phase1.1

 「本当に、大丈夫なんですか……?」


「何やってんだよ一体……」


 穹は純粋に、クラーレは呆れ混じりに。テーブルに並んで座る二人の反応はそれぞれ違うが、どちらもハルを心配していることに変わりは無い。


「申し訳ない。面目ない」


 ハルは一旦スプーンを置き、二人に頭を下げた。それから手元に置かれたお皿に注がれている、湯気の立つシチューを掬い、一口分口に運んだ。

 美月は軽く身を乗り出した。


「お味はどう?!」

「問題ない。本当に、わざわざ作らせてしまってすまない」

「いいんだよ、料理大好きだもん! せっかくたくさん作ったし、夕食にでもしてよ!」


 ハルが食べているものは、美月が作ったキノコや秋野菜の入ったシチューだった。


 エネルギー不足で動けなくなったハルは、たまたま近くに転がっていた鉄パイプを囓ろうとした。それを阻止し、急いで食材を買いに走って作ったのだ。


「萬月屋のお菓子もありますよ~!」


 未來がもともと持参してきていた和菓子の箱を差し出した。アイが「洋食と和菓子ですか……?」と首を傾げた。


「知らないのアイちゃん? 今地球人達の間で、とても流行っている食べ合わせなんだよ~!」

「なんと、そうなのですか。勉強になります」

「未來さん、妙なこと教えないでくれます……?」

「星原家じゃよくする食べ方なのに~」


 穹の突っ込みに未來は不服げそうだった。結局どっちが正しいのかと、アイは不思議そうに二人のことを交互に見ていた。


「……ハル、なんかあんた焦ってないか?」


 クラーレが頬杖をつきつつ、片手で膝の上に乗るシロを撫でる。ハルのほうを見ずに言ったその台詞には、確信が込められていた。


「焦り、か。焦ってはいない。私には感情を沸かすことができないから」

「……早朝から深夜まで実験室や自室に籠もってたかと思えば、今日の実験だ。一体、どんなことを考えているんだ?」

「……早く、パルサーを見つけようとしているまでだ」

「でも、今までこんなことしなかったでしょ?」


 美月は口を挟んだ。


 呑気にのんびりと構えて行動に移さない、などということはしてなかったハルだが、それにしたって突然、色々と早急な行動を取りすぎているように思う。

 今日のハルは、明らかにおかしかった。


「……もう地球に来てだいぶ滞在した。同じ場所に長く止まれば止まるほど、捕まる可能性は跳ね上がる。君達に守られてばかりではなく、ちゃんと自分自身で出来ることはやらないといけないと、改めて考えたまでだ」


 美月は他の面々と目を見合わせた。言葉の表面だけ見ればそうなのかと頷けるものだった。

 だが、まだ言っていないこと、隠していることが裏に存在してある言い方にも感じた。


 自分も含め、皆同じことを感じたのか、微かに動揺しているようだった。


「私が勝手に動いているだけ。だから気にせずに、皆はどうか普段通りの日々を過ごして欲しい」


 お皿の中のシチューを、ハルはゆっくりと混ぜた。


「い、いや、そんなこと言われても……」

「それより、ミヅキ達。時間は大丈夫か? いくら歩き慣れた裏山と言っても、夜の山は大変に危険だ」


 あ、と美月は壁に掛かっているデジタル時計を見た。そこには現在の地球時間が表示されており、今の数字はそろそろ家に帰らないといけない時間を示していた。


 まだ言いたいことも聞きたいことも残っていたし、違和感も完全に消えていなかった。


 だが、はっきりとした形ではなくあやふやであったため、違和感を飲み込み、美月と穹と未來は宇宙船を出て、帰ることにした。


 日はほとんど傾ききっており、山の中は既に薄暗かった。急ぎ足で下山して、もうすっかり歩き慣れた、住宅街と裏山を繋ぐ道を進む。


 5月上旬、ハルとココロと遭遇した日から何度も行き来し使用した道を、今日も歩いた。


 辺りは薄闇に包まれており、道の脇に立つ電灯には明かりが灯っていた。


 11月も下旬になると、もう秋と言うより冬の気配が濃くなってくる。特に夕方ともなれば、それはますます顕著だった。吹いた木枯らしに、美月は思わず身を竦めた。


「寒っ!」

「もうすぐ冬だねえ~」


 未來が、傍の家の軒先に植えられている木を見上げた。葉はほとんど落ち、茶色い枝が伸びているばかりとなっていた。


「……ハルさん、大丈夫かな……」


 宇宙船を出て以降何かを考えている素振りを見せていた穹が、ふいにぽつりと言った。


 美月は真顔になり、未來と共に頷き合った。それは自分も考えていた事だ。ハルは一体どうしたのか。何を考えているのか。


「実験が上手く行かなくて、落ち込んでいるのかな~?」

「落ち込んでる、っていうか、うーん……。……パルサーのトラップ、ねえ……」


 脳内にて、何度も何度も爆発してその度に煙がどっと吹き出てくる風景が再生される。


「あの様子じゃあ、完成に一年とか二年とか、もっとかかりそうな気がするなあ……」

「一年とか二年、かあ~! 私達ってその頃、一体何してるんだろうね~!」


 美月は上空を見上げた。「秋は夕暮れ」とはどこかで聞いた言葉だが、もう夕暮れを通り越し、夜に近づく空が広がっている。


「私はやっぱり料理の道に進みたい!」

「美月は本当にブレないね~」

「ミーティアを継ぐって決めてるからね! 穹は?」

「ぼ、僕はまだそこまではっきりと将来の夢を決めてはいないんだよね……。

でもそうだな、文学部とかがある学校に行けたらいいなとは思ってるよ。色々な本に触れて過ごしたいな」

「穹君らしいね~!」

「未來さんは?」


 うーん、と未來は一瞬俯いて地面を見つめた後、今度は空に視線を向けた。


「写真家になって、地球中回って写真を撮りまくるとか面白そうだな~って思ってるよ!」


 首から下げてあるカメラを両手で持ち、未來はにっこりとはにかんだ。

 そうしてカメラを構えて笑っている姿を見ると、本当に叶えてしまいそうな奇妙な説得力を感じてくるのだから不思議だった。


「ハルやクラーレやアイはどうなっているのかな。あ、ココロやシロはどんな風に成長しているんだろう!」


 ふと思いついたので言ってみた。けれども穹も未來もうーんと零すだけで、こうなっているだろうという予想を述べることはなかった。それは美月も同じだった。


 だが恐らく、数年程度なら全員そこまで変わらないとも思っていた。けれどココロは今とすっかり変わっているはずだ。


 どんな風に成長しているんだろうと想像していると、ふとカメラをいじっていた未來が俯いた。


「……将来か。大丈夫かな。将来、心のない世界になっていたら、どうしよう」


 美月は浅く息を飲んだ。真顔になった穹と顔を見合わせ、しばしの間考え込んだ。


「……でも、大丈夫じゃないかな! だってほら、最近全然ダークマター見ないじゃない!」


 だが今の状況で、様々な想定について深く考え込む事は出来なかった。


 今の状況とは、ダークマターからの襲撃が一切途絶えている状況を指す。


 最近、ずっと襲撃も戦闘も無い、平穏な日々が続いていた。その穏やかさたるや、そもそも最初からダークマターには狙われていないのでは、と何度か錯覚を抱くほどだった。


 襲撃が無いというのは美月個人の感覚ではなく、客観的なものだ。事実ハルとアイの二人が慎重に調べ見回っても、痕跡も気配も欠片もないとのことだった。


「白旗揚げたんだよ! きっと! 恐らく!」

「絶対に違うと思うけどなあ……」


 穹に言われるまでもなく、多分違うであろうことは理解していたが、それでも襲撃がずっとゼロである日が続いているのは間違いない。


 平穏な日々が続くことは決して悪いことではない。出来ることならこのままずっと、今日と同じような日が続けば良いと、美月は思った。


「明日も良い天気になるといいな!」


 美月は顔を上げ、次いで目線を、西に向けた。


 空のずっと低い位置に、月が昇っていた。その月は、赤色だった。赤銅色に染まった月が、ほぼ目線と変わらない位置にぽっかりと浮かんでいた。


 血のような色。普段見る月と全然違う様相に、美月は急いで、そこから目を逸らした。


 背筋と、心の辺りが妙にざわざわとして、落ち着かなかった。


「美月、どうかした?」

「う、ううん、なんでも……」

「じゃ、私こっちだから!」


 十字路に差し掛かったところで、未來は手を振りながら、別の道の先へと歩いて行った。美月と穹も手を振って未來を見送り、再び歩き出した。


「新メニュー考えてるんだけどね、どうしてもイメージに合う格好いい単語が思い浮かばないんだよ……。姉ちゃんも一緒に格好いい単語探すの手伝ってくれる?」

「嫌だ! 絶対に嫌だ! 私のセンスまで悪くなる!」

「ひっ、ひど! あの格好良さがわからないなんて姉ちゃんは可哀想だね!」

「可哀想で結構ですー!」

「いいよもう、じいちゃんとやるから! じいちゃんは格好いいって言ってくれるしね!」

「それはおじいちゃんの優しさだよ優しさ!」


 そんな会話を交わしながら、住宅街の角を曲がる。この道を進めば、家に辿り着く。


 前方を見ると、見慣れた自宅の近くに、見慣れない車が一台、止まっていた。


 真っ白な外見に、上方に取り付けられた赤いランプ。辺りが暗くなっているおかげで、そのランプの明るさが、赤色が、鋭く目に突き刺さった。


「え……?」


 息を失った。どうして家の前に、救急車が止まっているのだ。


 開け放たれた玄関から、隊員の手によって水色のストレッチャーが出てきた。その上には、誰かが乗っていた。


 風が動いた。穹が救急車に向かって駆け出していた。だが美月の足は動かなかった。


 何が起こっているのかわからなかった。何が起きたのかを理解したくないという思いがあった。


 震える両足を使って棒立ちになったまま、ただ点灯する赤いランプを、網膜に焼きつけ続けていた。


 救急車のもとまで走った穹が、今度はこちらに向かって走ってきた。何度も転びそうになった穹の体は震えていて、顔は真っ青になっていた。


 血相を変えて駆け寄る姿に、頭の中が混乱を通り越し、真っ白になった。


「じいちゃんが、倒れた、って」


 全然整っていない息の中、穹はそう言った。


 すぐ近くでサイレンの音が聞こえた。耳をつんざく音は、救急車と共に、あっという間に走り去り、遠くなっていった。


 道の向こうへと走っていき小さくなる救急車を見た時、美月の足はようやく動いた。

 

 だが、今更走れる状態になっても、もう遅かった。

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