phase4.1
人が信じられない。クラーレは長い間、その感情を抱いて生きてきた。
他者の心が、自分の心を傷つける。今までもそうだったのなら、これからだってそう。勝手にそんな思考回路に変化し、勝手に思い込みが深くなっていく。
目に入る全ての人が心に刃物を忍ばせているようで、いつ切っ先が自分に向くかと、そればかり考えるようになる。
刃物から自分の心を守る方法が、自分の心を閉ざす以外、思いつかなくなる。
人が信じられなかったときは、ただただ息が詰まるような思いばかり抱いていた。
目に入る者全てが信じられなくなり、仕舞いには自分がなぜここにいて、どうして生きているのか、自分の居所を見失っていた。
今のソラは多分、ミヅキ達と出会えていなかった頃の自分と同じような状態にある。
クラーレは顔を上げた。目の前に建つ二階建ての一軒家を見据え、ゆっくり息を吐き出す。ぴったり閉じられた家の玄関から、視線を逸らさない。
ソラ。この家に住む人間の名前を呼ぶ。
ソラは言っていた。自分の事をどう思っているのかと。自分の事を、役立たずだと、足手まといだと、いらないと、必要無いと思っているのでしょう、と。
その全てに、クラーレは首を振ることが出来る。違う、と断言することが出来る。
しかし、ソラは聞かないだろう。皆といてずっと辛かったと言った時のソラの目は、すぐに記憶から蘇らせることができる。
そうなのか。俺達といてずっと辛いから、だからこれ以上自分の心を傷つかせないために、離れたのか。俺達のことを、信じられなくなったから──。
傍の電柱を殴ったつもりだったのに、拳からは弱々しい力しか発せられず、音も鳴らなかった。
人を信じられなくなる気持ちは、クラーレなりに知っている。だがそれは、ソラのことを本当にわかっている意味には繋がらない。けれど辛さは、わかっているつもりだ。
自分の立っている足場があやふやになり、曖昧になっていく感覚。世界に自分は一人だけなのだという思考に体が沈んでいく感覚。
もう既に人が信じられなくなっているソラは、その感覚を味わっているはずだ。
そんなソラに、クラーレは更に追い打ちをかけることをしなくてはならない。崖の縁に立つソラの背を、突き落とさなくてはいけない。
ミヅキから、アイはまだソラと接触していると連絡が来たのは、昨日の夜のことだった。
強い危機感を覚えたクラーレは、ソラに全ての真相を伝えに行くことを決意し、ここに来た。
胸の辺りを両手で鷲掴む。結末がわかっている行動を取ることは、体がばらばらに砕け散りそうな気持ちを抱かせるのだと気づいた。
許してくれ、と唱える。これ以外に思い浮かぶ方法が無いのだ。ソラの身を守るために、ソラの心を傷つけなくてはならない。
クラーレは決めていた。この役目は自分が背負うべきだと考えていた。ミヅキやミライにはさせられない。ハルにも頼めない。何も気づいてやれなかった自分が行うべきなのだ。
自分への罰などとは言わない。そんな立派なものではない。ただ、役立たずの自分が出来る、最低限の義務だった。
ミヅキから、ソラがほぼ毎日、遅くとも夕方頃に出かけることは聞いていた。カラスの鳴き声を耳にしながら、恐らくそろそろだろうと予測した。
徐々に乱れてくる息を懸命に押さえ込む。この期に及んで、まだ玄関が永遠に開かれないでほしいと願ってる自分に、胃の底に泥が溜まるような感触を覚えた。
その玄関が、音を立てて開かれた。出てきた人物を見た瞬間、クラーレは地面を蹴った。
「ソラ!!」
ちょうど玄関を閉めたソラは振り返った。クラーレを映した瞳が一瞬見開かれ、直後、その目から光が失われていく。
顔を背けられる前に、クラーレはソラの両肩を掴んだ。
「……何」
立ち去ることも出来ず、視線を逸らすこともできないと悟ったのか、ソラは目を伏せ、黒い沼の底に沈んでいるような声を発した。
「……元気だったか」
言った後で、何を口走っているのだと胸中で責めた。けれどもソラは、小さく頭を上下して返した。
闇夜に放り込めばそのまま溶けて消えていくような、そんな体の輪郭がぼやけて見える姿をしていた。
「ソラ。聞いてくれるか。大事な話があるんだ」
掴んでいた肩から手を離す。ソラは頷かなかったが、立ち去っていかなかった。
「アイ、知ってるよな」
はっきりとソラは頷いて見せた。その行動に、ソラのアイに対する信頼や親密さが現れているようだった。
クラーレは息を吸い込んだ。
「アイという奴はな、人間じゃない。ロボットだ。それだけじゃない、敵だ。ダークマターのロボットだ。セプテット・スターを補佐するロボットの、プルート。それが、アイの正体だ」
肩が小さく跳ねる。起こった反応は、それだけだった。息を飲む音すら、聞こえてこなかった。
俯いているせいで、ソラの瞳が、今どうなっているか、窺えない。
「冗談でもなんでもない。ハルが分析した結果だ。以前、町でばったりハルとアイが会った時、ハルはアイの言動や行動が、ロボット特有の思考回路に基づくものだと考えた」
ソラは顔を上げないし、何も言ってこない。寝耳に水なことを聞かされた人間の反応にしては、あまりにも落ち着きすぎていた。
一切動揺の色を見せないソラに、逆にクラーレが狼狽えそうになったが、話を続ける。
「ロボットだとして、なんで正体を隠しているのかも妙だし、そもそもあんなに人間そっくりな高度を作れる技術は、今の地球に無いことからおかしい。
……プルートなんじゃないかっていう憶測が出たのは、ロボットかもしれないってハルから聞いた時だ。京都での事、覚えてるだろ? あの時、ネプチューンは、同じ京都に来てたミヅキとミライが俺達の元に駆けつけないよう、プルートに妨害工作をさせてると言っていた。
でもミヅキとミライは、その時妨害工作らしいことには遭わなかったと言っていた。起こった事はただ一つ、アイに会ったことだと」
その時だった。ふいにソラが顔を上げた。その眼光が、静かというにはあまりにも無機質すぎて、クラーレは反射的に後ずさりそうになった。
「ロボットっていう、証拠はあるの」
剣呑とした響きでも何でもなく、ただ事務的な問い方だった。何の感情も入っていない淡々とした声に、クラーレ自身が追い詰められているような感覚になった。
「……何日か前、ミヅキとミライがアイに会った。その時、アイは、ミヅキと初めて会ったときにミヅキが言っていたことを、覚えていた。分単位でだ。
日付も、曜日も、時間も正確だった。俺もその場にいて聞いてたから知ってる。
9月11日土曜日15時22分に言っていたことを覚えていた……。
そこまで正確な記憶力を持つ人間は、まずいない。だが、ロボットなら、簡単に出来る」
ソラは話している間再び俯いたきり、少しも動かなかった。
ソラが一体今何を考えているのか、全く掴めなかった。自分はソラのことを何も知らないのだと、改めて知った。
「だから、何」
思わず聞き返したが、ソラは言い直さず、ビー玉のような目で一瞥してきただけだった。唐突に投げつけられた短い言葉に、耳を疑った。
「……だから、これ以上、アイという奴に近づくな! 理由はわからないが、スパイとして潜入してる可能性が高い。距離を置かなきゃ危ないんだ!」
「理由がわからないんだったら、違うかもしれない」
両者の声には温度差があった。ソラとクラーレで、正反対と言ってもいいほど異なる。
温度だけではない、ソラとクラーレの間の隔たりが、どんどん大きくなっていくようだ。
ソラが、遠いと感じた。
「アイが、僕の敵なわけがない」
ソラはクラーレの目を見ていない。しかし、はっきりとした口調で、その一言を口にした。
どこかでその言葉が返ってくることは予想していた。けれどクラーレは目を見張った。
「どういう状況かわかってるか?! ソラの身に、どんな危険が降りかかるかわからないんだぞ!」
「そのアイは、この前言ってた。穹だけにしか持てない穹の心に従って下さいって。穹の心が本当に信じたいと思っているものを知って、気がついて、従って下さい。どうか、穹の心のままにって。そうお願いされた。
ダークマターが、AMC計画考えてるセプテット・スターに近い存在が言う台詞とは、とても考えられないと、僕は思う」
クラーレは少し戸惑った。確かに敵側の理念と反することを述べているのは妙だ。けれど、そこにある真実は曲げられないのだ。
「そうは言っても、敵であることは変わらない! 危険なんだよ! 証拠もあるんだ、ほぼ間違いないんだ!」
「クラーレはアイのことを知らないでしょう……。アイがそんなことをするとはとても考えられない」
「ソラッ!」
両肩を掴んで揺さぶっても、ソラはこちらを全然見ようとしない。
これは本当にソラなのか。クラーレの知る、少しでも危険を感じたら慎重に行動するソラの姿と、全然被っていない。それとも、これが本当のソラなのか。
ふと、ソラの頭が動いた。ゆっくりと、目線が上がっていく。
「僕は、僕の信じたい事を、信じます。アイを信じる」
相変わらず作り物のような瞳だった。その中に一筋の光が差し込んでいるように見えた。
その光がアイという子に向けられているものなのだと気づいて、クラーレは手に力を籠めた。
「ソラが仲良くしているそいつは、プルートだ! 敵なんだよ!」
瞬間、ソラの瞳から光が消えた。真っ黒に塗りつぶされた目が、クラーレに視線を注いでいる。
この事実を伝える以上、ソラがこういう目を向けてくることは、わかっていた。それによって、ソラの中での自分の立ち位置が、どういう風に変化を遂げるかも。
ソラの中で、クラーレこそが敵だと位置づけられただろう。今この瞬間。
高い所から延々と落ち続けているような感覚があった。
思ってたよりきついなと、クラーレはどこか他人事みたいに感じていた。
「アイを疑うのは」
ソラの声は低かった。初めて聞くソラの声だった。無機的な光が宿る目で、こちらを見た。睨んできた、とも形容できた。
「クラーレが、人間不信のベイズム星人だから──」
ソラの肩から、両手が落ちた。力が、全く入らなくなったからだ。手だけでなく、体中から力が奪われていくようだった。
分断するように、クラーレとソラの間を冷たい風が吹き抜けていく。その直後だった。
ソラの両目が、見る見るうちに開かれていった。瞳が揺らぎ、体が震え出す。かたかたと震える手で、口元が覆われる。
「ご」
無機質だった目に、感情が宿っていく。目の奥に、ソラの心が、浮かび上がったように映った。
「ごめん、な、さい……」
今すぐに、何か言わなくてはと思った。
だが遅かった。言葉を発する前に、ソラは駆け出していた。走り去っていく背中が、とても小さく見えた。
「クラーレ、大丈夫……?」
玄関が控えめに開いた。ミヅキが話を聞いていたらしいことは、表情を見れば明らかだった。
「悪い、追いかける」
「えっ、ちょっと!」
「すまん」
戸惑っている様子のミヅキを置いて、クラーレはソラの後を追って駆け出した。
クラーレは感じた。自分の、根拠のない願望だったとしても。
遠くなってない。ソラは、遠ざかってなどいない。
公園の低木の影にしゃがみ込む人影を発見し、未來は忍び寄って背中に声を投げた。
「クラーレさん、また張り込みですか~?」
「違う!」
振り向きざま否定してきたのを見るに、クラーレは既に未來の気配に気がついていたようだった。
クラーレが前方を指さした先を辿ってみると、未來は声を上げそうになった。林が作り出す木陰の真ん中に、穹が座っていたのだ。
座っているというより、力を抜かして、項垂れているようにも見えた。
彼は頭に片手を添え、何やら呟いていた。「どうしよう」という言葉が繰り返されているのが確認できた。
背を向けているため顔は見えないが、様子がおかしいことはよく理解できた。
「正体について言ったんだよ。ソラの友人のこと」
「……アイちゃんのことですか」
クラーレは、穹を見たまま頷いた。
アイの正体を、穹に伝える事。それはとても難しいことだろうと思っていた。穹はアイと仲が良い。
自分達と溝が生じてしまっている今、相対的にアイへ寄せている信頼が高くなっているはずだ。
そんな穹にアイの正体を伝えても、恐らくこちらのことは信じない。むしろ、こちらに抱いていた信用が落ちることだろう。
それに、と思う。言えば、穹がそんなことないと言い張るのは目に見えている。その主張に、自分も流されてしまいそうだと感じていた。
自分もまだ、あの子のことを信じたいと思っているから。ミヅキも、そう思っているはずだ。
二人が迷っていることを察知したのか、クラーレは自分から、真実を伝える役目を担うことを立候補したのだ。
「……穹君、どうでした?」
「アイを疑うのは、俺が人間不信のベイズム星人だからと言われた」
淡々と述べた後、クラーレは地面を向いた。
「言ったソラが、一番傷ついたような顔をしてた」
「えっ……」
「だから、放っておけなかったんだ。どうしても。そうして追いかけて、一瞬見失ったと思ったら、今見つけたんだ。でも、あの通り様子が変でな……」
その穹が、頭に添えていた手で、まるで引っ張るように、髪を掴んだ。
「どうしよう、なんであんなっ……」
痙攣するように、穹の体は震えていた。どうしようという言葉が、穹の周りに降り積もっているようだった。
「どうしよう、凄く酷い事言っちゃった、どうしよう、どうしよう、なんで、なんでなんだよ……!」
飛び出していこうとした未來を、腕を掴んでクラーレが引き留めてきた。目で抗議すると、クラーレは声を潜めて言った。
「様子がおかしいのは、あれだけじゃないんだ」
どういうことです、と聞こうとしたときだった。もともと俯いていた穹の頭が、更に俯かれた。
「どうしてだろうね。なんで僕はいつもこうなんだ、なんでだ。……許されないよね。あんなこと言って、結局僕はずっと誰にも……」
口調に違和を感じた。まるで誰かに話しかけているようにも聞こえた。
クラーレを見ると、彼は頷いて答えた。確かにこれは、様子がおかしい。もうしばらく、穹の様子を見ていようと思った、その時だった。
『そんなことないよ! ソラは、何一つも悪くないよ!』
耳を刺すような甲高い声が聞こえてきた。思わずクラーレを見ると、クラーレも目を丸くして、こちらを見ていた。
公園に、人影はいない。穹と話している様子の人も、もちろん見当たらなかった。
『そんなに自分を責めちゃ駄目。だって酷いのは、ソラのことを何もわかっていない向こうだもの! どう考えたって、悪いのはあっち!』
しかし声は聞こえてくる。鼓膜が震える、耳が痛くなる高い音だった。思わず未來は、両手で耳を覆った。
隣でクラーレは、声の主を探そうと、きょろきょろ周りを見回していた。
「そうなの、かな。……けど」
『ソラが信じたいものを信じればいいし、信じたくないものは信じなくていいんだよ』
穹の体の影から、小さな青い影が飛び出した。ぱたぱたと翼をはためかせる青い小鳥のくちばしが動く。
「なんだ、あれは……」
クラーレのぽかんと開いた口から、絞り出されるような一言が発せられる。
未來も同じ気持ちを抱いていた。自分が見ている光景を、現実のものとして処理することが出来なかった。
小鳥が、人の言葉を、喋っている。
『でも、ワタシがソラの味方だっていうことは、信じてほしいかな!』
「……それは、よくわかってるよ」
まるで穹を囲い込むように、くるくると飛び回る。小鳥を目で追う穹は、先程の取り乱しが嘘のように落ち着いていた。
「……君はいつでも、僕の話を聞いてくれるよね。誰の役にも立てない僕の心を、わかってくれる」
『ソラは、少なくともワタシの役に立ってるよ! だから、誰の役にも立ってないなんてこと、言わないで!』
小鳥の姿が体の影に隠れた。穹と目を合わせて話しているのだろうと思われた。穹の頭が上下した。
「ありがとう。少し気持ちが楽になった。君は僕にとって、本当に大切な存在だよ」
『ワタシもだよ! ソラのこと、大好きだよ!』
真っ直ぐな気持ちを言葉に乗せている。それは聞くだけでわかった。
けれども、言われている本人ではないせいだろうか。台詞が、やけに空々しく聞こえた。
「ミライ、ちょっと……」
クラーレに軽く肩を叩かれた。何を言いたいのか伝わり、未來は頷くと、物音を立てないよう慎重にその場から離れ、公園を後にした。
「どう思うよ」
「怪しいと思います」
だいぶ公園から離れたが、クラーレはまだ警戒しているのか、抑えた声で尋ねてきた。未來は大きな声できっぱりと答えた。
あの小鳥は、以前一度見かけた事がある。その際小鳥に対し、出所の不明な違和感を覚えたのだ。
どこにでもいるような小鳥に映った。けれどそう考えた直後、未來の頭が言ったのだ。本当にそうなのか、と。
結局よく考える前に小鳥が飛び去ってしまい、それきり小鳥のことは頭から追い出されていた。
クラーレが神妙に頷いた。
そして、淀みなく言った。
「あれは生き物じゃない」
「……え……?」
「少なくとも俺には、そう映った」
確かに未來も、あそこまで流暢に人の言葉を話せる動物は、見たことも聞いたことも無い。
だが、シロのように、もしかすると宇宙生物なのではと考えた。しかしクラーレは、生き物ですらもないと言う。
「とはいえ、根拠は無い。勘だ。ただ、ソラがあの小鳥の存在を俺達に隠していたことが、気になったんだ。……今の状況が状況だし、かなり神経質になってるのは確かだな」
それもそうだ、と思う。アイのことがわかったばかりなのだ。警戒心が強まるのも無理はないと言えた。
むしろ慎重すぎなくらい慎重になったほうが、今この状況では安全かもしれない。
「まあクラーレさん、シロと凄く仲良しですもんね~」
「い、いきなりなんだよ……!」
長い時間生き物と触れあっているなら、生き物が本物か偽物かどうか、その気配を察知することが出来るようになるのかもしれない。
一人頷く未來を、クラーレは怪訝そうに見つめてきた。
「美月、以前穹君がよく公園に行ってる、みたいなこと言ってたんですよね……。
もしあの小鳥に会っているなら、小鳥は公園に住んでいるのかもしれません。
明日、ハルさん呼んで、調べてもらいましょうよ。何かわかるかもしれませんよ」
クラーレは頷いた。その後、俯いた。何かを言いたそうにしている、と感じた。未來はあえて聞かず、クラーレが話し出すのを待った。
自転車のベルの高い音がした。その瞬間、クラーレは大きく体を震わせた。走ってくる自転車から距離を取るように、一歩後ずさった。
クリアカプセルをつけているので、クラーレが見えない自転車に乗ってる人は、こちらに目もくれず、去って行った。
「……確かに俺は、人間が信じられない」
クラーレはぽつりと言った。
「ミヅキ達が初めてなんだよ。こんなに人を信じられたのは。ハルも、ココロも、シロも、ミヅキも、ミライも……ソラも、俺にとって、無くてはならない存在なんだ」
握りしめる両の拳が震えていた。
言っておけば良かったという言葉が、風に乗って未來の耳に届いた。
「……言っておけば良かった。あの小鳥が言っていたように、ソラに言っておけば良かった。
ソラは俺達の役に立っているって。誰の役にも立ってないなんて事、有り得ないって。ソラの味方だって。ソラが、大切だって。ちゃんと、言っておけば良かったっ……!」
「クラーレさん……」
近寄ると、その分距離を置かれた。顔を見られたくないのだと思った。震える声を聞けば、クラーレが今どういう表情をしているか、察せられる。
「私も同じ気持ちです。ちゃんと、言っておけば良かった。……でも」
「ああ。もう遅いのかもしれない。もうソラは、俺なんかの言葉に、耳を貸さないだろうよ。……俺は結局、誰かを傷つけることしか、できねえんだ」
「それはっ!」
違う、と言おうとしたときだ。クラーレはゆっくり息を吐き出すと、顔を上げた。真っ直ぐな目がそこにあった。
「……小鳥が怪しくても、それでソラの心が救われているのなら、それでいいと思った。アイって子とも、仲良くしてていい。
……俺が出来なかったことを、ソラに対して出来ているのなら、このままでいいと思った」
直後、勢いよくかぶりを振った。
「だが! 怪しさが拭えないのなら、ソラが危険なら! ソラの心を守れなかった分、その体だけでも絶対に守らなきゃいけないんだ!」
黄色い瞳の奥に、押し殺した感情が見えた。不甲斐なさ、やるせなさ。そして自分自身に対する、底の知れない怒り。
「今の穹君は、多分、周りが真っ暗闇の中にいて、そこから出る方法がわからないんです」
首飾りの石を握りしめる。熱が宿っているようにも感じたし、氷のように冷たくも感じた。
頭を抱え、震えていた後ろ姿が、思い起こされる。
穹はきっと、変わったわけではない。穹自身でなく、穹のいる場所が変わっただけだ。
「だから、声が届かない。……誰かが、穹君を覆う闇を、払ってあげなきゃいけないんです」
そうか、とクラーレが自嘲的に笑った。
「誰にできんだ、一体」
少なくとも自分ではない。クラーレの言葉には、そんな響きが感じ取れた。
未來も、自分がその役目を担えるとは思っていない。
アイだったら、あの小鳥だったら、出来るのだろうか。
それとも、別の誰かか。
顔を上げた。太陽が西に傾いていた。秋の早い夕暮れは、空を真っ赤に染め上げていた。
薄闇をはらんだ赤が、何かを運んでくる気配を思わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます