第9話ケチャップとレイピア

 トラックのコンテナは内部から激しく打ち叩かれ、車体も横転さながらに揺れだす。

 運転席、それと助手席から、乗っていた男が青ざめた顔で飛び出して逃げていった。


 そして、ガツンと荷物扉がはじけ飛んだ。


 扉が吹き飛ぶほどの衝撃に、のしりと黒ずんだ巨体が出される。

 コンテナからついでにゴトリと鉄のおりがかたむいて落ち、ギイギイとその術紋の施された扉を揺らす。

 出口を探して暴れていたのだろう、その魔物が姿を現したのだ。


アレ・・に入れて運んでいたか。……で、ぶち破れるほどの力だ。――引き付けてみるから、君たちはゆっくりと下がるんだ」

 男はリスティたちに告げ、じわりじわりと魔物に近づいて行く。


 その魔物は、男の倍ほどの体格があり、獣毛におおわれた肢体を大きく伸ばす。

 その形相は、怒りと興奮があふれていた。

 ヒグマのようなその魔物は、恐ろしい目つきで男を捉えた。

「こっちだ、こっちだ! 来やがれ!」

 その男は退治屋なのだろうか、ゆっくりと誘導するように魔物を引き寄せる。

 そうしつつも魔力をハチェットに込め、迎撃するタイミングを狙っている。


「いいぞ、こっちだ。間界警察が来るまでおとなしく――」

 魔物が駆けた。

 その突進は、身構える男よりも速く頭突きを放った。

 ゴロゴロと吹き飛ばされた男を追いかけ、さらに腕を振るう。

 バチリと放電のような音がはね、男はまたも転がっていった。

 テラスのテーブルを乱しながら、店舗の建物にぶつかって止まる。


 そしてぐったりとうずくまった。

 魔法使いであるからには、魔力のバリアで致命傷はさけられたのだろう。

 だがその直撃に、魔力へのダメージを激しくくらった男は息を荒くして伏せた。


 その店舗には従業員が、怯えながら受話器を持つ。

 間界警察――魔力関係専門の警察部署――を声を震わせて呼んでいる。


「おいおい! あれって魔熊まぐまじゃないかよ!」

「バーシアって、退治屋なの?」

「いちおうな。――でも猫ちゃん・・・・は没収されたし、あったとしてもあのクラスの魔物だとどうだか……。早く水音みずねたちも逃げな!」

「ううん、わたしは退治屋じゃないけど、少しだけなら……戦えるから!」


 水音みずねは通学鞄から、手帳のようなものを取り出した。

 革の表紙はだいぶ古びているようで、しかし丁寧に扱われているようだった。

 その表紙をサッとなでると、閉じられたままのページからは一枚のカードがするりと飛び出す。

「――アリィはあの人をお願い。動きだけでも止めてみる。行って! ゴーレムハンド!」


 ――まさか、これって……!


 リスティは、その正体に気づいた。


 ナポリタンスパゲッティがほのかな甘みを帯びている。

 ピーマンだけではないその甘みは、玉ねぎからのものだった。

 自然な甘みのほかに、シャッキリとした歯ごたえまでも演出している。


「ピーマンと玉ねぎによる、甘みの二重奏デュエットだわ!」

 そう時間をかけて炒められたものではない。しかしその素朴さが、しんなりとした具材のなかでひときわ新鮮に映るのだ。

 油に照った玉ねぎがリードするように、ナポリタンに輝きを加えている。


 まわりの騒がしさなど、どうでもいい。

 このなぜだろう、初めて食べたはずなのにどこか懐かしい料理に、すっかりほっぺたが緩んでしまう。

「これは……ルージュ家にも……いえ、王室にも紹介すべき料理よ……!」


「おい……リスティは身体が弱いんだ、アタシたちで守るぞ……!」

「うん、なんとかがんばってみる1」

「花を愛するけなげな女子を傷つけさせません!」

 三人はリスティを気遣って、かばうように陣形を取った。


「リスティ、心配すんなよ! アタシたちが守るから!」

「リスティは具合悪いんだから、無理しないで!」

「魔力の回復は、私がやります!」

 アリィが走る。

 艶やかな黒髪を流して、その優しげな表情も、今は緊張に包まれていた。


 ヒグマのような魔物――魔熊まぐまは、先ほど吹き飛ばした男に、なおもとどめを刺そうとしつこく寄って迫る。

 そして地面が、オープンテラスの板床がうねり始めた。

「ゴーレムハンド、魔物をとめて!」


 板床から、丸太のような土の塊が湧き出る。

 大地から現れた、巨人の指のようだ。

 土色でできたその柱は、魔熊まぐまの前にふさがり指を曲げる。

「すごいな水音みずね、あれはなんだよ」

「本当は、巨人の手なんだけどね。わたしの魔力だと指一本しか召喚できないの! アリィ、今のうちに!」

「はい!」

 ぜえぜえとうなだれる男にアリィが駆け寄る。

 魔力は神聖魔法の陣を組み、治癒エイド系の魔法が男を包んだ。


 ゴーレムハンドの指は、ピアノを叩くように魔熊まぐまに折れ込み、魔力と魔力がぶつかる。

 アリィの神聖魔法は倒れた男の魔力を癒し、咳き込みとともに意識を戻させた。


 魔熊まぐまは巨人の指を抱きかかえ、その剛腕で潰しにかかる。

「うう、ゴーレムハンド――耐えて……!」

 水音みずねは古びた手帳を抱きかかえ、魔力を込める。

 しかしパラパラと、土の塊は音を立てて壊れていく。


 魔熊まぐまはおたけびを上げ、その魔力を砕いた。

 土くれがはじけ飛び、水音みずねの召喚したゴーレムハンドは蒸気のようにその姿を消した。

「そんな……」

 水音のもとにカードは戻り、力なく光を失ってするりと手帳に滑り込んだ。

「十分だぜ、時間は稼げた!」

 バーシアの突き出した両手に、中空の魔法陣が輝いている。

 円陣の中心から、黒魔法文字で――炎、弾、放つ、二つ――。

 そのトリガーが唱えられた。

「イグニブレット!」


 バーシアの手元からの魔力は、魔法陣を通って発火する。

 爆発音とともに、銃弾のごとく陣から放たれた火炎弾が魔熊まぐまを撃つ。

 二発の発射は、その巨体に命中した。

 轟音が、炎が、そして魔物のおたけびが上がる。


 ――すごいわ……なんて表現したらいいの……!


 リスティはウインナーに狙いをつけた。

 安っぽく輪切りにされたウインナーが、フォークの先から口へと運ばれる。

 しつこいほどの油が弾け、荒っぽいうま味がにじみ出す。

「悔しいわ……悔しいけど、一級の料理にも引けを取らないのよ……! なぜ? なぜなの? この私がこんなものを食べたことがなかったなんて――」


 口いっぱいのケチャップの酸味を、粉チーズがふんわりとまろやかにする。

 普段は一口ほどたしなんだら皿を下げさせるリスティが、このナポリタンスパゲッティをなんども口に運んでいる。

 その姿を、王宮の料理人が、執事が見たらなんと思うだろう。

 矜持をやられて傷心旅行にでも出てしまうのではないだろうか。


 たまたま学園の近くにある店のランチ限定メニューなのだ。

 それがこんなにも味わい深い料理を提供してくるなんて。


 爆炎の煙の向こう、なおもその影はうごめいている。

 そして魔熊まぐまは、その向きをバーシアの方へと変えた。

「まずい……まずいぞ……!」

「いいえ、バーシア。謙遜なんていいの、もう認めましょう? ……これは最高の料理よ……」

 リスティはもう一口、こんどはパスタと具材とをいっしょにフォークに巻きつけてほおばった。

「品がないかもしれない。お行儀だって悪くしたわ。でもいいじゃない。だって……こんなにおいしいんだもの……!」


 魔熊まぐまはバーシアに、水音みずねに、そしてリスティの方へと駆け出す。

 体重の乗った足は速く、床を蹴りテーブルをぶちかまして突進してくる。

「リスティ、逃げろ!」

「うう、別のタロゥ――間に合わない!」

「みなさん! 逃げて!」

「わかったわ!」

 リスティは立ち上がる。


「わかったの。――私、おいしさの秘訣が……わかったのよ……!」


 ――ああ、これよ……これなのよ……!


 リスティは、紙ナプキンで口元を拭いた。

 赤いケチャップが、美しく唇の形に写される。


 ――これが、友だちなのね。


 おしゃべりをして笑いあって、景色に花が咲く。

 食事を分かち合い、心配だってしてくれる。

 ほんの些細なこと――そう、こんな魔物が現れたくらいのことでも、お互いを思いやって助け合っている。大げさなくらいに。

 そう、家族のように、大切なものだ。


 そんな友だちといっしょだから、なにもかも輝いて見えるのだ。

 そんな友だちと囲う料理だから、おいしく感じるのだ。


 リスティは右手を高くかかげる。

 足元の魔力が円を走り、ふわりと渦を巻いた。

 光のきらめきがリスティの全身を包み込み、キラキラと跳ねた。

 まるでピンクダイヤモンドのシャワーを浴びているようだ。


 かかげた手には、銀のレイピア――地下室で眠っていた美術品がにぎられる。

 自室のトルソーの魔法陣から、召喚したのだ。


「お友だちとのひとときを――邪魔しないで!」

 リスティはレイピアを叩きつけた。

 魔熊まぐまが床に、頭から叩きつけられる。


 脳天からの一撃に巨体は白目を剝いた。

 そのままズシンと倒れ、ヒグマのような魔物はピクピクと痙攣しだす。


「この! 私の! お友だちとの! お食事会を!」

 リスティは上品にプリーツスカートに両手をそえて、魔熊まぐまを踏みつける。

「晴れやかな日の! 邪魔をして! 覚悟なさい!」

 何度も何度も、もう動かずにぐったりとしている魔物にかかとを打ちつける。

「今日は祝日なの! おだやかな時間を! 台無しにしてっ……!」

 白目を剝く魔熊まぐまは、頬にローファーのかかとをグリグリと押し付けられ、その顔を歪ませる。不思議なことにどこかうれしそうにも見えた。


「……まったく。――さあ、みなさん! お食事会の続きをしましょう!」

 リスティは、パンと手を合わせて三人に向き直る。

 ケチャップよりも艶やかな、紅い唇を優しくニコリとほころばせた。

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