phase4.1
腕が自在に動けるようになってから、上半身を起こすことが出来るようになるまで、数日要した。
その間起きた大きな出来事に、ミヅキ達から人形展に誘われたことが挙げられる。
もしかしたら大切の理由がわかるかもしれないと告げてきて、行ってみようよ、とミヅキは目を輝かせた。
なぜ敵と外出したいのかと考えると好ましくない状況ではと考えた。
が、そう返すとミヅキは「アイと行ってみたいから行きたいの!」と理屈の欠片も無い理論を展開してぐいぐい押してきたので、結局こちらが折れる形となった。
「しかし人形展ですか……。私は人形じゃ無くてロボットですよ」
人形展のことが掲載されている雑誌を見ながら言うと、ミライは「まあまあ細かいことはいいじゃない~」と笑い飛ばした。
「まあ私は人形と似たような存在ですが」と言うと、ソラがどこか複雑そうな顔つきになった。
それ以外に特段大きな事はなかった。それはもう、
それはハルも気にしていたようだ。プルートがいなくなったのに偵察ロボットの影も見えない、探しに来ている気配もないことを異常に考えているようだった。
あるときアイに聞いてきたので、どうせ黙っていても何にもならないと、自分の施してある「細工」について伝えた。
もともと旅の期間、誰からも横やりを入れてほしくなかった。
その為、実際に帰還の連絡を入れた後、地球を出て宇宙へ向かったという信号を飛ばし、宇宙空間のルート上で通信を絶った。前後の展開が不自然にならないための工作も抜かりなくしておいた。
話し終わったとき、ハルは「なかなか大胆なことを」と呟いていた。ハルがこの話を信じたか信じていないのかは定かではないが、それ以外何も言ってこなかった。
が、言いたいことが残っているのは察知できた。
その時間稼ぎが終わったとき、アイはどうするのか。そう聞きたいのだろう。それは自分も聞きたいことだった。
体は動かず、よって何もできないため、考える時間は山ほどあったにもかかわらず、その時間を有効に活用することができなかった。
ただ施術室の天井を見上げ続ける日々だった。
こんな風に同じ姿のまま長時間居続けることはロボットとして普通に出来ることなので何も感じなかった。
が、ハルは「感情のプログラムが作動しているから、そのうち退屈の感情を感じ取れるようになってくるはずだ」と言っていた。
言葉通り、それから少し経つと、時間の流れがやけに遅く感じるようになってきた。退屈とはこういう感覚を指すのだと知った。
様子を見に来るミヅキはアイの姿を見て、「ずっと寝て無くちゃいけないなんて私だったら退屈で死ぬ」と言っていた。
ロボットのアイに置き換えた場合だと、「退屈で壊れそう」とは微塵も感じないので、人の感じる退屈本来の感情と比べると、薄めのものなのかもしれなかった。
実際、ソラの持ってきた本を読んで過ごしていると、あまり退屈とは感じなかった。
見舞いに来たソラにその礼を告げると、にっこり微笑んで気にしないでほしいと言い、また新たな本を色々持ってきた。
色々読んだが、中でも一番よく読み返したのは、ミライが貸してきた星空の写真集だった。ふとした拍子に、ページを開き、一つ一つの星空を目に入れていた。
星空の撮り方はどれも異なり、それによって映る星の質感や雰囲気も全く異なる。
けれども、映る星そのものは、どれも同じようなものだ。白く、丸く、小さい粒が、暗い空一杯に敷き詰められている。
近くで見れば星は一つ一つ違う姿形をしているのに、遠くから見れば同じ光、同じ形に見える。個性の無いその光景を見ていると、勝手に自分について考え出す。
壊れても直る存在。今のアイと全く同じ“アイ”を作り出せる、量産が可能な存在。姿も感情も人間に寄せたところで本物にはならない、偽物の存在。
ここにどうやって個性を見つけ出せばいいのか。
「この宇宙でただひとり」の証明ができる存在で無いのに、どうして博士は、いつもアイのことを、大切と言っていたのだろう。
ミヅキ達はどうして、人間と同じように接してくるのだろう。
台の上で動けない間、ミヅキ達は毎日アイの様子を見に訪れた。
三人とも、ただ敵の状況を探る為に来ていると考えるにはあまりにも警戒心が薄くて、この人間達ほどわからない人間はいない、と三人といる間ずっと考えていた。
この三人はアイが今まで出会ってきた人間達の中で、一番わけがわからない。
ミヅキは、お腹が空いてないかよく聞いてきた。
人間と同じようにものを食べる必要性はないのに、何も食べていないと答えると、翌日自分が作ったというお菓子やお弁当などを持参してきた。
受け取るのを拒否するのも捨てるのも理由が無いので、持ってきたものは大人しく食べた。
どの料理もレベルが高いと判断できて、残さずお腹の中に収めることに抵抗を生じさせなかった。
食べている間、ミヅキは「動けるようになったらミーティアに来てね!」と言っていた。
今こんなメニューがあること、それがいかに美味しいかという事とどれだけ自分が好きかという事を語り、また一緒に料理したい、とも口にしていた。
ソラは、本の話や、自分が考えた料理のレシピの話などを聞かせてくれた。
この前読んだこんな本が面白かったと感想を語るソラは、ふいに話を止め、「退屈じゃ無いかな?」と気遣ってくる。
問題ないと返し、「本の話をしているときのソラがソラらしいです」と付け加えると、ソラはほっとした顔になり、本当に嬉しそうに笑った。
レシピの話をする時は本の時と違い、どこか目に真剣な光が宿る。
料理は難しい、まだまだ勉強が足りないと言い、けれどゆっくりでも前進しているのを感じると嬉しいと笑う。
更に、自分の考えた料理の品名を語っているときは、目がきらきらと輝いて普段よりも熱の籠もった早口になっていた。
ソラがやや理解しがたい難解な長い料理名の解説をしていると、いつもミヅキに突っ込まれるか叩かれた。
ミライは、自分の撮った写真を持ってきて見せてきた。この写真を撮ったときはこんなことがあったなど、色々な話を語った。
どの写真にも、例えば初対面の人と仲良くなったとか、鳥の卵が孵化する場面に出会えたなどといった、何かしらのエピソードが存在していた。
「撮った」で終わらないのが、ミライとミライの心らしい、と感じた。
写真の他に絵を見せてくるときもあった。前衛的としか判断できないミライの絵を観ると、やはり心は難解なものだと実感できる。
自分の性能では言葉で形容しきれないミライの絵を何とか分析しようとじっと見つめていると、ミライは絵を気に入ってくれたんだと嬉しそうにした。
その横でミライの絵を眺めるミヅキとソラが、ずっと顔を青ざめさせ冷や汗を流していた。
この他に、今日あったことといった雑談など、三人は色々な話をアイに聞かせてきた。
話している三人はとても楽しそうで、しかしアイは、なんで三人が楽しそうにしているのか、ずっとわからないままだった。
どうして自分といて、楽しいと思えるのか。
博士も、同じようなものだった。博士も、アイを大切だと言うのと同じくらい、アイと一緒にいて楽しいと言っていた。
「アイといるのが幸せで、アイといるのが楽しいの」
博士はそんな風に言った後、アイに向かって笑う。
当時は幸せも楽しいも理解できないものだったから、無表情でそうですかと答えるしか出来なかった。
そんなアイの態度に博士はどこか悲しそうだったが、それでも確かにアイといるときの博士は、思い返してみれば、幸せそうで楽しそうだった。
感情を理解できるようになっても、偽物の感情を抱けるようになっても、博士が幸せと楽しいの感情を抱いていた理由はわからないままであるものの。
「大切と思う理由がわからない、か」
ハルはキーボードを叩く手を止めた。思考している少しの間体の動きを止め、また正確無比な手の動きを再開する。
「それは私も似たようなものだ。人間は時にロボットなどの機械を大切だと思う。その心理、つまり理屈はわかる。けれどどうして大切に思うのか、はっきり理解しているかと問われると微妙な所だ」
「ではどうやって納得しているのです」
「心の仕業であるものだと、“人間とはそういうもの”なのだと考えている」
「……難しいです」
考えてみたが、やはり割り切ることは難しい。ハルと違い、アイは製造されてから年数が浅い。
見た目の年齢は13歳頃と設定されているものの、本当はそれよりも幼い。故に、割り切られるだけの情報もデータもまだ充分得られていない。
「人間は不思議な生き物だ。計算で説明できないような、理解できない行動を取る。計算で説明がつかない「心」を抱いているのだから当然だが」
見慣れきった施術室の天井の灰色を見ながら、「そうですね」と頷く。
物持ちをよくするためといった道具として大切にするとはまた違い、まるで人間に接するように接してきて、生き物に対するのと同じような大切にしてくる。
人間は無機物に対して、そんな態度をよく取ってくる。そこまで懇意にしてくる人間に同じものを返す、要するに見返りを与えることができないのに、大切にしてくる。
「人間が見ている世界と、機械が見ている世界は、正反対と言ってもいい。心の存在の有無で、何もかもが変わってくる」
「……だとすると、わからないことはずっとわからないままかもしれませんね」
「限界はあるかもしれない」
わからないことが増えたのも、機械なのに人間の見ている世界を見ようとしているのが原因かもしれない。
そう考えていたら、自分でも全く意識せずに一人言を放っていた。そんな呟きに、ハルは反応を見せた。
「だがきっと、機械でも理解の出来る、大切の理由が存在するはずだ」
ハルはテーブルの上で、手を組んだ。
機械でも。その箇所が、なぜだか妙に大きく、深く聞こえた。
「まあ私はまだその理由を一つも見つけられていないのだが」
「説得力無いですね」
「面目ない」
律儀に頭を下げた後、ハルは片手でキーボードを幾つか叩いた。
「これでいいはずだが、どうだろうか」
アイは関節を駆動する動作用モーターの作動を試みた。時間をかけて上半身を動かし、ゆっくりと体を起こす。
問題はここからだった。全く言うことを聞かないただの飾りと化している下半身が、ちゃんと動くかどうか。アイは両足の部分に信号を向けた。
体が動かなくなってからは、どんなに信号を飛ばしても一切動くことの無かったモーターだが、果たして今は。
直後、動きたい方向へと足が動いた。動作は全て緩慢で、なおかつ直線的でかくついているものの、確かに動けるようになっていた。
起き上がった体を横に向け、足を床に下ろすと、素材の硬質さがしかと伝わってきた。久方ぶりに踏めた地面の感触に新鮮さを覚えた。
そのまま立つと、体はふらふらと揺れたものの、二本の足は確かにアイを支えていた。
ハルは頷くと、一枚の紙を手渡してきた。
「書かれている時間になったら、施術室に戻ってくるように。まだ充電と放電をしないでよくなったわけではないから、時間は守ってほしい」
「わかりました」
時間割を受け取り頭を下げた後、一歩二歩と歩き出す。瞬間、かくんと膝が言うことを聞かなくなった。
その場にしゃがみ込むと背後でハルの立ち上がる音が聞こえたが、駆け寄られる前に壁を使って立ち上がることが出来た。
壁伝いだと、時間はかかるがそれなりに安定して歩けることがわかったので、そろそろと手に壁を這わせ移動していくことを決めた。
「杖を持ってこようか」
「問題ないです。大丈夫です」
どのみち外に出るつもりはなく、わざわざ手間を取らせる程のことでもない。
歩くことに慣れるため、とりあえず廊下を往復することにしようと、ドアまで向かっていたときだった。
「アイは、どうするんだ。これから先」
びくん、と両の肩が震えた。一見なんの脈絡も意味も無いこの動作は感情による反応であるとわかるのに、どういう感情に基づかれているかは判断できなかった。
「わかりません」
これから先、歩くことが出来るようになって、動くことに支障が出なくなって、ここにいる理由が無くなったとき、自分はどうしたいのか。
「どうすれば、いいでしょうか」
「それは、私が決めることではないだろう」
そうですね、と振り返りかけていた首を元に戻す。
その時、ただ、という一言が、アイを呼び止めた。
「そのように何かを考えたことに対して、考えなければ良かったと感じる事は、恐らく起きない」
アイは何も返さず、そっと握りしめていた片手を開いた。
桜のかんざしは、変わらぬ姿でそこにある。
作り物の花は、いつだって満開のまま、そこにある。
今日も秋の色に染まる山を歩き宇宙船へと向かった美月は、付近で箒を片手に落ち葉を掃き集めるクラーレの姿を見つけた。
傍に置かれた大きな袋の膨らみを見るに、周辺の木から落ちてくる葉の量が多いことは容易に想像がついた。
「あっ、クラーレ! 精が出るねー!」
後で自分も手伝おう。美月はそういう思いを込めて声を掛けた。しかし顔を上げたクラーレが普段と違い、堅い面持ちをしていた。
「……ミヅキ」
「な、何?」
クラーレは無表情のまま、自身の背後にある宇宙船を指さした。
「あれ、見えるか」
クラーレが示したのは宇宙船の窓だった。よく見ると、等間隔に並ぶ丸い窓の向こうを、ゆっくりと移動する人影が見えた。
壁に手をついて歩いているのか、速度は非常に遅く、更に一歩一歩が覚束ない。時折がくんと体が傾き、その体勢を立て直すのにも時間がかかる。
それでもアイは、確かに歩けるようになるまで回復していた。昨日と比べると、歩みも安定し始めているように見える。
「アーーーイーーー!!!」
声を張り上げ窓の向こうに手を振ると、アイは立ち止まり美月のほうを向いた。
碧眼が静かに瞬きされた後、ふっと顔が逸らされ、宇宙船の出入り口とは反対の方向へ、またふらふらとした歩き始めた。
「良かった、元気になって!」
心の声がそのまま明るい口調となって飛び出た。人形展にも無事に行けそうだと思うと、わくわくとした気持ちを抱いた。
その上昇する気持ちを、「本当に良いのか?」というクラーレの言葉が鎮めた。
「……俺は、そうは思えない」
クラーレは箒を宇宙船の外壁に立てかけると、真正面から向き合ってきた。
「歩けるようになったって事は、それだけ行動範囲が広がったってことだ。身動きが取れない状況とは桁違いに危険が跳ね上がる」
首を傾げて「危険」の単語をおうむ返しすると、クラーレの目が険しくなった。
鋭い眼光を向けてくるクラーレは本当に久しぶりで、気圧されるより先に、珍しいものが見えたと逆に食い入るように見つめてしまった。
「あいつはダークマターのロボットだ。まさか忘れてないよな」
体が跳ねた。目が泳いだ。
忘れていたわけでは無い。頭の端に追いやられていただけだ。追いやられていただけで、その事実は、ずっと隅のほうで嫌な存在感を放ち続けていた。
「それがどういう意味かわかってるのか? つまり、敵ってことだ」
頭の隅に追いやっていたのは、その事実をなるべく見たくなかったからだ。
だがこうして改めて突き付けられると、認めざるを得なくなる。俯いた美月は、振りたくない頭を上下に振った。
クラーレの大きなため息が吐き出される。
「ミヅキもソラもミライも、なんでこんなに警戒心を薄く出来るんだよ。細心の注意を払って動向を監視しないといけないような相手だろ。ハルもハルでわけわからない。全然警戒している素振りが無いとかよ」
ハルは操縦室やエンジンルームなど、敵が行ってはこちらが不利になるような場所には頑強なロックをしてあるようだ。
だが最も厳重なロックをしなくてはならない宇宙船の出入り口の扉は、一応鍵を掛けてるようだが、それは簡単に突破できる程度のものらしい。
少なくともアイくらいのスペックを持っているロボットなら、手こずることもないレベルのものらしい。
機械に疎い自分でもわかるレベルだ、と以前クラーレは呆れたように言っていた。
しかしアイは一切外に出る素振りを見せない。
それどころか、宇宙船の中はわりかし自由に行動できるのに、自分に制限をかけるみたいに、あまり動こうとしないでいるのだ。
こんな風に廊下を行ったり来たりするくらいで他の部屋に入ることはほとんどせず、歩いた後は施術室に戻って台の上に寝る。
施術室と廊下を往復するだけの、美月からすれば警戒心を抱く必要もないほど、アイの態度は大人しく控えめだった。
だがそれもクラーレからすれば「白々しい」らしい。
「今日言ったんだよな、ミヅキ達はなんであんたに警戒心を抱かないのか疑問だって。そしたら、私も同じ疑問を抱いています、と返してきた。……なんなんだあの態度はよ」
「ク、クラーレ、仲良しとはいかなくても、せめてもう少し、そのトゲトゲした感じを控えてくれないかな……?」
「無理だ」
アイに対する敵意を瞳に漲らせるクラーレの目がこちらを向き、一瞬肝が冷えた。
これが当然の態度だと理解しているものの、クラーレはアイに対しての警戒心が非常に強かった。
アイがここに運ばれたときも、電源を落とした方がいいんじゃないか、それでも修理はできるんじゃないかとハルに言っていた。
目を覚ましたときもそう言ったので、アイに黙って勝手に電源を落とすなんてと、少しばかり言い合いになった。
最終的な判断はハルに委ねられたが、結局ハルはアイに対して何もしなかった。
ハルがアイに対してどういう考えを持っているか誰にも言わないのが、クラーレの警戒心を更に強める原因となっているようだった。
「でも、アイは凄い強いってわけじゃないって聞いたけど」
施術時、ハルがアイを分析した際、アイ本人の戦闘能力はそこまで高くないという結果が出た。
その意味での危険は薄いのではと言う前に、クラーレは「違う」と首を振った。
「危険ってのはそういう意味じゃねえ。いつダークマターとコンタクトを取るかっていう危険性だ。ここにいる間に集めた……会話の内容とか、そういう情報が伝わるかもしれない。
どんなに些細なものだとしても、敵の手に渡れば有益なものとして解釈される可能性がある。例えば無防備な時間帯とか、ここにいる間に見つけた“隙”が報告されるかもしれない。
そうなるとどうだ? 次の襲撃の時、こちらが崖っぷちまで追い詰められる可能性が高まるんだぞ」
「なんかクラーレ、ハルみたいだね」
「……言ってる場合か?」
淡々かつ論理的な口調にそんな感想が浮かんだので言ってみたら、案の定突っ込まれた。逆に言うと、その感想以外浮かんでこなかったのだ。反論も含めて。
「で、でも偵察も襲撃も全然ないじゃない、最近」
「ソラから地球の本を教えてもらったときにこんな言葉を知った。“嵐の前の静けさ”」
美月は言葉を詰まらせた。完全に俯くと、クラーレはまた吐息を漏らした。小さかったが、その分重くなっているように聞こえた。
「信じすぎると、必ず痛い目を見る」
美月に向けられた言葉には聞こえなかった。他の誰にも発したものではないように聞こえた。強いて言うのなら、自分に対して言っている言葉に感じた。
痛い目、と振り返る。アイは確かに襲いかかってきた。実際に戦った。
その時これでもかと感じたのだ。アイは敵なのだと。
だがその後、アイは確かにある一言を言った。その言葉を聞いて、美月の中で思いが固まった。アイと友達でいたい、と。
勢いを付けて、顔を上げる。
「私、この耳で確かに聞いたんだよ。心は大切って、この宇宙に必要だって」
「それが嘘で無いと、どうして言い切れる? 最悪の可能性は、いつだって考えとかないと駄目だ」
冷静に言い返され、美月が次の言葉を発する前に、クラーレは更に続けた。
「信じるほうがよくない事だってあるんだ。見えてるものが全てじゃ無い、見えてるものが真実だとは限らない……って、よく聞く言葉だろ」
よく聞くその言葉を耳にする度、理屈を理解することは出来るのだ。だが美月は、結局その理屈を、全て理解できない。
「わかってる。でも私は、見えてるものを信じたい」
目を逸らさず、真っ直ぐクラーレの目を見上げた。
先程まで鋭い眼光を向けていたのはそちらなのに、クラーレは自分よりも年下の相手に対し、はっきりと動揺を見せた。
「正直、クラーレと最初に会ったとき、あの時も疑おうと思えばクラーレのこと、いくらでも疑えたと思うんだよね。
地球を侵略しに来た宇宙人かもとか、それこそダークマターと何か繋がりがあるかもしれないとか。そうでなくても私達を危険な目に遭わせるような、怖い人かもって」
クラーレの目が伏せられた。だな、と頷きながら、呟かれる。周囲の空気に滲んでいくような声に、当時の記憶に浸っているとわかる。
クラーレがこちらの目を見てくるそのタイミングで、笑ってみせた。
「でも私、あまり考えなかった。クラーレのこと、疑いたくないと思った。だから疑わなかった。信じたいと思った。だから信じた。そしてこの心の声に従った結果、今の状況がある」
自分の心に従って、後悔したことがない。美月にとって最も後悔することは、自分の心を無視することにある。だから、と一字一句をはっきり口にする。
「だから私は、アイを疑うよりも、信じたい」
クラーレの目がきつく閉じられた。口もきっちり閉じられ、隙間から微かに唸り声が聞こえてくる。
これでわかってくれるだろうか。少なくとも、自分が何を思っているか、わかってもらえただろうか。思った時だった。
「……そういう精神論や感情が通用する状況じゃないだろ!」
ばっさりとした一刀両断。だが今の美月の精神状態は、両断されたまま大人しくいられるものではなかった。
「……クラーレの、わからずやっっっ!!!」
「はああっ?!」
クラーレの眉がつり上がった。
美月の基準だと、自分は一度怒り出したら、治めることは簡単ではなくなる。
「警戒しすぎなんだよクラーレは! もう少し気楽に行ったほうがいいって!! 考えすぎなの!!」
「だから一番気楽でいちゃいけない状況なんだよ! もし何かあったとき、俺は後悔したくねえんだよ! 考えすぎたほうがいいんだよ!」
「アイはその“何か”は起こさない!!」
「なんで言い切れんだ!!」
「目を見ればわかる!!」
「なんだそりゃ!!」
「アイは嫌な感じがしないの! 一緒にいて、嫌な感じが全然しないの! 信じる理由はそれだけで充分!!」
「納得できるか、駄目に決まってんだろ!!」
「……もーーーーー!!!!!」
頭をどう動かしても、相手を納得させられる理論的な説明が浮かばない。もどかしさで、全身が引きちぎられそうだった。
思いきり頭を抱えた後、勢いよくクラーレを指さした。
「じゃあいいよ、私の勘がばっちり当たってること、今証明するから!!」
「いや何をす」
「ハルーーーーー!!!!!」
空気という空気を振動させる勢いで大声を上げると、程なくして宇宙船の扉が開き、見知ったテレビ頭が顔を覗かせた。
「どうした」
「ココロの水鉄砲持ってきて! あと大きめの布も! 出来れば黒で!!」
「わかった」
一度船内に引っ込んだハルが言いつけたものを持って現れると、美月はハルの頭を布でグルグル巻きにして覆い隠した。
結果、長身の人間が頭を黒い布ですっぽり巻かれた、およそ「普通」とは程遠い怪しさしかない物体が完成した。
ハルの特徴とも言えるテレビ頭が隠されただけで、だいぶ異質な存在に変化を遂げている。
「あ、コートあるとハルってわかっちゃうな、じゃあ脱いで!!」
「ミヅキ、これは一体」
「いいから早く!!」
面倒だったのでトレンチコートを引き剥がすように脱がし、呆然と立ちすくむクラーレへ無造作に投げた。
「で、私の手首掴んで!! そして水鉄砲突き付けて!!」
「?」
「こうだよ!!」
美月は自身の背中に回した手を、ハルに掴ませた。残されたハルの片手に水鉄砲を握らせ、発射口を美月に向けさせる。
よし、と手応えを覚えた。
これでいわゆる、“悪い奴に人質になっている状況”を再現できている。
窓の向こうにまたアイの歩く影が見えたのを確認した瞬間、美月はありったけの声を腹から出した。
「アイ助けてえええ!!! 悪者に捕まったあああ!!!!!」
びく、とハルとクラーレの体が大きく震えた。
目を白黒させて瞬きするクラーレの後ろで、窓向こうのアイが立ち止まり、碧眼がこちらを向いた。美月と間違いなく目が合った。
一回、二回と瞬きがされた。直後、アイの青い目が細められた。隙間から見える瞳が、絶対零度の冷たさを放った。
何をしているんだこの人間は、というアイの言葉が聞こえないはずなのに聞こえてきた。
そして彼女は、扉と反対方向へ歩き出した。
「あっ、えっ、ち、ちょっと、どこ行くのーーー!!!」
声の大きさは充分すぎるはずの美月が手を伸ばすのもお構いなしで、アイの姿は完全に見えなくなった。
「あれ……?」
「はっきり言って状況が全く掴めないのだが一体これはなんだ、というか私はいつまでこうしていればいいのだ」
「あれ……?」
「お、おい、ミヅキ……」
あからさまに引いた顔つきのクラーレが、やけにかくついた動作で近寄ってきた。
「まさか今のがさっき言ってた“証明”ってやつか……?」
「……これ以外思いつかなかったの!!」
あの場面でアイが助けに来てくれたら、クラーレもアイに対する警戒心が少し薄まるかもしれないと考えたのだ。
だが一方で、これが非常に無理のある作戦だと理解してしまっていた。
「いや、うん、あれだ。ミヅキの気持ちはよくわかった」
頭を掻いたクラーレが視線を泳がせた。その目には明らかに動揺の色があった。それがふと薄れた。
「……なんでここまで必死になるんだ」
「えっ」
「ソラとミライにも前に同じことを聞いたんだよな。その時、二人は友達だからって答えた。それと同じか?」
その通りと頷こうとした。だが出来なかった。それ以外に存在する、もう一つの理由のほうが大きかった為だ。
クラーレが「ミヅキ?」と気遣わしげな口調で名前を呼んだ。それで抵抗が無くなった。
「わからなかったの」
一言呟いた。クラーレが首を傾げた。
「私、穹の心、全然わからなかった。でも、アイは知っていた」
穹は自分の心を隠していた。穹に隠し事はないと思っていたのは全くの幻想で、実際は大切なものを隠してばかりだった。
今でこそ、穹は大事な部分を自分達に見せるようになった。だが、隠していたという事実を、なかったことには出来ない。
自分には隠していたことを、アイには教えていた事実も。
「私の何が駄目だったのか、アイといたら、わかるかもしれないって思って」
「ミヅキ」
背後から声がかかった。振り返ると、ちょうどハルが頭に巻いた布を取っていた。
「ミヅキはミヅキだ。そして、アイはアイなんだ。人はそれぞれ出来ることは異なり、だからこそ成し遂げられるものがある」
美月は目を瞬かせた。視界の端で、クラーレが頷いた。
「……人形展に行って良いのかって……あいつを外に出していいのかって、ずっと考えてた。だが、まあ、やっぱりミヅキは、自分の心に素直に従ってた方が、結果的にどんなことも上手く行きそうだな。……ミヅキの心は、よくわかったよ」
うん、と頷いた。ありがとうとごめんなさいも忘れなかった。
クラーレに言った理由も、嘘では無い。しかし、理由はそれだけではなかった。
隠していたものがもう無い今のアイと、向き合いたいと。
その為に、悔いの無いように動きたいと。それが、アイに対する態度の、根幹部分にある理由だった。
「にしても、なんで水鉄砲なんだよ」
「わ、悪者の武器のイメージって言ったら銃しか思い浮かばなくって」
「いやなんだそりゃ」
「私もミヅキの理屈がわからない」
「何なのよ!!」
ふと、視界の端で、何かが動くのが見えた。見上げると、宇宙船の窓の端に、じっとこちらを見る人影がいた。
歩き去ったと思っていたのに。
アイには表情が無く、だが何かに思いを馳せていることは、なんとなくでも伝わった。
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