第10話足置きとゼラニウム
――なにか間違えたのだろうか……。
あれから楽しい会話もなく、お食事会はお開きになってしまった。
みんなの笑顔が引きつっていたようにも見えた。
警察が来てなにやら騒然としていたが、面倒なことになる、とバーシアが言い、みなで逃げるように店を去った。
「――それは、お嬢様を気遣ってではないでしょうか?」
「そう……なのかしら。みんな、また明日と言ってくれたけれども……」
「その、バーシアという方は退治屋なのでしょう? でも他はそうではない。お嬢様ももちろんそうです」
「なにか問題があるの? 私の邪魔をしたのだから
リスティは紅茶を口に運び、当然のように言った。
「……また物騒なことを。……いいですか? 退治屋でもないのに魔物を倒してしまうと、取り調べが面倒なんです。遭遇してから討ち果たすまで事細かに聞かれますから。そもそもなぜライセンスがないのに魔物を倒せるのか、などと身元を調べられるわけです」
「それはいけないわ。私は身位を隠しているのだもの」
「そうです。それに武器の所持……召喚と言ってもです。――入学初日に警察の取り調べを受けたら、学校生活にも影響が出ますよ?」
「なおさらいけないわ! 私はどうすればいいの?」
「逃げる判断をなさった、そのお友だちに感謝することですね」
「ああ……やっぱり私を助けてくれたのね……お友だちって素晴らしいわ……」
リスティは感動にソーサーを震わせながら、ティーカップを置いた。
カチャリと、玄関のホール脇の小部屋――お茶をたしなむための部屋に、品の良い高い音が鳴った。
ほのかに優しく花の香りがした。
「――そうそう、ねえ
「教室の花を用意するのですね?」
「ええ、やっぱりどこでも華々しくあるべきよね。――ああ、そこのあなた。こちらへいらっしゃって?」
リスティは、壁際に並ぶ侍女のひとりに声をかけた。
そして侍女は、主人の言葉通りに四つん這いになる。
「今日はね、大層な椅子に腰かけたの。おかげで落ち着かなかったわ。――そこで気づいたの。やっぱり華が必要だって」
リスティは足元に侍女を招き、その背に脚を置いた。
足置きにされた侍女はうれしそうに、そのほかの侍女は羨ましくそれを見つめている。
「私ね、一般の生活にもすぐに慣れそうな気がするの。まずはあの殺風景な教室を飾りつけるわ。とても苦労しそうよ?」
人差し指を下唇に当てて楽しそうに思いをはせる。
自分の教室を、華々しく貴金属で飾ろうと考えていた。
「でも王室では決してなかった、この苦労をすることが、一般人なのでしょう?」
「……まずは侍女を足置きにすることをやめましょうか。話はそれからです」
「あの……それで、飾りといえば、その……魔物との戦いで、お使いになられたレイピアは……」
執事のクロカワはさっきからそわそわと、アームタオルの下で手の落ち着きをなくしている。
「レイピア? ああ、これね」
リスティは通学鞄から、銀の小剣を取り出した。
正確には、剣、だったものだ。
「折れちゃったわ」
クロカワは震える両手で飾り柄と刀身とを受け取り、両膝をドスリと崩した。
「おおお……そんなばかな……! 国宝級の……美術品が……!」
悪夢でも訪れたかのように、クロカワは嘆いた。
もうすぐ白目でも剝きそうに青ざめた顔だ。
「思いっきり叩いたら、折れたのよ。使えないわよね」
「ああ……これは……かのトリスタン卿の悪夢を断ち切るべく妖精が作った剣で……ああ……見事に真っ二つに……」
リスティは夕間暮れの前庭を見やった。
「ディナーはまだかしら……」
「ううう……私めの調べが早ければ……こんなことには……」
「ねえ
「……わかりました、給仕に急がせます。――クロカワ、使えない剣を嘆いても仕方ないと思う」
「うっ……うっ……ですが……国宝……うっ……」
「ねえクロカワ。次は使える剣を見つけてらっしゃいな」
打ちひしがれるクロカワをよそに、リスティはお茶室を出た。
「――それでね、みんな帰ってしまったの……」
ガーランドは、厨房からテーブルまで呼ばれていた。
「はあ、そのときの様子……というか、お顔はどうだったんです?」
リスティは、鶏肉のローストをいじりつつ考えた。
キャベツを細かく刻んだマヨネーズソースを絡めながら答える。
「笑っていた……気がするわ」
「なら、良いことではありませんかね?」
料理係のガーランドは、エプロンに手をやりながら重ねて尋ねる。
「おどろいたり、戸惑ったり、そうしながらも笑ってらしたんでしょう?」
「うん、たぶん。……でもね、私もよく作り笑いをするわ。しなくてはならないときってあるもの」
「そのお友だちは、そうだったんですか?」
リスティはナイフとフォークを置いた。
「ううん、違う。何ていうのかしら……本当に楽しくて、おもしろいような……お食事のときも、別れたときも、そんな感じだった。わからないけれど……」
「なら、それでいいじゃありませんか。――あたしは魔法もわからないし、今の若い子のことなんてなおさらわかりませんよ? でもお嬢様にお友だちができたのなら、それだけでもあたしは嬉しく思いますよ」
おだやかに話すガーランドの言葉に、菜の花のマリネのマスタードが、ツンと鼻を突いた。
「あ、あとね。ナポリタンというお料理があったの。とてもおいしかったわ」
「それなら作れますよ。――そういったものでよければですが。こんどお召し上がりになられますか?」
「ええ、ぜひ! ……でもね、お友だちがいたからおいしかったのよ、きっと」
「それはそれは、そうでしょうねえ。――ああ、それでしたら……」
「――バーシアも
ガーランドは、じっとりとリスティを見つめる。
リスティの見たことのない顔だった。
「お嬢様、お友だちにそんなことをしても喜ばないと思いますがね。もっと喜ぶことがあると思いますよ?」
「まあ、なにかしら? 何か言いかけて?」
「いいえ、お嬢様が考えなさってください」
「まあ、おばさまって意地悪ね。担任の先生のようだわ」
「その先生方の言うことも、聞かなければいけませんよ?」
ますます意地悪ね、とリスティは食事を終えた。
薄く透けたカーテンからは、月は
空高くなのか、屋敷の周りの林に隠れているのだろうか。
リスティの部屋には、天体の運行をモチーフにしたスタンドライトが部屋に明かりを廻らせていた。
リスティはベッドに座り込み、飾り枕に背を埋めている。
「――それで、なんで私を呼んだのさ?」
ヴァネッサは髪もぬれたままで呼びつけられていた。
「だから、明日、どうすればいいのかなって思ったの」
バラの刺繡の
ゼラニウムとはちみつの香りが立ち込めるが、いつもより気持ちは落ち着かない。
リスティは、どこか心の内を吐き出したいものがあった。
「知らないよ。んー、クロカワが泣いてたことと関係あるのさ?」
「泣いてたの?
リスティはクルクルと髪をいじりながら、マッサージにうっとりと瞳を閉じた。
顔色をうかがうように侍女がおそるおそると口を開く。
「申し訳ありません、お嬢様……下に敷くタオルが足りなくて、取ってまいります」
「まあ……! タオルがないなら、あなたがタオルになればいいじゃない」
リスティは脚を伸ばして侍女に押さえつける。
ベッドに横向きにうつ伏させ、ふくらはぎの下に敷いた。
「……お嬢様……ご褒美をありがとうございます……!」
「タオルに口はないわ」
なぜか喜ぶ侍女を押して踏むとますますうれしそうに、もうひとりの侍女は羨ましそうにするので、リスティはもう放っておくことにした。
「ねえヴァネッサ。そんなことよりも、お友だちってなにをすればいいのかしら。……明日、教室でまた会うじゃない? たとえばどういったお話をすればよろこんでもらえるのかしら……」
ライティングデスクにもたれて、リスティの教科書をパラパラとめくる手が止まった。
そのヴァネッサはキャミソール姿で、肩に向けてうねった髪をかき上げて答える。
「知らないよ。お嬢様の話したいことを話せばいいじゃんかさ」
「だって、あなたって知り合いが多そうなんですもの。――ねえ聞いて。私、お友だちが三人もできたのよ?」
「えっ、三人も……! 噓でしょ……!」
ヴァネッサは驚きのあまり、机からガタリと落ちた。
友だちとは伝説の存在だと、教えてくれた本人だ。
「それが噓じゃないの。幻でもないわ、肩に触れたのですもの。――ねえ、ヴァネッサ。あなたってとても長生きしているんでしょう? お友だちとどう接したらいいか、そういう話を聞いたことない? もちろん伝説でもいいわ。参考になると思うの」
ヴァネッサはストンと足を伸ばして床に着いた。
表情が豊かであることで、そう見えるのかもしれない。
「あ、ああ……そういうのは
「聞いたわ。でも興味がなさそうなんですもの」
「なら……私はもっと役に立たないと思うけどさ。――結局はお嬢様次第なんじゃないの? 深く考えなくても、ふつうにしていればいいと思うけどな。わかんないけど……」
「ふつうに……。そうね……そのために学園に来たんだものね」
「じゃあ、私はお風呂に戻るよ……。……友だち……私すらいないのに……」
黒いレースの裾が、ふらふらとドアへ向かう。
その
「……ねえヴァネッサ。……
少しきょとんとして、ヴァネッサは小首をかしげた。
「細長い生き物? そういうのを学校で習うんじゃないの? まあ、とりあえずは学生なんだから勉強の心配しなよ。あといちおう先生の言うことも聞くんだよ? そういうことで私は手伝えないけどさ……」
おやすみ、とドアは閉まった。
やはり、先生の言うことは聞くべきものなのか。
教師とはどのくらい身分の高い存在なのかと、リスティは首をひねった。
きっと王室に次ぐくらいの地位にあるのだろうかと考えていた。
ひとりがいなくなっただけでだいぶ静かに感じる部屋に、リスティの思い悩むようなため息がもれる。
「……もういいわ。あなたも戻ってちょうだい」
足元の侍女はオイルを拭き取って、大判のタオルをまとめた。
タオルだった侍女も、さびしげに立ち上がる。
その片付けを見やりながら、リスティはもやもやとした感情に説明をつけようとしていた。
――不安。この私が……。
恐れ、ではない。焦燥だろうか。
めずらしく悲観的になっているだけだろうか。
それはどこから出て来るのだろうか。
一般生活、華係、友だち……。それとも言い知れぬ蛇のことからだろうか。
侍女のけなげな就寝のあいさつにドアがパタリと閉まり、リスティはシーツに足を滑らせた。
行き場のないようになんども足をこすり這わせた。
ゼラニウムの香りの残る脚を、ベッドに沈める。
またあの恐ろしい蛇の夢を見るのだろうか。
どうせなら、今日できた友だちの夢を見たい。
それとも、友だちといっしょなら、あの夢にも立ち向かえるのだろうか。
そしてやはり、蛇に吞まれた。
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