Part5:地球編・冬

Chapter1「予感の合図」

phase1「近づく変化」

 トレンチコートを夜風にはためかせながら、ハルは天を仰いだ。


 周りが深い森に囲まれた小高い丘の上。街の明かりがずっと遠いので辺りは暗く、おかげで数え切れないほどの星を視認することが出来た。雲も少なく、観測には絶好の天気といえる。


 星の光が無数に瞬く空の一点。夜空を駆け抜けるように、一筋の細い光が一瞬の間に流れていった。


「ま、また流れた! み、見たか、今の見たか?!」

「ちゃんと観測した」

「おお、良かった! ……って、また流れたぞ!」


 隣に座っている同行人の人間が、ハルの肩を掴んで揺さぶる。


 この人間は先程から流れ星が見られる度に、こんな風に興奮気味にいちいち声を上げていた。忙しなく空とハルを交互に見ては、わざわざちゃんと見たかどうか確認を取ってくる。


「しかし、本当に見事な星空だな! 宇宙船に乗って来た甲斐があった!」


 青年は星空を見上げながら、感慨に浸るように言った。それは何より、と返すと、「連れてきてくれて、ありがとうな!」と笑ってきた。


 最近根を詰めすぎがちなこの人間の気分転換になればと考え、ハルはこの天体観測に誘った。

 ある星で流星群を見られるそうだから行かないか、と。向こうはすぐ了承してきた。


 そうしてやって来た訳だが、こちらに来る際、相手は天体観測に使うとみられる機材や道具をたくさん持参してきた。


 だが今回の目的は星を眺めるのであって、調査でもなんでもない。

 そんなに必要無いのだがと言ったのだが、いやいやと相手は首を振った。せっかくの流星群なのだから徹底的に行いたいと宣言してきた。


 息抜きのつもりで来させたのにここでも根を詰めている、と考えたが、それでもこうして星を見る青年の横顔は、輝いていた。

 楽しいや嬉しいの感情で満ちあふれていると、一目見てわかった。


 「ほ~……!」と感嘆の声を一人上げながら星空を見つめ続けていた青年が、ふいに天頂に向かって指を指した。


「凄い星の数だぞ、ハル!」


 空のどこを見ても、自身に備わっている計算能力をもってしても数えられないほどの星が光っている。


 そうだな、とハルは頷いた。


「星は実に不思議だ。ここから見たら全部同じに見えるが、近づいて見れば、星は全部違う形をしているのだから。一つとして同じものはない。

……これは、凄い奇跡だと思わないか?! どの星も、そこに存在していることが有り得ない程貴重なのだ! だからどの星も全てが大切で、一つも欠けてはいけないのだ!」


 続けて頷く。ここから見上げれば、星はどれも同じ色、同じ光、同じ形に見える。

 けれどもそれはそう見えるだけであって、実際の星はそれぞれ違う見た目を持っており、異なる特徴を持っている。


 そんな当たり前の事実をこの青年は、心の底から感動しているとわかる調子で言う。感極まりすぎているせいか、声が若干震えていた。


「この多くの星空の中に、多くの人達が住む文明のある星が存在するのだな!」


 静かな森の中に、青年のどんな時でも大きくて明るい声が満ちる。

 先程から青年は、星空を記憶に焼き付けるように、目をしっかと見開いて、ずっと見つめていた。


「この宇宙に生きる人の数を全て数えたら、まさに、“星の数ほど”になるんだろうな。そしてそういう人達も星と同じで一つとして同じものはない、宇宙にいることが奇跡のような存在だ。俺はそんな人達を、一人でも多く笑顔にしたい! 改めて、そう思う!!」


 彼は笑った。その笑顔は、初めて会ったときから、変わっていなかった。


 今やすっかり大人なのに、幼い子供のような、純粋で無垢な笑顔。暗い場所でもすぐわかるような、明るく輝く曇りの無い笑顔。


 心の底から、彼は幸せそうだった。幸せそうに笑っていた。


 この記憶を読み込んだとき、ハルは思い出す。


 星空が鏡のように映り込んでいた、あの人間の瞳を。


 一番最初に、思い出すのだ。






 「む……」


 夜半に行われる全体メンテナンスの途中で、ハルは再起動した。


 本来ならメンテナンスが終わるまで再び起動することはないが、主に緊急事態、例えばココロの身体状態に変化が起きたのを検知した場合などは、メンテナンスを中断し起動されるようプログラムしている。


 自身が横になっている寝台の隣を確認するまでもなく、ココロの身に何が起きたかはすぐわかった。


 電気の落とされた部屋の中、ココロはベビーベッドの上で大きく声を上げて泣いていた。


 ハルはココロを抱え上げると、背中をとんとんと叩きながらゆっくり揺らしつつ、部屋の中を歩き回った。


 けれどもココロはなかなか泣き止まなかった。盛大な泣き声を上げ続けるココロに、このままではクラーレやアイやシロが起きてしまうと判断する。


 ハルは部屋のドアを開け、そのまま船内を進み、外に出た。


 宇宙船に取り付けられてある梯子を登って機体の上まで向かい、そこに腰を下ろす。吹く夜風の温度を計測すれば、すっかり寒くなってきたことを実感した。


 防寒対策をしっかり施してきたココロを見てみると、彼女は口も目も閉じて、すやすやと寝ていた。


 先程まで大きな声量を発していたというのに、今やその影は微塵も見えず、起きる気配は窺えなかった。


 ハルは、ココロから夜空に視線を移した。先程記憶データを読み込んでいた際に出てきたあの星空ほどではないものの、数多くの星を観測出来た。


 メンテナンスの最中、ハルは会話も、動くことも、ものを見ることも、音を聞くこともできなくなる。

が、唯一記憶メモリの読み込みは、自分の意識に基づき行っている。


 メンテナンスの間も、完全に休んでいるわけではない。


 例えば、容量を整理する名目で、今日新たに仕入れた情報の中でどれが必要でどれが不要なデータかを取捨選択。

 今まで保存している記憶メモリを振り返って、新しい知識に役立てることができないか、知識を増やすことが出来ないかの学習。


 そういったことを、内部で行っている。


 その際時々、ハルの意思に関係無く、あの人間との時間を振り返るときがある。


 あの人間と過ごした時間の中で、ハルはそれまで知る由も無かった多くのことを知った。


 あの人間は、今一体、何をしているのか。


 詳しい動向を知る術は無い。ハルはAMC計画に反対し、あの人間はAMC計画に強く賛同を示した。たった一つの意見が食い違ったことにより、絶縁状態となった。


 その直後、終わりの存在しない逃亡を始めた。


 自分のようなロボットただ一体が計画に反対したところで、何も変わらない。

 そう判断して、だからダークマターから〈mind〉を盗み、ファーストスターから逃げ出し、宇宙を駆け抜け続けた。


 あれから、随分と時間が経過した。


「一人の旅になるだろうと考えていたが」


 もう一度ココロを見る。小さい声で発した台詞のため、ココロが起き出すことはなかった。


「ココロがいたから、一人ではなかったな」


 たとえココロの耳に届いたとしても、返されることはない。ハルは、わずかに手に力を込めた。


「私が必ず、君を──」


 風が吹き、木々が大きくざわめく。顔を上げる、暗闇の立ちこめる夜の山の奥を見据える。

 秋の虫の声が控えめに鳴いていること以外に、気配はない。


「異常を異常と気づかない。それ自体が、一番の異常だ」


 ずっと、襲撃がない。偵察ロボットの巡回もない。その状況の表層だけ見れば、ここ最近の状況を、「平穏」だと表することが出来る。


 だが、それは決して有り得ないことだと、ハルは知っていた。


「何をしているんだ、サターン……」

 





 宇宙船内に入った瞬間だった。どかーーーんという爆発音が頭上で鳴り響いた。

 穹と未來と共に天井を見上げれば、衝撃のためかがたがたとわずかに軋んでいた。この状況で不安を抱かない方が無理な話だろう。


「おいっ、またかよ!」


 だがどかどかと廊下を進んできたクラーレは、不安や心配を抱いているようには見えなかった。


 美月達を見ると短く「ついてこい」と言い、ひどく苛立った様子で歩き始めた。美月達はクラーレの後を追って、宇宙船の二階に上がった。


 今の爆音の原因はなんだったのか。廊下を見れば、それは一目瞭然だった。


 奥にある、ハルの実験室がある場所から、火事かと見紛うばかりの煙が漏れ出していた。


 その煙の間をかき分けるようにして、若干足下のふらつくハルが現れた。


 羽織っている白衣は煤が大量に付着して汚れており、白衣と言うより灰色の衣にしか見えなかった。


「ハルッ、あんたいい加減にしろっ! 今日一日でどれだけ爆発起こしたと思ってんだ!!」


 目を三角にしたクラーレがどすどす足を踏みならしながらハルに詰め寄った。

 だがハルは返事をせず、振り返って濃い煙が充満する実験室内をじっと見ていた。


「聞いてんのかこら! 早朝からぼんぼんぼんぼん爆発させやがって! 何度爆発起こせば気が済むんだ!」

「よし、もういいだろう」

「ああ゛?!」

「続ける」


 耐えず流れ出てくる煙がわずかに落ち着いた瞬間、ハルは白衣を羽織り直すと、まだ煙の燻る実験室内に入っていった。


 クラーレがそんなハルの態度に関して、部屋の外からぎゃいぎゃい声を荒らげていた時だった。


 どかーーーんと再度爆音が鳴り響き、一気に煙が飛び出してきた。部屋のすぐ外にいたクラーレも、その憂き目に遭った。


「いい加減にしろーーー!!!」


 着ている服が煙の仕業により黒くなったクラーレは、ごほごほとむせつつ怒鳴った。


 その声に応えて出てきたのかは不明だが、ハルが煙の中から現れた。先程よりも更に汚れた姿になっており、頭のテレビ画面にはわずかにヒビが入っていた。


「ココロとシロがなあ、ずーーーっと怯えてんだよ! 泣いてんだよ! 音に驚いてんだよ! 配慮しろっ! 外に逃げてても聞こえてくんだよ!」

「また失敗か」

「聞けよ! この前はココロに対してあんなに親馬鹿になっていたのに今度は無関心かよ! 酷すぎじゃねえかおい!」


 クラーレがなぜこれ程怒っているか、その理由がわかった。未來が、「クラーレさんもだいぶ親馬鹿ですね~」と笑った。


「ミライちょっと黙ってろ!」

「ク、クラーレ、落ち着きなよ……。ハルさんも、一体どうしたっていうんですか」


 穹は宥めた後、困惑した目つきで、廊下に転がる実験室の扉を見下ろした。


 ひしゃげた形の扉のみこうして無残に転がっているのは、十中八九、爆発の被害に遭ったからだろう。


 その間にハルは、いつの間にか煙が漂う実験室の中に入っていった。


「実験の最中だ。爆発音が気にならないのであれば、ゆっくりしていくといい」

「待て、まだ話は終わってな」


 三度目の爆発が起こった。直後、反対方向の廊下の奥から、勢いよくドアが開け放たれる音が届いた。


「もう我慢なりません!」


 ばたばたと走ってきたのはアイだった。彼女は、いよいよ足下が完全に不安定になって出てきたハルに駆け寄った。


「師匠! あまりにも無茶です!」

「しかし、この実験が成功したら、次の段階に移行することが出来る。やらなくてはいけないんだ。アイも、クラーレも、皆も、どうか気にしないでほしい」

「できるかよ!!」


 今にも掴みかかりそうな勢いのクラーレを、穹が必死で抑え込む。その横で未來が一人、煙しか見えない部屋と化す実験室を覗き込んだ。


「一体、何がハルさんをそんなにさせてるんですか~?」

「……パルサーだ」


 ハルは、白衣ではなく黒衣と言ったほうがいい程煙で汚れた白衣を脱ぎながら言った。


「パルサーは、数秒単位で現れては消えるを繰り返す特殊な物質。宇宙船を飛ばすのに必要不可欠なエネルギーだ。皆に捕獲を頼んではいるが……」

「うっ……。ご、ごめんね、まだ見つからなくて……」


 耳に痛い言葉だった。頼まれていることなのに未だパルサーを捕まえることは出来ておらず、ハルの決定的な力にはなっていない。

 そもそも捕獲どころか姿を見つける事すら難しい始末なのだ。


 美月が縮こまると、ハルは即座にかぶりを振った。


「いや、容易いことでないのは重々承知の上なんだ。しかし、今のままの状態を続けていれば、皆の負担になる。それはずっと危惧していたことだ。……ところで、通常はパルサーをどうやって捕まえているか、知っているか」


 首を振った。知る由も無いことだった。


「地球に流れ出たのでパルサーは地球内部を現れては消えるを繰り返しているものの、本来は宇宙空間にある物質だ。

宇宙の広さは知っての通り。広大なんてものではない宇宙空間を、短期間の内に出現と消滅を繰り返すパルサーを探して捕まえるなど、現実的な話では無い。時間も人手も技術も何もかもが足りなくなる。

そこで、通常パルサーを捕獲するときは、“トラップ”を使う」


「トラップ?」


「意図的にパルサーをそこに出現させ、その場に留めておくものだ。意図的にと言っても実際に出現させるまでには時間がかかる上、留めておくと言っても長期間、というわけではない。

しかし、確実性が存在するという事で、画期的な代物であることには間違いないんだ」


「えええ!!」


 美月は大きく仰け反った。そんな便利なものが存在していたとは。


 だが周りを見回してみると、穹と未來は目を丸くして同じように仰け反っていたが、クラーレは何とも形容しがたい微妙な顔をしていた。


「……俺の記憶が正しければ」

「その通り。トラップはダークマターが最初に生み出したダークマター製品。手に入れようとすれば足がつく」

「作ることは出来ないんですか~?」


 未來が実験室を見ながら言い、つけているコスモパッドを指さした。


「ただのおもちゃだったっていうコスモパッドをこんな風に改造できたハルさんなら、普通に出来ちゃう気がします!」

「いや。トラップ制作は特殊で、かつ非常に専門的で高度な知識を有するもの。私は幅広い分野に知識を得ている自覚があるが、その分“浅く”なる。トラップ制作の知識を、私は得ていなかった。……だが」


 ハルは首を捻り、アイを見た。


「アイが来てから、状況が大きく変わった」

「はい」


 アイは頷いた。


「寝返った際、わたしの知ってる限りの情報を、師匠にお教えしました」

「その中にトラップ制作に関するデータもあった。だから私は、こうしてパルサーのトラップの制作に乗り出した。……換気はすんだな。再開する」


 言いながら、ハルはさっさと実験室に入っていく。煙はだいぶ薄まったものの、完全に消えてはいない実験室の中央で立ち止まると、作業台と向き直った。


「私一人で作るとなると十年はかかる計算だし、全ての時間を制作に捧げても五年はかかるだろうが」

「……え?」

「それでもやる。絶対に作り上げる。なるべく早く完成させなくてはいけない」

「あのですね、師匠」


 アイが一歩前に出た。いくらなんでも無謀すぎると言ってくれるのではないかと、美月はアイの背を見ながら期待した。

 すうと息を吸い込む音が聞こえた。


「わたしもお手伝い致します!」

「はっ?!」

「む?」

「わたしもトラップ制作に尽力させて下さい! 一人より二人という言葉が存在するではないですか、恐らく一人でやるよりもずっと効率的になるかと考えられま」

「アイッ、あんたもハルを止めろ!!」


 クラーレが声を上げると、アイは邪魔しないで欲しいと言いたげな冷たい目をしてそちらを見上げた。


「どうでしょうか、師匠」

「駄目だ、危険だ」


 ハルは首を縦に振らなかった。確かに危険なのは、この惨事を見れば充分に理解することが出来る。


「ですが……」

「とにかく、君達は巻き込まないと決めた。だから──」


 その時だった。ぐらり、とハルの体が傾いた。あっと思う間もなく、ハルの両膝は、地面についていた。座り込んだまま、ぴくりとも動かなくなった。


 何事かと全員で駆け寄った時だ。ハルのテレビ頭が、おもむろに振り向いた。


「エネルギーが不足している」  



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