第51話 真実はいつも唐突な

「はぁ」


 私は今日、何度目かも分からないため息をついた。

 いやに、その音が木霊するような気がしてならない。


 せっかくの修学旅行の気分も全て台無しである。



 一昨日。例の件の後、私は重い足取りをしつつ、なんとか部屋に入る覚悟を決めた。

 だが、そこで事件が起こった。


 部屋に入ると、何故か花音がなんの気負った風も見せずに部屋にいた。私の顔を見ても、嫌な顔ひとつせずに。

 でも私にはそれが、どこからどう見てもやせ我慢にしかみえなかった。


 祈凜さんのため。

 ここでも、また花音は私よりも凄い行動をする。私は花音に負い目しかない。


「どうかした?」


 祈凜さんのそんな質問にも、私は戸惑った。折角、花音は隠しているのだから、隠さないといけないのに。

 いや、本当は謝るべきか。


「なん……でもないよ! ははは」


 でも、そんな勇気は私にはない。出るのはただの乾いた笑いと、ため息だけ。



 二日目は昨日のことを引きずって、私が雰囲気を悪くして、何か喋る訳でもない、ただ無駄な時間を過ごした気がする。

 申し訳なくて、胸がはち切れそうなくらいそれが悲しくて、でも言葉はなにも生まれなかった。


 流石に祈凜さんも私に何かあったのは気付いているだろう。


 でもそれを確かめることも怖くて、祈凜さんに謝ることも怖い。

 本当にどうしようもないくらい怖かった。こんな気持ち感じたことないくらい。



 そして、三日目の今日。

 今日は一日目と同じように自由行動の予定だ。

 

 当然、私達も一日目と同様、どこに行くかなんて決めていなくて、本当は話し合う予定なのに話し合うこともできそうにない。

 全て私が悪いことはわかっている。私が行動し始めないといけないとわかっているのに。


 各々が自由行動を開始する時間。

 私達三人は無言で立っていた。


 周りは「やっぱり、ここいこ!」とか「あそこ、楽しみ!」とか、楽しそうな雰囲気。そんな中、私達の周りは明らかに異質な空気感だ。


 まるで、群れの中であぶれた三羽の鳥のよう。


「……」


 誰も喋り出すこともせず、ただ、時間が過ぎ去っていく。


 人の気配が気になることもない。

 次第に騒がしさが落ち着いていくが、私達にとってそれはどうでもいい。


「……」


 やがて人がはけて、この周辺にいるのは私達と先生方、それにまだ駄弁っている訳のわからない生徒だけ。


 先生方も私達がその他の駄弁っている連中と同じと見ているのか、干渉して来ることはない。

 

「……」


 私達は互いの顔も見ずに、嫌な周りの雑音を聞き流す。



 しかし、その時は唐突に訪れた


「ねぇ、麻百合」


 私は今日始めて顔を上げる。

 花音声と間違えるかと思われたその声は、花音のものではない。

 この場にいるもう一人、祈凜さんのものだ。


「……ぇ…」


 私は言葉にならない声がでた。

 驚いていて、自分でもはっきりと何を言いたいのかわからない。


「いい加減にしてよ……麻百合!」


 祈凜さんの表情。

 それはどこか、一昨日の花音の表情と重なった。


「もう、いや!」


 祈凜さんはそう言って先ほどまで、微動だにしなかった足をついに動かし始める。


「まっ」

「待たない!」


 私の言葉も聞き入れてくれないくらい、怒っているのだろうか。

 私も祈凜さんの後を追うように足を動かし始めた。多分、花音もついてきている。


 周りにいた生徒や先生方は何事かとこちらを覗いていたようだが、知ったことではない。


 私は一心不乱に足を前に出した。


 もしかしたら、私は駆けているのかもしれない。それもわからないくらい、必死で祈凜さんを追いかける。


 でも、何故だろう。一向に私は祈凜さんに追い付ける気がしないのだ。


 観光地の嫌にうるさい音は聞こえてこない。聞こえて来るのは、目の前を行く祈凜さんの吐息と足音だけ。


「はぁ……はぁ」


 制服姿の女子高生が、走ってる姿はどんな風に見られるだろうか。

 いや、今はそんなことどうでもいいいいのだ。


 追いつきたくて。必死で走ってる。なのに、なんで。


「はぁ、はぁ」


 追い付けない。

 それどころか次第に祈凜さんが私から離れて行くようにも見える。


「はぁ……待って……置いて…いかないで」


 それでも私は駆けた。

 観光地だった風景は一変、どんどん人通りの少ない方へと変わっていく。雨も降り始めたようだ。

 どうでもいいとは分かっているが、それを意識すればするほど、外の情報が入ってきて、私の追いたいものがわからなくなる。


 怖い。


 祈凜さんは目的地なんて決めていないのだろう。

 いや、そんなことこそどうでもいいんだ。


 私は祈凜さんに追い付ければそれで……。



 それで……?



 私は追い付いて、何をするんだろう。何を話せばいいんだろう。私は好きだとも言えない。謝りもできない。後ろ姿を見ることしか出来ないのに、なんで追い付こうとしているんだろう。


 足が急に動かなくなる。私の足は完全に動きを止めた。


「はぁ、はぁ」


 追う理由なんかないじゃないか。

 私は、追う資格だってないじゃないか。


「はぁ……ごめん」


 自然とそんな言葉が漏れた。自分が嫌で嫌で仕方ない。消えて無くなりたい。もう、誰とも会いたくない。一人になりたい。


 怖い。全てが怖い。


 友達も、好きな人も。


 濡れた、制服が肌に張り付くのがわかる。雨が地面を打って泥が弾けるのがわかる。

 感覚が冴えていて、周りの様子が手にとるようにわかる。


 今は私一人で、このまま。このままだったら良かったのに。



 バチンッ!


 そんな鈍い音が周りに響いた。


「麻百合の馬鹿! 走りなさいよ!」


「……花音」


 それは、私の後ろをついてきていた花音。

 花音が私の頬を叩いた。


「なんで、止まってるの! 追いなさいよ! 祈凜さんが好きなんでしょ! 祈凜さんを追いかけるんでしょ! 止まってないで走れ!」


「でも……」


 私に資格は……。


「いいから、走れ!」


 心臓が跳び跳ねる。心拍数が一気に上昇する。

 あぁ、私は何やってたんだろう。走らないと。


「…花音、どうして?」


 どうして、私のことこんなに励ましてくれるの? 花音はどうして私にこんな風に怒ってくれるの?


「そんなもの、友達だから以外にないよ!」


「…っ! ありがとう!」


 私は勢いよく走り出す。

 もう、後ろから花音が着いてくることはない。


 でも、走る。

 もう、前に祈凜さんの姿は見えない。


 でも、走って、走った。



 そして。


「はぁ、はぁ」


 立って止まっている祈凜さんの姿を捉えた。


「追い付い……た!」


 祈凜さんにやっと。





「……麻百合」

「はぁはぁ……なに? 祈凜」


 私はゆっくりと息を整えて返事をする。互いに雨にさらされている状態だが、そんなのはどちらも気にしていないだろう。


「何があったかは聞かないよ」


「……」


「聞きたくないよ。麻百合は話すの嫌だろうし、私もそれを聞いたら悲しくなると思うから」


 今、私は祈凜の背中を見つめている。


「麻百合は私のこと好きって言ったよね。例えばさどんなとこが好きだったの?」


「……声。それに、沙夜を一途に思って、姿かな」


「それだけ?」


「……あとは、笑顔かな」


 そう、笑顔。私はあの笑顔を一目見た時から、祈凜が好きで好きで仕方なかった。手に入れたくなってしまった。


「そっかぁ、笑顔か」


「……」


「私も、麻百合にはいつも笑っていてほしいんだよね。笑って楽しそうにしていてほしい」


「私、そんなに笑ってた?」


「うん、麻百合の笑顔は誰よりも綺麗。でも、友達のところ行くときとか、麻百合は笑顔じゃない」


 それは、楽しくないから。私は祈凜さんと一緒にいる方が何倍も楽しいから。


「そんな麻百合の姿、もう見たくないよ。もう、つらそうな顔見たくない」


「…ごめん」


 それは一体、何に対して出たごめんだったか。私はここまできてもなお、まだ踏ん切りがついていないのだ。

 まだ、怖がってる。


「謝んないでよ。麻百合には麻百合の大事なものがあるんだから。でも、好きな私よりも大事にしてるのはちょっと……いや、凄く悲しいや」


 どういう意味だろうか。いや、私は分かってる。その意味くらい。

 

「……麻百合、私の想いに気付いてるんだよね」


「……」


「私、もう沙夜さんのこと好きじゃないって」


 うん。

「知ってる」


「じゃあさ、私が好きな人も?」


「知ってる…よ」


 それは、もう確信めいたものすらある。

「……麻百合」


 祈凜は何度目かわからない、私の名前を呼んで、振り返った。

 そして、私に抱きついて。


「んっ!」


 キスをした。



「気持ちいいや、やっぱ。麻百合とのキスは気持ちいい」


 その時の祈凜は雨のせいで泣いているようにも見えて、でも、笑顔だった。


「ねぇ、麻百合。付き合おう」


 私はそんな祈凜を。










 心の中で、受け入れられなかった。















「……少し待って」

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