phase2.1

 公園を出てしばらく歩いた先は川原だった。そこに架かる鉄橋の下、ハルは屈み込むと石を集め始めた。


 一つ一つ手に取っては、元あった場所に戻すか、トランクの中にしまっていく。どれを収納するかの基準がよくわからなかった。


 何をしているのか聞くと、「石を集めている」と丸い石を拾い上げた。


「石が好きな生物と一緒に暮らしているんだ。その生物に持って帰る」


 “シロ”のことを指していると伝わった。と、ハルが一つの石を見せてきた。


「良ければアイも手伝ってほしい。これくらいの大きさと色で、なるべく丸く、苔のついていないものが望ましい」


 白色の強い、握りこぶしくらいの大きさの丸い石だった。この拾った石を、シロは食べるのだろうと予測した。苔がついていないものを所望するのは、苔が嫌いだからとデータにある。


 アイは了承して、同じものを探すために屈んだ。


 提示されたものと同じものを探し出すのは意外と時間がかかった。石こそ大量にあれど、形がごつごつしていたり色が違ったり小さすぎたり大きすぎたり苔が生えていたりと、種類がたくさん存在していた為だ。


 鉄橋の上を何度か電車が通り過ぎていった頃、「これくらいでいい」とストップがかかった。


「アイのおかげで短時間の内にたくさん集まった。あの生物も満足するだろう。ありがとう」

「……どういたしまして」


 拾った石の量は最終的にかなり多くなっていた。そのほとんどが、ハルが集めたものだった。


 石の中には、拾うよう指示された石の形状とは異なるものも混じっていた。形が鋭かったり黒かったり、大きかったり小さかったりなど。

 聞くと、「シロにもたまにはチャレンジさせたほうがいいと考えたんだ」と返された。


「シロというのが、その生物の名前なんだ」

「そうですか」


 知っている事項だったが言わないでおいた。ハルは石を全て入れたトランクを片手で持ち上げた。


 量はかなりあったのに全て収まったこと、それが入ったトランクを持ち歩けることが、トランクが少なくとも地球のものでないことを物語っていた。ハルの握力は強いが、そこまで高いわけでもない。


「好きなものばかり知るのも良いが、知らないものを知るのも良い。シロにとって、知らなかったことを知る良い機会だからな。色々な石を見せてみようと考えた」

「人間ではない相手に、そこまで考えるのですか」


 よく人間は、自分とは異なる種族である生き物を愛したり、まるで人間のように接するが、あの行動も理解できなかった。だがロボットのハルも同じようなことをしているのはますます理解できなかった。


「考える。シロも一つの存在。シロにも心が存在するから」


 私は、とハルが自身を指さした。


「人間以外の言語はわからない。生物が何を話し何を考えているかわからない。けれど心があることは確実に伝わってくる。シロを見ているとそれが顕著だ。シロは、明るくて優しく、無邪気な性格だと分析出来るんだ。こちらはシロの言葉がわからないが、シロはこちらの言葉を理解している可能性が高い」


 だからシロとも対等に接するべきと判断している、とハルは言い、背を向けた。


 心があるなら感情もあるのか。人間以外の生物を見ても何の感情も検知できないが、ハルはそうでないと考えているのか。心があるというシロを見たら、人間以外の生物にも感情があるかどうか判明するのだろうか。


 そこまで思考したところで、考えるだけ無駄なのでは、と結論が出た。人間で言うなら我に返った、と表現するべきなのだろうか。今の自分の思考は、無意識の産物だった。


「そうだ。これを渡した方がいいだろう」


 歩き出そうとしていたハルの足が止まった。そのままトランクを開け、中からあるものを取り出した。

 はい、と差し出され、両手を差し伸べると、その上に何かが置かれた。プリンだと認識できた。更に使い捨て用とみられる新品のスプーンも置かれた。


「私も先程食べたのだがな。余分に持ってきておいて正解だった。ミヅキとソラが作ったものなんだ。レシピはソラだ。客観的に判断しても、味のレベルが大変に高い。考え事をするときの、良い栄養源になることだろう」


 プリンはシンプルな見た目をしてあり、ソラの考えそうなものとは特徴が異なっていた。疑問を見透かしたように、ハルが腕を組んだ。


「ソラが、本来のレシピとは違うがコスパを重視しろとミヅキに言われて仕方なくこうなった、と説明していた。その後ミヅキと軽い喧嘩になった」

「でしょうね」


 性格が正反対のあの姉弟。しょっちゅう言い争いを繰り広げているが、そこに憎悪の感情は一切見られないのが奇妙だった。


 ただソラのほうが折れることが圧倒的に多い。ミヅキを立てている立場なのかもしれない。もしくは前に出てこられないのか。


「ミヅキやソラに感想を言っておくといいかもしれない」

「そうします」


 ハルはそのまま歩いて行くと、鉄橋の下から抜け出し、また立ち止まった。


 そうして、ゆっくりと頭を上に向けた。見る先には青空が広がっていた。昼間だが、白い月も薄らとそこに昇っていた。

 月を見上げたまま、ハルが聞いた。


「ミヅキのことを、アイはどう考える」

「喜怒哀楽豊かで、感情表現に富んだ方だなと。前向きで活発で明るく、自分の心を偽らず自分の心に忠実に生きています」


 問答無用で周りを巻き込み、眩く場を照らす人物。そういう認識をしている。その影響力は大きいが、だからこそ混沌としているとも考えられる。

 上を向いたまま、ハルはゆっくりと頷いた。


「私も大体同じ見方をしている。ミヅキは心を持つ人間の本来の姿なのではと、そう考えている。もちろん偽ることが悪い事、と言うつもりは無いが。感情豊かな人間は興味深い。心がどんなものか理解しやすいから。しかし、それでも私は心を知ることが出来ない」


 人間の本来の姿。と言ったが、宇宙中の人間がミヅキのようになったら、詳細は予想できないがとにかくとんでもない事態になりそうだった。あまり考えて良いことではないと判断される。


「ミヅキの持つ裏表の無さは、人の心に影響を与える。だから興味深い。現に私は、ミヅキと出会ったことがきっかけで、全てが変わった。歯車が回り出したというべきか」


 ハルの視線が月からその隣に移動する。そこには青色の空と白色の雲しかなかった。


「……では、ソラのことを、アイはどう考える」


 アイは少し目線を落とした。今まで過ごした時間を振り返ると、すぐに答えが出た。


「穏やかな性質ですね。ミヅキと血縁関係があるのですから、感情表現に乏しい、とはとても言えません。

が、大人しいです。大変に。他者に対して臆病で、意図的に感情……というより、本当に言いたいことを抑制しているとわかります。総じて、自身の本心を隠し、他者の本心を恐れているとみています」

「私も、同じだ」


 頷きながら、ハルは頭を上から正面に戻した。そのまま動かなくなるが、見る先には何も無かった。


「ソラは今、現在進行形で、何かを抱えている。だが、言わない。口に出さない。けれど抱え込んでいることはわかる。

……人は、抱え込みすぎると、道を誤る。だからなるべく抱え込まないでほしい。だからせめて、私には感情も言いたいことも出してほしいと頼んだ。しかし、私も一つの存在だから自分勝手なことは出来ないと言われた。私には、気を遣ってしまうようだ」


 肩を落とした後、そのまま土手の方向へと歩き出す。


「だからもし良ければ、アイも力になってあげて欲しい。ソラはアイと仲がだいぶ良いようだから。気を遣わずに、相談が出来るかもしれない」


 土手を上っていたハルの足が、突然止まった。


「だが。ソラは、臆病ではない」


 振り返って言われた台詞だった。アイが瞬きする間に、ハルは歩き出していた。その後をすぐ追尾することができなかった。


 ソラは勇敢な性格であるとは言い難い。ソラ本人もそう認識しているだろう。ハルは果たして、何を言っているのか。ソラをどう認識しているのか。


 気がついたら俯いていた。土手の芝生のみが視界に広がっていた。見失ったのではと急いで顔を上げたが、ハルは土手を上ってすぐの道で立ち止まっていた。


 頭を真横に向け、その先をじっと見つめている。目で追ってみると、幼い子供を連れた親子連れがいた。


 年齢が五歳ぐらいと見られるその女の子は、土手の真ん中でしゃぼん玉を吹いてははしゃいでいた。楽しいを主成分とした幸せの感情が見られ、その子の親の感情も幸せで満ちていた。


 ふいに、子供を見ていた親の視線が、横にずれていった。アイ、と言うよりハルと目が合った途端、検知できていた幸せの感情が見えなくなった。

 代わりに強く表れたのは、子供をずっと見ているハルに対する警戒の感情だった。

 ほぼその感情一つのみで構成されており、一秒一秒と経つうちに度合いが高まっていく。


「ハル、ハル」

「どうした」

「今すぐこの場から立ち去ったほうが良いです。今のハル、物凄く怪しまれてます」


 女の子の親だけではなかった。川原にいる者、土手を歩む者、人間達の多くがハルに強い訝しみの視線を向けていた。


「この場にいる人間誰もが、ハルを不審者と認識してます」

「そのようだ。よし、逃げよう」


 そのままハルが走り去ると、ますます周囲にいる人間達の怪しさの感情が一斉に高まった。軽快な足音を鳴らして逃げるハルを、アイも走って追いかけた。






 土手を走り抜き商店街まで歩いてきたところで、ハルは立ち止まった。とはいっても怪しいの感情を向けられている現状に変わりは無いが、そのまま歩き出す。


 警戒も何もしていないその背中に、「なんであんな怪しいことをしたんですか」と聞いた。


「ココロが連想されたからだ」


 以前、ソラやミヅキやミライから、ココロという赤ちゃんの知り合いがいる、という話を聞かされていた。しかしその前から、アイはココロの存在を知っていた。ハルがなぜ、連れているかわからない赤子。


 好機が巡ってきた可能性が高かった。過程によっては、なぜココロを連れているかの情報が掴めるかもしれないという結果が算出されたからだ。わざわざ行動を共にしている訳。これは、知るべき情報だと判断された。


「ココロさんは確か赤ちゃんですよね。ソラ達から聞いた話では。ですが先程見ていたのは、赤ちゃんではありませんでしたよね」

「ココロが成長したらどうなるんだろうと、予想を立てていた」


 笠の下から聞こえてきたのは、統計的に見て親の立場の者がよく発する台詞だった。予想外なことだった。


「ココロも、一つの存在だ。……このまま、大きくなってもらいたい。何事も起きないまま、成長を遂げてほしい」


 道の脇で、ハルが立ち止まる。上でも下でもなく真正面に向かって放たれた台詞は、一人言の可能性が低かった。


「ココロは、どのような心を持った存在になるのだろうか。現時点では未知数だ。だから知りたいと考えている。このまま無事に、成長してほしい」

「ココロさんのことが、大切なんですか」


 笠がわずかに横に傾いた。


「大切、なんだろうか。私にはわからない。私はそういう感情がわからないから、わからない」

「ではどうして」


 一緒に連れているのですか。そう聞こうとしたときだった。急にハルが方向を転換した。ぐるんとこちらを振り返り、そのまま傍を通って歩いて行く。


「どちらに向かわれるのですか」

「そろそろ帰る。ココロの世話は同居人が見ているが、ずっと任せているのは非常識だ。戻らなくてはいけない」


 ハルは今日、いつも抱っこ紐やおんぶ紐を用いて連れているココロを連れていなかった。


 同居人とはクラーレだろうが、恐らく本人の性質から推測するに、赤子の世話に苦の感情を抱かないのではないだろうか。


 だがクラーレと会ったことが無いのにそんなことを言うわけもいかなかった。一緒に連れている理由を聞く途中で中断され、アイはどうすればいいかわからなくなった。


 ハルを引き留めなくてはいけない。何一つ掴めていないのだ。情報も、弱点も、何もかも。


 結局結果が出なかったなど、考えられないことだった。

 何もかも無駄になってしまうと、早足で歩いていたハルを、走って追いかけていたときだった。ハルの足が止まった。


「アイは、これからどうするんだ」


 ゆっくり振り返った。笠の編み目から、光が一瞬漏れた。


「私、は」


 ハルの顔を見上げていることができなくなった。勝手に下に向いていく自分の行動をなぜ、と疑うも、動きを止められない。


「どうすればいいのか、わかりません」

「ふむ……それはアイの自由だが。そうだな……」


 ハルは考え始め、やがて指を道の奥へ指さした。


「では電車を使うが、科学館はどうだろうか。図書館も近くにある……」

「……あそこですか。なぜ」

「今日私の所に来たとき、ミヅキとソラが今からそこに行くと言っていた。途中で会ったミライにも同じことを話したら、じゃあ行ってみると早速向かって行った。つまり顔見知りの三人と会える可能性が高い。どうだろうか」

「いいんじゃないでしょうか」

「では、駅までだが送ろう。この先にある」


 言って歩き出してしまえば、もう提案を断ることは出来なかった。


 諦めるしかないのか、という考えに至る。無収穫のまま。


 だがミヅキ達に会える可能性があるなら、収穫の可能性が0になったわけではない。けれど、ハルと行動した最大の好機を活かせられなかったのは、紛れようもないミスだった。失敗だった。自分に課せられた役目を果たせなかった。


 なんとかチャンスをものにしなくてはと考えるも、駅に向かうハルまで、黙ってついていくことしかできない。駅の近くについた時も、アイはすぐ中に入る事が出来なかった。


「どうしたんだ」

「いえ、その……」


 最適な答えが見つからず、視線をさ迷わせたときだ。駅の方で、何やら言い争いをしている二人組が目に入った。

 「もう嫌いだ」と片方が叫び、もう片方もじゃあ知るか、と怒鳴っている。いささか注目を浴びている二人組にハルも興味が沸いたようで、じっと見ていた。


「あの二人をどうみる」

「……恋人同士の痴話喧嘩ですね」

「では感情は?」


 聞かれなくとも、目に入ったときから見えていた。両者とも憎しみの感情を抱いているのに、それと同じくらい、愛情も抱いていた。

その感情が見えたからこそ、二人の関係性が恋人同士だとすぐにわかったのだ。


「愛憎入り交じった、というものですね」

「心の特徴だ。相反する感情を同時に抱く」

「憎悪と愛情など正反対のものを……。どちらか一つのみになるのが常識なのではないでしょうか」

「そういうものだ」


 一言で片付けられたが、附に落ちなかった。けれど究明したいわけでもなかった。改めて既に決まっている結論が出ただけだ。アイは首を左右に振った。


「やはり知る価値がないです、人間達の感情など。意味を見出せません。処理しきれなくなるだけです。理解しているのに、なぜわかってしまうのでしょうか」

「では、積極的に知ろうとしてみるのはどうだろうか」


 言われた事が予想しようとしても出来ない言葉だったので、アイの動きは中途半端な形で止まった。


「感情の情報は勝手に飛び込んでくるのではなく、自分が無意識下で知ろうとしているもの。ものの見方を変えてみたら、少なくとも気持ちの持ちようは変わるのではないだろうか。マイナスの方向に感情が傾くことは少なくなると判断できるが」


「……ハルは本当に、知らないものを知る事に積極的ですね。貪欲とも表すことができるくらいには」


 アイは流し目でハルを見た。


「新しく知ったものを嫌いになったり、好きになれなかったときはどうなんでしょう。あるいは、自分の為にならなかったとき。無駄な労力と時間を費やしたとは考えられないのですか」

「私が、ありとあらゆるを広げるため、様々なものは知るべきだという考えているだけのことだ。考え方は人それぞれだから、私に同調しなくてもかまわない。ただ私が、無駄とは考えないだけのことだ」


 はっきりとした口調から、ハルの考えは永遠に変わらないとくみ取れる。顔を前にやると、横から声がかかる。


「だが知る事は可能性、それは間違いない。良くも悪くも。アイがこのまま他者の感情を知り続けたら、アイにとって必ず新しい道が開ける。今までには出現し得なかったはずの選択肢が現れる。可能性とは、そういうことだ」


 ハルの言葉からは確固たる響きがあった。そうなんですかね、と形だけ返事して、先程の二人組を見た。


 憎悪の感情を見せていたはずの二人は、いつの間にか愛情を前面に出し、今まで見せていた憎しみは跡形もなく消え失せていた。本人たちの中で、いがみ合ってた事実など記憶から消されているのではないかとみられた。


「仲直りしたようです、あれだけ喧嘩していた割には。この短時間の内に。わけがわかりません」

「そういうものだと片付けるしかあるまい」


 ハルは頷きつつ、恋人達の様子を眺めた。二人は花束を渡し合うと、更にお互いがお互いに対する恋の気持ちを強まらせていた。


「あそこの花屋で買ったのだろうか」


 ハルが背後を振り返った。見ると確かに、何軒か先に花屋があった。おもむろにハルが歩き出したので店の横までついていくと、確かに花束も複数売られていた。


「いつの間に買ったのですか……。こんなすぐに変わるような不確かな感情を知って、本当に意味があるのですか」


 ハルは、答えなかった。何も言わなかった。隣を見ると、ハルは真正面を向いていた。


 一切の動きを止めていた。他の何も見えておらず、聞こえてもいないのではと。こういう置物だと説明しても誰も疑わないのではと予測できたほど、ハルは動かなかった。


 事実、あれだけ注目を浴びていたのに、今では誰もハルを見ていなかった。横を何人もの人間が通り過ぎていった。

 何を見ているのか。アイは目線を辿った。


 見る先にあったのは花屋だった。そこの壁に、造花とみられる花の入った籠が、幾つか掛けられていた。その中の一つを、ハルはずっと眺めていた。


 その花はどれも鮮やかな紫色で、編み籠の中にたくさん飾られていた。ふっくらと丸く、小さな鐘のような形。


 籠の札には、「釣鐘草カンパニュラ」と書かれていた。


「どうかなさいましたか」


 一呼吸。二呼吸は間が空いた。時間経過のあと、ゆっくりとした動きで、ハルはアイを見下ろした。


「なんでもない」


 笠の下から聞こえてきた声は、全く抑揚が無かった。

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