3-14

 修が大地から再び飛び出ると、機神は学院の周囲を狙っていた。位置的には、修や黒江がタルタロスに出入りしていた場所に近い。辺りの気象はすでに狂い、季節外れの雪や雹が屋根を叩いていた。機神は今や暴虐な北国の冬の化身であった。足腰の痛みと冷酷な雪風の中で、理性をまったく持たずに暴れる機神と距離を徐々に縮めていく。

「黒江! 無事か!」

 彼女の声はしない。通信からは頼りない呼吸音がするばかりだ。食われかけて気を失っているのだろうか。本当に生きているのか。不安を覚えると視覚に彼女の心拍数や血圧が表示される。少なくとも、まだ命は残っている。

「耐えてくれ!」

 だが、すでにティテュオスはその身体の半ばを飲み込まれ、下半身が頼りなくぶら下がっている。修は危険を顧みず機神の口の真下へと滑り込む。彼女は無数の噛み傷で血を流している。機神の上部のヒトデの腕の先についた別の口が、先ほどの復讐のようにティテュオスの肉をついばむ。

 修は黒江をその邪悪な口から引きずり出そうとするが、その装甲を貫き肉にまで達した牙に彼女は固定されていた。修はどうにか口を開かせようと下腹部を攻撃する。黒江から教わった技というよりも心得で、しかし黒江よりも無慈悲に、その肉をはぎとろうとする。骨まで届けと爪を立て、肉食獣のようにくらいつく。自分も怒りで我を忘れている。

「シーシュポス、血液過剰。戦いに快楽を見出しかけています」

「黄胆汁、さらに濃縮されます」

「感情制御回路、冷却してください」

「だめです。臨界点突破。回路が融解していきます」

 その怒りは、聖蓮を奪った者に対するものに加え、黒江という少女に加えられた暴力に対する憤りだ。自分を導き、戦うことを教えてくれた彼女に対する恩義だ。僕からこれ以上奪うことを許さない、その決意を込めて相手を破壊する。

 やがて機神は口を開き、凍結したティテュオスを吐き出した。黒江は力なく横たわる。修は暴れる第三位格から遠ざかり、黒江を抱きかかえる。学院の一番そばの公園に彼女を横たえる。彼女の全身をさすり、血が通うように願う。その緑色の衣をまとった少女に命を呼び戻そうとする。

 黒江は弱々しく目を開ける。

「……修」

「大丈夫か」

「……ありがとう」

「ああ」

「シーシュポス、活動時間、残り一分です」

 修は身をひるがえし、学院に覆いかぶさろうとする機神に向かう。

「どこにいくの」

「第三位格を倒す」

「無理をしないで。私たちには隠れる場所がいくらでもある。再起はいくらでもはかれる。機神はあまり都市を破壊するわけにはいかないのだから」

「……機神はすでに制御を失っている。あのまま放っておけば学院は間違いなくつぶれ、僕らの居場所がなくなってしまう。そうすれば僕らは別々の地域の学校に追いやられる可能性だってある。そうなれば、接点を失った僕らはタカマガハラ族との戦いで圧倒的に不利になる」

「でも」

黒江が反論する前に修は立ち上がり、血の跡を背後に残した機神を撃とうとする。

 自分の何倍もの大きさの相手を蹴り上げる。攻撃をかわし、誘い、受け流す。渾身の拳を与え、武道では禁じられている技を繰り出す。すでに自分と相手の体液にまみれ、どちらがより多く傷ついているのかもわからない。修は混乱の裡に、相手のすべての目を潰そうとする。卑怯であろうとも、この戦いに勝って生き延びなければならない。

 修は敵のヘリウム貯蔵庫を襲う。たとえ凍傷にかかろうとも、そこを潰さなければ道は開けない。それらを一つずつ潰していく。真空を作りだす機構が破壊されれば無力化できるはずだ。修は嚢を引き裂き、無様な皮の成れの果てとする。

 だが、その器官は最後のあがきとして膨大な液体ヘリウムを噴出する。シーシュポスの右脚にそれは正面からあたり、組織を破壊する。そして、第三位格の触手はそこを狙いすまして撃つ。その衝撃がシーシュポスの右脚を切断した。続いて左脚も。何が起きたのか修は判断できなかった。まるで修の脳が、痛覚のマスキングをしたかのようだった。

 遅れてやってきた痛みに吠える。もしかしたらシーシュポスの中の修の脚も裂けたかもしれない。機神は最後の一撃と言わんばかりに、そしてその悲鳴を押さえ込もうとするように全体重を修に乗せる。不可解な裂け目の中にシーシュポスをのみこむ。噛み傷が数えきれない。どこが痛んでいるか特定できない。数えきれない針が突き刺さり、血を吸われる。

「シーシュポス、体液流出甚大」

「体液平衡、崩壊の危険あり」

「黒胆汁過剰、憂鬱質になります」

「黄胆汁流出、怒りが消えていきます」

「粘液過剰。虚無を感じます」

 修は体内に引きずり込まれていく。全身の痛みがひどい。自分の運命への無関心に覆われる。

「修!」

 黒江が呼んでいるが、通信はかすかになる。機神の装甲には電波を遮断する機能があるのだろうか。まるであの世へと渡っていくみたいに声がかすかになる。恐怖が修を陥れようとしたが、奇妙な冷静さもあった。これでいいのだ。自分の役目はこれまでだ。自分なんかよりもよほど実力のある黒江が、タカマガハラ族に対して反逆をすればいい。自分は彼女の露払いに過ぎない。自分は聖蓮のいる世界に行こう。そこでなら彼女に会える。来世など存在しなくても、意識がなくなるのなら、つらさからは永遠に逃れられる。機人から流入する投げやりな思いが、修を静かな境地へと導いた。

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