5-15
長い断絶の後に意識が戻ると、修はどろりとした体液に包まれていた。よく知った味が口の中でぬるぬるする。ここは機人の中、消化管とは別の嚢だ。だが、体液にぬくもりはなく、粘度が高い。長いこと泳いだような寒気がする。実際どれほどの時間が過ぎたのかもわからない。視界に時刻は表示されず、タルタロスの声もしない。強制的にBMIが解除されたのだろう。
シーシュポスは死んでしまったのだろうか。修は寒気に耐えられなくなる。体温がかなり奪われているに違いない。機人ほどの大きさの物体が冷えるということは、相当な時間が経過しているはずだ。現に、修はめまいがしそうなほど空腹を覚えた。のども乾いている。この体液を思い切って飲んでみたが満たされない。栄養は補給できないらしい。
狭く閉じられた肉壁をこじ開けて進む。滑って力が入らない。それでもなお進もうとする。産道を通り抜けようとする胎児のように閉じ込められている。以前こんなこともあったな、と思いだす。それは機神の第三位格のときだ。だが、それはシーシュポスとして機神の胃の中から抜け出そうとしたのであり、今はシーシュポスの中から一人の人間として抜け出さないといけない。
前を進むことしか頭にない。振り返る時間もないし、首を回すだけの余地もない。ぐねぐねとした消化管を本来とは逆向きに進むことは難しいが、少しずつ苦しくなる呼吸の危機感が修を後押しする。体液に含まれる酸素が減っているのだろう。何としても生きなければならない。せっかくあの世界で姉と別れたのだから。長くて赤い、狭い道をひたすらにかきわける。
苦しみの果てに、やっとのことでシーシュポスの骸の中から這い出る。倒れ伏した機人の口からだらりと垂れた舌を伝わって地面に降りた。生臭さと、生体部品の焼ける嫌なにおいのするなかで、修は吐き気を覚えた。実際に体液をいつもよりも余計に吐いた。
吐き気がおさまってからあたりを見ると、ひどいありさまだった。地平線の果てまでアンドロイドの遺骸が転がっていた。壊れた部品でしかないのに、人間の形をしているものだから痛ましい。
振り返るとシーシュポスも機神と抱き合ったまま死んでいた。目には光がなく、呼吸をする様子もない。主をなくした鎧のように、堂々としていてもその実はむなしかった。出会ったときの偉大な姿の記憶がなければ、ただの大きな彫像としか思えなかっただろう。
戦友であり、姉の記憶を蔵したアーカイブであり、旧世界の記憶であった機人。それはもはや生物とも機械ともつかない物体として、焼け焦げたまま横たわっている。そこから記憶を引き出すことができないだろうか、と思ったが、すでに頭蓋は焼け焦げており、そこから脳漿が流れ出していた。おそらくはもう手の施しようがない。そして二度と、彼女と言葉を交わすことはない。
気づけば、機人からのフィードバックによる痛みは消えていた。それはシーシュポス最後の仕事だった。感謝を込めて彼に一礼し、そこにいた何かが失われたことを受け止める。もしも魂がそこにあったのなら、魂のための安らぎの場所に至れるように祈る。何に対して祈ったのかはわからないが、とにかくそこにいる存在たちには、シーシュポスと聖蓮の言葉に耳を傾けてほしかった。
無意識のうちにポケットを探ると、空になっていた。クマのぬいぐるみは、なくしてしまったのだろうか。今からシーシュポスの体内に引き返そうか。あるいは、大勢の人に命じて探させようか。
修は首を横に振る。あれはもう失われたのだ。現実の世界には存在しないだろう。それに、もうそれがないと不安で仕方がないわけでもないのだ。
それよりも、僕にはしなければいけないことがある。これ以上悲惨な出来事を起こさせまい。僕が戻ってきたのは、誰かを守るためだだ。そんな決意とともに、修は誰かを見つけるために歩き始めた。生きていて、手をつなぐことのできる存在であれば誰でもよかった。人間のいるところまでは長くかかることがわかっていたが、構わなかった。
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