phase9「暗雲」
一体、どれほどの覚悟をもって、この話を聞けば良かったのだろうか。美月は考え、心の中で首を振った。どれほどの覚悟をもってしても、動揺は間違いなく降りかかった。
「……この計画。発端となる発案者はサターンなんだ。彼が、闇の葬られたはずのこの計画を見つけ、遂行させようと考えた」
美月はハルが見せてくれた、演説の映像を思い出した。サターンという人物は、確かに秩序という言葉を使っていた。
ふいに、ハルは立ち上がり、背中を向けた。それはまるで、今まで歩いてきた道、逃げてきた日々を振り返っているような仕草に見えた。
「私が捕まる。それはそのまま、心から自由が消え失せることに直結する。私は、決して捕まってはならないんだ。何としてでも、どんなことをしてでも、逃げ続けなければならない」
美月らに聞かせている台詞には感じなかった。自分への宣言。もしくは、“敵”への決意表明に聞こえた。ハルの後ろ姿から、ただならぬ空気が纏われている。
「あの……ハルさん」
「なんだ、ソラ?」
振り返った途端、その空気は消失した。いつもの無機的で、物静かな姿に戻っていた。
「ハルさんは一体、何をしたんですか? 反発といっても、それだけでこんなことになりますか……?」
「私は、mindを盗んだんだ。Heartに接続することそのものが不可能になるmindを。それが無い以上、ダークマターはどうやったってHeartを使用することは出来ない。Heartに接続する手段は、mindを使う以外に方法が存在しないからだ。紛れもないゼロだ」
今までの襲撃の数々を、美月は思い返した。確かに、計画に重要なコンピューターに接続する手段を奪われた状態なら、血眼になって取り返そうとするだろう。
「盗んだmindは隠してある。場所は、誰一人にも教えていない。申し訳ないが、ミヅキ達にも言えない。万一のことがあるからだ」
「えっ、なんで?」予想外の返答に、美月は戸惑った。言ってくれれば、もっと力を合わせられるかもしれないと考え始めていたのだ。
「もし私が捕らえられれば、私の記憶データから、どこにmindを隠したかを探られる。その記憶データは、私自身で消去できるから良い。問題はミヅキ達、人間だ。奴らは間違いなく、ミヅキ達の記憶も漁ろうとするだろう。その時ミヅキ達がmindの居場所を聞いており、知っていたら……」
「向こうに伝わる、と……」未來が腕を組んだ。
「ただ、消しても記憶データは復旧される可能性が高い……いや、間違いなく復旧されると見ているし、やはり捕まらないに越したことはないんだ」
ココロが近寄り、抱っこをせがんできた。ハルは足下のココロを抱き上げた。
「AMC計画は、実は計画そのものは、遙か昔から存在している。だが、ずっと封印されていた。その封印が、今まさに解かれようとしている」
ココロをあやし出す。それきり、ハルは黙った。これで、話は終わったのだろうか。だがその場から動けなかった。体が石と化しているようだ。他の皆も同様だった。指先一つ、動かすことができないでいる。どうすればいいかわからず、美月は床を見つめた。
「もし、計画が遂行されたら、どうなるんですか?」未來が低く聞いた。ハルは一旦天井を見上げた。
「予想の範疇だが。まず、事件や事故といった類いが起きなくなる。もちろん犯罪も諍いも争いもなくなる。
あと、娯楽が無くなる恐れが高い。心が管理されるということは、想像力を失うのと同義。娯楽の完全消失まではいかないにせよ、その数や種類を大きく減らすだろう」
娯楽という言葉に、穹が反応を示した。
「本も、読めなくなるということですか……?」
「読めたとしても、感想はあって無いものになる。読んだ本に対し何を感じ取り、どういう感想を抱くかまで管理されるだろう。本だけじゃない、他も同様と見る」
また沈黙が訪れた。未來も穹も、自分達の考えを整理するために質問をしたのだろう。が、二人の頭がますます混乱していったのは、火を見るよりも明らかだった。
美月は視線を下げた。どうしても、考えが纏まらない。ココロの喃語が、完全な静寂が訪れることを防いでいる。
「私の口述だけだ」
顔を上げた。あやす手を止めないハルがいた。
「物的証拠は一切ない。今どこにもない。私は嘘を吐いていて、ダークマターのほうが正しい可能性だって充分に高い。選択肢は一つではない。だから、信じるか信じないかは、各自で決めてくれ」
これで、完全にハルの話が終わったことがわかった。次は自分達の番だった。空気の流れが、美月達に問うている。どうしたいのかを。
「信じられない……」
美月は両手で頭を抑えた。あまりにも突拍子のない話で、到底受け入れられなかった。だが、嘘だと笑い飛ばすことはもっと出来なかった。
そうか、とハルが呟いた。美月の他に言葉を発する者はいなかった。皆それぞれ俯き、黙っていた。重苦しい空気が、立ちこめていく。
「でも」
空気が重たい。のしかかってくるようだ。でも、頭から手を離す。顔を上げ、ハルを真正面から見つめる。
「私は、ハルを信じる」
胸にも、喉にもつっかえることなく、その言葉はすんなり出てきた。息を吐くようにスムーズに出てきたあまり、若干驚いた。
私も、と未來が屈託なく笑った。
「ハルさんを信じます! 今の生活が壊れちゃうの、絶対に嫌ですしね。あ、クラーレさんは?」
未來がクラーレを見る。クラーレはふいとそっぽを向いた。
「……俺の居場所は、ここだ。それを変えるつもりはない。以上」
「全然素直じゃないですね~。穹君は?」
いきなり話を振られて驚いたのか、穹はぶんぶんと風が起こるほど首を振った。
「僕も嫌ですよ! 本が読めなくなる世界なんて」
「だよね~! シロは?」
「ピ、ピュイ!」
「シロも信じるって言ってますよ~!」
「だね、絶対そう言ってるよ!」
シロはハルを見上げ、緑色の目を真っ直ぐ向けていた。それを見ていた美月は、そういえば、とあることを思い出した。
「AMC計画が遂行されたら、好きなごはんを好きなように食べることも、できなくなるってことでしょ?」
「その通り」
「最悪じゃないの!」
今ので完全に気持ちが固まった。
「ハル。私達は、皆同じ気持ちだよ。ハルと一緒に、AMC計画に反対する。ハルと一緒に、戦う!」
全員が強く頷いた。その光景を目の当たりにしたハルの口が、小さく開いた。しばらく開いたままだと思っていたら、再び閉じられる。何かを噛みしめるように閉じていたかと思うと、また口が開けられた。
「瞬間移動装置が暴走し、戻ってきたとき。ミヅキは、心が管理された世界を楽ちんな世界、と言った。そうではないと、その危険性を説明しなくてはならないと考えた。本当ならその日のうちに説明をするつもりだった。だが、もしも私の考えに、ミヅキ達が反対をしたらと。その可能性を無視できなかった結果、判断が先送りになってしまった。リスクを入れて考慮すると、言わないほうが適切という結果が出る。なので今日まで、言えなかった」
確かにあの時は、楽な世界なのではと感じた。だがそれは気の迷いだった。食の楽しみを奪われるなど、断じて許されて良いものではない。ミーティアの長女としてのプライドもある。それ以前に、自分自身の心が嫌だと訴えていた。美月の中でAMC計画は、絶対的悪に位置づけられていた。
「ごめんね、ハル」
「いいんだ。気にしないでほしい」
ハルはココロに目を落とした。曇りのないオッドアイが、ハルを見上げる。ココロを抱く手に、わずかに力が込められた。
「かつて私の知人にも、同じ話をしたんだ。AMC計画の恐ろしさを。絶対に行われるべきではないことだと。
ところが、知人は理解しなかった。それどころか、AMC計画は絶対に行われるべきだと言ったんだ。
その時は、理解されるという、非常に信頼の出来る高い確率の数値が出ていた。でも、外れたんだ」
海に行ったときにハルが語った話の中に出てきた、ハルの知り合いだという人。その人のことを言っているのだとわかった。語り口は淡々としているのに、当時の記憶に浸るように、静寂な空気が渦巻いている。
そんな経験があるなら、美月達に話すことに慎重になるのもわかる気がした。
「以降知人とは、ずっと会っていない。もとい、会おうとしても会えないだろう。その知人は、ファーストスターに住んでいるのだから」
「ファーストスターって……」
ハルは顔を上げた。目が合った瞬間、体中の皮膚が強張る感覚がした。
「私の故郷は、ファーストスターだ。ダークマター本社のある星。私は、故郷も、古い知り合いも、全て捨てた。感情が無いからこそ、心が無いからこそ、今までの逃亡は成功してきたのだろうと考えている」
感情に振り回されることがないから。だからいつも、合理的に、理論的に、物事を判断することが出来る。そうハルは続けた。
「心の無い私が、心を守るために逃亡するなど、お笑いぐさに聞こえるだろう。だが、無いからこそ私は、心の貴重さをわかっている。心が自由でなくなることは、心が無くなることと同じだと。私はそう考えている。
人は皆旅人だ。旅は自由なもの。自由でない旅は、旅ではない」
感情の乗っていない声が、どこまでも機械的な声が、ずっと耳の中で響き続けていた。
その日、自宅に戻ってから、しばらく経った頃。穹は、ずっと図書館から借りっぱなしだった本があることに気づいた。思い出せて良かったと、早速向かうことに決めた。
一階に下りると、台所のほうから美月と浩美の会話が聞こえてきた。
「美月、目玉焼きハンバーグと目玉焼きカレー、どっちが食べたい?」
「両方!」
「駄目よ」
「何その二択! ずるい! 決められない ひどい! 誰か決めて!」
「自分で決めなさい、どっちにするの!」
廊下に漂う匂いの正体がわかった。どっちにしても、今日はカレーなんだなと、穹は心を弾ませながら、家を出た。
夏は日が長い。だが空の色は、夕焼けを表していた。今日の夕焼けは、赤が強めの橙色だった。茜色よりも更に濃いような。町中が夕方の色に染まる中、穹はやってきたバスに乗り込んだ。車内は少し込んでいたが、前のほうの席に座ることができた。
車のもたらす振動を受けながら、穹は先程の姉と母のやりとりを思い返した。決められないと、大袈裟なまでに体全身で嘆きを表す美月の姿を思い出し、つい苦笑してしまう。
さっきAMC計画に反対すると表明したのに、夕食の献立を自分で考えられずに、誰かに決めてもらおうとするだなんて。
「AMC計画か……」
言葉を漏らしてしまったのは、全くの無意識だった。まずいと口を押さえ、周囲を見渡す。だが穹の台詞に気づいた様子の者は、一人も見つからなかった。安堵の息を漏らしながら、背もたれに寄りかかった。
よくよく考えたら、仮に聞こえていたとしても、その詳細を知ることは出来ないのだ。
話を聞いた後、ハルも言っていた。
「AMC計画を知っているのはダークマターとバルジを合わせてもセプテット・スタなど限られた人物のみで、他の社員達は何も知らされていない」と。
「事情を知らない者にとっては、私は単にmindを盗んだ者として、捕まえるように指示されている」と。
窓の向こうを眺める。夏の遅い夕日が目に入り、思わず顔をしかめた。
あのようなとんでもない話を聞いた後だというのに、美月はあっさりと自分の日常に戻っていった。未來も恐らく性格からして、すぐに気持ちを切り替えられただろう。クラーレはどうだろうか。出来ないかもしれない。その代わり、これからどうするべきか、しっかりと自分のするべきことを考え、頭を巡らせているのだろうなと予想していた。ハルも言わずもがなだ。
僕は、と穹は自問した。僕はどうなのだろうか。
日常に戻ろうとしている。けれど頭の中は、AMC計画のことばかり考えてしまう。しかし完全に日常と切り離し、AMC計画について深く考えることもできない。ひどく恐ろしく思えて仕方ないからだ。
日常にも、非日常にも入り込めない。なんて中途半端なんだと一度感じると、自分が小さく思えてきてどうしようもなくなる。
車内アナウンスが流れた。下りる停留所が近づいていた。
考えていても仕方ないな。穹はそこで、思考を中断した。
図書館内は閑散としていた。穹の他に、来ている人は誰もいない。うるさくなくていいなと感じる一方で、どこか寂しさも覚える。
カウンターで本を返した後、何か本でも借りようかなと思いたった。今日は返すだけで借りる予定はなかったが、書架におさめられた膨大な量を誇る本の背表紙を眺めているうちに、その考えはあっさりと揺らいだ。
穹は階段を上った。小説が置かれているフロアが二階にあるためだ。階段を上りきったとき、穹は一瞬声を失った。階段を上がってすぐが閲覧室になっているのだが、その部屋全体が、赤色に染まっていたのだ。閲覧室の大きな窓から、西日が差し込んでいる。
赤なのに、派手な色と感じない。夕焼けとは不思議なものだ。辺りも暗くなってくるためか、光は存在するのに境界線がぼやけてくる。あらゆる物体の輪郭が薄らいで、本当にそこに存在しているのかあやふやになってくる。
心のどこかに、具体的にどの辺りかはわからないが、かすかな不安感を抱いた。まるでその色が、何かの前兆を示しているように。
穹は本棚に向かおうとした。その足が止まった。閲覧室の奥に、誰かが座っていたのだ。
館内は静謐そのものだった。その人影が本を捲る音が、響き渡って聞こえた。他に音は存在しなかった。
幽霊かと感じた。姿がよく見えなかったからだ。直後、なんて馬鹿なことを考えたのだと自嘲する。それでもまさかという思いを捨てきれず、一歩一歩、近づいていった。距離を詰めると、その容姿が段々とはっきりしてきた。
人影は、穹と同い年くらいの少女だった。長いく、真っ直ぐな黒髪が最初に目に行った。左右の耳から上の後ろ髪が、後頭部で一つに結わえられている。ハーフアップという髪型だった。
まるで人形のような、あまりにも静かな佇まいに、本当に生きた存在なのか更に不安になった。
もう少し近づいてみよう。足音を響かせないように。細心の注意を払っていたのに、中程まで来たところで、体が椅子にぶつかった。椅子と机がぶつかる音が、大きくこだました。
人影が顔を上げた。穹と目が合った。
この図書館よりも。この世にあるどんな静かな場所も敵わないような。静寂そのものを称えた目をしていた。
血のように濃い、夕焼けの色に染まる閲覧室の中。少女の青色の瞳は、穹のことをまっすぐに見ていた。捉えるように。観察するように。
赤色の中で、温度の感じない青色の瞳が、そこに浮かんでいた。
Part3:地球編・夏 【終】
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