phase2「卵との日々」

 美月と穹は、毎日必ずハルの宇宙船に訪れていた。

来たらすぐに孵化器のもとまで走り、ころり、と慎重に転がす。


 割れないように、落とさないように。


それを意識するだけでも、面白いくらいに手が震えた。


 また転がす瞬間だけでなく卵に触れるときも、転卵の時とはまた違った緊張が走った。


 卵は一見、石に見える。生きているはずなのに、生命が宿っていない無機物のそれに見える。しかし、触ってみたらこれは、石では無いとすぐにわかる。


 人工的なものではない、生きている者独特の温もり。それが手の皮膚を通して、体全身に伝わっていく。


まだこの世に誕生していないのに、確かに生きている命がすぐ傍にある。だからこそ、より緊張するのだろう。


 二人には、転卵の他にすることがあった。

卵に話しかけることだ。


しようと思い立ったのでは無く、自然とその習慣がついたといったほうが正しい。


 転卵を自分達の手でするようになってから三日経った時のことだ。

美月が卵を転がしたとき、言ったのだ。

「今日はね、朝は晴れてたのに、途中から雨が降ってきたんだよ」と。

更に穹が、「でも、折りたたみ傘持ってきてたから、濡れずにすんだんだ」と続けた。


 全くの無意識の行動だった。言った後で美月と穹は、今自分が卵に話しかけたのだとわかった。

 情が移ってくると、返事がないとわかってなくても、生き物に話しかけるようになるという。

二人は、これがそうなのか、と改めて実感した。


 家が飲食を扱っており、しかも家と店が繋がっている。二人は、生き物を飼ったことが今までなかった。

この卵が、実質初めてのペットである。


 この日をきっかけに、美月と穹は、転卵時に卵に対して、今日あったことを話すようになった。

それがカプセル越しに話しかけるようになるまで、さして時間はかからなかった。


 ハルは不思議そうに、どうしてそういうことをするのかと首を傾げてきた。


「なんとなく喋りたくなるんだよ。ほら、ハルも何か話しかけてみよ? 絶対聞いてるはずだよ!」

「外の音は、卵の雛の状態からして、まず第一に……」

「はい、つべこべ言わない! 今日あったこととか、話してみたら?」


 ほら、と美月に強引に孵化器に押しつけられたハルは、しばらく唸っていた。

が、よし、と小さく頭を上下させると、少しだけ屈み込んだ。


「今日は地球時間で午前6時00分00秒に起床し、6時03分に着替え終了。6時12分27秒にエンジンルームを点検。6時31分49秒に」

「ストーーーップ!!!」


 以降、ハルは毎日、秒単位で「今日行った事」を、律儀に卵へ『報告』するようになった。


 その腕の中から、ココロも卵に向かって話しかける。

喃語なので、言葉になっていない声だ。だが、何を言いたいかは、その目でなんとなくだが、伝わってくる。


自分と同じだろう、と美月は思っていた。


「今日は久々に晴れたんだ! 早く一緒に遊びたいな。あなたとボール遊びとか楽しいよね、絶対!」


「昨日ね、とっても面白い本を手に入れたんだ。生まれたら、読み聞かせしてあげるからね」


「さっきハルがね、宇宙船の屋根に登って修理してたら、頭からどーんと落ちたんだよ……。びっくりしたけど、でもちょっと……。……もう本当に見せたかった!」


「姉ちゃんひどいんだよ、昨日の夜本のこと話してたらうるさいって言われちゃって……。き、君はそんなこと言わないよね? 僕のこと慰めてくれるよね?」


「昨日、昼間は雨が降ってたんだけど、夜は晴れて、星が見えたんだ。夏の星座とかちらほら見えてきていて、早くあなたに見せたいなあって思ったよ」


 卵が孵ったら、その雛とどのような日々が待ち受けているのだろうか。

美月はそれが、楽しみで楽しみで仕方がなかった。


 あれをして過ごしてみたい、一緒にこれをしてみたい。思い描くものは、どれもきらきらと輝いていた。


 話しかけると、本当に時々だが、返事をするかのように、ことりと僅かに動く。


偶然だとはわかっているが、返してくれているように見えて、美月も穹も、その度にそれはそれは胸が一杯になった。


「この子、早く私達と遊びたいんじゃないかな?」

「うん、だといいね。この子も早く外に出たいって、思ってるはずだよ!」

 美月達は卵のことを、いつの間にか一つの存在として、認識するようになっていた。

 ちゃんとした名前をつけてあげたいと思う一方で、それは雛が無事に誕生し、顔を見てからじっくり考えようと決めている。


 卵がハルの宇宙船に落下してきてから、七日が経とうとしていた。




 「あれ、未來?」


 その日の休日も、美月はいつものように宇宙船に行こうとしていた。


 卵は、なかなか孵化の兆しを見せてくれなかった。


それどころか一昨日頃から、どんなに話しかけても、撫でても、ことりとも反応を返してくれなくなったのだ。


 ハルから、もしかするともっと時間がかかるかもしれないと言われた時は、美月も穹も、肩透かしを喰らったような気分を隠せなかった。


 ただ、何かあったのかと心配する穹とは対照的に、美月は楽観的だった。

きっと休んでいるのだ。例えば虫の羽化には体力がとても必要だとどこかで聞いたことがある。虫でそうなら鳥だって同じなはずだ。孵化に必要な体力を溜めこんでいるのだ。


 だが、落胆はした。あれだけ早く出ておいでと繰り返していたのに、伝わっていなかったのかと。


(まあ、そういうものだよね。きっと)


 ここ最近、卵のことに気を取られすぎていたと、久々に美月は友人らと遊びに出かけていた。


 楽しい時間を過ごした後、一足早く友人らと別れを告げ、その足で裏山に向かった。


山に入ってしばらく歩いたときだった。美月は、見覚えのある少女が木の下にうずくまっているのを見かけたのだ。


黒髪に、ボブの髪型。未來だった。


「あ、美月! どうしたの、ハイキングでもしているの?」


 未來は木の根元に屈み込んだ状態のまま振り向いた。

首からは、カメラがぶら下がっている。


「違うわ、散歩よ散歩。未來は?」

「私は鳥さんの写真を撮りに。やっぱりちょっと町から離れたほうが、町中では見慣れない鳥さんもいっぱいいるので!」


 未來の撮った星空の写真は、実に素晴らしいものばかりだった。

その未來が鳥を撮ったら、どういう写真になるのだろうか。


 美月は好奇心の赴くままに、ちょっと見せてくれないかと軽い調子で頼んだ。

しかし、どこか気まずそうに、「……あ」と視線を下げられた。


「まだ、撮ってないんだ」

「え? じゃあ何を」

 と言いながら、未來の屈み込んでいた先、木の根元の部分に目をやった時だった。


そこの地面に、どう見ても自然にできたものとは思えない、小さな穴が空いていた。


 深い意味も思惑も何も無く、その浅そうな穴の底を見た。

未來がなぜか戸惑いながら止めようとしている横で、美月は大きく息を飲んだ。


 駄目だと思った。だが、気づいた時には、後ずさっていた。


 その中に横たわっていたのは、小さな鳥だった。


「……ここに来る途中の道ばたに、倒れてて。その時は息をしていたけど、病院に運んでいる最中に、動かなくなって……」


 未來は座り込んだまま、手元を動かしている。


 なぜ、片手にスコップを持っていたのか。

なぜ、未來の表情が、どこか曇っていたのか。

その訳が、わかった。


「多分、他の動物に襲われたのかと。怪我をしていたので……」

「……ひどい」


 美月は見えない存在に対して、作った拳を震わせた。

もし何者かに襲われたならば。そいつさえいなければ、この鳥は今も大空を羽ばたいていたはずだ。


 未來はやわやわと首を振り、「これが自然なんです」と微かに震える声で言った。


 どんなに見つめても、鳥の形をしたものの翼は開かない。


 おもむろに未來はカメラを手に取り、穴の中にレンズを向けた。

ともすれば場違いな、シャッターを切る乾いた音が響く。


「……仕方ないことなんです」


 スコップで穴を埋めていく。ゆっくりと、動作の一つ一つを確認するように、掘り返した土を再び穴の中に戻していく。


 ぺたぺた、とスコップの背で穴が空いていた地面を叩くと、未來は傍に置いてあった枝を、その場所に突き立てた。


 葉っぱの生えている枝はかなり細く、強い風が吹けば倒れるか折れてしまいそうだ。

 未來は枝を抜くと、もう一度、今度は深く、力を入れて差し込む。


そして両の手のひらを合わせ、目を閉じた。


 美月はつられるがままに、同じようにした。未來のようにしゃがんだほうがいいかと考えたが、今更体勢を立て直すのもわざとらしいかと考え直し、立ったままでいた。


 長い沈黙と静寂だった。

何度風が吹き抜けていったかわからない。


「仕方ない、んです」


 未來が口を開いたのは、美月の足がわずかな疲れを訴え始めた頃だった。

 彼女の口調は、とりたてて暗くなかった。かといって、慣れからくる淡々とした感じや、諦めから来るやるせなさといった雰囲気も無かった。


「私がどうにかできたことは、あんまりない。もうすっかり冷たくなってしまった子はどうにも出来ないし、この子みたいにその時息があっても、もう手遅れだったり。私にできることは、こうして埋めることくらいだけ」


 未來は地面を撫でた。二、三度手を往復させた。

果たしてここを通った者が、この場所が実はお墓だということに気づく者は、どれくらいいるのか。


そして知っている美月自身も、次来た時に覚えていられるのだろうか。


「たまに、病院に連れて行くのが間に合って、助けられたこともある。……でも、それが本当に良いことなのか、わからない」

「それは……良いことなんじゃ、ないの?」


 未來は口角を力なく上げた。違うんです、という声が、空気と共に漏れ出る。


「自然の中に足を踏み入れれば、もうそこは人間の世界ではない。今まで写真撮りに行った先で、何度もこういうの経験した。他の動物に襲われたらしい鳥、車か何かにはねられたらしい猫、巣から落ちたらしい雛」

「雛……?」

「そう。卵ごと落ちていた子もいた。孵化する寸前みたいだった」


 未來は立ち上がりながら、表情を変えずに言った。

否、表情が変わるのを懸命に耐えているようだった。

伏せた目のまつげが震えていた。


「私みたいなが、自然に介入するのは、本当はダメなことなんだ。生かすも奪うも、自然が決めるし、それに従って世界が成り立っているから」


 美月に説明するように。誰ともつかぬ何かに訴えるように。あるいは、自分に言い聞かせるように。


未來はもう一度、手を合わせた。

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