをいつまでも頭に入れておきたくないの。なにか楽しい話でもしてみせなさいな」

「はあ……」

「少しの魔力はあったわね。でも私じゃないわ」

「なら良いのですが」

「その話は終わったの。ねえ雨嘉ユージアこれを見てちょうだい」

「これ、とおっしゃられても、運転中ですので」

参眼サードアイで見なさいな」

 運転席からため息が聞こえた気がした。

 車は信号の列で止まり、ようやく雨嘉ユージアは目線をよこす。


 リスティはガラス瓶を眺めて遊んでいた。

 瓶をかたむけるとネズミのアクセサリーが滑り、妖精がそれを追いかける。

 妖精は瞳をクリクリとさせるだけで無表情なのだが、どこか楽しそうでもあった。

「――なんでしょう、妖精……ですか?」

 車は再び発進する。

 トンネルに入ると、オレンジ色の照明がガラス瓶にリズムを作る。

 妖精はなにごとかとキョロキョロと首を回す。

「そう見えるわよね。そうかしらね」

「学園でお捕まえに?」

「学園から出ていないもの。ねえ雨嘉ユージア、妖精ってどういうものかしら? 見世物で遠くからは見たわ。あとは童話や書物でしか知らないの」

「そうですね……」

 雨嘉ユージアはしばらく考える。

 海沿いの道路からいくつか曲がり、田畑の道に入った。

 木立を抜けていく途中で雨嘉ユージアは口を開いた。


「妖精というのは――」

「ねえ雨嘉ユージア。私はあなたに質問をしたけれども、今は妖精と遊んでいるの。また後で聞いてあげるから、ジャマしないで?」

 ガラス瓶を揺らすとビーズアクセサリーも揺れ、妖精はキョロキョロと追いかける。

 新しいおもちゃを手に入れたように、リスティは楽しそうに遊んでいた。

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