phase4.2

 穹の髪はぼさぼさで、小さなひっかき傷が多くついている。

マントもズボンもベストも、土や埃などの跡が多くついており、裾や袖の先が綻んでいた。白色なので、汚れがとても目立つ。水色のジャケットには、細かな葉っぱや枝が一層付着している。


 ひどい有様。その一言に尽きる様相だった。


「な、何があったの?! どうしてここに?! 私とは逆方向に逃げたでしょ?!」


 開いてるか閉じてるかわからないくらいの目が、先程よりも少しだけ大きく開いた。


「ごめん……」


 一言、その口が言葉を紡いだ。耳を澄ますとかろうじて聞き取れるレベルの、とても弱々しい声だった。しかし、穹は震える唇を懸命に動かす。

 なんとか話せる気力は残っているらしい。でも、起き上がることはできないようだ。


「声が、インカムから聞こえてきたんだ……。いてもたってもいられなくなって……」


 美月は反射的にインカムに手を触れた。切ったつもりでいたが、まだ通話状態のままだったのか。


 はっと、美月の目が見開いた。


 木がどんどん切り倒されていき、その音がずっと響いていたので聞こえてこなかったが、確かに一瞬、穹の声を聞いた気がした。

あまりにすぐのことだったので空耳なのかと思ったし、何より、それどころではなかった。


「そいつな、背中から不意打ちを狙ってきやがったんだよ! だからな、受け止めて、吹っ飛ばしてやった!」


 振り向くと、マーズが悠然とした足取りで近寄ってきていた。

戦意喪失した獲物の前で、もう逃げることはないとわかりきっている、余裕を持った獣のようだった。


 穹は、困惑気に目を見た美月に、瞬きして頷いた。


「来るとわかっていたから、ちゃんと防御して受け身はとった。でも……」


 穹は顔を歪ませた。どこか痛みが走ったらしい。


「……山から、山の外の、ここまで飛ばされた。強すぎるよ、あの人……」


 わかってる、と美月は早口で言った。

穹も、美月も、怪我を負っている。それも、大きなダメージのものを。対して、敵は無傷。


「……もういいでしょう?! ちゃんと仇は討ったでしょう?!」


 美月は体を起こし、倒れたままの穹を庇うように、しゃがんだ状態のまま両手を伸ばした。


 マーズは、「はあ?」と、およそ美月が望んだ反応とはかけ離れた返事をした。

その声は低く、怒気が前面に押し出されていた。顔は赤く、まなじりはつり上がったまま。

右手に持った剣を、重々しい動作で振った。


「ビーナスは確かにシロに攻撃されたけど、ギリギリ避けて無傷だった! 対して私と穹は怪我をして、もう戦えない! 充分でしょ?」

「駄目に決まってるさ!」

「どうして?! ハルは本当に、どこに逃げたか知らないし……!」

「違う! まだ残ってんだよ!」


 右手に持つマーズの剣先が、そのまま木の生い茂る、山の入り口へと向かう。


「……出てこい」


 美月が、何もいないじゃないかと言いそうになった時だった。

風が吹き抜けていくかのように、音も無く、木々の間から、それは現れた。

風が、その人の黒髪を、ゆっくりと揺らしていった。


「み、未來?!」

「さっきぶり、美月」


 未來の口調は、とても静かだった。あの、驚愕に尽きる事実をカミングアウトした時のように。


「大きな音がずっとしていて気になってた所を、穹君の悲鳴が聞こえてきてね。嫌な予感しかしなくて、来ちゃった。ごめんね。シロさんは、ハルさんに預けたよ。大丈夫、皆ちゃんと逃げたから」


 淡々とした喋りを聞きながら、美月は、未來が本当に未來なのかと、そんな疑問を抱いた。


 未來の顔に、笑顔が浮かんでいなかったのだ。

いつも上がっている口角は平坦で、目は、何を見ているのか掴めない。


 別人のようだった。未来の体を借りている、未來の偽物なのでは。本気で、そう感じた。


「……へえ、報告にはいなかった奴だね。ふん、なかなかのもんを持ってそうじゃないか」


 そこで初めて、マーズが下げていた口角を上げた。笑ったのだ。

けれども、未來がいつも見せる笑顔とは、全く違う。むろん、今まで他の人がそのような笑顔を浮かべているところを、美月は見たことがない。


「そう。ありがとう。宇宙人だからね、私」

「へえ! そいつは驚いた。こんなに完璧に擬態できるもんなんだな!」

「みたいだね」


会話が途切れた。嫌な風が吹いた。中途半端にぬるくて、まとわりついて、何かを運んできそうな風。それがやんだ時、未來が口を開いた。


「……コスモパワーフルチャージ」


 よどみなく発せられた声は、一人言を言うみたいに小さく、でもはっきりとしていた。


 光が未來の全身を包んで散ると、服装が変わっていた。

着物のように袖が広いジャケットがはためく。その袖から伸びる手に握られているのは、ジャケットと同じ、赤色をした刀だった。鞘から取り出す音が、やけに高く、大きく聞こえた。


 赤く瞬く刀身。両手で構えたその先を、ゆっくりとマーズに向ける。


「み、未來……」

「平気だよ。でも、少し離れた場所にいたほうがいいかもね」


 未來は、美月の顔を見ていなかった。見ているのは、マーズだけだった。


「……面白い。楽しめそうじゃないか!」


 マーズは、また笑った。

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