phase4.1
小鳥を連れ、全速力で家へと走った。玄関を開けるとすぐに家族が駆けつけてきて、やはりと言うべきか、突然外に飛び出したことを怒られた。
小鳥を連れていることは伏せて、正直に本当のことを話した。
仲良くなった野生の小鳥が心配だったと。嘘を吐くのは苦手だし、上手く誤魔化せるとも思っていなかった。
正直に打ち明けたおかげか、すっかり呆れられたし説教が免除されるわけでもなかったが、無事に解放された。
部屋に戻った後、そっとベッドの上に小鳥を下ろした。
小鳥は見慣れない人間の居住空間に警戒しているのか、しばらくの間固まって辺りを見回し、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら少し移動しては静止を繰り返していた。
その動きは、至って普通の鳥にしか見えない。
小鳥の様子を、穹は少し離れた場所に立ち見下ろしていた。一挙一動から目が離せなかった。
何の変哲もない小鳥だと思っていたし、そうにしか見えなかった。
「あの……」
おずおずと声をかけると、小鳥はぴょんと布団の上で跳ねて体ごとこちらを向いた。真っ黒な目が穹を見る。
「君、喋ったよね……?」
『そうだよ!』
「わあああっ!!!」
今度は穹の体が跳ねた。勢い余って後ろにあった本棚へ体が激突した。慌てた様子で小鳥が羽ばたいてきた。
『ソラ、大丈夫?!』
耳元で、澄みきった声を用いて紡がれるのはさえずりではなく、人の声だった。
穹は反射的に小鳥から仰け反った。すると小鳥は近くの棚の上に下り、申し訳なさそうに頭を伏せた。
『やっぱり怖いんだね……。怖がらせちゃってごめんね』
「そ、そんなことないよ?!」
聞くだけで落ち込んでいるとわかる声だった。小さな体から悲しみという悲しみが溢れ出ているようだった。穹は急いで否定した。
だが小鳥に近づこうとすると、小鳥は距離を空けるように飛び立ち、ベッドに舞い戻っていった。
それ以上近づくこともできず、足を踏み出した状態で固まるしかなかった。
「その、喋る鳥って初めて見たから、びっくりしちゃって……」
『えっ? オウムとかインコとかいるでしょ?』
「い、いや、そうじゃなく……」
ここまで流暢に人の言葉を発する鳥など初めて見た。そのような鳥、いや動物など、今まで一度も見たことがなかったし、いるという情報を耳にしたこともなかった。
穹の頭は先程から全く上手く回らず、混乱の渦中にいた。事態を飲み込めていないことは自分がよくわかっていた。
だからこそ、と、穹は小鳥が喋った瞬間から決めていることがあった。
ハルに聞こうと。ハルに相談してみようと。ハルなら何かわかるかもしれない。
自分一人では到底解決できそうになかったし、自分で考えたところで納得のいく答えを出せそうになかった。
連絡を入れるため、コスモパッドがしまわれている引き出しまで向かおうとした、その時。
『ワタシにとっては、これが普通なんだ』
穹は振り向いた。か細く発せられた小鳥の声からは、右から左へ聞き流してはいけない響きがあった。しっかり向き合って聞かなければいけないと感じた。
だから穹は、立ったまま小鳥と向き直った。
『ただ人間の言葉を喋ることができるってだけなんだよ。人間は普通に人間の言葉が話せるんだから、動物だって出来てもおかしくはないでしょう?
なのに、喋ることができるってだけで、皆ワタシを捕まえようとしてきたんだ。家族もいたし友達もいたの。だけど今は皆いない。どこにいるのかもわからないの。遠い場所に連れて行かれて、今はワタシ、一人だけ』
一人。その単語を、小鳥は一音一音ゆっくり、丁寧に発した。そのせいか、いつまでも耳に、頭に、心に、波紋を残し続けた。
『人間達には、喋れるってことがばれないよう、必死で隠して今まで生きてきたんだよ。自分の身を守るために。ずっと一人ぼっちだった。ずっと、一生このままなんだろうって思ってた。でも、そんな時なんだよ』
小鳥が羽ばたいた。穹のほうに近づいてくるのがわかって、慌てて掬うような形にして、両の手のひらを差し伸べた。小鳥はそこにすとんと下りた。
『そんな時にソラに出会った。ソラになら、秘密を打ち明けても、大丈夫って思えた。ソラのことは、信じることが出来たの。ワタシ、ソラに出会えて良かったって、心の底から思っているんだ!』
真っ直ぐに見上げてくる小鳥の目が輝いているように見えたのは、恐らく気のせいではない。純粋で無垢な輝きに、穹はゆっくり頷いて返した。
「僕もだよ。僕も同じ気持ちだ。君と出会えて良かったって、心の底から思ってるよ!」
『ソラ、それ本当に?! 嬉しい!!』
ぱたぱたと、穹の周りを本当に嬉しそうに飛ぶ。そして人の声ではなく鳥の声で、綺麗なさえずりを披露した。
『新しい友達が出来て、ワタシ、凄く幸せ! 今までずっと一人だったから……』
「……他の鳥とは、仲良くしなかったの?」
小鳥は羽音を立てず肩に止まった。どこか遠くを見るような目になり、うん、と小さく言ってきた。
『ワタシにとっては普通だけど、喋る鳥は珍しいのか、他の鳥達とは仲良く出来なかった。ワタシに話しかけてくる鳥はいなかった。輪の中に入れなかった。
そうやって一人ぼっちの時間が長く続いたら、そのうち、話そうとしても、何を話すのが正解か、わからなくなっちゃった。それでますます、ワタシは一人ぼっちになった』
穹は心臓を軽く抑えた。小鳥の話が、体内に入り込んで、自分でも届かないような心の奥深くまで染みこんでいくようだった。
胸の辺りに微かな痛みが生じていた。小鳥の話は穹にとって、他人事に感じられないものだった。小鳥の話を、自分は知っている。
これは、とゆっくり心臓から手を離す。これには、覚えがある。
ソラ、と名前を呼びながら、小鳥は黒い目を向けた。
『ワタシ、透明だったんだよ』
息を飲んだ。唇が震えた。小鳥から目を逸らしそうになった。小鳥は穹の目を見たまま、視線を外さなかった。
『だけどね、今は透明じゃない。だって、ソラに会えたから!』
転じて、弾けるように明るい声が聞こえてくる。こく、と穹は頭を上下した。
「そうだね。もう君は、一人ぼっちじゃないよ」
『うんっ!』
小鳥は楽しそうに歌う。その声を聞きながら、穹はゆっくりと何かを咀嚼するような感覚を味わっていた。
自分と同じだった。自分よりも小さな小鳥は、自分と同じだった。
そう気づいたということは、自分と小鳥は違う、とどこかで思っていたことでもある。
種族が違うのも大きかったが、何より、小鳥はいつでも明るくて楽しそうな様子を見せていたから。だから自分とは違うと思っていた。しかしそうではなかった。自分と同じだったのだ。
なぜだか、泣き出したいような気持ちになった。
「そうだ。明日、僕の友達も紹介するね。君を絶対捕まえようとはしないから、安心して。きっとすぐ仲良くなれるよ。君も仲良しな友達が増えると思うし、どうかな?」
気持ちを切り替えるために、朗らかな声でそう提案してみた。この案は、小鳥を家に連れてきた時から、どこかで考えていたことだった。
ハルのところに連れていけば、他の人間に見つかる可能性や、捕まる可能性も低い。
何より、ハル達が小鳥を捕まえるはずがなかった。人の言葉を喋る珍しい小鳥と会っても、きっと仲良く接してくれることだろう。
あの宇宙船にこの小鳥もいる場面を想像すると、それだけで心が躍るようだった。小鳥と皆が仲良くなれば、穹ももっと幸せな気持ちになると容易に予想できた。
『人間は怖いっ!!』
だが、小鳥は激しくかぶりを振った。
一気に窓辺まで飛んでいき、カーテンの後ろに身を隠した。明らかに様子がおかしくなった小鳥に、穹は狼狽えるしかできなくなった。
とにかく近づこうとカーテンを捲ると、小鳥は穹からも逃げるように、更に窓の隅に移りぶるぶると震えた。
『今まで優しい顔した人間達は、皆すぐに怖い顔になった。そうして家族や友達を捕まえて……。捕まえようとしてこなかった人間達も、石を投げてきたり、意地悪してきた人間ばかりだった。ソラだけなんだよ、ずっと優しいままだったのは……』
その時のことを思い出したのか、早口で話す小鳥の体は、ずっと小刻みに震え続けていた。
『人間はワタシの大切なものを奪っていくもの。ワタシに痛い思いや悲しい思いをさせる生き物なんだよ』
「で、でも、僕の友達はそんなこと絶対にしな」
『信じられない!!!』
絶叫するような声で遮られ、穹はかける言葉を完全に失った。
押し黙った後、ゆっくりと窓辺に近づき、膝を少し折って震える小鳥と目を合わせた。
「ごめんね。よくわかったよ。どこにも連れていかないし、君のことは誰にも言わない。ちゃんとわかったから、だから安心して」
小鳥は、少し穹への警戒心を見せた。後ずさるように窓の縁を移動し、心の内を探るように穹のことを見上げる。
「穹ー? 誰と話してるのー?」
その時だった。しっかり閉じたドアの向こうから、美月の声が聞こえてきた。
小鳥がドアのほうを向いてびくりと体を揺らし、次いで縋るような眼差しを穹に向けてきた。
穹はしばらくの間黙っていた。
「ちょっと穹? どうしたの?」
美月の手がドアノブに向かって伸びていく光景が、頭の中で描かれた。
穹は口を開いた。
「なんでもないよ! 一人言!」
「一人言ー?」
「格好いい単語を探してたんだよ!」
「あ、全部理解した」
その言葉を最後に足音が遠ざかっていき、隣の部屋のドアが開け閉めされる音が聞こえてきた。美月が自室に戻ったのだ。
『ありがとう、ソラ……』
その声はまだ震えていたが、安堵が伝わってきた。穹は首を左右に振った。
『やっぱり人間はワタシにとって怖いものなんだ。特にあの人間は、迫力が凄くて……』
「姉ちゃんのこと? は、迫力……」
隣の部屋にいる美月に聞こえないように吹き出すのは難しかった。
両手で口を抑えなんとか声を殺して笑っていると、小鳥も緊張や恐怖が解れてきたのか、いつものように穹の周りを元気よく飛び始めた。
「……ごめんね。君の気持ち、わかってあげられなくて。気が利かなかったよね。……僕は、本当に駄目な……」
『そんなことないよ』
穹の台詞を阻むように、小鳥が肩に下りてきた。
『ソラは悪くないよ。ワタシがちゃんと言ってなかったのが悪いんだもの。それに、自分の仲いい人に紹介したいって思うのは、普通のことだよ。だからソラはちっとも悪くない!』
鈴を転がすような可愛らしい声だが、そこには揺るぎない意思の力が感じ取れた。はっきりと断言するような口調に、穹は少しだけ目を見開いた。
「そ、そうかな……? でも、僕のせいで君が傷ついちゃって」
『ソラは悪くない!』
「わ、わかった。……えへへ、ありがとう」
これ以上否定を続けても、小鳥も延々と否定を被せてきそうで、先に折れることにした。小鳥は満足げに頷いた。
こんなに面と向かって「悪くない」と言い切られると、首肯するしか出来なくなる。こんな小さな体に、とても大きく堅い心を秘めているのだと伝わった。
『でもやっぱり人間は怖い。いくらソラが信用している相手でも、怖くって……』
「うん。無理しないで。絶対だよ。どうか気にしないで」
『ありがとう、ソラ。やっぱりアナタは優しいね!』
「そ、そうかな……?」
『うん。それに凄く強い。ワタシを助けに来てくれたんだもの。ワタシ、ソラが大好きだよ!』
「あ、それは僕もだよ!」
優しくて強いというところに頷かなかったのに小鳥は不満そうだったが、小さくさえずってまた部室内を飛び回りだした。
青い影を見上げながら、穹は自分の軽率な行いを反省した。
小鳥が人間に対して抱いている恐怖心は、人間である穹にはわからないもの。そこを無理にこじ開けるべきではなかった。
少しずつ人間に慣れていけたらと思いはするものの、強制してはいけない。
けれど、その恐怖心も、理解できるようになっていけたらと思う。まだまだ小鳥のことはわからないが、少しずつ理解していきたい相手であることは間違いない。
そしていつの日か、小鳥の持つ苦しみや悲しみなども全てわかってあげられたら、とふと思った。そうすればきっと、小鳥の中にある恐怖心も軽減されるはずだ。
皆に紹介するのは、それからでも遅くないはずだった。
『それにしてもソラが駆けつけてきてくれたとき、本当にびっくりしたよ。ソラ助けてって祈ってたら、本当に現れたんだもん。凄い速さでワタシのことを助けに現れた。とっても格好良かった!』
「ふ、普通のことだよ。友達を助けたいって思っただけだしさ」
照れくささを覚え、視線を泳がせたときだった。
何気なく小鳥が言った、「凄い速さ」という言葉が気になった。
両手で心臓を覆ってみる。公園に行くとき、家に帰るとき。どちらも全力疾走というに相応しい走りをした。雨風が吹く中を走った。
にも関わらず、あまり息苦しさを覚えていなかった。疲れをそこまで引きずらなかった。
それは違和感だった。同時に予感でもあった。自分の体が、変わり始めているという予感。
雨脚は弱まっていったが、風は頻度こそ減ったものの、時折強く吹いた。
夜が明けるまで、泊まっていったらいいと提案した。小鳥は頷き、枕元で丸まった。
お互い眠るまでの間、家族に聞こえないよう、小声で様々なことを話した。
今まで穹が小鳥に色々話しかけていたから、こうして小鳥も穹に話しかけてくれるようになって、対等になれた気がして嬉しかった。
なかなか話題は尽きなかった。とりわけ小鳥が、『ソラはこんなに優しいのに、なんでお姉さんはあんなに怖そうなんだろう』と震えたときには、盛大に吹き出しそうになった。掛け布団で口を抑えて、必死に笑い声を堪えた。
「確かにそうかもね。姉ちゃんは勢いがあるよ、本当に。やるって決めたら絶対に曲げないし、楽しそうと感じたら後先考えずに突っ込んでいく」
小さい頃から美月は無鉄砲であり、猪突猛進を地で言っていた。
理性ではなく、本能で動く。後のことは考えず、今のことだけ考える。面白そうだから、楽しそうだからの理由だけで、危険だとわかることにもどんどん挑戦する。
高い所からジャンプしようとしたり、塀の上を歩いたり、屋根に上ったり、蜂蜜が食べられるかもしれないと蜂の巣に近づいていったり、服のまま川に飛び込んで魚を捕まえようとしたり、毒抜きの方法を自分で調べたいと言って毒キノコを採ってきたり。
昔の美月はやんちゃそのもので、いつも外で遊び回っていたししょっちゅう誰かと喧嘩をしていた。
その度に弦幸と浩美は頭を抱えていた。美月はまさしく手のかかる子で穹が手のかからない子だったのは言うまでもない。
美月のやんちゃを必死に止め後処理に回る家族の姿を見て育ったので、自分は絶対に姉のようにはならないと幼心に決めたと、天井を見上げつつ語った。
懐かしかった。美月で苦労しているのに、これで穹もやんちゃになったら父さんも母さんも可哀想だと思ったものだ。父も母も大好きだったから、苦労をかけたくなかった。
これらの話を笑い話のつもりで聞かせていたのに、小鳥は口を挟まず、妙に硬い態度で耳を傾けていた。
いつの間にか眠りに落ち、気がついたら朝になっていた。普段起きる時間よりも早めの時間だった。
窓から外を覗くと、雨はすっかり上がり、青い空が天一杯に広がっていた。
小鳥を連れ、家を出た。小鳥は穹の隣を、穹の歩幅に合わせて飛んだ。足踏みを揃えながら、小鳥は『ソラがいるおかげで幸せなんだ』と何度も口にした。
『ソラのおかげで、ワタシは透明じゃなくなったよ』
その言葉を耳にしたとき、穹は言ったのだ。
「君は透明じゃないよ。僕のほうがずっとそうだから」
思わず口からついて出た言葉だった。小鳥は、『どういうこと』と聞いてきた。何度もしつこく聞いてきた。
公園に辿り着いたとき、誤魔化すのも限界が来た。穹は嘆息して、口を開いた。
昨夜の雨のせいで公園のあちこちに水たまりが出来ていた。公園の地面は土なので、水たまりの色も茶色かった。ベンチもすっかり濡れて、とても座れそうになかった。
だからぬかるんだ地面に立ったまま、話し始めた。
小さな頃から、どこかに噛み合わない感覚があった。空回りと言ったほうが正しいか。
こちらが近づこうとすれば相手が遠ざかり、こちらが遠ざかれば相手が近づこうとしてくる。人間関係はそうやって、空回りの連続だった。
繰り返していくうち、人と接するのが怖くなっていった。この人は何を考えているんだろう。何を思っているんだろう。何を求めているのだろう。自分に対して、どう思っているのだろう。
考えれば考えるほど、他人の心がわからなくなった。自分が何か間違いを犯しているのではないかと思うと、怖くなった。
他者に対して踏み込むのが臆病。それは間違いない。
その一方で、だからこそ、他者の心をわかりたいという気持ちがあった。相手の心を全て理解したかった。
怖いのは知らないからであり、知ってしまえば怖くなくなる。
知らない部分を無くしてしまえば、臆病も恐怖も出る幕がなくなるだろう。
穹自身も、自分の事を理解してくれる相手を探していた。自分の心を、全て理解して、受け入れてくれる存在。
そんな存在と出会えれば、他の全ての場所で透明になったとしても、息苦しさを覚えずにすむだろうと感じていた。
けれどなかなか出会えない。自身の性格が、気質が、災いしているのだろうと思う。
自分から人に踏み込んでいくことが苦手だった。顔色を、空気を、相手の求めている最適の解を読もうとする結果、外堀をうろつくばかりになってしまう。
守りに徹しすぎて、外の世界に出る事が出来なくなるのだ。どんな場所でも、一歩引いた立ち位置になる。
それがきっと、穹の役割なのかもしれないと、どこかで諦めている部分もある。
しかし、諦めきっているわけでもない。
「だから透明になっているんだろうね。割り切ることも出来ないし、現状を打破することもできない。僕は中途半端だよ」
うんうんと、小鳥は穹の目を見て頷く。
こんな長いだけの話を、何度も中断しようとした。その度に、小鳥は語るよう求めた。聞いている間、真剣に聞いていた。一度も右から左へ流す素振りを見せなかった。
「だけど、僕だって透明人間でいたいわけじゃないし、なりたいわけでもない。普通の人間になりたい。
だから勇気が欲しいんだ。人の心がちゃんとわかるようになりたい。臆病に構えずにすむように。そして、僕自身の心を、わかってくれる人と出会いたい」
雨上がりの空を見上げる。そこは、いつもよりも青色が濃く染まっているようだった。
「お互いが、お互いの心を、理解し合いたいよね。人と人とは、どこまでだってわかり合えるはずだよ。そうすればきっと、幸せだし楽しいと思う。
相手が自分のことわかってくれてるんだと気づいた時って、凄く嬉しいじゃない? 相手が何を考えてるかわからない時って、本当に怖いから……」
本心は。心の内では、何を考えているのか。それも踏まえた配慮をしなければと思う程、わからなくなる。
何を考えているかわからないというのは、怖いものだった。だから、理解し合いたいと願う。
肩に止まる小鳥が上目遣いをした。
『ソラには、いないの? そういう存在』
「大切な人達はいるよ。でも、その人達の心を全部理解しているかって聞かれると、難しいかな……」
『向こうは? 向こうは、ソラのこと、よくわかってるの?』
「うーん、どうなんだろう……?」
ハル達のことを全て理解しているかと聞かれると、首を傾げるものがある。
皆、まだ話していない部分や見せていない部分があるのだろうし、穹がそう感じているということは、向こうも穹のことについてわからない部分が多々あるのだろうと推測できる。
その時だった。小鳥が鋭く一声上げた。
『そんなんじゃ駄目だよ!』
「だ、駄目って?」
肩から飛び立ち穹の目の前の空中の一カ所をばたばたと激しく羽ばたく様は、怒っているように見えた。
周囲に誰もいないからか。小鳥は堂々と、大きな声を発した。
『何も言わなくても、ソラの言いたいことや伝えたい事が全部わかるくらいじゃないと!』
「さ、さすがにそれは難しいでしょう」
苦笑したが、小鳥の勢いは止まらず、むしろ増していく一方だった。小さな体から大きな迫力が零れている。小鳥は穹との距離を詰め、更に捲し立てた。
『でもソラ、今話してくれたこと、その大切な人達に言ったの?その人達はなんて返してきたのっ?』
「は、はっきりと伝えてはいないかな……。だってこんな話聞かせて気を遣わせちゃったり嫌な気分にさせちゃったら申し訳ないし」
『そうやって気遣ってる時点で、向こうはソラのこと何もわかっていないよ! 少なくとも、ワタシよりはわかっていないと思うよっ!』
「君よりも?」
首を傾げると、小鳥は頭を上下させた。手のひらを差し伸べるとそこに着地し、いくばくか落ち着いた様子で話し始めた。
『ワタシは、ソラの全てを知りたいと思ってるよ。それで、全てを理解したいの。ソラの、一番の友達になりたい。でも向こうはどうなの? そう思ってる素振り、見せてきたことある?』
「うーん……?」
頭を捻る。記憶を探ろうとしたが、その前に小鳥に声をかけられ、それは叶わなかった。
『それにね。ソラだってワタシのこと、凄くよくわかってるよ。だってアナタが持ってくる食べ物、全部ワタシの大好物なんだもの!』
「あれっ、本当に? それは良かった! 嬉しいな!」
一転、舞うように軽やかに飛ぶ小鳥に、穹は破顔した。
『ワタシとアナタ、きっともっと仲良くなれる。もっと仲良しな友達になろう? いいよね?』
「もちろんだよ。僕もそうしたいもの」
むしろそこに断る理由など一つもなかった。小鳥は大きな動きの飛び方で嬉しさを表現してきた。
『そういえばソラって、最近走る練習をとても頑張っているんだよね! いつも話して聞かせてくれているけれど』
「うん、だね」
『見せてくれないかな! ワタシを助けに来てくれたときに走ってきたソラの姿、とても格好良かったもの!』
「いいよ」
住宅街に人の気配はないことを確認し、了承する。それに小鳥になら、走る練習を見られても一向に構わなかった。
穹は頷いて、公園の端まで移動した。自分自身も、走ってみたかった。確かめたいことがあったからだ。その為に、タイマーを持ってきていた。
『じゃあ、よーい……どん!』
号令と同時に、地面を蹴った。朝方の空気と、雨上がりの空気が重なって、感じる風はとても涼しかった。けれど、それが走る自分を後押ししているように思えた。
今までにない経験だった。風は今まで、走りを阻害するものにしか感じられなかった。
どうして今日は、風が味方に思えたのか。答えは、端から端まで走りきった時に見たタイマーの数字に、示し表されていた。
「……縮んでる」
何度瞬きしても、目を擦っても、数字は変わらなかった。もう一度走ってみたが、結果は同じだった。
「タイムが上がってる!!」
『凄い! さすがソラだよ! アナタなら絶対やれるって思ってた!』
小鳥の元に駆け寄ろうとしたのと、小鳥が穹の元に飛んできたのは、ほぼ同時だった。危うく衝突しそうになり、そのことに穹は声を上げて笑った。
そうじゃなくても、自然と笑顔になっていた。何度も飛び跳ねたい衝動に駆られていた。
嬉しかった。安堵があった。本当に嬉しかった。もう自分は、透明にならないかもしれないのだと、そう思うと。
「これなら、アンカーも務まるかもしれないっ……! 皆の役に、立てるんだね……!」
小鳥が静かに、穹の肩の上に舞い降りた。
『ソラは透明じゃないよ。ワタシはソラの姿がちゃんと見えてる。世界中の人間がソラの姿を見えなくなっても、ワタシだけは、穹の姿が見え続けてるよ』
それは心の中に、そのまま注ぎ込むような声だった。
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