第47話・懐かしの散策③
リューネと宿へ戻ったモエは、買い出しに出かけるフリをして、一人で領主邸宅へやって来た。
町は大きく拡張しているが、この領主邸宅は変わっていない。モエが手入れをした花壇やアローが生まれた年に植えられた樹、馬を繋いでおく小さな厩舎など、この領主邸宅だけ時間が止まっているように感じた。
「······アーロン殿らしい」
アーロンの事だろう。
変わりゆく町の中、アローやハイロウが過ごしたこの家だけは変わらないまま残しておくのか。それともアローが帰って来た時のためなのか。
恐らく後者だろうとモエは思った。
その証拠に、死して尚アローとハイロウを主人と仰ぐアーロンは領主代行のままだ。
町の拡張や発展は間違いなくアーロンの手柄と手際であり、町の誰もがアーロンを領主として認めている。だが当の本人がそれを認めない。自分はあくまでもこの地を任された身であると、領主代行のまま仕事をこなしていた。
モエがここに来た目的は二つ。
一つは元主人であるハイロウの墓参り、もう一つはアローの行方。
アローがマリウス領土へ追放されたのなら、アーロンがそれを放っておくはずがない。帰ってくると信じて領主代行のままでいるなら、アローの捜索に手を出さないはずがないとモエは踏んでいた。
ハイロウの方針で、領主邸宅に門兵はいない。
住民が気軽に来れるように、威圧感を与えないためだ。
それでも尚、町の憲兵隊や傭兵は領主邸宅の護衛に何人も志願した。
「············」
門を越えてドアの前に立つモエ。
だが、そこから先に進めない。
歴戦の傭兵部隊に囲まれ武器を突き付けられるより怖かった。
このドアを叩く資格があるのか、裏切りをした自分はアローに会う資格があるのか。
モエの思考がグルグルと回り、冷たい汗が背中を伝う。
メイドとして、主の前で無様な姿を見せないように訓練した。おかげで表情は真顔のままだ。
だが、怖い。
ここまで来れたのに、最後の一線を越えるのが怖い。
「今は誰も居ないので、ドアは開きませんよ」
「っ!?」
背後から声が、懐かしい声が聞こえた。
声色からはなんの感情も読み取れない。モエ以上に訓練された無感情な声。
モエは恐る恐る振り返ると、そこに居た。
領主代行とは思えないほど希薄な存在、主の影に立ち支える執事の服を着た、初老の男性。
彼は言っていた。「この家に居る間、私は主を支える執事なのです。だからこの執事服は私の誇りであり命そのもの」と、誇らしく言っていた。
「お久しぶりですモエ。お元気そうで何より」
領主代行にしてこの家の執事、アーロンがそこに居た。
********************
「さ、熱いうちにどうぞ」
「·········」
客間に案内されたモエは、アーロン自ら淹れた紅茶を見つめていた。
透き通るような爽やかさが鼻孔をくすぐり、落ち着かない気持ちのモエの心を優しく包む。
「これは最近取引が始まった『ザガン領土』の紅茶です。72の領土で最も上質な茶葉を栽培してる紅茶大国ですね。あそこの若き領主はなかなか聡明な御方だ。アロー様のいい御友人になれそうです」
アローの名が出た瞬間、モエの身体がビクついた。
当然、アーロンが気付かないはずがない。
だが、アーロンはそれに対して何も言わない。
「このハオの町······いや、セーレ領土は変わりました。他の領土からの移住者や開業申請も多く、まだまだ大きくなる事でしょう」
「·········」
「他の領土からの取引も多く、毎日毎日、交渉や取引で大忙しです。実は先程新たな鉱脈が見つかりましてね。地質学者の計算では数百年分の鉱石量が期待できるそうです。それに合わせてエアルの村に新たな採掘業者を立ち上げる話が持ち上がりました。エアルの村の若者達は皆喜んでいましたよ、畑仕事や狩り以外の収入が見込めるし、村の発展も見込めますからね」
「·········」
エアルの村は、以前のハオの町よりかなり小さな集落だ。
若者は多くても二十人程度だし、子供なんて殆ど居ない、老人ばかりの集落で、恐らく十年以内に自然消滅すると言われていた村だ。
アローやハイロウは、よくこの村の様子を見に行ったり、医者や薬剤師を派遣していた。
アーロンは紅茶を一口啜り、息を吐く。
「はぁ、あと三十ほど若ければ······ははは、年は取るものではなく重ねる物と言いますが、身体は言うことを聞きませんねぇ」
「·········」
「ですが、私はこの身体が動くかぎり、出来る事を続けます。それがハイロウ様の、アロー様のためになると信じてますので」
「·········」
「さて、そろそろ良いですかな。仕事が溜まってますので」
「·········」
アーロンは、恐ろしいくらい何も言わなかった。
自身の近況を楽しそうに語り、セーレ領土の明るい未来を笑顔で語る。
モエには、それが何より辛かった。何も言えなかった。
アーロンは、なぜ責めないのか。
自分がアローを裏切ったのは間違いない。アーロンならまず間違いなく気付いている。
原因や事情はどうあれ、主であるアローを裏切ったのだ。
アーロンはモエを憎むでも責めるでもない、ただの客として扱った。それが何よりもモエには効いた。
「·········アーロン殿」
「何でしょうか?」
モエは顔を上げた。
その表情は、訓練されたメイドの顔。
この屋敷でハイロウの執事を務めたアーロンに鍛えられ、アローのメイドとして共に過ごしたメイドの表情。
「なぜ、なぜ私を責めないのですか······」
「責める? 私が······貴女を?」
アーロンは、表情を変えずに聞きかえす。
その真意を読み取るのは、モエには不可能だった。
「お気付きでしょう、私は主であるアロー様を裏切り、アロー様の全てを奪ったアスモデウスへ行きました。これは主に対する明確な裏切り、メイドとして······あるまじき、あるまじき······っ!!」
「ふむ、そうなのですか」
「なっ······」
「貴女は、アロー様を裏切ったのですか?」
「·········」
なぜか、口に出せなかった。
それを口に出せば、何もかも終わってしまいそうな気がした。
だからこそ、驚いた。
「私は、貴女がアロー様を裏切るとは考えていません。むしろよくやってると思いますよ」
アーロンの言葉が、モエには理解出来なかった。
********************
アーロンの顔を凝視するモエの顔は、年相応の少女みたいだった。
「この町に、リューネ様とレイア様が来ていますね?」
「は、はい······」
「ならば、問題ないでしょう。貴女はきちんと仕事をしてます。裏切りなんてとんでもない」
「え、あ······え?」
意味がわからなかった。
混乱するモエに、アーロンは告げた。
「アロー様は貴女に『リューネとレイアを頼む』と仰られたのでしょう。ならばそれは間違っていない。むしろ貴女を逆恨みするアロー様が間違っています」
詭弁だった。
確かにアローはリューネとレイアを任せると言った。だが、それとこれとは違う。主のメイドなら主の命令より主の身を優先するべきだ。
「もちろん、あの状況では話が違います。ですが、メイドとしての貴女は職務を遂行しました。リューネ様とレイア様の傍で、お二人を支え続けました。そこは間違っていません。問題はその後、貴女がアロー様の命令を優先するか、アロー様の身を優先するかの違いです」
「え······」
「貴女は選んだのですよ、アロー様のお身体よりアロー様の命令を。リューネ様とレイア様を頼むという命令を、ずっと守り続けて来たではありませんか。例えそれが全てを失う事になっても、主の命令を守り通した貴女は素晴らしいです。誇りに思いますよ、モエ」
「ち、ちが······」
アーロンは、清々しい笑顔だった。
モエは、泣き出しそうな顔だった。
そして、アーロンは最後に言った。
「モエ、これからもリューネ様とレイア様を宜しくお願いします。きっとアロー様もそれを望んでるはずです」
モエの中で、何かが砕けたような気がした。
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