4-16

 そのまま一歩ずつ近づいてくる。なめらかな肌ばかりではなく、胸やへそみたいに、違った色をした部分が目に留まり、目を背けることができない。心臓が激しく動いて、それが肋骨を刺激して痛い。

 霧島が来たら、と頭の片隅で思う。そして、二人の関係を誤解されるよりも、彼女の姿を見られる方が嫌だと感じている。あまりにも尊くて、そのくせ体のどこも隠そうとしない、強くて弱い彼女。それともこの関係は、誤解ではなく真実なのか。

「見て」

 何を見ればいいのか、と修は震える。

「私はタカマガハラ族の娘。だから、機人からのフィードバックはほとんど受けない。体の傷もすぐに癒えてしまう」

 確かに、ため息が出るほど無傷だった。

「でも、そんなことより、私は何の恥じらいもなくこんなことができてしまう。それは、この身体が何番目のものであるか、私自身が忘れかけているから。この身体が私に属していると信じられないから」

 何も考えることもできないまま、修は意志が侵略されていくのを感じる。

 彼女は蔦のように絡みついてくる。修は、彼女の柔らかさを全身に感じる。修の手は居所を失って宙に浮いている。まさか彼女の身体に触れるわけにもいかない。それとも、抱き返してあげることこそが、彼女の望みなのだろうか。

「こんなことをしても、修は本当の私に触れることはできないし、私も修に触れることができない。私の身体はかりそめのものだから。そして心は身体に規定される。私は私が何を考えているのかも把握できない」

 喉がひどく乾いていて、現実感がなくて、この戦いの中で一番どうしたらいいのかわからなくなる。

「私は少しも恥ずかしくない。第一位格との戦いの後、修に抱き着いたのも、私の中では恥じらいの感情が擦り切れてなくなってしまったから。それとも、感謝の気持ちを伝える方法を忘れてしまい、他のやりかたを思い出せなかったからかもしれない」

 本当だろうか。ならばなぜ、ガウンを脱いだ時に目を伏せていたのか。修の肩に手をやり、まっすぐに見つめた顔が赤かったのはどうしてか。

「私は自分の本当の気持ちがわからなくなってしまった。どこからどこまでが機人の作用なのか、なんのために私が戦ってきたのか、どれも見失ってしまった。修に父の姿を重ねていて頼りたいのか、尊敬の念を抱いているのか、ただ槻さんに負けたくないのか、それさえも曖昧になってしまっている。こうして何年も生きてきたけれど、戦うことばかりしか考えてこなかったせいで男の人を知らない。だから混乱している」

 判断できない。言葉が空回りする。そこにあるのは、身体の形だけだった。

「お願い、修がすべてを決めて。馬鹿なことをしてるってわかってる。でも、私をこの場でどうしてしまっても構わない」

 その言葉にもかかわらず、むしろ黒江のほうが修に体重をかけている。修は、体の芯から震えている。熱い。でも、その熱をどこにぶつければいいのか。戦いが終わって十分な時間が経過している。だから、これは機人からもたらされた感情ではない。修の年頃にありがちな、身体を見境もなく求めるものでもない。ただ、修をここまで導いてくれた彼女の思わぬ弱さを目の当たりにして、なんとかしてあげたくなる。涙がにじみ出る心の傷跡を、すべてふさいであげたいとただ願う。

「黒江は、黒江だ。何があっても、君の魂とでもいうべき部分はなくなったりしない」

「これほどまでに変化を繰り返していても? もしかして、私の過去の姿は今とは似ても似つかないかもしれない。私の記憶だって偽りかもしれない。脳をいじるとはそういうこと」

「構わない。僕にとっては、今の黒江しかない。それしか知らないし、それで十分だ」

 彼女はじっと修を見返す。その言葉に偽りはないか、彼女の痛みを理解しているかを見定める。だが、修の真摯さは本物であり、それがまさに彼女が無意識に求めていたものだ。彼女は修に心から身をゆだねる。

 だから修は黒江を受け入れ、彼女を押さえつける。改めて、彼女の身体の各部が目に見える。さっきまで見ないようにしていたけれど、見ることで彼女を受けとめる。もはや黒江は修に復讐を促した存在ではなく、ただの少女だった。一人の女の子として、もう一度迷いを口にする。

「私はまだいくつも修に隠し事をしていて、嘘をついているかもしれない。それでもいいの?」

「ああ」

 だが、彼女がタカマガハラ族の娘であったことのほかに、どんな隠し事がありえるだろう。今はただ、彼女の小さな胸の中にある空虚を満たすことだけを考えたい。

 どうしてあげればいいのかわからず、いつ服を脱げばいいのかもわからないまま、明かりを消すこともせずに、修は黒江を現実に繋ぎとめるために力強く抱きしめた。

 こんなにも、真実であるとしか思えない感情を持ったのは、初めてだった。


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