phase4.1
全部夢なのかもしれない。幻なのかもしれない。そうなのであれば、一刻も早く、覚めてほしい。終わってほしい。あまりにも、悪いものすぎる。
きっと強いのだろうとは思っていた。けれど、これほどまでとは聞いてない。
ばきばき。めきめき。
先程からずっと聞こえてきている音。逃げる美月を嘲笑する声に聞こえてくる。それは、鳴り止まない。
振り返って、その行動を深く後悔した。どごん、と心臓が大きい嫌な音を立てた。
背後の光景。それは、森に生えている木が、次々と倒れ、なぎ払われてゆくというものだった。
美月は走る速度を強めた。どうしてこんなことに。再度自問した。
最初のジャンプから着地した後、美月はずっと森の中を架けて逃げていた。ジャンプしながら逃げたほうが早いだろうが、それだと目立ってしまい、すぐ見つかる可能性がある。同じく逃げた穹やハル、未來は大丈夫だろうかと心配になりながらも、走る足を休めなかった時だった。
遠くから、木が倒れる音が聞こえてきたのだ。
最初は、気のせいだと思った。空耳だと。風のいたずらだと。
信じたかった。
が、その音はどんどん大きくなってくる。美月に近づいてくる。
そしてふと気づいた時には、風を感じるまでになっていた。
木が倒れてくる時の風。木の葉が、枝が、頭上に降ってくる。
またすぐ背後で、木が倒れた。
非常に重い音。木が傾いていく際の音がよく聞こえてくるせいで、見えないのに見えるようだった。
その時のことを思い出し、美月の体は震えた。もっと速く走らなくては。更に膝に力を込める。
だが駆け出すまさに直前、木が地面にめり込む音と同時に地面が揺れた。衝撃の風が体に直撃した。
もう一度振り返ると、やや遠くにマーズの姿があった。
炎を纏ったイノシシのように、真っ直ぐにこちらに向かって走ってきている。
視線は真っ直ぐ美月を捉えて放すまいとしている。
駆け抜けながら、両手剣を上下に左右に、振り回していた。
一見でたらめに振っているようで、刃はことごとく木という木を捕らえ、なぎ倒していく。
倒木は折り重なり、地面の草すらも衝撃波で払われて剥き出しになる。
マーズの通った後は、そこだけ暴風が吹き荒れた後のような大惨事となっていた。
マーズの太刀を受けずにすんだ無事な木々が、ざわざわと葉を擦らせて、不気味な音を立てる。
灰色の重苦しい空が、自分を押しつぶそうとしているように見える。
鳥の鳴き声が、あざ笑いの声に感じる。
美月は今、ここにある全てのものが、自分を追い立て、追い詰めるだけのものにしか見えなくなっていた。
もうどうせ見つかっている。それに距離もどんどん狭まってきている。
美月は大地を蹴って、空中へと踏み出した。
地面がどんどん遠ざかっていく。気がついたら、先程まで自分のいた森が、足下にあった。葉の生い茂る木々の様が、まるで緑色の絨毯に見える。
その絨毯に、一本、別の糸が混じっているかのように、色が違う部分があった。
美月の背後に真っ直ぐ伸びる線。美月を追って、美月のいる方向に伸びている線。
その正体を知って、美月は体の底から冷えるような感触に陥った。
それは、マーズが木を切り倒していっている跡だった。そして今も、線は伸び続けている。
地面にいるわけにはいかない。美月はジャンプを繰り返しながら、とにかく山を下りることだけに集中しようとした。
しかし、地上から聞こえてくる轟音と、伸び続ける茶色い線に、つい気を取られてしまう。
何度も振り返りながらジャンプを繰り返していくのだから、注意も散漫となる。
倒れてくる木に押しつぶされそうになったり、倒れてくる際の風に推されて転びかけたりと、逃げようとしても上手くいかない。マーズとの距離は離れるどころか、縮んでいく一方だった。
熱さからくる汗と、冷たい汗が、混ざりながら額から滴る。
生ぬるい向かい風が、飛翔を妨げるようにして纏わり、絡み付く。
着地をすれば、間髪入れずに背後から音が鳴り、自分の隣に木が倒れてくる。
ごろりと隣に転がる樹木と、迫り来る足音に恐れおののき、またジャンプをする。
それを、ひたすら繰り返した。
真っ白なマントが、跳び上がる度に風をはらみ、ばたばたと音を立てる。
マントの形をしているのなら、これでずっと飛び続けることが出来れば良いのに。
誰を恨んだらよいものかわからないが、とにかく恨めしかった。
「!」
その時だった。確かに美月の目に、あるものが飛び込んで来た。
立ち並ぶ木々。生い茂る葉。その向こうに、人工物が所狭しと並ぶ場所があった。
町だった。
ここまで来られた自分は、まだ捕まっていない。別々に逃げた他の皆も、無事なはずだ。助かる。全員。これで。
空には灰色の雲が立ちこめていたが、さあっと目の前に光が差し込んできたように見えた。
思わず顔が緩む。顔だけでなく、体中の筋肉も緩みそうだ。
けれどここで緩ませようものなら、今差し込んだ光に手は届かない。
緊張から解放され綻んでいく体をなんとか持ちこたえさせながら、美月は一本の木に着地した。
町は目と鼻の先。このジャンプで決まる。枝に止まった足に、膝に、力を込めた時だった。
ぐらり。体が、前に傾いていく。足下も傾いている。木が、傾いている。
枝を、葉を、散らしながら。音と共に。樹木が、大地から切り離されていく。
どうして、今。
「うわああああああっっっ!!!!!!!」
緑色の地面が、近づいてくる。どんどん。
ゆっくりなのに、速い時よりも、更に怖い。
頭の中が、止まっている。
けれど、時間は、止まっていない。
美月の体は、丘に生える芝生の上に舞い落ちた。
木から投げ出され、ごろごろごろと石のように転がっていき、斜面の途中でようやく静止した。
そういえば、この丘。つい先日も、訪れた気がする。
忘れているわけではないのに、脳内はぼんやりと霞みがかっていた。
ばきり。
その霞を、足音がかき消した。
倒れ伏したままの美月の目は、山の入り口に向けられた。
自分がジャンプのために利用しようとした木が、同じように倒れている。その向こうに立っているのは、炎だった。
「手間取らせやがって……!」
その炎が、その木を踏んだ。ぐしゃりと、真っ二つに割れた。
「まさかこんなにしぶとく逃げ続けるとは思ってなかった。……でも、もう終わりだ!」
両手剣の刃の先が、きらりと輝いた。その光は、今一番見たくないものだった。
「しかもここは、確かビーナスちゃんがあんたらと戦って、それで負けた場所じゃないか!」
ぐるりと頭を回して見渡した後、マーズは大きな声を張り上げた。
「ちょうどいい! 今この場で! ビーナスちゃんの仇を討つ!!!」
「……」
こちらに戦う気は無い。仇を討つのが目的なら、もう果たされている。けれど、もしここで諦めたら、ハルとココロはどうなるのだろうか。
でも、きっと逃げたはずだから大丈夫だ。もう自分は、一歩だって動けない。
降参の意を込めて、美月が目を閉じた瞬間だった。
「お前も、そいつのようになってもらう!」
妙な台詞に、美月は目を開けた。両手剣が、別の方向を向いていた。顔を横に向け、瞳がその方向を見る。
少し遠くの斜面に、何かが転がっていた。
美月と同じような服装。よく見慣れた髪。体。
美月は駆け出していた。
立ち上がった刹那体中に激痛が走ったが、意地のみで足を前に出す。
その人のすぐ傍まで辿り着くと、がくんと体の力が抜け、また地面に倒れた。
それでも、手だけは伸ばした。その人に向かって。
うう、と小さく開いたままの口から、苦しそうな呻き声が漏れた。
閉じたままの目にかすかに力が入る。かと思うと、うっすらと開き、瞳が見えた。
その目は虚空を見つめているようで、美月の姿は映っていない。
美月はがたがたとした口で、その人の名前を呼んだ。
「そ、ら……?」
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