phase1.1

 翌日の休み時間のこと。次の授業の準備をするために鞄を開けると、奥にしまっているコスモパッドが、ハルからの着信を告げていた。


 今日も教室内はざわめきに満ち、誰も穹のことを見ていない。それでも万一を考え、穹は教室を出た。しかし休み時間中のため、廊下も溌剌で活気に満ちていた。逃れるように小走りでいつも人気が少ないトイレまで駆けていき、中に誰もいないことを確めると、ようやく通話に出ることができた。


 もしもしと話すより前に、トイレ内にハルの声が響いた。


『ソラ、パルサーの出現予測地点が絞り込めた。出現確率は89.58%』

「ええ?!」


 自分の声は思いの外反響し、辺りを見回した。声に気づき、訝しんだ誰かが入ってくる様子はなかった。


『地点は割り出された数字から判断して、中等学校の屋上。校舎上空に出現するだろう』

「校舎に……」

『ミヅキとミライにも連絡を試みたが繋がらなかった。計算によると、出現するまで訳3分38秒。時間が無い。ソラ、頼めるか』


 頼めるか。その一言が、頭の中にこだました。


「はい!」

『手順は以前説明したとおりだ、ただ無理だけ絶対にしないように。任せた』

「了解しました!」


 通話を切りながら、穹はトイレから飛び出した。通話場所を探してトイレに向かった時を遙かに凌ぐ速度で、教室まで戻る。飛び込むようにして教室に入り、鞄からパルサー捕獲に必要な“アミ”と“カゴ”を取ると、道具の姿が見えないように抱え込んで体で隠し、ばたばたと足音を鳴らしながら教室を出て行った。


 何人かの視線が集中するのがわかったが、気にする余裕は皆無だった。自分は今、任されている。その事実が、文字通り追い風となって背を突き動かしている。


 廊下を走ってはいけないという規則の存在を今だけ頭から抜き去り、全速力で駆けた先は、屋上に続く階段ではなく、一階だった。そのまま校庭の物陰まで出ると、周囲に人がいないことを軽く認識してから、パッドの液晶画面に人差し指を当てた。浅く息を吸い、口を開く。


「コスモパワー、フルチャージ!」


 光が全身を包み、あっという間に散っていく。すぐに駆け出そうとしたのに、無意識に自分の姿を眺めてしまっていた。何回か変身しても、まだ変身直後は落ち着かない気持ちになるのだ。はためいた白いマントを翻し、穿かれたブーツで軽く地面を叩くと、両足に力を込め、一気に飛び上がった。


 木なども使って渡っていき、屋上まで飛躍する。屋上への扉には常に鍵がかかっているが、外から侵入すれば鍵も関係無い。フェンスを越えてコンクリートの地面に下り立つと、首を上に向けて広がる青空を凝視した。


 さっき校舎の壁にかけられてある時計を見たが、まだ3分経っていない。どの辺りに出現するんだろうと、上空に全ての注意を注ぎながら、折りたたまれてあるアミを伸ばし、カゴを肩からかけ、きたる瞬間に備えた。


 それにしても、運動が一番苦手な自分が、屋上までジャンプするとは。


「宇宙の力をチャージか……。格好いいなあ……!」


 変身するための音声認識として登録されている言葉。訳するとなかなかに心をくすぐる響きを持っている。胸がわずかに熱くなるのを抑えられない。


「でもそのまますぎる気もするんだよなあ。もっと格好いい名前に変えられないかな。ギャラクシーとか……いやここはビッグバンやノヴァとかのほうがいいかも。超新星爆発のごとく銀河の力を一斉に解き放つ、みたいな……」


 穹が思考にふける間も、青い空に白い雲が浮かぶ光景は変わらない。これからも変化のなかったはずの空の一部分に、ぱっと何かが出現した。白い小さな光だった。一秒前までにはなかったもの。妄想の世界に半分浸かっていた穹の意識が、一気に引き戻された。


 アミを両手で構える。右足と左足、両方強く踏み込む。コンクリートの感触を足の裏に味わい、その感覚が消えたときには、穹の体は宙に浮いていた。


 飛び上がった先には。穹の前方に、白く輝く小さな物体が浮いていた。体全体に風がぶつかる。一身に受け止めながら、アミの柄を強く握りしめる。


 光目掛けて、一気に振り下ろす。空中にいる時間のタイムリミットが訪れ、穹の体は屋上へと落下していく。


 どん、と着地したとき、アミも振り下ろした状態のまま、屋上の地面と当たった。アミの中には、白い光が入っていた。


 どくん、と一際大きく心臓が脈打った。呼吸が浅く、短くなり、汗が勝手に滲んでいく。体が熱かった。


 やった。それしか頭になかった。遂に捕まえた。他ならぬ自分の力で。頼まれたことをやり遂げた。


 カゴの蓋を開けようとしたが、がたがたと手が震えてしまっており、全く思うように動かなかった。


 早くカゴに入れて、完全にやり遂げてしまいたい。その一心でなんとか蓋を開けた時だった。

 視界の端で、何か白い光が駆けた。目をやると、そこにはアミの中にいるのと全く同じ白い輝きが、穹の目の前にいた。


「え?」


 アミを見た。中には、さっきまであったはずのパルサーが、どこにも無くなっていた。そしてそのパルサーと思しき光は、アミの外にいた。


 パルサーが目の前から消えた。かと思ったら、次は屋上の隅のほうに姿を現した。が、目で追った途端消えた。次に出現したのは、屋上の隅の、少し上空辺りだった。


「えええ?!」


 逃げた。逃げられた。脳内で現実が点滅する横で、ハルの説明がリピートされた。


 アミで捕まえても、パルサーは移動の性質が消えたわけではない。いわゆる、移動速度が大幅に下がった状態で、カゴに入れて初めて、捕獲が成功したことになる。

 すぐカゴに入れないと、パルサーは逃げる、と。

 カゴに入れずアミを通した状態では、短い移動距離と、パルサーにしては長い移動時間のテレポーテーションを繰り返しながら力を溜めていき、最終的にはまた姿を消す。姿を消す前にまたアミで捕まえないと、捕まえるチャンスを失うことになる、と。


 体がどんどん冷えていく。心臓が嫌に速くなる。頭の思考が一つに纏まる。


「待て!」


 地面を割る勢いで両足を踏み込み、一気に駆け出す。跳んだ先でパルサー目掛けてアミを振り下ろす。だが無情なことに、アミの中には空気しか入らなかった。


 肝心のパルサーは屋上のフェンスを越えた先に移動していた。着地ざまにそちらへ方向転換しジャンプをするも、またアミはパルサーを捉えることはなかった。

 またパルサーが消える。次にどこに出現したか、目で追えなかった。何度か視線を往復させた先で、見覚えのある白い光が目の端に映り込んだ。


 広いグラウンドをずっと行った向こう。緑色の防球ネットフェンスの上方に、パルサーは漂っていた。目測でわかった。とても一回のジャンプで辿りつけられる距離ではない。


 迷う暇は無い。穹は軽く屈み、両方のブーツについてある歯車を触った。両手の指が金属に触れると、間髪入れずに歯車を回した。


 ブーツに装着されている、金の歯車。これを回すと、靴の形状が変化する。水上スキーだったり、まだ経験していないが雪原を移動できるスキー板だったり。

そして限界まで回すと、ジェット噴射機能が現れる。


 歯車がかち、と音を残し、動かなくなった。穹は手を離した。瞬間、穹の体は屋上から消失した。ジェット噴射時に生じた青色の風が、そこに残っていた。


 一秒前まで屋上にいた。それが、一秒と経たずに、空中にいる。

 初めて使う機能だった。何度かシミュレーションを行いたかった。だがそんなことを言っていられなかった。


 風を切る音で、鼓膜が破れそうだった。風を切る体が、ばらばらに裂けるように痛かった。体内に風がどんどん入り込んでいた。


 景色が後ろに下がっていく。パルサーとの距離が縮まっていく。アミの柄に、手を食い込ませる。


 光が目の前まで迫ったときだった。ぱっ。音がしそうな程いきなり、パルサーが消えた。眼前に、緑色のネットが広がっていた。


 アミを振る間もなく、穹の体はネットに叩きつけられた。ジェット噴射が停止し、体もアミを構えた格好のまま、止まった。重力に忠実に従い、グラウンドへと落ちていく。


 派手な音を轟かせ、穹は落下した。頭も目もちかちかしていた。それでも見上げると、ネットが風にはためくばかりで、そこにも周りにもパルサーはいなかった。


「あんなに速いなんて……」


 まさしく風と一体化していたように思う。その速度でネットに突っ込んだ衝撃は想像以上に大きかった。体の節々が痛かった。ぶつかった場所がネットだったから、まだこのようなものですんでいるが。よろめきながら立ち上がり、インカムに手を添える。


「……失敗しました……」


 言った瞬間、ぶつけていないのに、喉が鷲掴みにされたような痛みに襲われた。胸のずっと内側のほうも、同じ痛みを訴えていた。


 失敗した。頼られたのに失敗した。


『怪我はないか、ソラ』


 聞こえてきたのは、無感情で冷たく聞こえる、いつもの声だった。温かみはない声音なのに、台詞はただ一言、穹の身を気遣うものだった。このハルの頼めるかを、任せるかを、裏切ってしまった。


「ごめんなさい、ハルさん」


 口から出た謝罪は、震えすぎているあまり自分でも何と言っているか聞こえなかった。なぜこんな声になるのだろうか。一字一句しっかり言葉にして、謝らないといけないのに。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい。全然役に立てなくて。ごめんなさい」

『いい。気にしないでほしい。今後は、もっと早くに出現予測地点を絞り込み、ソラ達に連絡できるように、計測器の性能の向上を図る。むしろ今回のことで、改善すべき点が見つかった。ありがとう、ソラ。それに、パルサーの単独捕獲は難易度が高いんだ。ソラはむしろ善戦したほうだ』


 ハルは事実を述べるのみで、淡々としていた。最後の下りも、穹を慰めようとして言ったようには聞こえなかった。あくまでその現実を穹に伝えたまで、と。

 だが客観的に見ても、穹が失敗したこと、穹が悪いことは明らかだろう。なのにハルは一切そこに触れなかった。それが更に、胸と喉を締め上げた。


「ごめんなさい」


 他者が責めてくれないのであれば、あとは自分しか残されていない。


「もっと頑張ります。今度は絶対に絶対に失敗しませんから。ごめんなさい、足を引っ張ってしまってごめんなさい。僕はなんて奴なんだ、どうしていつもこうなんだ、なんでいつまで経っても駄目なまま……」

『ソラ』


 一度口をついて出ると、止まらなくなった。言葉の激流を、ハルは名前を一つだけ呼び、遮った。


『違うよ、ソラ。だから、やめなさい』


 何が違うのか、何をやめるのか。言われなかったので何を指しているかはっきりとわからなかったが、穹は小さくはい、と呟いた。

 通話を切った直後、インカムから力なく手が外れていった。それまでインカムを掴んでいたからか、まだ固く冷たい感触が残っていた。


 ハルが、ようやくパルサーがいつ、どこに出現するかを絞り込めるようになったと言ってきたのは、AMC計画を伝えた翌日のことだった。

 それまでは、何十秒前とか秒単位でしか事前に予測できなかったり、できても実際に出現する確率が低かったりなどで時間がかかった。が、高い確率で、分単位で事前に予測出来るまでに、機械の精度を上げることができたと。


 8月の、空間転移装置の実験をしていたのもこの研究の名残だったらしい。瞬間移動が可能になれば、予測を算出してすぐにその場に向かうことができるからと読んだようだが、結果失敗に終わった。


 ハルは自分達に、いつもアミとカゴを持ち歩くようにと、人数分用意されたその道具を渡してきた。こちらが移動できる範囲内に予測地点が絞り込めたら、連絡を入れるようにするとも付け加えた。

 そう頼まれてから、最初の連絡だった。最初の連絡先が自分自身だった。なのに失敗に終わった。


 世界の明度が落ちていくような感覚がする。遠くで、授業が始まるチャイムが鳴っていた。




 今日は悪い意味で、昨日とは違う一日になった。なんと散々な日だろうか。パルサーの一件といい、授業に遅れ講義の真っ最中にクラスに入る羽目になり、一斉に生徒達の視線を浴びた件といい。


 遅れた理由をトイレということにしておいたが、お腹を下した人と勘違いされたろうか。

 ぐるぐると他者の脳内を想像して怯え、本当にきりきりとお腹が痛くなったが、やはり誰一人として穹のことについて話す者はいなかった。この一件について一言、話しかけられることもなかった。


 ため息を吐き、目の前の建物を見上げる。穹が立っている場所は、宇宙船の前ではなく、図書館だった。


 普段はここにバスで来る。しかし今日は、途中まで自転車で来た。ここのところずっとそうだ。最近この図書館にしょっちゅう訪れるようになったため、運動は苦手だが、運賃を節約するためにはやむを得なかった。


 入ろうとする前に、ドアの近くに見覚えのある人影を発見した。近寄ると、その人物は伏せていた顔を上げた。


「ソラ、こんにちは」


 手本のような綺麗な角度でお辞儀をされる。夜空をそのまま染めたような長い黒髪が垂れる。

身につけている黒と紺のワンピースとレギンスが黒髪に似合っており、後頭部で結ばれている薄ピンク色のリボンが、よく映えていた。

 

「あわわ、アイ! お辞儀しなくていいよ、本当に!」

「癖というものです。組みこまれているのです」


 アイは感情の乗らない澄んだ声で言いながら、顔を上げた。


 頭の上半分の、両側面の髪を後頭部に持ってきて一つに結わえる、アイのこの髪型。

 昔はこの髪型の名称がわからず、お嬢様結び、とずっと呼んでいた。が、あるときあれはハーフアップだよ、と美月に教えられた。


 だがアイの髪型に関しては、お嬢様結び、という言葉を使いたくなる。洗練された立ち振る舞いもそうだし、いつどんな時でも敬語を崩さない礼儀正しさもそう。

 特に敬語に至っては、どんな状況に追い詰められても崩れないだろうという確信まである。それよりも前に驚くことそのものが、アイの中にはない気がするからだ。


 アイの持つ、藍色の瞳。本物は見たことないが、きっと深海とはこういう色なのだろう。

 瞳に宿る深海の色のように、アイは落ち着いた物静かな性格だ。ここまで静かな女の子は身近にいないので、顔を合わせてすぐのこの時間は、穹の中からやや落ち着きが消える。


「それよりも、どうかなさったのですか? ここに来るまでの歩行速度が以前と比べて2,6秒ほど落ち、頭の角度が3,5度ほど下がっていますが」

「す、凄い観察力だね」

「目が良いので」


 アイは自身の碧眼を指さした後、言ったことを確認するように一つ頷いた。


「まあね……。今日、ちょっと失敗しちゃったんだ」

「失敗ですか。差し支えなければ、私にお話して頂くことは出来ませんか?」

「うーん、聞いても全然楽しくない話だから……」


 そんなことは関係ないとばかりに、アイは左右に頭を振った。


「問題ありません。楽しいか楽しくないかは関係ありません。私は、ソラの話が聞きたいのです」

「そ、そうなの? うん、わ、わかった」


 射貫くように真っ直ぐこちらの目を見つめられ、冷や汗が滲み出そうになった。えーと、と前置きをしながら目を逸らす。


「今日、友達から頼られたのに、失敗しちゃって……。期待を裏切ってしまったことが、ちょっと尾を引いているんだ」

「頼むということは、相手が見返りを求めている状態ですね」

「そう。なのに僕は、応えることができなかったんだ。それに、この失敗が、後々取り返しのつかないことに繋がってしまったらと思うと、凄く怖くて……」


 言っているうちに、脈拍が速くなってきた。もしかすると自分は、とんでもない失敗をしてしまったのではないかと。一度考え出してしまうと、狭い場所に押し込められたような気持ちになる。押し潰されているように、呼吸が苦しくなってくる。


「怖い」


 穹の不安を鎮めるように、涼やかな声が降ってきた。


「そんなことが、あったのですね」


 慰めや、励ましの言葉をかけるでもなく、一言それのみを呟く。それだけで、穹の心が落ち着きを取り戻していくのを感じた。そんなことがあった。その現実を認めてもらうだけで、ほっと息を吐き出すことが出来る。


 こんな風に人を落ち着かせられるアイは、精神が成熟しており、人間離れして見える。




 このアイとの出会いは、8月の終わり頃、茜色に染まる閲覧室が始まりだった。その少女と目が合った瞬間、凍り付いたように体が動かなくなった。さざ波一つ立たないような青色の瞳から、目が離せなくなった。体だけでなく、時間も、閲覧室の空気そのものも動きを止めているようだと感じた。


 カラスが一つ鳴き、飛び立つ音が聞こえてきた後だった。少女が目を伏せても、穹はまだ彼女のことを見ていた。青い目が焼き付いていた。どこかで見たことがある、と感じた。


 と。少女は本を閉じ、あまり物音を立てずに椅子から立ち上がると、こちらに歩みを寄せてきた。音に乱れの無い、規則的な足の運び方だった。


「ミヤザワ ソラさんですね」


 少女は口を引き、うっすらとした笑みを浮かべた。どこか舌っ足らずで、かなり人間味の薄い声。目の持つ静かさの印象通り、玲瓏とした響きを持っていた。止まっていた時間や空気が一斉に動き出し、我に返った穹は何度か瞬きをした。


「何で、名前を?」

「ご存知だからですよ」


 まだ少女は笑っていた。ただその笑みは、あくまで礼儀として浮かべている愛想笑いに思えた。この人と自分は、初対面だ。穹は所信した。このような子。なぜ向こうは、フルネームを知っている。


「偶然、名前が呼ばれているところを耳に挟んだのですよ」


 笑顔の時間は終わったとばかりに突如笑みが消え、真顔になった。だが、笑顔になっても真顔になっても、彼女の纏う雰囲気に変化はなかった。人は笑顔になると大体その人の周囲の空気は穏やかなものになるが、彼女にはない。


「……君、よくここに来るの?」


 今まで何度かこの図書館には足を運んだ。夏休みに入ってからは、その頻度を目に見えて上げた。けれどそれまでただの一度も、この目の前に佇む人とは出会ったことがない。見かけたこともない。彼女のような人。一目見れば必ず記憶に焼き付くはずだ。


「ここに来るようになったのは最近です。私は一度ソラさんのことをお見かけしましたが、あなたはどうでしょうか」

「ご、ごめんなさい。覚えていないです……」


 図書館に来たときは意識が完全に本に集中するため、見かけていたとしても忘れているかもしれない。そもそも本に気を取られすぎて、姿を見ていないのかもしれないと思い直した。


 少女は黙った。穹のことを見つめたまま立っている。話しかけられるのを待っているようだった。

 その姿にやや面食らい、どうしよう、と視線をさ迷わせる。と、少女の後ろにかかる壁掛け時計が目に止まったとき、指し示す時刻に対し思わず「あ」と声を上げた。閉館時間が迫っていたのだ。


「私は行きますね」


 穹の声を合図にしたかのように少女が動いた。机まで戻り本を取ると、小脇に抱え階段まで歩いて行く。

 穹の隣を通りかかった刹那、ぴたりと立ち止まった。散歩中の犬が急に立ち止まるときと近いものがある、前触れのなさだった。


「ソラさん。また明日」

「え?」


 どういう意味かと振り返ったときには、少女は階段を下りていた。穹はフリーズして動きを止めたパソコンのようにしばらくの間動けなくなり、その場に取り残された。我に返り後を追いかけたときには、少女の姿はどこにもなかった。


 夕焼け空の赤色が、やけに目に張り付いた。

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